第26話:帝都へ
ランリエル側とベルヴァース側の両国境からの進入を許したカルデイ帝都ダエンでは、カルデイ皇帝ベネガスが気も狂わんばかりとなっていた。
「このままではカルデイ帝国は滅んでしまう。このままでは無能な皇帝の名どころかカルデイ帝国最後の皇帝として名が残ってしまう!」
ベネガス皇帝はギリスに詰め寄った。ギリスは皇帝を宥める為に今まで何度も繰り返した台詞をまた繰り返した。
「ダエンの守りは堅硬であり、敵が攻めてきても落とされる心配ありませぬ。敵も永久に帝国に留まっている訳には行かない以上、敵はいずれ引き上げます」
「しかし本当に大丈夫であろうか?」
皇帝の不安は募るばかりである。
「ご安心を。心配はありません」
不安げな皇帝にそう答えるとギリスは一礼し皇帝の前を退出した。実際皇帝にばかり構ってはいられないのだ。
だが皇帝には心配ないとは言ったが、ギリス自身も安心仕切れないと感じていた。無論通常ならば皇帝に説明したとおり、帝都ダエンを守りきれば問題ないはずだ。
帝国軍がベルヴァースを攻めた時は、ベルヴァース王都エルンシェから帝国境までの地域を帝国軍が完全に占領していた為補給も容易だった。それゆえに占領軍である帝国側が長期戦を仕掛ける事が出来たのだ。
だが今回ランリエル軍は、帝都ダエンからランリエル国境までの地域を完全には占領していない。多少の兵を警備に置いているだけだ。
その程度の備えでどこに敵がいるか分からない敵国内に輸送部隊を派遣するなら、敵襲に備えて多数の警護兵が必要となる。
勿論警護の兵士達も食料を消費し輸送する食料も増大する。そうなれば食料を輸送する為の牛や馬の数も増え、牛や馬の食する飼葉なども多く必要となる。影響を数え上げれば切が無い。
補給を容易にする為には帝国軍が行った様に王都から国境までの地域を完全に占領する必要がある。だがカルデイ帝国とベルヴァース王国では国土の広さが違う。
連合軍の軍勢は合わせて9万を超えると推測されている。ベルヴァース侵略時帝国軍は国境からエルンシェまでの占領地に2万の軍勢をおいた。同じ事を帝国で行おうとすると倍の4万の軍勢が必要だろう。いやあえて連合軍に優位に考えて3万としても、連合軍9万から3万引けば残りは約6万。帝都ダエンに篭る帝国軍は4万5千。
6万対4万5千では連合軍も戦えば必ず勝つとは言い切れなくなり、その様な選択をするとは思えない。つまりランリエル軍は国境までの地域を完全には占領する事が出来ず、補給に苦しむはずなのだ。
だが相手はあのサルヴァ王子だ。あの王子が、何の策もなくダエンを取り囲んだ挙句に攻め落とせず諦めて撤退する。という事があり得るだろうか?
なにか帝都を攻略する策を秘めているのではないか?
だが逆にいえば、その王子の策さえ突き止めればこちらにも勝機があるのではないか。ギリスはやはりダエンに全軍を集中させて守る事とした。王子の策を見破った時に勝機を掴むには、最大限戦力は集中しておく必要があるのだ。
ランリエル、ベルヴァース連合軍はついに帝都ダエンへと辿りついた。
そのランリエル王都フォルキアと似通った外観を始めて眺めたサルヴァ王子は、この城塞都市を設計した者は手を抜いたのではないかと皮肉な笑みを湛えた。
もっともやはり過去にも王子と同じ様に考えた者が居て、しかも公の場で発言したのだ。その為3国間でどの王都が一番初めに現在の形状で建築されたのかを大昔の資料を引っ張りだし大真面目に論議した事も有ったという。馬鹿馬鹿しい事に、他の2国にそちらこそが真似をしたのだと主張する為だ。
ランリエル軍がベルヴァースへの援軍に向かった時は、ベルヴァース軍がランリエル軍を出迎えたが、今回は逆にランリエル軍がベルヴァース軍を出迎える事になった。
「ベルヴァース軍に来て頂き心強い限りだ」
サルヴァ王子は、ベルヴァース軍司令官のグレヴィに右手を差し出した。
「なに。ランリエル軍にはベルヴァースの救援をして頂いたのですからの。今度はこちらが支援するのは当然の事」
グレヴィはサルヴァ王子の右手を自分の右手で握り握手を交わした。勿論お互い、内心では自分自身と相手の言葉に空々しさを感じながらである。
「今回ベルヴァース軍には西門を担当して頂きたい。一番強固な正門である南門、それとダエンの北から南南東へと流れるアナガト川により軍勢が展開しにくい北門、東門は我らが担当しよう」
「ベルヴァース軍に負担の軽い西門を担当させて頂けるとはありがたい話ですの」
グレヴィは、何か裏が有るのではないかと勘ぐったが、王子もグレヴィが不審に思っているのを察したのか皮肉に微笑んで言い添えた。
「今回の戦いはランリエル、ベルヴァースが共同で帝国を攻めることにより敵を心理的に追い詰める事も重要なのだ。ベルヴァース軍が負担の大きい部署を担当して壊滅してしまっては元も子もないからな」
だがこの王子の無礼な物言いをグレヴィは
「それはそれは、お気遣いありがたい事でございますな」と平然と受け流し、そして王子ににやりと笑い返した。
「では、こちらの準備はすでに出来ている。ベルヴァース軍の攻撃準備が整い次第攻撃を開始するので、準備が出来たなら連絡を頂きたい」
王子は平然と佇むグレヴィを一瞥した後きびすを返しその場を後にしたが、王子が立ち去ると傍に控え会話を聞いていたサンデルが彼には珍しく声を荒げた。
「王子のあの言い様。無礼にもほどがあるのではないですか!」
「確かに王子の言葉は無礼であるが、それは本当の目的をこちらに悟られぬためよ」
「本当の目的ですか? それはどの様な?」
「それはまだ分からん。しかし何かあるはずじゃ」
サンデルは、本当の目的があるはずと言いながら、それは分からないというグレヴィを不思議に思った。
「どうしてその様な事が分かるのですか?」
それに対するグレヴィの返答はさらに、サンデルを不思議に思わせるものだった。
「感じゃよ」
「感……ですか?」
ますます不思議に思うサンデルに、グレヴィは苦笑して言い添えた。
「強いて言うなら、今までの経験から王子がそう簡単に本心を言う訳がない。ならば王子が今語った事以外に本当の目的があるはず。といった所かの」
「なるほど……」
やっと得心がいったサンデルだったが、だったらはじめからそう言ってくれれば良さそうなものだ。サンデルは、最近のグレヴィは話が回りくどいと感じていた。
はじめから説明してくれれば話が簡単に済みそうな事や、自分に説明させるまでも無い事を一々サンデルへと問い掛けるのだ。
だがサンデルは知らなかった。グレヴィがサンデルの父であるレンヴィスト・シグバーンに、サンデルを養子に貰えないかと持ちかけている事を。
サンデルの父が武門の家としてシグバーン家より家格が数段上のグレヴィ家の家督を自分の息子に継がせる事に乗り気である事を。そしてサンデルが養子に出ればシグバーン家はサンデルの弟が継ぐ事になっている。
グレヴィは養子にする予定のサンデルに対し、前以上に熱心に自分が今まで身に付けたものを教え込もうとしているのだ。
グレヴィ家とシグバーン家には血縁関係はまったくない。サンデルにグレヴィ家を継がせる事をグレヴィ家親族の者達は猛反対するだろう。そうするくらいなら自分達の子弟の誰かをグレヴィが養子にすれば良いのだ。
親族達にすれば、グレヴィの娘が生んだ子に家督を継がそうというのは、グレヴィに「遠慮してやっている」気なのだ。だが、グレヴィは必ずこの話を纏めて見せると決意をしていた。
そしてサンデルの養子の話が決まれば、グレヴィは娘のカルロッテに手紙を出すつもりだった。その手紙にはこう書く予定だ。もう子供を産んでも良いのだ、と。