第十五話 収穫祭は波乱の香り 1
「少年、この雑用依頼をやってみない?」
ダンジョン探索に明け暮れる啓介達四人を尻目に、今日も暇潰しで冒険者ギルドに来ていた修太に、ここ、ビルクモーレ支部のギルドマスターであるベディカ・スースが一枚の紙と本を持ってきた。
「俺、冒険者じゃないですけど」
一応、そう断ったが、ベディカもそこは分かっているようだ。
「うちで引き受ける依頼は、討伐・護衛・採取・雑用なんだけど、ね。基本的に危険が伴うものか力仕事中心で、こういう翻訳なんて依頼は専門外なのに、貴族のお偉方にねじこまれちゃってね、お姉さん、困ってるのよ。
こういうのは薬師ギルドにでも回せって言ってるのに、話を聞かないったら。押し付けられたからにはこっちでこなすしかないんだけど、職員は忙しいし、冒険者でこういうの引き受けてくれそうな人はいないし、でも薬師ギルドに回すとお金かかってこっちが赤字。そこに、一般言語もエターナル語も読めるバイト君がいるときた!」
「いや、きた! じゃないですよ。依頼だったら俺がやっちゃ駄目じゃないですか」
修太の突っ込みに、ベディカは、眼帯に覆われていない、薄桃色の長いまつ毛に覆われたぱっちりした赤い右目を、楽しそうに細める。胸元まであるウェーブのきいた髪もまた薄桃色なのといい、全体的に女性らしい華やかさがあるベディカであるが、白いシャツの上に、濃い紫色の袖がたっぷりした上着を着て、黒いかっちりしたズボンと象牙色のブーツを履いているので、凛々しく見える。
この人が、紫ランク保持者であり、戦闘においてベディカの前に立つ者は全て灰と化すと言われるような猛者だと教えられても、修太にはなかなかピンと来ない。しかし周りの冒険者達はベディカを一目置き、敬って丁寧に接している。たまにそうと知らない馬鹿がベディカに傲慢な口をきいて、ベディカの下にいるギルド職員や古参の冒険者などにシメられるらしいが、お目にかかったことはない。彼ら曰く、ベディカを怒らせるなという話らしい。
とにかく、怒らせると相当怖い女性である、ということだけは修太は理解した。
冒険者ギルドのギルドマスターはその土地の有力者や顔役がなることが多いが、ここはダンジョンで成り立っている街だから、冒険者の中で有力な者が毎回マスターになるらしい。どちらにせよ、顔役の一人であるのに代わりはないらしいから、逆らわないのが賢明ということだ。
「いや、駄目だよ? でもここのマスターは私、つまり私がルール。ほら大丈夫。ね?」
「ね? って……」
ほんと、軽いノリしてるよな、ここのギルドの人。
修太はげんなりした気分でベディカを見上げる。足元でコウが修太の気持ちを代弁して、クゥンと鳴いた。
「終わったら、こっちでちゃんと校正するから。ね、少年! 頼まれて!」
「でもなぁ……」
国語は好きな方だが、翻訳と言われると困る。渋る修太に、ベディカはにやりと笑う。
「よーし。今日の昼食はお姉さんがとびきりおいしい店に連れてってあげる。どうよ?」
「やらせて頂きます!」
とびきりおいしいだって!? それは行くしかないだろう。
一も二もなく飛び付いた修太にベディカは軽く驚いたようだが、少し不安そうになる。
「……少年、お姉さんはとても助かるけど、ちょっと心配よ。食べ物に釣られて知らない人についていくんじゃないぞ?」
ぽんぽんとフードの上から頭を軽く叩かれ、修太はグッと親指を立てる。
「相手は選んでるから大丈夫!」
「………そお?」
いまだ不安そうにしつつ首を傾げるベディカ。修太は大きく頷いた。
本と羊皮紙の束とインクとペンを受け取った修太は、待合室の隅っこで、美味い飯~と鼻歌を歌いながら、エターナル語から一般言語への翻訳作業にいそしんだ。
脳内で自動翻訳されるので、非常に楽な作業だ。時間がかかるのは書くことくらいだ。
渡された本は薄いペーパーバックで、ミストレイン王国やセーセレティー精霊国の観光情報が纏められた情報誌のようだった。お土産ならばこれ、食べ物ならこれ、見どころはここといった内容だから、修太も面白くて筆が進む。だが、ミストレイン王国についての情報は、どうも国境のすぐ外にある街の情報のようだ。ミストレイン王国はエルフが中心の国らしく、他種族は入れないらしい。人間嫌いが多いエルフらしい、排他主義だ。
午前中、だいたい三時間くらいかけて一通り終わらせて提出したら、もう終わったのかと相当驚かれたが、ベディカは約束通りランチに連れていってくれた。
そして、ちょっとお高めのレストランでがっつり食べた。美味かった。出てきた料理を残さず綺麗にたいらげた修太を、ベディカはどこに入っているのかと不思議そうに見ていた。
食後に茶をのんびり飲んでいると、ベディカが楽しげに切り出した。
「少年、もうすぐ収穫祭ね。君らのお陰で今年は盛り上がりそうよ」
「うん?」
ポポ茶入りのカップをテーブルに置き、修太は首を僅かに傾げる。
そういやそんな広告を見た覚えがあるが、中身は知らない。
「収穫祭っすか? 何かあるんですか?」
「あら、知らないの? この町は、ダンジョンと冒険者で成り立っているような町だからね、主役は冒険者ギルドってわけで、毎年、冒険者内で美女・美男子コンテストをするのよ。ようは、町の為に見世物になってこいってやつ」
「はあ、なーる」
今年は啓介やサーシャリオン、ピアスがいるからさぞ盛り上がるだろう。――だが。
「でも、それってセーセレティーの民視点ですよね?」
ぽっちゃり系美人コンテストじゃん。ちょっと面白そうだけど、あまり見たいとは思わない。
女性はきっと可愛らしいんだろうが、男性はむさ苦しそうだ。
「それがね、そういうわけでもないのよ。各国から人が集まってる町だからね。ほら、アーヴィンも痩せ型なのにモテてるでしょう? どうも、種族が違うとまた印象も変わるらしくってね、毎年、結果が分からなくて実に面白いのよ」
思い出したのか、ふふっと笑みを零すベディカ。
「それは確かに面白そうですね」
そういや、兵士系は痩せ型でも“格好良い”に該当するんだったな。これは混迷しそうだ。
納得して頷く修太の前で、ベディカはコーヒーみたいな色をしたお茶にミルクを入れ、ぐるぐるとティースプーンでかき混ぜながら説明する。
「まず簡単に、ギルド内投票で十人まで決められるの。それで、祭りで舞台を設けて挨拶させるのよ。そういうわけだから、少年のところのパーティー面子には逃げないように言っておいてね。特にグレイ殿に」
「いや、それは期待しないで下さい」
怖っ!
そんなん、投票した時点で夜道と背後に注意、じゃないか?
修太は顔をめいっぱい引きつらせた。
*
夕方、宿の部屋に帰って扉を開けると、グレイが窓枠に腰かけて煙草を吸っているのが目にとまった。
「あ、戻ってたのか。裁判所は?」
扉を閉め、フードを脱いで問いかける。
裁判は十日に渡って行われており、今日辺り、判決が出るとの話だった。
「今日で閉会。ザーダとヨーエは五十年の禁固令で、鉄の森の近くにある砦で無償兵役。エルザは妊娠中だってことで軽減されて、国外追放に決まった」
軽減されて国外追放か。よく分からない軽重判定だ。
「身重で国外追放の方が重くないか?」
「まだ三ヶ月目らしいからな。国境までは護送されて、そこで解放される。あとはゆっくり歩いても一ヶ月でレステファルテ入り出来る。そこから先は知らん」
「……まあ、そうだけど」
犯罪者だろうと人権を重んじる国柄で育ったので残酷に思えるが、ここではそんなものなんだろう。
気分が重くなったが、三人のしたことがしたことなのだから、同情しすぎは良くないと無理矢理気持ちを切り替える。それに、やることは姑息でも、冒険者としてはグレイの父親とためを張るような強豪だったのだから、心配はいらなさそうだ。
「事が片付いたんなら、あんたの用事も終わったんだろ? またレステファルテに戻るのか?」
修太の問いに、紫煙をくゆらせながら、グレイは首を振る。夕日で白い煙が霞み、真っ黒い格好のグレイは影そのものみたいに見えたが、妙に様になっていて格好良い。でも、どこか殺伐としている。
「しばらくお前らについていこうかと考えている。へんてこだが、退屈はしなさそうだからな」
「……まあ、常に厄介事か騒動の中心にいるしな」
神の断片なんてものを探しているのだから、そうならざるをえないとも言える。確かに退屈はしないだろう。何せ、神竜ですら暇潰しに同行している程だ。
「誰も反対しないだろうし、好きにすればいいんじゃないか? ――あ、そうだ。ギルドマスターが、収穫祭は逃げるなって言ってたよ」
「ああ、大丈夫だ。俺に票を入れた奴は呼びだすから覚悟しとけと言ってある」
「……脅したのか?」
「まさか。“公正なる話し合い”だ」
薄い唇を歪めるグレイ。笑みのようなものが、表情の無い顔に浮かぶ。どう見ても悪役の笑みで、こちらは見ていてもにこやかな気分にはなれない。こえええ。
「以前、ここにいた時に懲りたからな。見世物にされるのはうんざりだ」
「……出たのか、コンテスト」
「さぼると資格が剥奪されるからな」
「…………」
どんだけ頑張ってんだよ、ギルド! やりすぎだろ!
「親父はのりのりで出て、優勝をかっさらっていたな。それで五年連続で優勝していたアホだ」
「本気で正反対だな、あんたと」
「性格で言うなら、お前とケイのようなものだ」
「なるほど」
啓介ののりでグレイの顔なら、それはさぞかしモテただろう。非常に納得。
「俺、コンテストはかなりどうでもいいんだけどさ、花畑野郎……いや、アーヴィンを優勝させるとつけ上がりそうだから、啓介に頑張って欲しいんだよな」
あの歯の宣伝男の悔しがる顔を見たい! 是非!
「噂だと、あの男、毎年棄権扱いだそうだぞ」
「えっ!?」
辞退するような謙虚さが、あの男にあったのか!? いや、でも辞退は出来ないから、負けたってこと? あの人気ぶりを見ていると、それはないような気がするが……。
目を白黒させる修太。グレイは外に向けて、ふぅと煙を吹きかけながら、淡々と種明かしをする。
「何でも、舞台に辿りつけなくて、夕方頃にぼろぼろになって現れるらしい。山を二つ越え川を渡り、などと語りだすから、ギルドの連中も諦めているそうだ。真実かは知らん」
そういやあいつ、二ブロック隣の宿からこの宿に移るのすら、半日近く迷ってたんだったか。うざいけど、哀れな奴だ。
「いや、たぶん、それほんとだよ……」
何だか急に、あいつに腹を立てている自分が馬鹿らしくなった。
「他にもエルフや黒狼族もいたし、つやっつやした毛の自称美人の灰狼族とか、ドワーフの美形とか、面白そうではあるよな。やべえ、灰狼族とドワーフの美形ってどんなか想像つかねえ」
組織票なんてものもあるかもしれない。
収穫祭が楽しみになってきた。
「灰狼族ねえ……。あのパワーだけの脳筋どもに、まともな美意識が存在することの方が疑わしいな」
グレイが皮肉たっぷりにぼそりと呟いた。
(ん……?)
気のせいか、修太の背筋がぞわっとした。なんだか暗い気配を窓際から感じる。
「もしかして、灰狼族と黒狼族って仲悪かったりする?」
修太の問いに、グレイは沈黙する。
「…………良くはないな」
そして、長い沈黙の後、ぼそっと返事が返った。
(それはつまり、相当悪いってこと?)
正確に意味を読みとった修太は、鳥肌の浮いた腕を手でさすりながら、そろりと椅子に座った。足元でコウがクゥンと鼻を鳴らす。
(――うん、俺も怖い)