第7話:小さな年上の女《ひと》(2)
時が過ぎヘルバンが18歳の時、初陣を迎える事になった。
18歳で初陣とは遅い初陣である。軍隊には4年前から入隊していたが、実践とは相手があって初めて発生するものだ。平和で敵が居ないなら初陣のしようもない。
やっとと言うべきか、ヘルバンが18歳になった時、初陣を飾るべき敵が現れた。
もっとも敵といっても隣国の大国ランリエルでもなければ、ベルヴァースでもない。地方領主の叛乱ですらなかった。辺境の村に山賊が出没するというのだ。そしてヘルバンが所属する部隊にその討伐の命が下った。
初陣で馬には乗れず徒歩で出陣するヘルバンを、姉とフィオナが見送った。
子供のころから大きな体だったヘルバンはみなの予想を裏切らず、体の大きな青年になっていた。しかし小さい体だったフィオナは成長期がずれていたのか意外にもあれから背が伸び、ヘルバンの姉より少し小さい程度にまでになっていた。
それでも巨体のヘルバンに比べれば頭一つ半は背が低かったが。
先頭を進む馬に乗った騎士達に続いて、長槍を担ぐ歩兵が続く。ヘルバンはその長槍を担ぐ兵士達の一人だった。
戦場に赴く弟を前にして、いつもは飄々としている姉もさすがに心配なのかその表情は硬かった。そして、フィオナの表情はその姉よりもさらに硬く、そして曇っていた。
行進しながらちらりと横目でフィオナの表情を見たヘルバンは、困ったものだと思ったが、すぐに前に向き直り行進を続けた。
だがその数日後、ヘルバンが無事に帰ってくる事を祈っていたヘルバンの姉とフィオナに、ヘルバンが所属する部隊が壊滅したとの連絡が入った。
意気揚々と出陣した彼らは敵を山賊ごときと侮り、そのごときどもの罠に嵌まって手痛い奇襲を受けたというのだ。
耳を疑った2人が軍部へと出向き情報を集めると、生き残ったのはエルセオという小隊長が率いる小隊のみという事だった。その小隊はヘルバンが所属していた小隊ではない。
泣き崩れるフィオナをヘルバンの姉が支えて、自邸へと戻った。
そして自邸へと戻ってもフィオナは泣き続け、ヘルバンの姉は彼女を慰め続けた。そして夜も更けた頃、フィオナの傍に座り肩を抱いて慰めているヘルバンの姉の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ただいま帰りました」
まさか? と思って声のする方を見ると、果たしてヘルバンが立っていた。
ヘルバンを見た姉は無言で泣き崩れているフィオナの肩を揺する。フィオナが顔を上げてヘルバンの姉の顔を見ると、姉はヘルバンを指差した。
フィオナはその指の先にヘルバンを見つけると、勢い良く椅子を倒しながら立ち上がる。そしてヘルバンの元へと駆け寄りそのままその胸に飛び込んだ。
ヘルバンは反射的にフィオナをその胸に抱いていた。
「なんですか? まるで幽霊を見たみたいに」
確かに心配を掛けたと思ったが、あまりの驚き様にヘルバンもうろたえた。
「……幽霊を見たのよ」
姉はため息を付きながら答えた。
山賊からの奇襲を受け指揮系統は崩壊し、ヘルバンは所属する小隊ともはぐれてしまった。そしてたまたま近くに居たエルセオという小隊長の指示を受ける事となった。
そしてエルセオの指揮の元生き残る事が出来たのだが、いつの間にかエルセオに率いられているのだから生き残っているのはエルセオ小隊の者達だ。というふうに情報が歪曲されたらしかった。
「しかしその割に姉上は、フィオナの様に泣き崩れては居ないのですね」
弟が死んだと思ったのなら、もっと取り乱しててよさそうなものなのに……。そう考えたヘルバンの表情は不満そうだった。
「仕方ないじゃない。私より先にフィオナが取り乱しちゃったから宥めなきゃ行けなかったのよ。私まで取り乱す訳には行かないじゃない?」
姉の返答に気を良くしたヘルバンが微かに笑うと、姉はそれが気に食わなかったらしく
「まあ私は、あんたみたいなごつい奴より、フィオナの方が可愛いけどね」と憎まれ口を叩きヘルバンから目を逸らした。
そして姉が右手の親指で右眉の上を掻かく。それが姉が嘘を付く時の表情を隠す為の癖であると知っているヘルバンは、今度は表情に出さず、心の中でにやりと笑った。
そしてその胸には未だにフィオナを抱いていた。
「いつまで泣いてるんだ?」
しかしフィオナはますますヘルバンの胸に顔をうずめ、さらに泣き続けた。まったく困ったものだ。ヘルバンはフィオナが泣き止むのを立ち尽くしたまま待ち続けた。
それから数日後ヘルバンは、エルセオ小隊長が中隊長へと昇進するらしいという話を聞いた。
しかもしばらく中隊長として勤めた後、さらに大隊長へと昇進する事もほとんど内定しているという事だった。
その話を聞いたヘルバンは驚いた。戦って武勲をあげれば昇進すると思っていたのに、あの様な敗戦で昇進する事が不思議だったのだ。
先輩の兵士に聞くと、全滅する様な敗戦の中を生き残ったからこそ、その冷静な判断力はさらに多くの兵士を指揮するに足るだろう。そう評価されたという事だった。
しかも先輩兵士からさらに話を聞くと、武勲を立ててもそれが個人の武勇によるものなら、兵を指揮する事と関係ないとして、恩賞は貰えても昇進しない事もあるらしい。
「考えてみろよ。剣を振るだけが能の奴に指揮されて、前の戦いで生き残れていたと思うか?」
先輩兵士の台詞にヘルバンはぐうの音も出なかった。
この事は、今まで武勲さえ立てれば昇進できると考えていたヘルバンには衝撃だった。
ヘルバンは考えた末、エルセオの中隊へと編入して貰える様に軍に要望書を提出した。エルセオの元で兵を指揮するという事について学ぼうと思ったのだ。
中隊は5つの小隊と中隊長の直属兵から編成される。ヘルバンはそのエルセオの直属兵にして貰える様に要望書を出したのだ。
本来一兵士の要望書など無視されるのがほとんどだった。だが、今回の戦いでのエルセオの評価は高く、その余波でその時にエルセオと共に戦ったというヘルバンの要望も「ならば、今後もエルセオと共に戦いたいと希望するのも仕方なかろう」と受理された。
喜んだヘルバンは早速フィオナに伝えるべくフィオナの家へと向かった。
だが喜んで伝えるヘルバンに対して、フィオナの表情は曇った。
「どうした?」
ヘルバンは屈んでフィオナに視線を合わせて、その顔を覗き込んだ。
「戦う事を……止める事は出来ないのですか?」
どうやら先の戦いで命を落としかけた事でフィオナが自分の身を案じているらしい。とヘルバンは察したが、困ったと思いながらも否定した。
「……それは出来ない。俺は子供の頃からずっと将軍になる事を目標にして来たんだ」
だがその言葉が終らない内にフィオナの薄い青い瞳から涙が溢れ、その頬を伝った。
「フィオナ。……俺を困らせないでくれ」
「でも……またこの前の様な事があれば、どうすると言うのですか?」
フィオナは薄く青い瞳から流す涙を増やしながらも、ヘルバンを見続けていた。
どうすればフィオナを安心させられるのか? 薄い青い瞳で見つめられながら考えたが、いい言葉が浮かばない。
困り果てたヘルバンは、不意にどうして自分がこんなにも困っているのかと思った。だがその答えは
「ああそうか」とすぐに出た。簡単な事だった。
「俺は死んだりしない。約束する」
ヘルバンはフィオナを見つめ返しながら宣言した。
「どうしてそんな事を……約束できるというのですか?」
フィオナは変わらず薄く青い瞳でヘルバンを見つめていた。
「お前を残して死ぬなど……俺には出来ないからだ」
そう言うと、ヘルバンはフィオナを抱きしめて口付けた。
その夜自邸に戻ったヘルバンが、どうせいつかはばれるならと姉にフィオナとの事を伝えると、姉は呆れ果てた顔を弟に向けた。
「やっとなの? あなた達、いつから他に恋人を作るでもなしに、2人で居たと思ってるのよ?」
「近すぎると、中々お互いの気持ちに気付かない事もあるのです」
ヘルバンは、我ながら気恥ずかしい台詞だと思いながらも弁解した。
だが姉は「あら随分鈍いのね? 私はとっくに分かってたわよ?」と笑った。
「とっくにって、いつからですか?」
「7年前よ」
7年前というと、自分がフィオナと出会った時という事になる。
ヘルバンは、いくらなんでもそんな訳は無い。姉は嘘を言っているのだと思った。
そしてヘルバンが姉の顔をずっと凝視していると、その内姉は
「何、人の顔を睨んでるのよ?」と不審がった。
「別になんでもありません」
ヘルバンはそう言って誤魔化し姉から顔を背けた。
どうやらいくら待っても、姉が右手の親指で右眉の上を掻く事は無いらしかった。
ヘルバンとフィオナとの結婚式はささやかに行われた。ヘルバンが派手な挙式を嫌がったのだ。
「あいつはそれで良いとして、貴女はどうなの?」
ヘルバンの姉がフィオナにそう聞くと、フィオナは顔を赤らめる事すら無く
「私はグアルド様と一緒になれるだけで嬉しいから」と当たり前の事の様に答えた。
姉は肩を竦めてやれやれとポーズをとった。「付き合ってられない」という意味だ。
ふたりの新居は、ヘルバンの実家の近くに建てられた。
だがヘルバンは軍隊に所属している為家を空ける事が多い。フィオナは以前と同じ様に、義姉となったヘルバンの姉と過ごす事が多かった。
「折角結婚したというのに代わり映えしないわね」
姉はそう愚痴った。
そしてヘルバンはその後も戦い続け、ついにはカルデイの名将と呼ばれる様になっていた。
夫婦仲は良かったが、二人の間に子供は授からなかった。
だがその所為なのか元々その様な体質なのか、フィオナは実際の年齢より10歳以上は若く見えた。