第13話:帝国の混乱
カルデイ帝国ではベルヴァース侵略の失敗に大混乱だった。
帰って来ない兵士の家族達は嘆き悲しみ、他の者達もいつランリエル軍が攻めて来るかと戦々恐々とし、家財道具をまとめいつでも帝都を脱出できる準備を進める者達もいた。
帝国軍は名将ヘルバンをはじめ多くの将兵を失い戦力は半減し、この損失を取り戻すには何年掛かるであろうかと軍上上層部の面々はため息を着いた。
カルデイ皇帝ベネガスも気が狂わんばかりだった。
「比類なき名声を得るどころか、これでは無謀な作戦を強行した無能な皇帝として名を残す事になってしまう……」
この状況を打開すべくカルデイ皇帝は例によってギリスを呼び寄せた。
現在ギリスはカルデイ帝都ダエンにて軍事の責任者として軍の再建にあたり、ギリス参謀ではなく、ギリス将軍と呼ばれている。
一部にギリスに敗戦の責任を取らせるべきという意見もあったが、ギリス以外に軍の再建を任せられる人材が居なかったのだ。
結局敗戦の責任は遠征軍の総司令官だったヘルバンに取らせる事となった。戦死した人間に責任を取らせるのが、生きている者にとって一番の解決方法なのである。
またギリスはヘルバンより「帝国軍の再建は任せた」と後を託されたという事もあり、ギリスが軍の再建に当たる事となったのだった。
連合軍との決戦から命からがら逃げてきた一部の将兵からは、ヘルバン将軍から「ギリスは殿を務める事となっている」と聞いたという証言もあるが、これは敵を騙すならまず味方からという事だったらしい。
余談ではあるがギリスがヘルバンから後を託されたのは彼ら2人だけの時に、ヘルバンがギリスの肩を強く抱きながらだったと伝えられている。
「お呼びにより、参上いたしました」
ギリスはうやうやしく一礼して皇帝の前へと現れ、皇帝は早速この状況をどうすべきかをギリスに問うた。
「ギリスよ。大丈夫であろうな?」
「はい。現在軍の再建は計画を立てているところであり、問題は有りません」
「そうではない。このままではわしが無能な王の汚名を着てしまうといっているのだ」
カルデイ皇帝はギリスに縋り付かんばかりに訴えた。
国の事より我が身の心配か?
ギリスは呆れたが、表情には微塵も出さず国王を宥める。
「後世の名声とは最終的な結果で判断されるものです。陛下はまだまだ御健康でありこれからいくらでも挽回できましょう」
しかし皇帝の心配は収まらない。重ねてギリスに訴える。
「だがランリエルはどうなのじゃ? ランリエルが攻めてくる事があるやもしれん。そうなれば他国に攻め込んだ挙句、逆に敵に国を攻めこまれた皇帝と言われよう」
「大丈夫です。おそらくランリエル軍は攻めては来ますまい。一国を攻め取る事の困難さは敵も理解しておりましょう」
貴方と違ってね。と心の内で付け加えたギリスは、さらに数度皇帝に対して気休めの言葉を掛けるとその御前から退出した。
実際ギリスは多忙であり、皇帝の御守をしている暇は無かったのだ。
今回の戦いで帝国軍の兵士が大量にランリエル軍の捕虜となってしまったのだが、その捕虜についての処理もギリスが行わなくてはならない。
はるか昔にはお互いの捕虜の扱いはひどく奴隷として売り飛ばしてしまったり、悪くすると全て殺してしまったりという事まで行われたが、3国の戦いが繰り返されると捕虜の扱いにも軍事協定の様なものが成立していた。
現在では捕虜は戦争終了後にその人数と勝敗に見合った金額の身代金を支払う事で開放されるのが常だった。戦争に勝利した国が負けた国に対して1人当たりの金額を吹っ掛けて来るのだ。
五分五分の戦いだったなら1人当たりの金額は等価であるが、片方の国の一方的な勝利となれば、負けた国の支払う1人当たりの単価を吊り上げてくる。
負けた側は当然多くの捕虜を出しており、さらにその1人当たりの単価まで上がっては莫大な金額となる。
だが、戦にも負け捕虜すら取り戻せないとなると民衆の反感を買ってしまう。
残された者達にとって兵士の大半は、父であり夫であり息子であり恋人なのだ。もし身代金を支払わなければ、その時は捕虜を奴隷として売られても文句は言えない。
今回の戦いで双方は、帝国がベルヴァース軍将兵約4千人を捕虜としており、そしてランリエルが帝国軍将兵約3万人を捕虜としていた。
すでにギリスはその両国と捕虜の身代金についての交渉を開始している。
帝国が抱えているベルヴァース軍の捕虜についてはすぐに話がついた。
捕虜の身代金といっても、帝国は敗戦国なのだから多くは要求できない。
精々が今までの捕虜に対して与えていた食事代や移送の為の実費分を負担させるのが精々だ。
ベルヴァース側もまあそれなら良いだろうとすぐに話が纏まった。そして話が纏まったのであれば、これ以上捕虜達を抱えていても経費が掛かるだけと、すぐにベルヴァースに移送された。
問題は、ランリエルに捉えられている帝国軍捕虜ついてだ。ランリエル軍から提示された1人当たりの金額は、ギリスすら呆れる額だったのだ。
戦争の勝敗が五分五分とした場合の金額の6倍とは! しかも今回の戦いで帝国軍は3万人を超える捕虜を出してしまっている。通常の6倍の金額を3万人分!?
無論、3万人を超える捕虜を出すほどの大敗であるからこそ敵も吹っかけてきているのだが、いくらなんでも莫大過ぎる。カルデイ帝国の半年分の歳入に近い金額なのだ。
国家財政において、計画外にそれだけの金額が必要となるなど破綻を意味する。
ギリスはもう少し譲歩頂きたいとランリエル軍へ再度の捕虜交渉の使者をだし、その一方で一応、財務を管理する役人へランリエル軍から提示された金額を連絡した。
その金額を見た役人は、まず始めにゼロの数が間違っているのではないかと丹念にゼロの数を数え。次に計算が間違っているのではないかと言い。最後には捕虜交渉に託けて、ギリスが多く金額を申請して差額を着服しようとしているのではと疑った。
「この金額には私だって驚いているのだ」
ギリスは自分に疑いの目を向ける役人の態度に辟易しながら答え、さらに金額を下げて貰える様再度交渉の使者をランリエルへ出したと言い残し、その場を後にした。
捕虜となった3万人の兵士は身代金を払って取り返すとしても、戦死した兵士は改めて招集し新兵から訓練し直さねばならない。
だがそれよりも痛手なのは、有能な将や仕官が多く失われた事だ。軍の再建は前途多難である。
また、ベルヴァース王都エルンシェを落とした時に捕らえてきた第一王女アルベルティーナ・アシェルの対応についても難しい問題だった。
カルデイによるベルヴァース侵略が成功していれば帝国のファリアス皇太子とアルベルティーナ王女を結婚させ、そして皇太子との間の子を両国統一の帝位に就かせる事が計画されていた。
だが皇太子と王女を結婚させるとすれば、帝国が優位な時でなくては意味が無い。現在の情勢でその様な事を強行すれば、ベルヴァース王国の臣民全てから反感を買うだけだろう。
ベルヴァース国王は泣く泣く王族の血を引く臣下の子弟から養子を取り、その養子に王位を継がせるだけなのだ。
そしてベルヴァースの帝国への心象が悪くなれば、ランリエルに協力して帝国を攻めかねない。
勿論、帝国がランリエルに併呑される様な事になれば、次はベルヴァースの番だという事は十分理解していよう。だが、万一という事もある。
戦いが敗北で終った今となっては、アルベルティーナ王女を捕らえていても重荷でしかない。
問題はランリエルが帝国を攻める気があるかどうかだ。
国王にはおそらく攻めてこないだろうと返答し、ギリス自身もそうは思ってはいるが確証がある訳ではない。
ランリエルが帝国を攻めるという場合、捕らえているのが国王や跡取りである王子とでもいうのならば「人質の命が惜しければランリエル軍に協力するな」と交渉できる位の価値はあるだろうが、国王の1人娘の王女となると微妙だとギリスは考えていた。
さすがのギリスもすぐには判断が付きかねた。
そして、一刻を争うというほど結論を急がなくてはならない問題ではないと、アルベルティーナ王女の処遇については取りあえず保留としたのだった。