プロローグ
「戦いが終わっているだと!?」
少年は耳を疑った。
ランリエル王国第一王子サルヴァ・アルディノ。それが彼の名だった。
14歳のサルヴァ王子は隣国との戦いで初陣を飾った。
王子は以前より机上演習により他に類の見ない冴えを見せていた。過去の名将が勝利したという戦いのあえて負けた側の軍勢を担当し、何度も逆転勝利した。
所詮机上演習とはいえ初陣前の少年が過去の名将に勝つなど尋常な事ではない。みなが王子の才能を褒め称えた。
初陣とはいえ煌びやかな銀の鎧に身を包み王子らしく白馬に身を乗せていた。大隊長「格」として兵を率いて出陣したが、現実にはその兵士達は王子の護衛だった。
いくらその才能を褒め称えられているサルヴァ王子とはいえ、戦場では何があるか分からない。初陣の王子が命を落としては一大事である。
だが、サルヴァ王子はこの境遇に甘んじる気は無かった。
必ず戦機を見出し、この一隊を持って大きな働きをしてみせる。
戦っている敵味方を見据え、今だ! と思えばこの一隊で切り込んで、存分に働いてくれよう! そう決意していた。
王子は戦機を窺うべく馬上でじっと戦場を見据え続けた。そしてそのまま戦いが終ったのだった。
前を見据えるばかりでまったく動かない王子に対し、王子のそばに居た1人の騎士が味方の大勝利だと王子に伝えた。
しかも、味方はすでに敵軍への追撃を開始していると言う。王子は、手柄を立てる絶好の機会である追撃戦にすら乗り遅れたのだ。
「どうやって我が軍は勝ったと言うのか?」
驚きの顔を向け問いただす王子に、騎士は戦場を左に指差しながら説明を始めた。
「我が軍左翼の部隊が敵右翼を撃破して突き進み、敵の背後を突いたのです。敵は背後を突かれて総崩れし味方は大勝利です」
「なぜおぬしがそれを知っている? おぬしはずっと私のそばに居たではないか!」
「なぜって、見てれば分かるじゃないですか?」
騎士は呆れた様に言った。
自国の王子に対して不敬極まりない態度だったが、相手が王子でなければ「そんな事も分からないのか、この餓鬼!」とでも言っただろう。
いやサルヴァ王子には、騎士の目がその様に言っているとはっきりと感じた。
「そうか……」
王子は力なく答えるとそのまま押し黙り、手綱を持つその手はが小刻みに震えていた。王子には戦場で何が起こっているか、まったく分からなかったのだ。
この戦場はまったくの平地だった。高低差のある戦場で、一段高いところに陣取っていれば高所から敵味方を見渡せ、初陣の王子でもある程度は両軍の動きを掴めただろう。
だがまったくの平地では、王子から見えていたのは味方の兵士達の後ろ姿だけだった。
実は騎士は、戦場に舞い上がる戦塵を見て、戦場全体の動きを把握していたのだ。
味方左翼と敵右翼の戦いで舞い上がっている戦塵が、次第に敵軍の方に前進し、それが数百サイトほども進んだ後、しばらくすると味方中央と右翼の軍勢が戦っている戦塵の位置も急激に前に進み始めた。
※1サイト=成人男性の平均的な身長の2分の1程度、1ケイト=10000サイト。
戦場経験の長い騎士には、それだけで「味方の左翼が敵の右翼を撃破して敵の後ろに回りこみ、その為敵全軍が敗走し、味方は追撃を開始した」という事が手に取る様に分かったのだが、初陣の王子に分かるはずがない。
王子は自分の未熟さが堪らなく情けなかった。机上演習で過去の名将に勝てたからといって、それが何の役に立つと言うのか!
その夜、本陣で行われた戦勝の宴では、みなが王子の「初陣にも関わらず、臆する事無く戦場を睨み続けていた姿」を褒め称えた。
それに対し王子は「うむ」や「ああ」などと無難な返答を繰り返した。
だがしきりに眩暈に襲われ、胃がむかむかする。
精神への過度の負担により体調に異変を生じさせていたが、それでも懸命に吐き気を堪え、なんとか宴が終るまで耐え切った。
「初陣にも関わらず、臆する事無く戦場を睨み続けていた姿」などを褒め称えている者達はみな、内心では自分を馬鹿にしているのではないのか?
宴の後、震える危なげな足取りで自分の天幕に戻ったサルヴァ王子は、ベッドに頭から潜り込んだ。
王族の特権で戦場とはいえ、立派な寝具が用意されている。天幕の外には警備の兵士が立っている。王子は外の兵士に聞こえない様に、枕を噛締め嗚咽を漏らした。
情けなくて仕方が無かった。これが自分の初陣なのだ! 初陣は一生で一度だ! やり直しが出来る事ではない!
いずれ自分が王位に就き、そして死ねば自分の事績が書き残されるだろう。その時、初陣の記述にはこう記されるのだ。「サルヴァ王は初陣で戦闘が終るまで、持ち場からまったく動きませんでした。それこそ1サイトすら動かなかったのです」と。
「ふっ、ふはははははは!」
不意にサルヴァ王子は大きな声で笑いしだした。天幕の外の警護兵が驚くほどの大きな声で。
いや、今日王子を褒め称えた者達の様に、無理やり称賛するに決まっている。
「サルヴァ王は初陣で持ち場から一歩も下がらず、持ち場を守り続けた」とでも書くだろう。嘘ではない。確かに持ち場からは下がっていない。
敵が王子の所まで攻め寄せては来ていないので、持ち場から下がる必要はなかった。その事を書かないだけだろう。
寝返りをうち仰向けになった。目線は天幕の天井を向いていたが見てはいなかった。
自分は未熟だ。情けないほどに未熟なのだ。「今は」だ! このままでは終らない。
必ず名将と呼ばれる武将になってみせる!
誰にでもない。自分自身への誓いだった。
それから12年の年月が流れ、王家の跡継ぎが戦死してはと心配する国王と王妃を尻目に、サルヴァ王子は幾度となく出陣した。
そして、王子は確かに名将と呼ばれる武将に成長していた。しかし現在、名将と呼ばれる者達は幾人も居る。
王子のランリエルは過去数百年にわたり隣国のカルデイ帝国、ベルヴァース王国と争っていた。
その3国を合わせれば10人以上の名将と呼ばれる者達が居るだろう。サルヴァ王子はその10人以上いる名将達の1人に過ぎない。
それに近年3国の関係は友好であり、大規模な戦争は無かった。今までの戦いは全て地方の反乱や小競り合いなど、小規模の戦闘ばかりだった。
王子はまだ、少年の日の誓いを叶えられたと考えてはいなかった。