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第10話:決戦(3)

 敵中に取り込まれた前衛部隊は、彼らの退路を断っている帝国軍の援軍部隊と必死に戦っていた。


 何とかしてこの包囲網から脱出しなくてはならない。だが円陣は強固だ。敵の援軍部隊は精鋭ではあるがここを突破するしかない。前後左右に円陣からの矢による攻撃を受けながらも前方の援軍部隊に攻撃を繰り返す。


 一方帝国軍の援軍部隊も苦しい戦いを強いられていた。


 状況としては味方の各円陣も援軍部隊も敵の総攻撃を受けている。


 だが各円陣を攻撃している連合軍の兵力は元々各円陣の戦力とほぼ同等の戦力で対峙していた為、攻撃している兵数もそのままほぼ同数。援軍部隊のみ包囲網の外から数倍の敵に攻撃され、包囲網の内からも脱出しようとする敵前衛部隊と戦っているのだ。


 もっともそれはヘルバンの計算どおりだったが。


「左右に分かれろ!」


 ヘルバンの命令により帝国援軍部隊は左右に展開した。取り囲んでいた敵前衛部隊に対しあえて退路を空けてやったのだ。勿論わざとと悟られない様に、連合軍の攻撃により突破されたと装ってである。


 そうとは知らない前衛部隊の指揮官達は、ついに退路を確保できたと喜んだ。


「やったぞ! 退却せよ!」


 前衛部隊は次々と包囲から脱出し、味方の部隊へと合流しようとする。だが帝国軍にヘルバンの命令がさらに発せられた。


「追撃!」


 帝国軍は逃げる連合軍の前衛部隊の後ろから襲い掛かった。


 背後からの攻撃。圧倒的に不利だ。だが立ち止まって迎え撃てる状況ではない。


 前衛部隊は必死に逃げた。まさに敗走である。そしてそのまま味方に合流しようとした。


 帝国軍は敗走する敵前衛部隊を猛追し、前衛部隊が味方の部隊に逃げ込むとそれに続いて帝国軍が突撃する。


 連合軍は味方がいる為矢を放てず敵の勢いを止める事が出来ない。しかも逃げ込んでくる味方に、敵の突撃に備え盾を持って構えている兵士が押し倒される。


「逃げるな! 踏みとどまれ!」


 連合軍の指揮官は体勢立て直そうと必死に叫んだが、この様な状況で敵の攻撃を支えられるはずも無くこの部隊も瞬く間に敗走した。


 敵一部の部隊の敗走を敵全軍の敗走に波及させる。これがヘルバンの作戦だったのだ。


「攻撃の手を緩めるな! 敵の本陣まで行くぞ!」


 ヘルバンの激に帝国軍の士気は頂点にまで高揚した。敵軍の半数にも関わらず勝利は目前だった。


 だがここで帝国軍は思いもよらぬ状況となった。敗走させた敵を追いながら次の敵部隊に突入すべく駆け続ける彼らだったが、一向に次の敵部隊とぶつからないのだ。


「まさか!?」


 ヘルバンが異変に気付いた瞬間、帝国軍の左右から連合軍が突撃してきた。


 多数の敵に挟撃された帝国軍はずたずたに分断され、そして退路も絶たれた。各円陣を組んでいる部隊も攻撃を受け続けておりヘルバンを助ける余裕は無い。


 サルヴァ王子が発した新たな指令とは「敗走する味方と合流するな。包囲網に穴が開き、味方が退却してくればそれをやり過ごし、味方を追撃する帝国軍に横撃を加えよ」というものだったのである。


 はじめに敗走する味方と合流し帝国軍の攻撃を支えきれなかった部隊は、あまりにも前線に近すぎ、敗走する味方を避ける余裕が無かったのだ。


 ヘルバンの作戦を読み、そして破ったサルヴァ王子だったが、だがその表情は優れず険しかった。同数では負けていたかも知れない、という思いが拭いきれないのだ。


 勿論同数なら同数の戦い方がある。2倍の戦力でも苦戦したのだから同数なら負けていた、という単純なものではない。だがそれでもなお考えずにはいられなかった。


 そしてもう一つサルヴァ王子の胸中に深く突き刺さっている事がある。


 味方の前衛部隊が敵に包囲された時、他の部隊が前進する中グレヴィ率いるベルヴァース軍は後退した。


 それはグレヴィこそがいち早くヘルバンの作戦を見抜き、味方の敗走に巻き込まれないために距離を置いた、という事に他ならない。


 俺はグレヴィに負けたのか……。

 その思いは王子の胸中を支配した。



 だがそのグレヴィも冷静に帝国軍の退路を断ち殲滅すべく軍勢を指揮しながら、サルヴァ王子の才能に驚嘆していた。


 確かにヘルバンの作戦は、自分の方が先に看破したのだろう。しかし王子もすぐに気付き、そして今勝利しようとしている。


 そもそも帝国軍に対し2倍の戦力で戦端を開く状況を作り上げた。その構想力は見事というしかない。しかもサルヴァ王子は現在まだ26歳だ。


 自分が26歳だった時とは比べ物にならない。さらに数年後の事を考えるとグレヴィの背に冷たいものが走った。


 王子は若さと覇気、さらにその才能から他の者に全ての面において優れていなければ気が済まず、それ故にその自尊心はグレヴィに対して敗北を抱いたのだが、グレヴィに言わせれば得意とするところが違うだけという事でしかない。


 グレヴィは前線指揮を得意とするが、サルヴァ王子が得意とするところは戦略と策謀なのだ。しかも余人の追従を許さぬほどのである。

 王子がグレヴィを恐れる以上に、グレヴィはサルヴァ王子を恐れていたのだった。



 勝敗は決したとはいえ戦闘はまだ続いていた。

 劣勢になりながらもヘルバンは、鍛え上げた直属の兵士達を率い頑強に抵抗する。


 ヘルバンは繰り返し敵の包囲の一角に攻撃を仕掛け続けた。もはや勝利は望めない。ならば退却をしなければならない。


 だが彼らを包囲する壁は厚く帝国軍に対しその扉は硬く閉ざされている。ヘルバン直属の兵士達も1人、また1人と倒れていった。


 だがヘルバンは諦める事無く、何度突撃が跳ね返されても体制を建て直し、突撃を繰り返した。


 彼は妻に言ったのだ「お前を残して死ぬなど俺には出来ない」と。そして約束したのだ「俺は死んだりしない」と。だから必ず生きて帰らなくてはならない。


 どの様な醜態を晒しても生きて妻の元に返る。降伏してそれが可能ならばヘルバンは降伏していた。しかし侵攻軍の総司令官である自分が、罪に問われぬ可能性は皆無だった。


 死にたくないからではない。妻が悲しむからだ。その為にはいくらでも自分は無様になれる。勇ましく潔い死に方を選ぶ者など残される妻を愛してはいないのだ。ヘルバンはそう考えていた。


 だが彼の周りの味方はすでに自身を含め2桁の人数となっている。ヘルバンは正面を見据えると連合軍に対し最後の突撃を行った。


「よいか! 後ろを振り返るな! 味方がやられても振り返るな! 自らが逃げ切る事だけを考えろ! 敵陣を突破するまで駆け続けるのだ!」


 みなすでに馬を失っている。彼らは懸命に駆け敵陣に切り込んだ。


 巨体のヘルバンは指揮官としてだけではなく、一人の戦士としても優れている。雲霞の如く攻め寄せる敵兵を、手にした大剣で蹴散らし寄せ付けない。率いる僅かの兵士達も死を覚悟した者の力なのか、ヘルバンと同じ様に敵兵を蹴散らす。


 攻めあぐねた連合軍は一旦引いて、ヘルバン達から距離を置いた。ヘルバン達帝国軍は敵が引いた隙に敵陣を駆け抜けるべく突き進んだが、次の瞬間短槍が飛来し彼らに襲い掛かった。


 まともに戦っては損害が多すぎると、投槍で彼らを仕留め様というのだ。


「もっとだ! 雨の様に槍を浴びせてやれ!」

 連合軍の仕官の指示の元兵士達はその命令どおり、力の限り槍を投擲した。


 武芸に秀でたヘルバンは、自分を狙う短槍を手にした大剣で切り払い凌いだ。だが死に物狂いで戦い、本来の力量以上の力を発揮していただけの兵士達にその様な技量はない。兵士達は瞬く間に打ち減らされていく。


 そして兵士達が減っていけば、ヘルバンを狙う短槍の数は増えていく。


 ヘルバンですら捌ききれない数の短槍がヘルバンへと集中し、一本の短槍がヘルバンの大剣に直撃した。


 疲労の極致にあったヘルバンの腕は衝撃に堪え切れず、大剣はその手を離れ宙に舞った。ヘルバンの眼が大剣を追う。大剣は地に落ちると乾いた音を響かせた。


 その時ヘルバンの体に衝撃が走った。一本の短槍がヘルバンの腹部を貫いていた。ヘルバンは自らの体を貫いた槍を一瞥した後、天を仰いだ。


 空は青く澄んでいた。その薄く青い色はフィオナの瞳によく似ていた。

 どうして自分は今までその事に気付かなかったのだろう。

 そうすれば常にフィオナを傍に感じられていたものを。

 ヘルバンは地面に膝をつくとそのまま仰向けに倒れた。

 その瞳は閉じられる事はなく、いつまでもフィオナの瞳を見つめていた。


「グアルド?」

 台所にいたフィオナは、ヘルバンの声が聞こえた気がした。


 だが気のせいに決まっている。

 夫がまだ帰ってくるはずは無い。隣国ベルヴァースに戦いに行っている。


 夫は戦いに出るたびに武勲を重ね、今ではカルデイ一の名将と呼ばれているらしい。

 でもフィオナにはそんな事はどうでもよかった。

 夫が生きて帰ってきさえすれば、それだけでよいのだ。


 カルデイ一の名将とその奥方。それにも関わらず二人の生活は質素だった。


 夫は大国カルデイの将軍だ。当然収入はいい。でもフィオナはこんなに使い切れないほどのお金を貰ってどうしようというのだろう? そう思っていた。

 だから収入のほとんどを夫の武具の購入に当て、高価な武具で夫の身を固めさせた。何度も戦いに出て、手柄を立てたという者達の鎧だ。


 手柄を立てて貰う為にではない。生きて帰ってきて貰う為にだ。

 手柄を立てたというなら、その者達は生きて帰ってきたという事だ。だからその者達の鎧を身に付ければ夫も死なないと思ったのだ。

 ただの気休めでしかない事は分かっている。でも夫が帰って来る為に出来る、全ての事がしたかった。


 全身ちぐはぐな鎧を身に纏った夫は姿見の前で憮然とした表情になったが、一言も不満を言わず自分の思いを受け入れてくれた。

 軍ではそのちぐはぐな鎧姿から、夫の事を「道化」と陰口を叩く者も居るという。でも、それでも夫は平然とその姿で戦場に出向いてくれた。


 愛しい人だった。


 戦況はカルデイに不利でランリエルとの国境は危機に瀕し、ベルヴァースに侵略した軍勢も一部は撤退したという。

 でも、フィオナにはカルデイが勝とうが負けようがどうでもよかった。

 自分の夫が帰ってきさえすればいい。そう考えていた。


 もし誰かに「戦いに負ければ大勢の人が死ぬのだぞ。他人の命よりそんなに自分の夫の命が大事なのか?」そう聞かれればフィオナはこう答えただろう。


「他人の命よりではありません。自分の命よりも大事なのです」


 だいたい、他人の変わりに自分の夫が死んでも良いと考えている妻がいるとしたら、その奥方はきっと夫の事を愛してはいないのだ。そう思っていた。


 勿論戦いに負ければ命の危険はある。でも、今までも、軍勢がほとんど全滅するといった状況でも夫は生きて帰ってきた。

 それに夫は自分に言ったのだ「お前を残して死ぬなど俺には出来ない」と。

 だから夫が帰って来ないはずが無い。


 夫が帰ってきたら好物のアップルパイを焼いてあげよう。シナモンをたっぷりと利かせたやつだ。

 夫は体が大きく、顔は精悍でいかにも男らしい外見だが実は甘い物が好きだった。でも夫が甘い物好きである事は秘密だった。

 部下に対して示しが付かないからだと言った時のばつの悪そうな夫の顔を思い出し、フィオナはクスリと笑った。


 ヘルバンが討たれ、帝国軍は総崩れとなった。


 頑強に守り続けていた各円陣の部隊も主将を失っては戦い続けても先はないと、抵抗する意思を失ったのだ。


 ある者は討たれ、ある者は降伏し、一部の者のみ帝国にたどり着いた。そしてモランド将軍もヘルバン将軍と同じく戦死を遂げたのだった。


 その後ベルヴァース王都でギリスに撃破されたベルヴァース軍から、まだ王都内に敵の軍勢が残っておりその軍勢も撤退を開始した。と連絡が入り、連合軍はすぐさま後を追った。


 だが今更追いかけたところで追いつける訳もなく、ギリスの部隊は抑えのランリエル軍を破った後、悠々とカルデイ帝国へと逃げ込んだのだった。


 追撃する連合軍も帝国内に逃げこんだギリスを深追いはせず退却した。



 この戦いを通しての帝国軍の死者及び捕虜は4万5千。全軍の半数近くを失っていた。


 ベルヴァース軍のそれは帝国軍に王都を落とされた事もあり1万6千。全軍の4割である。


 ランリエル軍の被害は1万2千であり、全軍の1割を僅かに超えるに過ぎなかった。


 こうして帝国軍によるベルヴァース王国侵略戦は失敗し、ランリエル、ベルヴァース連合軍の勝利により終結した。季節は冬になろうとしていた。


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