第31話:カルデイ帝都ダエン攻防戦(2)
船の絵が水面に隠れているというのは、つまり船の喫水が下がったという事であり、それは大量の荷物(おそらくは土)を乗せているという事だ。
何の為に?
自沈させないなら側面の絵が隠れるほど喫水が下がるまで土を乗せる必要もないだろう。そこまで船の喫水が下がっては強風でも吹けば自沈させる気が無くても船が沈んでしまう事があるくらい、船の操船技術を身に付けている者なら分かるはずだ。
では、東門まで穴を掘ったので船はもう要らないという事なのだろうか?
しかし不要になったからといって自沈させる必要は無く、船を自沈させるならそれには理由があるはずだ。それは、船を自沈させればなにが起こるかを考えれば分かる。アナガト川は流れが速く川幅は狭い。12隻もの船が自沈すれば川は氾濫する。
ならばなぜランリエル軍はわざと川を氾濫させるのだろうか?
そんな事をすればせっかく自分達で掘った穴に水が入ってしまうのではないか?
ではランリエル軍はわざと自分達の掘った穴に水を流すというのか?
ここまで考えてギリスはサルヴァ王子の策を読みきった。
穴に水を流すのなら、その水を持って帝都の防御を破壊する事が目的だろう。そして破壊するのであれば、本陣から遠い東門ではなく最短距離の塀を目標とするはずだ。
戦力的にはランリエル軍に対抗できない帝国軍は、帝都の外に出撃してこの策をとめる事は出来ない。ならばランリエル軍の策を逆手に取るしかない。
おそらく穴は最短距離を掘り進むだろうが、地下の穴をそう思い通りの方角に掘れているとは限らない。ある程度の誤差はあるはずだ。ギリスは誤差を考え、水の到達地点と思われる塀の上と塀の内側に幅五十サイトにわたって決死隊を配置した。
アナガト川から流れる水の直撃を受け、崩れた塀の上に居た兵士は即死しただろう。だが生き残った兵士が勇敢に戦ってくれるはずだ。
サルヴァ王子は勝利を確信し帝都への突入の命令を下した。
ランリエル軍は、崩壊した塀の瓦礫を乗り越え帝都の内部に我先にと突入した。だがそこに待ち構えていたのは塀の内側に組まれた多数の櫓だった。帝都へと突入した兵士達は、櫓と崩れずに残った塀の上から弓兵により散々に矢を浴びせられ一瞬で針鼠の様になり次々と倒れた。
足場の悪い崩れた塀の瓦礫の山を乗り越えての突入である。敵の意表をつき、ここには敵が居ない事が前提の突撃なのだ。足場の悪い瓦礫の山への突撃で、ここまで多数の櫓を準備され矢を射掛けられては手も足も出なかった。
さらにこの時、東門が開き帝国軍がランリエル軍へと突入したのだ。
ランリエル軍はこの帝国軍の攻撃に狼狽した。敵こそが我が軍の水攻めによる塀の崩壊を目の当たりにして狼狽し、なすすべを知らないのではなかったのか? 狼狽してなすすべを知らない帝国軍を、我がランリエル軍が一方的に蹂躙するはずではなかったのか?
篭城している軍勢がすぐさま兵を纏めて打って出る事など出来るはずがない。帝国軍はこの事を予期していたのだ。
そしてランリエル軍の総司令官であるサルヴァ王子も愕然としていた。
まさか我が策が見破られたというのか!?
穴を掘っている時に東門の敵が出撃して来ていれば迎撃の準備は十分に整えられていた。しかし、現在は帝都へと突撃する為に部隊の配置も変えている。
東門よりやや北に位置し、崩壊させた塀の穴へ突撃する体制にあったランリエル軍だったが、塀の穴から帝都に突撃した味方の先頭部隊は壊滅状態である。そして東門から出撃した帝国軍はランリエル軍の側面を南西方面から痛撃した。ランリエル軍の指揮系統は混乱し、敵を迎撃できる状態はなく体制を立て直す事すらままならない。
サルヴァ王子は軍勢の崩壊に愕然としたが、数瞬で我に帰った。
まだ自分にはやる事がある。こんなところで死ぬ訳には行かない。とにかく生延びる。そして必ず勝利する。その為のあらゆる事をするつもりだった。
異変を聞きつけた南北門のランリエル軍は、サルヴァ王子を救援すべく東門へと急いだ。
南門を担当していたのはララディ将軍である。しかし南門から東門へ最短距離を進んだ結果帝都の塀近くを通る事となり、そこへ塀の上の帝国軍が矢を雨の様に射掛けてきた。そしてランリエル軍が動くのを待っていたかの様に南門から帝国軍が打って出たのだ。
敵が出てきた事を知ったララディ将軍は反転して迎え撃とうとしたが、塀の上からは矢が降り注いでいる為とてもこの場所で帝国軍を迎え撃つ事など出来ない。やむなく後方を帝国軍に襲われるままに矢の雨を掻い潜り東門へと進んだ。
北門を担当するムウリ将軍もララディ将軍と状況は似た様なものだった。
ララディ将軍より冷静な判断力を有するムウリ将軍である。塀の近くを通ると矢の雨にさらされるという事は当然認識していたが、北門から東門に向かうには帝都の北から南南東へと流れるアナガト川が邪魔でどうしても塀の近くを通るしかなかったのだ。
だが自軍の損害を抑える為にサルヴァ王子がいる東側の軍勢を見捨てるのは論外である。ムウリ将軍は危険を承知で東門へと急いだ。
そして東門に辿り着いた南北のランリエル軍は、王子を救うべく東門から出撃した帝国軍へと突入した。幸いな事に東側にある本陣は穴を掘る作業の為の偽物である。帝国軍にサルヴァ王子の正確な位置は知られていないだろう。だが、東側のランリエル軍が全滅させられてしまえば、その内の一つはサルヴァ王子の死体なのだ。
そこへ南北の門からランリエル軍を追ってきた帝国軍が到着した。
この時すでにランリエル軍に突入されない為東門は閉じられている。水攻めにより破壊された帝都の塀の穴も、一歩入れば多数の櫓から矢を射掛けられ内部には入れない。
ランリエル軍は、西側は帝都の塀に、東側はアナガト川に、そして北と南は帝国軍に塞がれ完全に包囲されてしまったのだった。
頭上からは帝都の塀の上にいる帝国軍兵士から矢が射掛けられ続けている。ランリエル軍の兵士が次々と倒れ朱に染まった。数の上では勝っているはずのランリエル軍だったが、全ての方角を塞がれ頭上からは矢が降ってくる状況ではなすすべが無い。ランリエル軍は壊滅の危機に陥ったのである。
「サルヴァ王子を討ち取るのだ!」
ギリスは各部隊へと命令を伝える為伝令に叫んだ。
ギリスは今戦場となっている王都の東側全域を見渡せる楼閣に居た。前線で指揮する事も考えたが、乱戦になり戦況が見渡せなくなる事を懸念したのだ。ここまではギリスの作戦通りだった。東側のランリエル軍を横撃により壊滅させ、南北の軍勢には後ろから攻撃する事により包囲網に追い込んだのだ。
西側のベルヴァース軍に対しても、東側に救援に赴く気配を見せれば足止めする為に軍勢が出撃する手はずである。
ここでサルヴァ王子を討ち取るか、王都攻略を断念させるほどの損害を与えれば敵は撤退するはず。塀の上の帝国軍はここで物資のすべてを吐き出す様に、矢と短槍をランリエル軍へと惜しげも無く浴びせかけた。
その頃サルヴァ王子は、地に伏せていた。
船で堰き止めた川の水はランリエル軍が掘った穴だけでなく王都の東側一帯を水浸しにしていた。そしてその後船は川の急流に流されて行った。サルヴァ王子は今、総司令官が身に付ける外套を外し、目立つ装飾だらけの兜を脱ぎ、鎧は泥だらけにして地面に這い蹲り、敵に討たれない様に死んだふりをしているのだった。
誇り高いサルヴァ王子にしてみればあまりにも屈辱的な行為だったが、自分は軍勢の総司令官である。軽々に命を捨てるわけには行かない。と己に言い聞かせその屈辱に耐えていた。だがその忍耐力も限界に近づいている。
「我こそは、ランリエル軍総司令官にしてランリエル王国王子サルヴァ・アルディナである!」
大声で名乗りをあげ敵に突撃を行い華々しく討ち死にする。その様な最後を迎えられればどれほど清々しいだろう。だがその後自分は「3国統一への階段に足をかけながら無念にも道半ばで挫折した悲運の名将」とでも後世に語り継がれるのだ。
王子にしてみればその様に語り継がれる事こそが今の状況よりも遥かに屈辱だった。それ故に泥だらけの地面に這いつくばっているのである。「偉業一歩手前の英雄」など反吐がでる。
地を這う屈辱に負け立ち上がってしまいそうな衝動に駆られるたびにそう思い起こし堪えているのだ。王子はミミズが這う様に泥だらけの地面を少しずつ進み、そして敵の軍勢が来れば敵に気付かれない様に泥だらけの地面に顔を伏せた。
通常戦場では、敵を倒せば手柄の印しにと敵の首なり耳なりと体の一部を切り取って行くものだが、敵は「今は手柄よりも勝利を。一人でも多くの敵を倒す為、倒した敵は討ち捨てよ」とでも命じられているのか死体には見向きもしない。
その為死んだ振りをしているサルヴァ王子も、自分が倒した訳でもない兵士の死体から体の一部を切り取って手柄にしよう、という卑怯な者にも狙われずにすんでいるのである。
だが時には流れ矢がサルヴァ王子のすぐ近くの地面へと突き刺さり、ひやりとする事もある。目立つ兜を脱ぎ捨て頭を守る物が無い王子は危険を感じ、すでに討ち死にしている味方の兵士から兜を拝借する事にした。そして敵が見ていない間に進み、敵に見つかっては死ぬという、命がけの遊戯を続けた結果味方兵士の亡骸へと辿り着いた。
王子はその者の兜を地面に這い蹲りながら外したが、身に付ける前に調べなければならない事がある。元々目立たない様にと自分の兜を捨てたにもかかわらず、せっかく手に入れた兜が派手派手しくては意味がない。
慎重にまじまじと調べてもその兜は、実用性だけを考えて作られたと思われる無骨な代物で何の飾り気も無い。王子は満足げに頷いた。
だが地面に這いながら敵に見つからない様に苦労して兜を付け終わった王子が何気にその兜の持ち主の顔を見ると、それは果たしてかつて軍議の後に話したあの時の騎士だった。
サルヴァ王子の作戦は常に素晴らしい、と褒め称え、サルヴァ王子の作戦に従えば勝利は間違いないと、サルヴァ王子本人が気圧されるほどの信頼を王子に置いていたあの騎士だったのである。
その表情はこの状況が信じられないとでも言うのか、目を見開き驚愕の表情のまま凍りついている。王子はしばらくその者の顔を見つめ、不意に泥だらけの手で目を閉じらせてやるとまた地面を這って進み始めた。僅かでもこの包囲の外側へと進まなくてはならない。必ず勝たねばならない。
依然として戦いは帝国軍が優勢である。形としては東門から出撃した帝国軍を南北東のランリエル軍が包囲し、さらにその周りを帝国軍が包囲している。
ランリエル軍に包囲されている帝国軍だけに限れば帝国軍の方が不利かとも思えるのだが、帝国軍には帝都の塀の上からの矢による援護がある。ランリエル軍は頭上から矢を射掛けられながら前方の敵と戦わなくてはならず、不利な事この上無い。
「勝利は目前だ! 蹴散らせ!」
帝国軍は勢いづきさらに攻勢をかける。ランリエル軍は追い詰められ指揮系統は分断され組織的な抵抗すらままならない状況となった。
だがこの時、包囲する帝国軍の後ろから新たな軍勢が押し寄せた。その軍勢は、後背からの攻撃などまったく想定していなかった帝国軍を瞬く間に蹴散らす。
「馬鹿などこの軍勢が我が軍の背後に現れたというのか!」
だが事実その軍勢は存在した。グレヴィ将軍率いるベルヴァース軍である。