第10話:決戦(1)
ベルヴァース王都エルンシェでは、ヘルバンとギリスにより撤退作戦が協議されていた。
撤退の準備はすでにギリスにより終了している。兵士達は腰兵糧を常に携帯し、後は撤退の一言で全軍が出発できる。
足手纏いになる物資を載せた荷駄はやむを得ずここにおいて行く。敵に渡すくらいなら燃やしてしまいたい所であるが、燃やせばその煙で敵に撤退する事が察知されるだろう。
問題はどのタイミングでその「撤退」の命令を出すかと、どの方向に撤退するかだ。
「やはりこの包囲を突破する事は出来んか?」
「いえ突破は出来ます。問題は大半の兵はその後追いつかれるという事です」
ヘルバンの問いにギリスは冷静に答えた。騎兵はともかく歩兵は敵騎兵に追い縋られよう。そして軍勢の大半はその歩兵である。
「ではどうやって退却するというのか?」
「現在この王都を包囲している敵は9万前後といったところです。最終的には突破するしかないですが、それは最後の手段です。もう少し敵軍の様子をみましょう」
だがそこに占領地の帝国軍1万2千が国王からの命令によりダエンへと退却し、さらに敵軍が王都の包囲を解いて帝国方面へと移動を開始した。との情報がもたらされた。
王都から帝国方面というと、当然占領地への方角である。
占領地の帝国軍が王都へと退却するというコントレからの伝令はベルヴァース王都を包囲する連合軍の目を掻い潜る事が出来ず、結局連合軍が包囲を解いた為やっと王都に辿り着く事が出来たのだった。
「これがおぬしの言う変化か?」
最近苛立っているヘルバンは、まるで占領地の帝国軍の退却がギリスの所為かの様に睨んだ。
八つ当たりに近いヘルバンの眼光に、さすがのギリスも困惑を隠し切れない。
「いえ別に予測していた訳ではありません。しかしいずれ国境が突破されたなら遅かれ早かれ占領地の我が軍はダエンに撤退する必要に迫られたでしょう。帝都に1万の兵力があればそう簡単に落ちる訳もないのですが、とはいえ他の方面の戦闘を続ける訳にも行きません。それに国境を突破されてから占領地の軍勢が帝国に退却すると、その時に国境を突破した連合軍に捕捉されて壊滅させられる危険性もありました。敵にすれば占領地から帝都に向かう道筋のみ警戒していれば捕捉は容易なのですから。確かに現段階で占領地の軍勢を1万2千も退却させたのは、早すぎますし数も多すぎますが……」
だが気を取り直した様に付け加えた。
「ですが敵が包囲を解いてくれたなら、こちらはこの隙に撤退すべきです」
その言葉にヘルバンも気を取り直し、ギリスを睨むのを止め改めて問いかけた。
「しかし敵が占領地に向かったのであれば、こちらは占領地を迂回せねばなるまいな」
「はい。占領地を避け少し北よりに迂回して帝国へと入りましょう」
ギリスは地図を指差し退却路を指でなぞる。
「将軍には騎兵を中心にした1万の部隊を率いてもらい先発し、後続にモランド将軍に2万9千の歩兵を率いてもらいます。私は3千の兵を持って殿を務めましょう」
「おぬしが殿を勤めるというのか?」
ヘルバンは驚きギリスの顔を見直した。殿とは最後まで踏みとどまり敵を防ぐいわば捨石だ。戦死する可能性は当然高い。
「なに死ぬ気はありませんよ。私はしぶといですからな」
「うむ」
ヘルバン将軍は気まずそうに短く答えた。
殿よりも騎兵で先発する自分の方が生き残る可能性が高いと負い目を感じたのだ。とはいえ自分には妻が待っている。生きて帰らなくてはならない。
「ヘルバン将軍はこれからも帝国軍にとって必要な方ですからな」
ギリスはそう答えると一礼して退席した。
だがギリスはヘルバンを謀っていた。ベルヴァース王都の包囲を解いたのは間違いなく敵の罠だ。ならば先発する部隊が一番危険だった。
その数日後の夜、ヘルバンは騎兵を率いて王都を脱出した。そしてそのすぐ後にモランド将軍の歩兵が懸命に走りながら追いかける。
だがその後にギリスの殿部隊は続かなかったのだった。
帝国軍撤退の報は、密かに王都を監視していた兵士から狼煙と早馬により瞬く間に占領地の連合軍へと伝えられた。
狼煙の煙を山々の影で隠せるところは狼煙で、それが不可能なところは早馬でと、帝国軍に悟られない様に、念密に計算された連絡網である。
その報を受取ったランリエル、ベルヴァース連合軍はすぐさま出撃した。
当然王都からより王都と帝国の間にある占領地の方が帝国国境に近い。丸一昼夜敵が撤退した事に気付かないというならともかく、撤退の報を受けすぐに出撃すれば占領地を迂回する帝国軍の頭を抑える事は十分可能だ。
サルヴァ王子は、予め編成しておいた1万4千の騎兵を率い先発した。
そして偵察の情報から割り出した帝国軍の予想撤退路に、十分な余裕を持って辿り着き帝国軍を待ち構えたのだった。
そして帝国軍が撤退したという報を受けたベルヴァース軍は喜びに沸いた。
「遂に王都を解放したぞ!」
「身の程知らずな帝国軍めが、思い知ったか!」
すぐに王都エルンシェを確保すべく軍を進めたいところだったが、この後に及んでランリエル軍にのみ戦いを任せる訳にはいかない。大半はベルヴァース軍と共に撤退する帝国軍を追撃し1千のみを王都へと向かわせていた。
王都に辿り着いたベルヴァース軍は懐かしさと嬉しさに涙し門をくぐった。
民衆は占領時に退去させられ帝国軍も撤退した今、王都は静まり返っている。
兵士達は職務を忘れ懐かしさに王都内のあちこちを観て回り、そして王城前へと辿り着き城内に入城しようとしたその時、突如矢が雨の様に彼らに降り注いだ。
殿を務めるはずのギリスの部隊が王都の奥の王城に立て篭もっていたのだ。いきなりの敵の攻撃に混乱したベルヴァース軍はいとも簡単に追い散らされた。
「もっと早く来て貰わないと困るだろ。のんびりし過ぎだ」
ギリスは愚痴を漏らした。
ギリスの兵力は3千、対するベルヴァース軍は1千。勝負にならないが、王都に派遣された軍勢が1千だったのは結果論だ。
退却する帝国軍が万一途中で撤退を断念し王都に戻ろうとする事を防ぐ為にと、連合軍がここに数千の軍勢を派遣してくる事も有り得た。
ギリスは、敵が同数以上であっても不意を付いて突破できる様にと、王城に隠れていたのだった。
だが、ここであまり時間を浪費してはヘルバン率いる本隊がやられた後に、敵の本隊が戻ってきかねない。ギリスは急いで全軍を率いてベルヴァース王都を出発した。
しかもギリスはヘルバンと同じ占領地の北側ではなく、真っ直ぐに占領地を目指したのだった。
占領地には5千のランリエル軍が抑えとして残されている。
連合軍は撤退する帝国軍を殲滅させる為追撃する軍勢は一兵でも欲しい時だ。
占領地の帝国軍は併せれば1万であるが、それぞれの城や砦には多くて1千といったところである。
この数で十分と思われていた。これについてはギリスの読み通りだった。
さすがに決戦を前にしてここに2万や3万といった軍勢を残す訳が無い。多くて1万と読んでいた。
そこへギリスが現れた。
「もはやこれまで、敵が手薄なうちに撤退する。我が軍に合流せよ」
占領地の城や砦を守っている帝国軍に対して伝令を送り、それぞれの軍勢を合流させながら帝国本土へと突き進んだ。
ギリスは糾合した合計1万3千の軍勢でもって、抑えのランリエル軍5千を易々と撃破した。