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第15話:残された者

 ある日ギリスが執務室で相変わらず帝国軍の再建について検討していると、従者からギリスに会いたいという来客の連絡が入った。


「どなたが来られたか?」

 とギリスが聞くと、ヘルバン将軍の妻だったフィオナ・ヘルバン夫人だという。ギリスは多少の気まずさを感じながらも通す様に伝えた。


 ベルヴァース王都エルンシェからの退却時にギリスはヘルバンを囮とした。


 もっともギリスは、ヘルバンと共に死ぬか自分だけでも生き残るかの選択だったと考え、そして共に死ぬ必要はなかったので自分が生き残る道を選択したのだが、やはり多少の後ろめたさは感じていた。


 勿論ヘルバンとギリスが揃って戦えば、帝国軍が連合軍に勝利する可能性も高まっただろう。


 だがギリスには「勝てる可能性が皆無ではない」という曖昧な事に自分の命を賭けるという考えがなかったのだ。


 亡きグアルド・ヘルバン将軍の妻フィオナ・ヘルバン夫人は、薄く青い色をした瞳に悲しみを浮かべ、茶色の長い髪を纏めた黒い喪服姿で執務室に現れた。


 ギリスはお悔やみの言葉を述べ、長椅子に座る様に勧めた。


「失礼いたします」


 ヘルバン夫人は長椅子に腰掛けたがそのまま黙り込み、やむを得ずギリスはこちらから用件を聞くしかないと問い掛けた。


「それで……、今日はどの様なご用件でおこしになったのですかな?」


 それでもヘルバン夫人は黙っていたが、しばらくすると呟く様に口を開いた。


「グアルドは……主人はどの様な最後でしたでしょうか」


 そしてギリスを見つめた。


 だがギリスはつい目を逸らした。


 決して若いとは言えず物腰も落ち着いているヘルバン夫人だが、ギリスを見つめるその薄く青い瞳は無垢な少女と向き合っているかの様な錯覚をギリスに覚えさせた。


「いえ……私は最後の戦いではヘルバン将軍とは別行動をとっておりました」


 ヘルバン夫人の目を見る事は苦痛だったが、なんとか視線を戻した。


「……そうですか」


 ヘルバン夫人は呟くと目を伏せた。夫人の方から視線を外した事に内心ほっとしたギリスだったが、夫人に対して何も語る事がない事の後ろめたさを感じ、記憶を手繰りヘルバンとの間で交わされた唯一の夫人の話題を探り当てた。


「しかしもしこの戦いが終ればヘルバン将軍から御邸宅へお招き頂き、貴女の手料理を振舞って頂く事になっていりました。真に残念です」


 この言葉にヘルバン夫人は、顔を上げると改めてギリスを見つめた。


「グアルド……主人はとても貴方を信頼していたのですね」


 自分の手料理を振舞う事が、夫がその人物を信頼している事になる。


 あまりにも自然にそう言ってのける夫人にギリスは戸惑った。ヘルバン夫人のもの言いにではない。自分の家庭との違いに戸惑ったのだ。


 だが、たったこれだけの話で夫人に伝えられるヘルバンの話題が尽きてしまったギリスは、間を持たせる意味もあり逆に夫人に問いかけた。


「将軍は軍ではとても慕われておりましたが、御家庭ではどの様なお方でしたか?」

 だがそのギリスの問いに対しての返答は意外なものだった。ヘルバン夫人はしばらくの沈黙の後、こう答えたのだ。


「主人のグアルドは酷い人でした」


 その夫人の言葉にギリスは驚いた。まさか愛妻家で知られるヘルバン将軍が家庭で暴力でも振るっていたのだろうか? それともやはり、高価な武具の購入についてか?


 だが先ほどからの夫人の態度からは、とてもヘルバン将軍が家庭で酷い事をしていたとは思えない。とはいえ夫人がそう言うならそうなのだろう。


 内心こんなところで家庭の問題を告白されても困ると思ったが、口に出しては言えない。とり合えず夫人に聞いてみた。


「それは……どの様に酷かったのですか?」


 するとヘルバン夫人は、震える声でヘルバンの悪行を語り始めた。


「私に嘘を付いたのです」

「嘘……ですか?」

「……はい」

「それは、どの様な……」

「必ず帰ってくると……お前を残して死ぬなど俺には出来ない、と」


 夫人の言葉にギリスの胸は痛んだが、夫人はそれに気付かず俯きながら話し続けた。


「それに……とても優しかった」


「優しかった?」


 ギリスは夫人の言っている事が理解できずに問いかけると、夫人は両の手の平を強く握り締めながら頷いた。


 だがやはり優しい事がなぜ酷いのかギリスには分からない。


「それが、どうして酷いというのです?」


 すると夫人は堰を切った様に喋り出した。


「優しくて。とてもとても優しくて。私はあの人が……。あの人が居ないと生きて行けないとまで思わせておいて。なのに帰って来ないなんて……。こんなに酷い仕打ちってありますか! 食事のたびに、どうしてうまい、うまい、と言うのですか。戦いから帰るたびに、どうして抱きしめてくれたりしたのですか。あの人が私にとても冷たく当たってくれていたら。食事のたびに、まずい、まずいと言ってくれていたら。戦いから帰るたびに、私の頬を叩いてくれていたら。私は、あの人が帰ってこない事を、どんなに喜んだでしょう……。帰ってこないならその方が良かった……。そしたら私はすぐに別の男を部屋に誘い込んで……」


 そこまでヘルバン夫人が言った時、ギリスはヘルバン夫人を強く抱きしめた。特に何を考えて抱きしめた訳ではない。無意識の行動だった。


 強いて言えば、抑えないとこの人は壊れるのではないか? そう思ったのだ。


「……どうして帰ってきてくれなかったの。……味方なんて。自分一人だけでも……どうして……」


 そして、ヘルバン夫人はギリスの胸で言葉にならない嗚咽を漏らした。

 しばらくするとヘルバン夫人はギリスの胸から離れ一言「帰ります」と席を立った。


 ヘルバン夫人は、続けて席を立つギリスを見つめて言った。


「他にも沢山亡くなった方が居るのに……ひどい女とお思いでしょうね」


 ギリスは夫人に気押されるのを感じながら「いえそんな事は……」と言いかけたが、夫人はギリスの声が聞こえていないかの様に言葉を続けた。


「でも、ひどい女でもいいんです。……あの人さえ帰って来てくれるなら」


 そしてギリスから背を向け扉へと進んだ。

 執務室を出ようとするヘルバン夫人の後姿にギリスは声をかけた。


「ヘルバン将軍は貴女を愛しておりました」


 ギリスの言葉にヘルバン夫人は振り向く。


「あなたの方がずっと奥様を愛していらっしゃいますわ。だって、ちゃんと帰ってきているのですもの」


 その言葉にギリスは何も言えず、夫人の背を見送る事しか出来なかった。


 そしてヘルバンより妻を愛していると言われた事に、反射的にその様な事は無いと考えた自分に寂しさを覚えた。


 ギリスはたまには妻に花でも買って帰るかと考えたが、はたと気づき自分自身驚いた。自分は妻の好きな花すら知らなかったのだ。


 せっかく花を贈ろうというのに妻の嫌いな花を贈ってしまっては、逆に妻をがっかりさせるに違いない。


 ギリスは、敵軍の情報を分析し帝国軍を勝利に導く作戦を立てるべき軍部の執務室で、ルシアの普段の服装の色や部屋の内装の好みから、ルシアが好きな花は何かを真剣に検討しだしたのだった。


 だがその挙句、帝国軍一の洞察力を誇るギリス将軍は二つの事を読み間違えた。


 一つは、あらゆる角度で分析し選んだ花が、結局はルシアが嫌いな花だった事。

 もう一つは、それでもルシアが心から喜んでくれた事だった。


 ギリスは、花束を抱え微笑むルシアを改めて美しいと思った。そしてその妻の笑顔にギリスは見とれたのだった。


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