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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
パスリル王国編
98/340

 4



 準備運動だと一言言って、野営地を離れたグレイは、白い毛皮の巨大な熊と対峙(たいじ)していた。

 モンスターではなく動物の熊だ。

 においでそう判断し、動物は狩るなとはサーシャリオンには言われていないので良いだろうと、少し離れた位置にいた熊を即座に追いかけ、こうして向かい合っている。


「グオオォォッ」


 後ろ足で立った熊は、腕を振り上げ鉤爪を見せつけて威嚇する。

 その腕の一振りをかいくぐり、ハルバートの柄で左の後ろ脚を払う。

 そして、バランスを崩して前に倒れた熊の後ろから、ハルバートの柄の先に付いた槍で首を一突きにした。

 グォッという短い声とともに、熊は絶命する。


「――ふん」


 グレイは熊の死体を一瞥しながら、右手をグーパーと開いたり閉じたりし、一つ頷く。まだ若干、力が入りにくいものの、動けるだろう。そう納得すると、熊を背負って野営地へと戻った。




「……なんだそれ」


 ふらっといなくなったと思ったら、真っ白な毛の熊を背負って帰ってきたグレイを、修太は愕然と見上げて問うた。


「――熊」


 グレイは短く答え、敷物からやや離れた地面に熊を置く。


(いや、それは見れば分かるけど……!)


「熊か! いいのう! 旨そうだ」


 サーシャリオンが目を輝かせ、今すぐ食べたいというように口元を拭う。


「いいですね、師匠!」

「熊焼き! 熊鍋!」


 トリトラがグレイを褒め、シークもサーシャリオンのように腹が空いたと言わんばかりの歌を歌い出す。茶を飲んで一息ついたらだいぶマシになったようで、テントから出てきた二人は、体が上手く動かないと不平をこぼしながら柔軟体操をしていた。

 修太は周りを見回す。自分一人だけ唖然としているのに疎外感を覚えた。


「え? 何で誰もこの状況に突っ込まねえの? てか、いいのか? 獣狩って……」

「いいぞ? モンスターは駄目だが、動物は構わぬ」

「そうなのか」


 それで納得していいのか分からない。


「師匠、僕が解体していいですか?」

「おう」


 胡乱ながら眉を寄せていると、ナイフを片手に嬉々として前に出たトリトラにより、目の前で熊の解体ショーが始まった。

 流石にグロくて見ていられないで、目を反らす。いや、そりゃあ、この世界では鳥や動物をまるごと買って、自分で解体して食べるのが普通だから、そのうち慣れなくてはいけないのだろうが、流石に熊は慣れなくてもいいかなと思うわけだ。

 収穫祭で解体が好きだと言っていたトリトラの持つナイフで、瞬く間に毛皮をはがれた熊は、そのままあっという間に肉と骨と内蔵に分けられた。


「肝は普通だったら薬になるから高値で売れるんだけど、今はいらないかな。シューター、君の不思議な指輪に入れておくかい?」

「いや、いらない……」


 トリトラ、頬に返り血ついてます。その顔で微笑まないで下さい。こちらの背筋が凍りますので。

 スプラッタ映画を思い出し、修太は気分が悪くなってしまった。


「はは、チビスケ! お前、熊の解体くらいでなーにびびってんだよ!」


 シークが修太を指差して笑うと、トリトラがシークの頭に容赦なく肘を落とした。


「君みたいな馬鹿と違って、彼は繊細なんだよ。ちょっと黙ってなよね」

「ってえな! てめっ、ほんとチビに甘いよな! チビスケ、この程度で怖気づいてたら、生きてけねえぞ?」

「なに、ゆっくり慣れていけばよい。生き急いでも仕方あるまい? シーク、そなた、ちとうるさいぞ。シューターは放っておくと頑張りすぎるから、これくらいがちょうどいいのだ」


 サーシャリオンはにっと優しい笑みを修太に向けた後、シークの方を見た。その目はシークを黙らせるのに足る冷たいものだったが、あいにく修太には見えず、シークが顔を引きつらせて固まったのが見えただけだった。

 青くなったシークは、「こわ、こわこわこわ」と口をパクつかせてぶるぶる震えた。どっちが格上か、本能で悟ったのだ。


 トリトラはそんなシークを無視して更に解体を続け、肉片を小分けにした。一部を枝にぶっ刺して、焚火の横に二本の枝を交差して刺し、もう反対側にも同じようにして、肉を刺した枝を水平にかける。

 保存袋から出したのだろう、塩やコショウの入った瓶からスプーンですくって肉にふりかけて放置する。


「残りは袋にでも詰めて持って歩くかな。毛皮もこっちで持っておくね」


 保存袋から出した皮袋に肉片を詰め込むと、トリトラは毛皮と皮袋をどっちも保存袋に収納した。

 それで結局、熊肉は皆でおいしく食べた。

 人生初の熊肉は、新鮮なだけあっておいしかった。

 すげえな、熊肉。



      *



「では、移動しよう。我はあやつに会って、早いところケイ達の元に行かねばならぬからな」


 サーシャリオンがそう言って、先陣を切って樹海を歩くのに、修太達も続いた。

 さく、さく。野生動物かモンスターの足跡しかないような積雪の表面に足跡を刻みつけながら、ずんずん進んでいく。

 奥へ進むにつれ、薄暗さが増し、影は濃い青へと変わっていく。だからだろうか、不気味には思えず、綺麗だと思えた。


「この森のモンスターも荒れている者が多いようだな。シューター、鎮静の魔法を使えそうか?」

「……分かった。ちょっと待ってくれ」


 三十分くらい歩いた頃、修太達は、闇堕ちしているのか、血走った目をしたモンスター達に囲まれていた。雪豹のようなもの、白い兎に角が生えたもの、ゴーレムのような雪の巨人など、さまざまだ。黒狼族の三人は武器を構えているが、モンスターを殺すなという約束を守って動かないでいる。


 修太は目を閉じて、自身の気持ちを落ち着ける。

 飛びかかるタイミングをはかっているモンスター達は怖い。心臓は早鐘のように鳴っているから、自分を落ち着けなくてはいけない。


(落ち着け、落ち着け……)


 菜の花畑を舞う白い蝶。長閑な景色の青空には虹がかかっている。

 そんな光景を思い浮かべたところで、ふぅと息を吐き、目を開ける。そして、前にも魔法を使った時のように、小さく呟いた。


「――落ち着け」


 まるで幼子に言い聞かせるように、やんわりと。

 その瞬間、修太を起点とし、無音の衝撃が周囲に拡散する。

 そう、それは無音の中で起きた。

 闇堕ちし、正気を失くして猛り狂うモンスター達は、その闇の中で光を見出した。

 明らかにモンスター達から敵意が消え、穏やかな気配が森に満ちる。

 その代わりに、修太は魔法の反動で目眩がした。久しぶりに大きな魔法を発動したせいか、急激な魔力の消費に足がふらつく。


「――おっと」


 修太がよろりと膝を着くのを、サーシャリオンが肩を押して支えた。


「また派手に魔法を使ったな。そなた、威力を考えて使わぬか」


 呆れてはいるが、心配はしてくれているようで、眉尻が下がっている。

 しかし、何度見ても美麗すぎて腹の立つ顔だ。

 ダークエルフの時は気にならなかったが、金髪の白人風になった途端、どうもイラッとくる。きっとこのモノクルがいけないんだ。

 ものすごくモノクルをはぎ取りたい衝動と戦いつつ、修太は不機嫌に返す。


「だから、どうやって魔法を使ってるのか分からねえんだって。俺が自分の意志で使えるのは、“落ち着かせる”くらいで……」


 はぁと息を吐きながら、旅人の指輪から、さっきの湧水で汲んでおいた天然の魔力混合水入りの水筒を取り出し、がぶ飲みする。コウが心配そうに横に座り、クーンと鼻を鳴らした。なだめる為、軽く背を叩いておく。毛並みがもふっと手を跳ね返した。暑い場所では鬱陶しかったが、寒いここではコウがいると暖かく感じる。どうしても寒い時は湯たんぽ代わりに布団に入れて寝よう。


「まあ、ここいら一帯のモンスターが軒並み目が覚めたようだし、悪いことではないがな」


 サーシャリオンが、ふっと唇に笑みを乗せた時、茂みをガサガサと鳴らし、牛のような大きさはあるトナカイに似たモンスターがそろりと現れた。青い毛並みと、青い目、そして角は三本だ。そのトナカイもどきの背には、上から下まで真っ白な乙女が乗っている。この寒い中、薄手のワンピースに裸足だ。


「ぎゃーっ! 幽霊!」


 修太は悲鳴を上げ、雪の積もる地面を座ったままで勢いよく後ずさる。わたわたと周りを見回して、とりあえず壁にするべく手近な木の後ろに飛び込んだ。

 それを見たシークがぶはっと吹き出し、腹を抱えて笑いだす。その隣にいたトリトラは、唖然と目を丸くした。


 ――幽霊ではありませぬ。わたくしは雪乙女(ゆきおとめ)にございます


 人の形をした雪の彫像が動き出したような乙女は、トナカイもどきから降りると、ひらりと礼をした。


 ――お久しゅうございます、クロイツェフ様。この度は、〈黒〉を連れての御来訪、まことに助かりましてございます


「ほう。雪乙女か、そなたが生き残っているとは思わなんだ」


 サーシャリオンの言葉に、雪乙女はふんわりと微笑む。


 ――わたくしは雪の化身にて、この森に在る限りは死ぬことはありませぬ


「……モンスターなのか?」


 不審そうなグレイの問いに、雪乙女は頷いた。


「なんだ、モンスターか。良かった」


 修太はそろそろと木の後ろから出てくると、サーシャリオンの横に戻り、ほっと肩を落とす。そして、また湧水を飲み始めた。


 ――ああ、良かった。わたくしの目を覚まして下さった〈黒〉を怖がらせるなど言語道断です。〈黒〉が来たのは百年ぶりです、本当に麗しい魔力でいらっしゃること。なんておいしそう……


 ん?

 ふらふらとこっちに歩いてくる雪乙女の台詞に不穏なものを聞きとって、修太は眉を寄せた。

 気付けば目の前に真っ白い乙女が立っていて、瞳孔も白い目で修太を見下ろしていた。どこかうっとりと。


 ――指一本だけでいいですから、下さいません?


「誰がやるか!」


 幽霊より性質悪っ!


 ――ではあの、血を……


 ひぃぃぃっ。モンスターにこんなことを言われたのは初めてだ。


「やめぬか。まったく、どれだけ〈黒〉に飢えておるのだ」


 どん引きして固まる修太と怪しげな笑みを浮かべる雪乙女の間に割って入り、サーシャリオンは溜息混じりに牽制した。その威圧に、茫洋としていた雪乙女の表情がハッとなる。


 ――申し訳ありませぬ。この国には〈黒〉がおりませぬ故、永いこと、安寧(あんねい)の〈黒〉を渇望しておりまして


 そこでまたもやうっとりと手を組む雪乙女。


 ――もういっそのこと、森に閉じ込めてしまいたいくらい。この来訪、(ぬし)様もきっとお喜びになりますわ


「あやつの趣向のことを忘れておったな、そういえば……」


 何やら頭が痛そうにこめかみを押さえるサーシャリオンの後ろで、修太は戦慄している。なんだこの危ない思考回路。


「それで、あやつはどこにいる? 我はこの国に用があってな、ここを拠点にさせて貰うべくやって来た。ついでにこの子どもを預かっていて貰おうと思うてな」


 ――それはもう喜んで! 幾らでも預けていて下さって構いませぬ! 主はこちらです。闇堕ちしかけておいでで、周囲に被害を出さぬ為、氷の中に自身を閉じ込めてしまいました。十年前のことですわ


 雪乙女はひらりとトナカイもどきの背に座ると、ゆっくりと先を進みだす。それに続いて歩きだす一行。


「ちょっと、元ダークエルフの旦那。あんなのにシューターを預けて大丈夫なの?」


 不安を隠せないらしきトリトラが、ひそひそとサーシャリオンに問いかける。顔には思い切り「信用ならない」と書いてある。


「それ、俺も聞きたい。大丈夫なのか、あんなのの側にいて。俺、気付いたら手がなくなってたとかなってたら、マジ怖いんだけど」


 寒さからではない悪寒でぷるぷる震えつつ、水筒を両手でぎりぎり握りながら訴える。サーシャリオンは苦笑を返す。


「たぶん大丈夫だと思うが……。まあ、危なくなったら思い切りぶん殴っておいておくれ」

「了解」


 黒狼族三人の声が被る。

 皆、不審そうである。モンスターには甘い方である修太も不信感しかないので、警戒心の強い三人はもっとそう思うだろう。

 不安ばかりが募るものの、とりあえず氷竜に会うべく、修太達は雪を踏みしめ、真っ白な森の奥深くへと分け入った。

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