第23話:王子の敗戦
国境で後続の軍勢の到着を待つサルヴァ王子は、帝国内部に密偵を派遣し調査させていたが、その結果帝国軍の司令官がギリス将軍であるという事を知った。
帝国軍によるベルヴァース侵略戦での帝国軍撤退時に、ベルヴァース王都エルンシェに潜みサルヴァ王子やグレヴィを出し抜きまんまと撤退した軍勢を指揮していたのもこのギリスらしい事も分かった。
王子にはギリスの名に聞き覚えがあった。
王子がまだ全軍を指揮する立場に無く一部隊の部隊長の身分だったころ、王子が所属する軍勢はこのギリスに敗北したのだ。
戦いの発端はそもそもランリエルと帝国が争う必要すらない事だった。ランリエルと帝国の国境付近の村々を襲う野盗が出没する様になったのだ。
そしてランリエル側の村が襲われ襲った野盗を征伐しようとランリエル軍が出動すると彼らは国境を越えて帝国へと逃げ込んだ。そうなるとランリエル軍はそれ以上野盗どもを追う事は出来ない。帝国側の村が襲われても同じ事だった。帝国軍に追われた野盗はランリエル側に逃げ込んだのだ。
これでは手の打ち様が無いと考え当時関係が良好だったランリエルと帝国はこの野盗を討伐する為に協力する事にした。とはいってもお互い兵を出して野盗達を挟み撃ちにしようとしたという訳ではない。
その様な事をして乱戦となり、もし誤って流れ矢にでも当たりランリエル軍兵士によって帝国軍兵士が死傷、あるいはその逆の事が起これば面倒な事になる。
野盗どもを追う時は、お互い5百の兵だけに限って国境を越えて野盗を追いかけてよいという事にしたのだ。他国を攻めるのに5百の兵では少ない、だが野盗を征伐するには十分という事だ。
そして野盗がランリエル側の村を襲ったとの報告を受けたランリエル軍5百が出陣した。
野盗どもはいつもどおり帝国内へと逃げ込んだ。国境を越えれば追っては来られまいと高をくくっていた彼らは、国境を越えて追撃してくるランリエル軍に大半の者が討ち取られ、わずかな者が山林の奥へとちりぢりに逃げ去った。
ここまでは問題なかったがこの仕官は功名に逸った。
「野盗共を1人も逃すな!」
その仕官はさらに軍勢を山林の奥へと進ませ、弓矢を持った者どもを見つけ出してはすべて討ち取っていった。
だがそれはたまたま居合わせた山林で野鳥や山菜を獲って生活している山村の民が、山林に出向いて食料を集めてただけだったのだ。
この悲劇に帝国は当然ランリエル軍を非難した。
非はまったくランリエル軍にあったが、だが帝国はこの事をもって「二度とこの様な悲劇が起きない様に」と、国境線をランリエル側にずらす様に要求したのだ。
野盗が出る様なところに国境があるからこの様な悲劇が起こったのだ。この付近一帯が帝国の領地ならば二度とこの様な悲劇も起こるまい。というのだ。
だが、罪もない民を殺害した事の非は認めていたランリエルもさすがにこの主張は受け入れられず、両国の関係は緊迫した。とはいえ両国も全面戦争とまでは考えていない。
帝国はとりあえず問題となった山村がある国境付近へと一軍を派遣し、ランリエルを牽制した。そしてランリエルも対抗すべく一軍を派遣し、こうして両軍は対峙する事となった。
山村のある付近は大軍が行軍できるほど舗装された道は無い。派遣されてきている軍勢もそれぞれ2、3千といった規模であり、両軍の首脳部もあくまで牽制であって、本気で戦おうとは考えてはいなかったのだ。
だが派遣されたランリエル軍の司令官のパンドルは違っていた。ここで手柄を立てる気だったのだ。パンドルは軍議にて、次期国王と目されているとはいえ立場的には自分の部下でしかないサルヴァ王子に、丁寧な口調で帝国軍に奇襲すべきだと主張した。
「敵将はエティエ・ギリスと申し、かの勇将ロサリオ・ギリスに見込まれて養子になったという男で将来を中々嘱望されている者とか。その者を討ち取れば大いに手柄となりましょう。敵陣の位置はすでに調べが付いております。敵陣に騎兵による夜襲を行うのです」
勇将ロサリオか。確か孤軍奮闘し自軍の敗走を食い止め勝利に導きその挙句自身は戦死したという者のはず……。有能ならば戦死などすまい。その程度の者に見込まれたからどうだというのだ。
冷笑癖のある王子は皮肉に考えたが、別段帝国軍がランリエル軍に比べ劣っている訳ではない。その帝国軍部が将来を嘱望しているのならば、確かにそれなりに有能かもしれんと思いなおした。
「だが、それほどの者ならば夜襲を警戒しておるかも知れんぞ?」
王子の疑問に、パンドルは媚びた笑いを浮かべ答えた。
「勿論、敵も警戒している可能性はあります。騎兵の突撃で夜襲が成功すればよし。よしんば敵が待ち構えておれば、騎兵をすぐさま撤退させ、追ってきた敵を伏せて置いた弓兵で一網打尽にするのです」
「なるほどな……」
軍部が無能ではないのはランリエル軍も同じ事。さすがに出世欲だけで一軍の司令官にまでなれるはずも無く、この男もそれなりに有能なのかと王子も考え、そして作戦に問題は無さそうだと認めた。
こうしてその夜、ランリエル軍による夜襲が行われる事となった。
司令官のパンドルはランリエル本陣で待機し、王子は第二陣である弓兵を率い、そして初めに夜襲を行う先陣の騎兵は、別の武将が担当する。
王子は先陣の騎兵を率いる事を望んだが、敵が夜襲を読んでいた場合先陣は危険だ。その後、敵の追撃を撃退して勝利しても、先陣の将は戦死してしまう可能性がある。
ランリエルの次期国王であるサルヴァ王子を戦死させてしまっては、戦いに勝利しても戦功どころか厳罰ものである。建前上はお咎め無しでも今後の出世は望めまい。それ故今まで王子の顔色を伺ってきたパンドルも、これだけは譲らなかったのだ。
先陣が危険と知りつつ他の者に任せるのを潔しとしない王子も、あまり強情に主張し功績を独り占めしようとしていると思われるのも心外だと、しぶしぶ第二陣に甘んじた。
こうしてランリエル軍による帝国本陣に対して夜襲が行われた。そして完膚なきまでに失敗したのだった。
まず先陣の騎兵が帝国本陣に突入すると敵陣はもぬけの殻だった。そして騎兵を率いる将が、やはり敵はこちらの夜襲に気付いていたかと舌打ちした瞬間、四方から矢が飛んできて数人の騎士が倒れた。
だがこれはある意味予定通りだ。その将は慌てず退却を開始した。勿論、敵を誘き出す為に敗走を装ってである。
第二陣に控えていた弓兵を率いるサルヴァ王子は帝国本陣方向からやって来た騎兵の一隊をやり過ごし、その後にやって来た軍勢に対して矢を射させた。
だが矢に射られ次々と倒れていくその軍勢から、なにやら叫んでいるのが聞こえてきた。始めは倒されていく者の断末魔なのだろうと考えていたが、よくよく耳を澄まして聞いてみると彼らはこう言っていたのだ。
「射るのをやめてくれ! 我らはランリエル軍だ!」
その声を聞いた瞬間、王子は色をなして叫んだ。
「謀られたぞ! 矢を射るのを止めよ!」
だが彼らが同士討ちに気付いて矢を射るのを止めるのを待っていたかの様に、王子が率いる弓兵の背後から帝国軍が襲い掛かったのだった。
敵の接近を許した弓兵ほどなすすべが無い兵士は存在しない。矢を構える間もなく敵から槍を突き立てられ、追い立てられた。そしてこの時になって帝国本陣からの本物の帝国軍追撃部隊が現れたのだ。
こうなってはランリエル軍は自らの本陣へと向かって退却するしかない。抵抗らしい抵抗も出来ず、雪崩をうつ様に本陣に向かって敗走した。
サルヴァ王子も他の兵士達と同じく本陣に向かって駆けていたが、王子は確信していた。敵はこの先にも待ち構えている。
第二陣の弓兵の前を帝国軍本陣から退却してきたランリエル軍騎兵より前に通り過ぎた帝国軍騎兵が居る筈なのだ。そしてサルヴァ王子の読みどおり、ランリエル本陣への退路を断つ帝国軍騎兵が現れ取り囲まれたランリエル軍は壊滅した。
サルヴァ王子も戦死を覚悟するほど追い詰められたが、敵騎兵が存在する事を予測していた王子は、敵の包囲が完成する前にすばやくその隙間を縫って退却する事に成功し、危うい所で命を拾ったのだった。
奇襲に参加した軍勢のほとんどを失ったランリエル軍は本陣の守りを固めたが、帝国軍が攻めてくれば支える兵力はもはや無い。やむなく王都フォルキアへと退却した。
だが帝国軍にしても牽制の為に派遣した軍勢が実際に戦闘となったことに焦りを覚え、ランリエル軍に続いて帝国軍もまもなく軍勢を引き上げさせたのだった。
こうしてこの戦いはカルデイ帝国の勝利という形で幕を閉じ、発端となった領土問題は歯切れ悪くうやむやの内に終了した。もっとも結局国境線は現状維持となり、ランリエルが望む結末になったのだから皮肉なものである。
とはいえランリエル王国がカルデイ帝国に敗北した事に変わりは無い。司令官であるパンドルが責任を取らされ、出世どころか辺境の、しかも帝国にもベルヴァースからも遠い、ランリエルの南西にあるここ何十年も実戦で出陣した事がないという駐屯地の司令として赴任する事となった。
だがサルヴァ王子は不問とされた。作戦の責任は司令官のパンドルに有るとして、他の者達の罪は問われない事となったのだ。
勿論通常はその様なことは無い。作戦計画に参加した幕僚もある程度の処罰を受けるのが普通だ。王子自身もさすがにこれほど身贔屓されては逆に自分の汚点になると、自分も処罰するよう申し入れたがこの申し出は受理されなかった。次期国王となるサルヴァ王子を処罰する勇気を持った者など居なかったのだ。
もっとも王子の考えを彼らが知っていれば彼らは先を争って王子に厳罰を与えていただろう。王子は、もし自分に厳罰を与える公明正大で勇気ある者が居れば、自分が王位に付いた時には、その者こそ重用しようと考えていたのだから。
サルヴァ王子にとっては苦い敗戦だった。
自分が立てた作戦で負けた訳ではないが、王子もパンドルの立てた作戦に異論は無かったのだ。自分の作戦で負けたも同然だった。
勿論数年前の話でありサルヴァ王子もあの時と同じではない。だが先の帝国軍によるベルヴァース侵略戦の最終決戦時に王子の裏をかいて帝国に退却する事に成功したギリスは、またもや王子の策を読んでいたという事になる。
サルヴァ王子の少年の日の誓いを叶える為には、ギリスは超えるべき相手の1人に間違いなかった。
王子は帝国境を攻める為に自分の信奉者達を、早速忠実な駒として使用した。
「この国境はなんとしても早急に落とす必要がある。そこであえて貴公達に国境の攻略をお願いしたい。兵というものは指揮官に付従うものだ。指揮官が先頭に立って突撃してこそ兵士も突撃を行うのだ。勇敢なる貴公らにしか頼めない任務である」
指令を受けた王子の信奉者達は、王子から信頼を受けたと喜んで命令を受諾した。
命の危険を顧みない無謀なまでの猛攻を行えば短期間に砦を落とす事は出来る。しかし危険を顧みず突撃せよと命令されても兵士達はそうそう猛攻などしてくれるはずが無い。王子が言う様に指揮官自ら先頭に立って突撃を行うというのでもなければ……。
そしてその様な事をする指揮官も、そうそう居ないのである。
サルヴァ王子は、この任務により指揮官が戦死すると大いに嘆き悲しんでみせた。そして戦死者の遺族を手厚く遇すると宣言した。王子のこの対応に信奉者達は感動しさらに王子への信望を強くして我先にと砦に突撃し続けたのだった。
こうしてランリエル軍はかなりの損害を出したものの国境の砦群に大穴を開ける事に成功し、カルデイ帝国への道を開いたランリエル軍は次々と国境を突破した。