第9話:老将の手腕(2)
連合軍にもすぐに占領地の軍勢の過半が帝国に退却したと報告が入った。
その報告を聞いたサルヴァ王子は、計画通りに事が運んだ事にほそく笑み、すぐさま5千の騎兵を引きつれ国境からベルヴァース王都を包囲する連合軍の元へと駆けつけた。
そして王都包囲軍に到着すると早速軍議を開く。
当然ながら軍議の内容は、占領地にいる帝国軍の大半が帝国に退却したという情報による今後の対策についてである。
軍議が始まるやいなや王子は猛々しく宣言した。
「敵にはもはや撤退しか道は残されておるまい。我らはこれを捕捉して殲滅する。二度と他国を侵略する気がなくなる様に徹底的にな!」
両軍の諸将も「もっともなご意見」「目にもの見せてやりましょうぞ」と口々に同意した。特にベルヴァース軍は、数多くの貴族や兵士が死に大きな被害を出している。
「問題は我らがこう王都を囲んでいては、敵も撤退しにくかろう。一旦王都の包囲を解こうかと思う。そして敵が出てきたところを叩くのだ」
このサルヴァ王子の言葉に対してグレヴィ将軍が発言した。
「しかし王都の包囲を解けば敵もむしろ警戒しましょう。こちらの思惑通り敵が出てきますかな?」
「勿論理由もなしに包囲を解けば警戒するだろう。ならば包囲を解くにもっともな理由を作ってやればよい。当初の我々の予定だった帝国軍占領地への攻撃を再開するのだ。占領地の帝国軍の大半が退却した今、われらが占領地の攻撃を再開しても何の不思議もなかろう」
グレヴィが白い顎鬚を玩びながら再度問いかける。
「しかしそれで敵が警戒を解きますかな?」
グレヴィの疑問にサルヴァ王子はにやりと笑った。
「警戒を解くも解かないも無い。現実問題として占領地をわれらに取られれば敵はベルヴァース内で孤立するのだ。たとえこちらに罠の可能性があると警戒したとしても、敵中に孤立するという事が現実とならない内に撤退するしかあるまい。敵将に現実逃避癖が無い限りな!」
グレヴィ将軍もなるほどと頷く。確かに罠だと考えたとしても動かない訳にはいくまい。
壁に掛けた大きな3国の地図を指で示しながら、サルヴァ王子は話を続ける。
「前回帝国軍の占領地を攻めた時は、ベルヴァース王都と占領地を完全に遮断しきれていなかった。その為王都からの敵の援軍が占領地に入る事を許してしまい、その結果戦いが膠着状態となった。だが、せっかく占領地の兵力が半減した今、またベルヴァース王国王都から占領地に援軍が向かえば元の木阿弥だ」
王子が諸将を見渡すように視線を動かすと、居並ぶ諸将もその通りだと頷いた。
「今はわが軍が王都を包囲している為その心配はない。だがわれらが包囲を解いても王都からの援軍を占領地へ向かわせない様にする必要がある。王都を包囲しなおかつ占領地を攻めれば手っ取り早いが、ランリエル、ベルヴァースの両軍勢を合わせてもさすがにそこまでの兵力は無い。他の方法となると王都と占領地を結ぶこのドメネ砦。この砦を攻め落とせば敵の連絡は絶たれよう」
王子は地図の一点を指差し、グレヴィに顔を向けた。
「このドメネ砦攻略にはぜひグレヴィ将軍率いるベルヴァース軍に行ってもらいたい」
この戦いは(名目上は)ベルヴァース王国を帝国軍から救う為の戦いである。
帝国軍と戦う為に出撃しろと言われれば断るわけにはいかない。だが、グレヴィは承諾する前に確認すべき事があった。
「わが軍がドメネ砦を落とすまでは、ランリエル軍はこのまま王都を包囲していると考えてよろしいのですかな?」
「おお勿論だとも。もしベルヴァース軍がドメネ砦を攻めている最中にわがランリエル軍が王都の包囲を解こうものなら、帝国軍は王都から数万の兵でもって砦に進撃し、ベルヴァース軍は砦の敵と王都からの援軍とに挟撃されて殲滅させられてしまうだろうからな」
サルヴァ王子は悪びれるでもなく平然と答えた。
「王子がそのように御認識であるなら結構。砦を攻撃中には王都からの帝国軍の援軍など、一兵も来るわけが無いと、安心して戦えますわ」
グレヴィもサルヴァ王子に平然と言い返し、一応はこれで言質は取れたと安心した。
もしベルヴァース軍がドメネ砦を攻撃中に王都から進撃してきた帝国軍に後背を突かれる様な事があれば、サルヴァ王子の面目は潰れよう。
後は面目が潰れる事を気にする程度に、サルヴァ王子の面の皮が薄い事を祈るだけである。
グレヴィはすぐさまドメネ砦攻略に出陣した。
そもそも前回の占領地攻撃時にもこの砦を攻撃しておけば、戦を優位に進める事が出来たのだった。
しかし、もっとも発言力のあるサルヴァ王子が意図的に長期戦に持ち込もうとしていた事と、ベルヴァース王国王都の帝国軍を抑える前にこのドメネ砦を攻めるのが危険だった為、今まで攻撃されなかったのだ。
しかしこうなってはサルヴァ王子が妙な考えを起こさぬ内に早々に砦を落としてしまうに限る。グレヴィはドネメ砦へと急いだ。
ドメネ砦に到着したグレヴィは、早速砦の守将に使者を送った。
撤退するなら兵士全員の安全を保障すると伝えたのだが、これは残念ながら砦を守る将に断られてしまった。
「やむを得ん。それでは落とさせて貰おうかの」
グレヴィはサンデルを呼び寄せ一隊を任せて遊撃隊とした。そして自身は本隊を率いて砦攻めを開始する。
グレヴィは砦を全て包囲せず兵力を砦の一箇所に集中させた。射手を多くそろえ火矢を大量に用意させ、そして命令と共にその一点に猛攻を加えたのだ。
砦の一点に火矢が、まさに滝となって打ち込まれた。瞬く間に砦の一角に火が点き燃え広がる。
砦の兵も懸命に応戦し消火に勤めるが、この一角の砦の兵力とグレヴィが率いる兵力とでは数十倍の兵力差があった。勝負になるはずが無い。
では砦の他の箇所の兵士が何をしていたかといえば、サンデルの遊撃隊の為に身動きが出来なかったのだ。
敵が一箇所に攻撃を集中しているのだから、砦の兵達もその箇所に兵力を集中したいところである。
だがサンデルの遊撃部隊がグレヴィが攻撃している以外の方面を動き回っている。
もし持ち場を離れて攻撃されている箇所へと救援に向かえば、あのちょろちょろと目障りな敵は手薄となった箇所に攻撃を仕掛けてくるだろう。
砦の守兵は猛攻を受けている箇所が守り切れるかやきもきしながらも、持ち場を離れられずに居たのだ。
だがグレヴィの攻撃対象でもなく、サンデルの遊撃部隊もやってこない方面が一方向だけあった。砦の東には敵兵がまったく来ないのである。
これは砦を早急に落とす事を最優先しているグレヴィが、敵をわざと逃がす為にあけているのだ。逃げ道を塞いで最後まで抵抗されるより逃げてくれた方が手っ取り早い。
ドメネ砦の守将もこのグレヴィの意図を察した。
戦いの前にも砦を退去するなら安全を保障するとの使者が送られてきた。おそらく敵将
はこの空いている東方向から逃げろと言っているのであろう。
だが罠ではないのか?
いやおそらく罠ではないだあろう。
この敵の猛攻に砦は長くは持ちこたえられまい。正攻法で勝てる戦にわざわざ罠も仕掛けるだろうか?
不意に守将の顔に苦笑いが浮かんだ。
いやむしろこの場合は、負けるなら正攻法で負けるのも罠にかかって負けるのも同じと言うべきか。
守将は砦の全兵に東方向からの撤退を命じた。そして守将の予想通りベルヴァース軍からの追撃は無かったのである。
ドメネ砦攻略成功の連絡はすぐにベルヴァース王都を包囲するランリエル軍のサルヴァ王子の元へ届けれ、その2日後にグレヴィ将軍本人が帰還した。
「早いな。さすがベルヴァース軍の名将だ」
本陣の天幕でサルヴァ王子は素直にグレヴィを称賛した。
「次は占領地への攻撃でしたかな」
グレヴィはサルヴァ王子に問うた。
「いや、もはや王都の包囲を解けばこちらが占領地を攻め取らなくても敵は撤退を開始するだろう。もっとも占領地の攻撃の為に王都の包囲を解くと敵に思わせる必要があるので、一応は占領地に向かわなくてはならないがな」
不意に王子は片眉を吊り上げにやりと笑った。
「しかし面白いと思わんか? 敵は、わが軍が占領地に向かうのは十中八九罠と知りながらも撤退を開始するだろう。無論俺がそう仕向けたのだがな。つまりわが軍は敵に罠とばれていると知りながら罠を仕掛ける為に占領地に出向き、敵軍はわが軍が占領地に向かうのは罠と知りながらわが軍が占領地に向かえば撤退を開始するのさ」
「敵が撤退を開始しなければどうなさいますかな?」
「知れた事! 前に言ったとおりだ。帝国軍は占領地を取られ、ベルヴァース国内で孤立するだけよ!」
サルヴァ王子は大声で笑った。
まさにこんなに可笑しい事はないだろうといった笑いだった。