第8話:王子の攻勢(2)
数日後、サルヴァ王子が率いる4千の騎兵部隊は攻撃目標の砦に到着した。
砦には篝火が焚かれ、さすがに主戦場ではないからと油断しているという事もなさそうである。とはいえ特別に警戒しているという訳でもないだろう。
「突撃せよ!」
サルヴァ王子は砦への攻撃を命じた。損害を少なくする為にも敵が迎撃の体制を整える前に一気に急襲しなくてはならない。
カルデイ帝国の砦の見張りの兵士は、こちらに向かって突撃してくるランリエル軍旗を靡かせる軍勢を見て我が目を疑った。だが何度見直しても間違いない。
見張りの兵士はすぐに敵襲の合図の鐘をならしたが、その鐘の音を聞いた砦の守将は「馬鹿な」と一言発すると副官に確認をしてくる様に命じた。
そして副官から間違いなくランリエル軍がこちらに向かっていると報告を受けると、この場に居る人間には誰も答える事が出来ない問いを投げかけた。
「どうして「カルデイとランリエルの国境」にあるこの砦に敵が攻めてくる? 敵は全てベルヴァースで我が軍と対峙しているのでは無かったのか。それともランリエル軍は自らの王都を空にして、こちらに攻め寄せたとでも言うのか?」
そう、サルヴァ王子の狙いはランリエルと帝国の国境の砦だったのだ。
誰も答えてくれないので守将は答えを得る事を諦め、そして現実として敵が攻めてきた以上は敵を迎撃するしかないと思い定めて将兵に防御を命じた。
それに対しランリエル軍は火の様な勢いで砦を攻め立てた。時間との勝負なのだ。王子は損害も構わず突撃の指令を出し続け、そして僅か2時間後には砦を陥落させたのだった。
帝国とランリエルの国境の砦と言っても一つではない。複数の砦が幾重にも連なりランリエル軍を帝国内に進入させないよう守っているのである。王子が今陥落させたのは、その中でも一番ベルヴァース王国寄りにある砦だった。
「国境の最西にある砦が、ランリエル軍によって陥落しました!」
国境を守る砦の一つが陥落されたという報告は、すぐにこの国境の守備軍の司令官であるサラスにもたらされた。
この報告にサラスは愕然としたが、数瞬で冷静さを取り戻し敵の軍勢の数などさらに詳しい情報を集める様に指示した。そしてもたらされた情報は次の通りだった。
・ランリエル軍は約4千。騎兵のみで編成せれている。
・しかもさらに近くの砦を攻め落とそうと進撃を開始している。
国境を守る砦群は1つ2つの砦が落とされたぐらいではびくともするものでもなく、この程度で国境を突破されるという事ないが、放置しておく訳にもいくまい。
放置しておけば落とされる砦は2つが3つに、3つが4つになるかもしれないのだ。
だが敵には間違いなく増援が来るだろう。4千では国境を突破出来るだけの数の砦を落とす事は出来ない。敵がよほどの無能で無い限り、3つ4つの砦だけ落として息切れをして退却するなど、無駄に損害を出すだけだと分かるはずだ。
だが砦を3つ4つ落とされた後に敵の増援が来るとなると、こちらこそ無駄に手を拱いて敵の攻撃を見逃したという事になる。
「敵の増援が来る前に叩くぞ!」
サラスは敵の増援が来る前に、この4千だけでも倒すべく出陣する事とした。
各砦に配置されている帝国国境の防衛軍を再編成し迎撃部隊を編成させる。しかし各砦を空にする訳にもいかない。
各砦に留守の兵を残す様に兵を割き編成し集結させた迎撃部隊は9千。砦群の守りに6千。この編成作業に思いのほか手間が掛かり、その間に敵が2つめの砦を落としたとの報告が入った。
だが敵はさすがに続けての砦攻めに疲れたらしく、現在は落とした砦で休息している。との報告を受け、サラスは砦群の守りを副将のバリェステに任せすぐさま出陣した。敵が無理な砦攻めで疲労しているというなら今すぐに叩くべきである。
「砦群から敵が出陣して参りました!」
物見からの報告にサルヴァ王子はほそく笑んだ。
敵は本来砦を守る軍勢の為ほとんどが歩兵である。
サルヴァ王子は戦闘が開始されると、騎兵の機動力を活かして敵が来れば引き、敵の隊列が伸びきれば引き返し敵に一撃を与え、敵が体制を立て直せばまた引いた。
こうして敵を引き付けつつ後退しているうちに、王子の騎兵の後から進軍して来たランリエル軍の一部隊が追いついてきた。この部隊は歩兵を中心としその数1千。
敵の増援を警戒していたサラスもすぐにこの歩兵部隊の接近を察知した。新たなる敵の出現に身構えた帝国軍だったが、その数は1千程度との報告だ。敵は合わせてもまだ5千。こちらの戦力を考えればまだ恐れる必要は無い。
「敵の新手は歩兵だ。ならば騎兵の様に機動力で引っ掻き回される心配は無い。攻撃目標を敵の歩兵部隊に変更せよ! この歩兵は敵の足手まといになるはずだ」
サラスの指示の元帝国軍の攻撃が歩兵部隊に集中する。歩兵部隊は円陣を組み、盾をならべ槍衾を作り敵の突進に対し矢を放ち防いだ。
「味方の歩兵を援護するぞ!」
サルヴァ王子率いる騎兵も引き返しては敵に一撃を与え、一撃を与えては離脱するという戦法で歩兵を援護する。だが逃げながらの戦いと違い、自ら突撃を行う戦法では損害が大きい。
サラスは騎兵が突進してくるのにあわせ矢を放つ様に命じ、ランリエル騎兵に損害を強いたのだ。
まさにサラスの狙い通りだった。
「我が軍の損害が増大しております!」
「分かっておる……」
副官の報告にサルヴァ王子は短く呟いた。その額には焦りの為か汗が滲んでいた。
だがランリエル軍の歩兵部隊も多数の敵に囲まれ損害が大きくなってきたころ、ランリエル側にさらに援軍が到着した。
この報告に王子は安著の溜息を付いた。
そしてその報は帝国軍のサラスにももたらされた。
その数2千。この部隊も歩兵を中心としていた。この部隊は到着するとすぐに帝国軍に囲まれている味方の歩兵部隊を救うべく帝国軍に切り込んだ。
疲労の少ない新手からの攻撃に、帝国軍は支えきれず包囲の一角を崩される。
ランリエル軍は味方を救出する事に成功し、新たなる味方の参戦で一息ついたランリエル軍騎兵隊と1千の歩兵隊は、陣形を整える為に一旦後方に下がった。
その結果2千の歩兵隊は一時敵の攻撃を一手に引き受ける事となったが、新手の為疲労度は少ない。粘り強く味方の部隊の再編まで耐え切った。
「ここまでか……」
サラスは全軍に退却の命令をだした。現在これで敵は7千。味方は9千。
負けるとは思えないが、敵にはまだまだ援軍が到着する可能性が高い。
敵の先鋒を撃破出来なかったのは残念だが、今の所敵の方が損害の多い。これで満足すべきか。
さらに敵の増援が到着し、敵の兵力がこちら上回ってから退却すると手遅れとなる。サラスはそう決断したのだった。
「早い判断だな……」
帝国軍が退却する事を察知したサルヴァ王子は舌打ちをした。
王子は騎兵を率い退却する帝国軍に追い縋った。歩兵と騎兵では機動力が違う、容易には引き離せない。
サラスは損害を大きくしない為に先行した部隊が敵を食い止めるべく隊列を整え、盾をならべ迎撃の準備が出来れば後続の部隊を通し、その後を追いかける敵騎兵を食い止めさせた。
そして味方が食い止めている間にまたその後ろで食い止めるべく準備を行う、という作戦で損害を最低限に留めながら退却を行った。
だがサラスの作戦が功をそうし、最小限の損害で退却出来ると思われた最中、退却する帝国軍の先頭の部隊が前方、つまり味方の砦群と自軍の間に新たな軍勢の姿を発見した。
「砦に残る部隊から救援の兵が送られてきたのか?」
軍勢を発見した兵士はそう考えたが、さらに双方の距離が近づくとなんとその軍勢はランリエル軍の旗を掲げていたのだった。
敵の増援が来る事は分かっている。その為サラスは戦闘を行いながらも十分な偵察を出していた。しかし今までこの敵を発見する事は出来なかった。
「この敵はどこから沸いて出たと言うのか!?」
だがその疑問を長々と考えている暇は無い。サラスはすぐさま全軍に指示を与えた。
「前後を抑えられた以上、まともに戦っては不利だ! 各部隊は左右に分かれて突き進み、砦まで退却せよ!」
だが、サラスの命令が全軍に届かない内にさらなる報告がサラスの元へと入った。
「ランリエル軍。左右からも来ます!」
サルヴァ王子が立てた作戦は次の様なものだった。
・砦群は占領地の南東にあるが、王子が率いる騎兵よりさらに先発する別の騎兵部隊が、砦群を大きく迂回して、一旦は砦群を通り過ぎ、砦群のさらに南東まで突き進む。
・次にサルヴァ王子の4千の騎兵が敵の砦を落とし、敵に迎撃の軍を出させる。
・敵が警戒して出陣しなければ次々と砦を落とす。ならば敵も放置できないだろう。
・出陣してくる敵軍は4千の騎兵に対して十分勝算のある戦力であるはずだ。
・ただし砦群を空にする訳も無く、砦群の全兵力である1万5千以下のはずである。
・サルヴァ王子が率いる4千以外の兵力は数部隊に分かれて進撃し、出撃してきた敵の軍勢の規模によりサルヴァ王子から早馬で指示をだす。
・その指示により救援に向かう部隊と帝国軍の側面を突く部隊に分かれて進む。
・側面を突く部隊は敵に気取られない様に戦場を大きく迂回しつつ進撃する。
・砦群の南東まで進んでいた騎兵部隊が引き返し、敵の退路を断つ。
・最後に側面を進む部隊が左右より逃げ道を塞ぐ。
つまり意図的な兵力の逐次投入により敵を引き付け、その間に敵を包囲し殲滅する。というのがサルヴァ王子の作戦だったのである。
王子の考えでは兵力が互角になるまでは帝国軍は撤退しないと想定していた為、兵力では帝国軍が上回っているうちに退却を開始したのは予想外だった。
その時点で帝国軍が撤退してしまえば包囲殲滅するという作戦は失敗する。その点サラスの判断はさすがとも思われたが、王子率いる騎兵の執拗な追撃により敵の撤退速度が鈍った為、どうにか包囲部隊も間に合ったのだ。
この時9千の帝国軍を包囲しているランリエル軍の数は1万7千。
ランリエル軍にはまだ到着していない部隊もあるが、ランリエル軍が圧倒的に有利である。ランリエル軍は敵を一兵も逃すまいと、幾重にも槍衾を作り帝国軍へ向けて矢を射掛けた。
帝国軍もサラスを中心に奮戦したが、倍近い敵に包囲され状況は絶望的である。次々に武器をすて投降した。
「壊滅だと!?」
砦群の守りを託された副将のバリェステは、ランリエル軍の包囲を何とか掻い潜り砦まで逃げてきた兵士からの報告に我が耳を疑った。出撃した9千が壊滅した。となるとこちらの兵力は6千のみ。
現在この6千は砦群の各砦に分散している。出撃している間の留守を固めるというのならともかく、敵の本格的な攻撃に対してこの6千では砦群全体を守る事は出来ない。このまま敵の攻撃にさらされれば瞬く間に砦は落とされていくだろう。
要塞を守るという事において、必要人員の5割の兵力なら5割の防御力が発揮できるというものではない。
必要な箇所に必要な人員を配置してこその要塞なのであり、人員不足で配置に穴がある要塞など何の役にも立たない。
錆びて穴が開いている金庫の様なものなのだ。小さな一つの穴が、その機能のすべてを台無しにするのである。
我が軍を殲滅させた敵はすぐにでも攻めてくるだろうか? すくなくとも帝都ダエンに増援を要請し、援軍が来るより早いのは間違いない。
思案したバリェステは、同じく砦の守りを託された幕僚達を集めた。幕僚達も主将のサラスと共に出撃した部隊が壊滅したと報告を受けており、みなその顔色は蒼白だった。
バリェステは顔面蒼白の幕僚達に宣言した。
「砦を放棄する」
驚く幕僚達に続けて説明する。
「全ての砦を放棄するのではない。半数を放棄する。6千では全ての砦を固める事は出来ない。だが半数の砦ならば6千で固める事が出来る」
そして幕僚達の顔を見渡した。
元々国境の砦群は一つの砦を落としてもさらにその奥に砦が存在し、その砦を落としてもさらにその奥に砦がある。といった具合に幾重にも砦を建設する事により鉄壁の防御をなしている。バリェステは、幾重にも重ね着している衣の半分を脱ごうというのだ。
「みなと放棄するべき砦と、残して守るべき砦を検討したい」
バリェステは幕僚達と地形や他の砦との連携を考え、残す砦と放棄する砦とを分類した。放棄する砦から物資を運びだし、その後は砦に火を点けさせた。
残して敵の足がかりとされる事を防ぐ為である。敵が来る前に迅速に行わなくてはならないと、全員汗だくとなり作業を行った。
もっとも実はこの時、ランリエル軍は投降した帝国軍の兵士の多さに処理が手間取り、とてもすぐに進撃する余裕は無かったのであるが。
砦が燃える煙は、捕虜の処置に負われるランリエル軍からも見る事が出来た。
サルヴァ王子が偵察を出し状況を確認させると帝国軍が自らの砦の半数近くを燃やしているという事だった。
「思い切った事をやる奴がいるな」
この報告に王子も呆れた。
元々国境の帝国側には51の砦があり、その全てを力攻めで落とそうとすれば4万の兵を失うといわれる砦群だ。
今回サルヴァ王子も2つの砦を力攻めで落としたが4千と称する騎兵のうち実に千名以上の死傷者を出しており、その後に出撃してきた帝国軍との戦闘で受けた損害を超えているのだった。
「敵が自ら砦の半数を燃やしてくれるとは、手間が省けたというものよ」
幕僚の中にはそう言って笑う者も居たがとんでもない話である。
兵力不足の51の砦より、十分な兵力で守るその半数の砦の方が遥かに手強いのだ。しかし王子もすぐに気を取り直した。
愚痴を言っても仕方あるまい。敵は敵で出来る最善の手を打ってくるのだ。今はこの幕僚の言うとおり砦の数が半数になった事で満足するとしよう。
先の戦いで捕らえた捕虜から敵の情報は掴んでいる。
砦の守りに残された兵力は6千であるという。これは複数の捕虜からの情報であり偽りでは無いだろう。
現在この国境にいるランリエル軍は遅れてきた部隊を加えてさらに増強され、その兵力は1万9千。
そう考えたサルヴァ王子は次の手を打つべく行動を開始した。
率いてきた兵に引き続き砦を攻めさせたのだ。
今回は力攻めをせず、砦を遠巻きに矢の雨で持って敵に少しずつ損害を与え、砦の守りに綻びが生じたならその時こそ一気に砦を落とす様にとの作戦である。
そしてベルヴァース王都包囲軍と帝国の占領地にいる抑えの軍に、国境の砦群に対する攻撃が成功したと伝令を出した。