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そして、収穫祭が九日前に差し掛かった日、修太は町に住んでいる女の子に祭りに一緒に行こうと誘われた。
名前はカレン。人間の女の子で、赤毛と大きな茶色の目が可愛らしい十五歳だ。
修太の見た目年齢だと年上で、実年齢だと年下という微妙な年齢だ。大陸の南から移住してきた父母を持つので、セーセレティーの民に見られる銀髪ではないらしい。
ギルド帰りに呼び止められて、知らない子からいきなりの誘いだったので固まった。花火大会すら女子と行くなんてしたことはなかったし、誘ったこともなければ、誘われたこともなかった修太は、人生初の出来事であるせいで余計に硬直した。
よく見かけていて、一緒に行ったら楽しそうだと思ったんだそうだ。
つまりデートだ。
固まってしまった修太であるが、気付いたら了承していた。
自分、偉い!
こんなことが現実に起こりうるのかと、モテないあまりに都合の良い白昼夢でも見たのかと自分を疑ったが、どうも現実らしい。
啓介に話してみようかと思ったが、ダンジョンから戻るのは明後日の予定なので、迷った末、シークとトリトラの部屋に出向いて報告してみた。誰でもいいから話したかったのだ。
「なあ……、俺も信じられないんだけど、町の女の子に祭りに誘われた……」
半ば呆然としつつ言うと、シークとトリトラはきょとんと目を見合わせた。この反応、二人からすれば珍しいことではないようだ。この美形どもめ!
「ふーん? 良かったね」
結構どうでも良さそうに返したのがトリトラ。
「それで何で気の抜けた顔してんだ?」
対し、シークは不思議そうに問うてくる。
修太はその問いに答える。
「いや……。いっつも、啓介の側にいるお邪魔虫とか、空気読んでどっか行けとか、啓介目当てとか、呼び出しかけて脅してくるような女子ばっかだったから、どうしていいか分かんなくてさ。どうしたらいいんだろう」
神妙に呟き、そわそわしていると、トリトラが物凄い勢いで修太の頭をわしわし撫でだした。
「うわー! 何これ可愛い! とりあえず、喜んでおけばいいんじゃないかな!」
満面の笑みであるが、黒狼族の力で撫でられている修太には軽く拷問である。
「イダダダダッ」
頭が痛い。っつか、首が、首がもげるっ!
「おい、やめろ! チビが死ぬぞ!」
修太の危機を正確に見抜き、シークがトリトラの右手首を掴んで引き剥がす。
「わっ、ごめんね。シューター!」
おおう。
視界がぐわんぐわん揺れている。
目が回った修太は見事引っくり返りかけ、咄嗟にフードを掴んだシークにより、手近な椅子に座らせられた。
どうも、トリトラよりシークの方が力が強い上、手加減もシークの方が上手らしい。シークはトリトラみたいに馴れ馴れしくしないから、そこもあるとは思うが。
「今のはトリトラが悪い」
テーブルに突っ伏す修太を横目に、シークがトリトラを睨む。
「ううっ。だってさぁ、デートに誘われて困ってるなんて可愛すぎるじゃん! 何この生き物! 弟になって!!」
「…………却下」
「ちっ」
今、本気で舌打ちしただろ、トリトラ。
「お前もめげねえなぁ」
シークが呆れて思わずという調子で呟いた。それから、にやにやと笑う。
「チビスケ、お前、女に誘われるだけ上等だぜ? 何せ、ぷぷっ、こいつ、男に誘われ……ぎゃははは、無理、腹が死ぬ……!」
シークは腹を抱えて笑い出す。
その襟首を掴み、トリトラはぶんぶん前後に振る。
「この! ひとの黒歴史を……! 面白がるな! 笑うな!」
完全に切れている。怖い。
修太は恐る恐る問う。
「え。トリトラ、まさかまじで男のほうが好きとか……いやでもうん、別に好みは自由だと思うし」
「んなわけあるか! 僕は男と番になる気はまったくない! あの、クソ野郎が、僕を女と勘違いして声をかけてきたんだ!」
「ひぐっぐふっ、ははははは、――ぶぐっ」
酷い笑い方をしだしたシークを、トリトラは遠慮なく床に沈め、ふーっと荒い息を吐く。
床に潰れたままで発作のように笑い続けているシークが、ひいひい言いながら付け足す。
「も……あんまりうけすぎて、トリトラが奴を半殺しにするのを止めそこねた」
「いや、そこは止めとけよ」
大丈夫だったのかよ、そいつ。生きてるのか?
「ふふ、大丈夫だよ、シューター。ちゃんと半殺しで止めて、医務室に投げ込んでおいたから」
青筋をこめかみに浮かべながら、トリトラはにこりと笑った。
怖えぇぇぇ――っ。
「俺からすると、顔が良いだけ羨ましいのにな……」
美形にも色んな悩みがあるのな。
だが、その男はよくトリトラを女と間違えられたものだ。顔は確かに性別を間違って生まれたとしか思えない美貌であるが、体格や仕草は完全に男のそれだ。華奢ではあるが、女と間違えて告白する程ではない。
「分かんねえな。ちゃんと見れば、どう見ても女には見えないだろ。そいつ、目が悪いんじゃねーの?」
正直な意見を口にすると、トリトラはブルーグレイの目をキラキラさせた。
「ありがとう! 僕はもう、その一言だけで元気が出たよ。君もデート楽しんで来るんだよ?」
にこっと優しく微笑むトリトラの顔からは、怒りの片鱗は消えていた。
あ、そうだった。
「……とりあえず、喜んでみるか」
「いや、それ、喜んでるようには見えねーぞ?」
シークが横から突っ込んだ。
うるせえな。これでも喜んでんだよ!!
*
心持ちテンション高めで、そわそわしつつ、啓介達のパーティー「不思議屋」が戻るのを待って、その当日。ちょうど収穫祭一週間でもあり、冒険者ギルドの入口前にわざわざ設置された木板で、ギルド内投票結果が堂々と張り出された。
木板の前にはたくさんの人だかりが出来ている。冒険者は勿論、町の人々も見に来ているようだ。
人の隙間を縫い、最前列に出た修太は、結果を見た。
「おお……」
男の栄えある十人には、見事に知り合いが六人も入っていた。
啓介、サーシャリオン、トリトラ、シーク、受付担当のギルド職員レクシオン、アーヴィンがそうだ。他は、灰狼族のラドン、ドワーフのイーガッツ、エルフのエゼル、黒狼族のロビンと書かれている。
(完全にプライバシー無視だな)
種族名と名前だけとはいえ、見事な情報公開ぶりだ。
しかし、こうして見ると、黒狼族が全体の三人も占めている。美形が多いのだろうか、この一族。
「……うわ、フランも入ってるよ」
女の方の結果を見て、修太は顔をしかめた。これを見たら、フランジェスカの機嫌が悪くなりそうだ。
他にも知り合いがいた。ピアス、ヒルダ、ギルドマスターのベディカだ。女性の冒険者は男性に比べると少ない方だから、これは仕方が無いのかもしれない。
他には、エルフのエマイレーナ、ダークエルフのクルティカ、灰狼族のノーノとミーファ、黒狼族のスミナ、ドワーフのロンロンという名が並んでいる。
すごい。女性の方、どの種族も入っている。
(これは結果が読めねえな……)
さっぱり分からない。誰が優勝するんだろう。
戦慄していると、修太のいる方と反対の方で、きゃああと黄色い悲鳴が上がった。
「きゃーっ! 見てよ、カレン! ケイ様の名前があるわ!」
「ほんとね!」
カレンだって!?
修太は思わずそっちを見た。人の隙間越しに、特徴的な赤い髪が見えたので、あの子のことだと分かった。
(うわ、え、こういう時って挨拶すべき?)
どうしようかと思ったが、スルーするのは気が引けた。とりあえず近づいてみて、声をかけられそうなら挨拶してみよう。
そう思い、人混みをぐるりと回る。
そして何とか話しかけられる位置まで行くと、女の子が四人で固まって、きゃいきゃいと笑いあっていた。
(うっ、話しかけにくい!)
どうやらあのカレンで間違いはなさそうだが、修太の苦手な雰囲気に話しかけるのを尻込みしていると、ポンと肩を叩かれた。
「よっ、チビスケ。何してんだ、んなとこで突っ立って」
「うおっ、なんだ、シークか……」
トリトラはいないようだ。たいてい、ダンジョンにはソロで潜っているようだから、これからダンジョン入りなのかもしれない。
「ダンジョンに行くのか?」
「いんや。結果見に来ただけ。それに、収穫祭一週間前から、ダンジョンは入場禁止になっからな。逃亡防止で」
「……そ、そうか」
やることがあざといな、ビルクモーレ支部。
「で、何やってんだ? 挙動不審だぞ?」
「い、いや……」
まごつきつつ、カレン達の方をちらりと見る。そっちを見て、シークも勘付いたらしい。にやっと笑い、修太の頭に腕を乗っけて体重をかけてきた。
「あそこに例の子がいるわけかぁ、なるほどなるほど。へぇ、どいつだよ。教えろよ」
「重い! ……あの赤い髪の子だよ。挨拶しようかと思ったんだけどさ……」
その返事だけで、シークにも修太が突っ立っている理由が分かったらしい。
「ああ、あれは近づきにくいな」
「だろ?」
女子の、周りを寄せ付けない自分達だけでの盛り上がりぶりは、一種の結界である。盛り上がっているところに声をかけて、場を白けさせるのも悪いと思って困るのだ。
「で、どうなったのよぉ、カレン。ケイ様の友達、祭りに誘うって言ってたでしょ?」
「えへ、オーケーもらっちゃった!」
「おっ、やるじゃないの」
「えーっ、あの、いっつもフード被ってる陰気臭い子でしょ? どこがいいのよ。リックの方がマシじゃない?」
「違うわよ。私はお友達として誘ったの。ケイ様に近付くには、まず周りから攻めていかないとね」
「なーる。確かにね! じゃあ私はあのピアスって子と仲良くなってみようかしら」
「あれだけ不細工なんだから、フェンの方が目にとまるわよ、きっと!」
一連の会話を聞いて、修太はさっきとは違う意味で立ち尽くした。そして納得した。
(だよなー……。そうでもなきゃ、俺なんか誘うわけねえよな……)
よく考えれば、日本にいた時はそんな奴ばっかりだったのだ。欠片も疑わなかった自分に腹が立った。
修太の上に両腕を乗っけたまま、気まずげに硬直しているシークの腕を払い落とし、修太はこちらから断りに行った。啓介目当ての奴と友達になる気も遊ぶ気もない。
話を聞かれたと気付いた四人はそろって顔を青くしていたが、こんな所で不用意に話す方が悪いので知らないふりをする。
一転して不機嫌になった修太が、木板に背を向け、宿に引きこもるつもりで雑踏を歩き出すと、シークが何とも言えない顔でこっちを見ていた。
「あ――……っと、まあ、元気出せよ」
「……うっせー」
気遣いが余計なお世話だ。
「本気にした俺が悪いんだ」
ふてくされて呟いて、ずんずん道を歩いていく。
そんな修太を、頭をかいて見送っていたシークは、やおら手を叩くと、修太を追いかけてきた。
「チビスケ、こういう時はあれだ。風になるのが一番だ!」
「は?」
真面目な顔をして言われても、何を言いたいのかさっぱり分からない。
「走るんだよ。あー、でもチビスケ、体力なさそうだしなぁ。よし、俺が走ってやる!」
「いや、意味分かんねーんだけど。何で落ち込んでる俺じゃなくてお前が走るんだよ?」
馬鹿だと思ってたけど、まじで馬鹿だな、こいつ。
完全に呆れて見ていたら、シークは反論してきた。
「バーカ! そういう意味じゃねーよ!」
「あんだと! お前に馬鹿呼ばわりされるのは我慢ならん!」
「うっせえよ! ほんっと可愛くねえガキだな! あー、もう! とにかく後ろに乗っかれ、ほら!」
シークは背負っていたバスタードソードを外し、腰に提げているポーチに手を突っ込んで、中に入れている保存袋に仕舞うと、修太に背を向けてしゃがんだ。
「?」
修太は、黒のジャケットを着たシークの背を見つめる。黒のレザージャケットで、独特の光沢があり、それがやや薄汚れていた。手入れくらいすればいいのに。結局、シークが何をしたいのかが分からないで突っ立っていると、業を煮やしたシークが修太の左腕を掴んだ。そして、背負い投げのようにする。
え、風になるってそういう意味!?
そのまま投げられるのかと、つい身構えて目を閉じたが、背負う格好で落ち着いた。イェリの時もそうだったが、黒狼族流の“背負う”は心臓に悪いと思った。
「は? 何? 何!?」
盛大に混乱する修太を尻目に、シークは気合を入れて立ち上がる。
「よっし! 行くぞ!」
「え? え? ぎゃーっ!」
その場で軽く足踏みをするや、シークは物凄い勢いで雑踏を走り出した。思わず修太は悲鳴を上げ、振り落とされまいと首にしがみつく。
景色が次々に流れていくのは、爽快感より恐怖感の方が勝る。原付くらいのスピードはありそうだが、原付よりよっぽど怖い。あれも最初はスピード感が怖くて、慣れるのに時間がかかった。
地を走っている時はまだマシだったが、やがて走る場所が塀や屋根の上になると、浮遊感やら落下の恐怖やらで訳が分からなくなった。
シークは「ぎゃははは」と楽しそうに笑っていて、修太は「ぎゃあ、下ろせ、この馬鹿ー!」といった悲鳴を上げる。そんな不可思議な二人を、通行人はぎょっとした顔で見送る。
十分くらいそうやって好き勝手走っていたシークは、牧場の辺りでようやく満足して修太を地面に下ろした。
「なっ、すっきりしただろ!」
「するか! 死ぬかと思ったわ、このボケ!」
笑顔で問われ、思わずシークの頭を平手でぶっ叩いてしまった修太は悪くないと思う。うん、絶対。
「あれ~? 俺、悩む時はいっつもこうしてんだけどな。人間って難しいんだな……」
牧場の柵の前にあぐらをかいて座ったシークは、身体を斜めに傾けながら、心底不思議そうに言った。
それはお前が単純なだけだからだと言いたい。
しかし……。
「……お前も悩んだりすんのか。馬鹿の癖に」
「ちょっと殴っていいか? チビスケ」
頬を引きつらせたシークが拳を固める仕草をするのに、それは駄目だと修太は首を振っておく。
すっきりしたというより、恐怖で、ちぎれ雲のように掻き消えたといった方が近いけれども、もやもやした感情は確かに消えていた。
心底気に食わないが、口から礼をひねりだす。
「ま……でも、すっきりはした、かな。ありがとう」
「だろーっ?」
からからと歯を見せて笑うシーク。
こいつの脳天気ぶりを見ていると、あの程度のことで落ち込んだりするのが馬鹿らしくなってくる。
ちょうどグラスシープの牧場前ということもあって、長閑な気分になった修太は、シークと同じように地面に座り、グラスシープを眺めて小さく息を吐いた。
啓介に話す前で良かったかな。
自然にそう思えた。