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迷宮都市ビルクモーレでは、新入りを除けば、アーヴィン・テッダリタを知らない冒険者はいない。知らない者はもぐりと言われる程、有名な人物だった。
あいにくと、新入りである修太達は知らなかったが、とにかく有名らしいと知った。
女性には、その美貌と柔らかな言動で黄色い声援の的として、男性には、ナルシストでうざったいいけ好かない奴の代名詞として。そして、極度の方向音痴の癖にソロで潜る、ある意味での猛者として。もちろん、その言葉には馬鹿という意味も含んでいる。見かけない時はダンジョンに潜っている時だから、たいてい朝から夕方までギルドにいる修太が今までアーヴィンを見たことがなかったのは、長期間潜っていたかららしい。
それって実は遭難していたのではないかとも思ったが、アーヴィンは長期間不在でも不思議と生還するからギルドの職員も心配していないようだ。
それにしても、男女差で歴然とした評価差があるのが、同じ美形でも啓介とは違うところだ。啓介は、老若男女、果ては動物にまで人気があるので、明らかに優位である。
だがしかし、このアーヴィンという男、女性以外にはどうも植物にモテるらしい。
「ご機嫌麗しゅう、ご婦人がた」
月光のように淡く微笑むアーヴィンの後ろで、赤い薔薇がふわりと咲く。
いや、比喩でも例えでも幻覚でもないのだ。
実際に、地面から生えてきた薔薇が、今まさに咲いたのである。
(いったい何だ、この喜劇は)
目を疑った修太であるが、どうやらアーヴィンも、アーヴィンの周りに群がる乙女達も大真面目なようなので、笑うに笑えない。
笑ったが最後、視線という名のナイフでめった刺しにされそうな気がした。
「……うぜえ」
ギルドに来て早々、帰りたくなった。
思わず入口で回れ右をしたのを、ギルド職員のレクシオンに肩を引いて止められる。
「ちょっと待った。気持ちはものすごくよく分かるけど、帰らないでくれよ。代筆希望者、今日は多くて人手が足りてないんでね」
それで見かけてすぐに確保に来たというところか。
「……なんなんすか、アレ」
むっすりと言いながら、ちらりとアーヴィンの方を見ると、レクシオンは頬をかいた。
「花の騎士アーヴィンと、その追っかけだよ」
「……花の騎士?」
「そ。〈黄〉の魔法使いで、地にまつわる魔法に長けているし、彼はエルフの王族であるハイエルフらしくってね、なんと植物の声も分かるらしい」
修太は眉を寄せる。
「それって、あの花が咲いてるのは……」
「魔法なら良かったけど、どうも彼を愛する植物達が勝手にしていることらしいよ」
「…………うわあ」
それは調子にも乗るわ。
レクシオンと渋面で話していると、ふとアーヴィンと目が合った。
「やぁ、小さいお仲間君!」
無視して逃げなかった修太をどうか褒めて欲しい。ついでに追っかけの女性達の鋭い目が怖くて、びくりと肩を震わせる。日本にいた頃によく見かけた啓介のファンよりもドスがきいている気がして怖い。
(だが、一言言わせてもらうっ)
修太は怒りとともにアーヴィンに言う。
「俺は小さい仲間なんて名前じゃねえ! 塚原修太だ! 呼ぶんなら修太って呼べ!」
小さい小さいうるせーよ! この花畑製造マシンが!
アーヴィンははしばみ色の目を、おやっと丸くする。
「名前で呼んで欲しいだなんて……。子どもらしくて可愛いところもあるのだね! あんまり無愛想だから、心が貧しいのかと思っていたよ!」
白い歯をきらめかせ、眩しい笑顔でものすごく失礼なことをアーヴィンは言った。
「…………」
こいつ、もしかして修太のことが嫌いなんだろうか。
無言のまま、修太は右の拳を左の手の平にぶつけた。バシッと短く低い音が鳴る。それを目にしたレクシオンが、慌てて修太の肩を叩く。
「どうどう。落ち着くんだ、シューター」
それで何とか気をなだめようとしたが、アーヴィンがとどめを刺した。
「君はお仲間に比べて美しくはないけれど。大丈夫、僕は珍しいものも大好きだからね!」
ぶっつん。頭の中で何かが切れる音を、修太は人生で初めて聞いた。
「何が大丈夫だ。俺が何の心配してると思ってんだ。この、ふがががっ!」
飛び出した悪態は、レクシオンの手で口を塞がれ、強制的にその場を離脱させられることで防がれた。
むぎぃぃぃっ。
こいつ、絶っっ対、いつかぶん殴るっ!!!
*
「ケイ殿、何か欲しいものは見つかりましたか?」
「あ……アーヴィンさん……」
休みに設定している日だったが、幼馴染を探して冒険者ギルドに顔を出した啓介は、思いがけずアーヴィンに声をかけられて、頬を引きつらせないように苦労して笑みを作った。
何故だろう。アーヴィンの取り巻きの女性達が、頬を染めてこっちを見ている。
女性達の心の声を明らかにするなら、なんて眼福な光景なのっ、絵師を呼べ! というところだが、あいにくと鈍感な啓介には伝わらない。伝わっているアーヴィンは、ふっとわざとらしく微笑んだ。
きゃああと上がる黄色い声。
熱気とは対照的に、啓介は身を引く。
「いえ、特にないですよ。お礼なんて気にしなくて結構ですから」
それで放っておいてくれると嬉しい。
「そんなわけにはいきません。あなたは命の恩人ですから」
歯を見せて爽やかに笑うアーヴィン。その肩の辺りにぶわりと白い薔薇が咲く。
(お、これは面白いかも)
面白いものや変なものが好きな啓介は、うっかりアーヴィンに好感を抱いた。
(なんて変な人なんだろう。なかなかいないよな、こんな人)
その中身はとても失礼なものだったが、啓介的には上位の褒め言葉である。
「何か見つかりましたら、声をかけて下さいね」
胸に手を当て、慇懃に礼をとるアーヴィン。
その芝居じみた仕草に、再度上がる黄色い悲鳴。
啓介は不思議に思った。
「? こういうのって、ハイエルフ流の挨拶なんですか?」
真似して礼をしてみたら、今度は更に周りから女性の黄色い悲鳴が上がる。更には冒険者の男達の、「よくやった、小僧!」とか「かっこいいっす、兄貴ー」といった野太い歓声も飛んでくる。
アーヴィンのことが気に食わない男達から見ると、啓介が正々堂々真っ向から喧嘩を売ったように見えたのだ。
(な、なんだろ……)
しかし視線と声援の意味が分からない啓介は、戸惑って周りを見る。どういうわけか、目が合った修太が拳を握った。
(よくやった、って、だから何なんだよ)
訳が分からない。
困惑しつつアーヴィンに視線を戻すと、どこか苦々しい顔をしていた。首を傾げる。
しかし啓介の疑問には返事が返る。
「まあ、そんなものですね」
肯定が返って、感心した。
「へえ、王族ってだけあって、綺麗な仕草ですよね。はは、アーヴィンさんみたいな人がしないと格好付かないから、ハイエルフってのは大変ですね」
これだけの美貌がないと、道化師に見えそうだ。
「お褒めの言葉、ありがとう」
アーヴィンはにこやかに微笑む。また取り巻きが悲鳴を上げ、一人、ふらっと倒れた。
「うわっ、大丈夫ですか!?」
びっくりして、とっさに支えると、目を開けた女性は、ポンと顔を赤くして再度気絶した。
「ちょっと、しっかり! 具合悪かったのかな、医務室に連れていかないとっ」
慌てる啓介に、受付からのんびりとした声がかかる。
「ああ、放っておきなさい。彼女達の癖みたいなものだから」
ビルクモーレ支部のギルドマスター、ベディカ・スースだった。紫紺の衣服のゆったりした袖の中で腕を組み、呆れ混じりに緩く笑っている。
「でも……」
放っておくって、どこに。困っていると、別の取り巻きが気絶した女性を回収して、ギルドを出て行った。唖然とそれを見送る。
(よく分からないけど、統率されてるのか?)
確固とした足取りだった。
「おや、その本は? 『特選、ビルクモーレ七不思議』……?」
啓介が手に持っていたぺらいペーパーバックを目にしたアーヴィンは、その表紙の文字を読んで、怪訝そうな顔をした。
啓介は笑顔で頷く。
「そうなんです! さっき書店で見つけて! シュウ、暇なんだったら行くぞー!」
本をぶんぶん振って、休憩中なのか待合室にいる修太に呼びかける。僅かに身を引いた修太が、バンとテーブルの盤面を叩いて怒鳴り返してくる。
「誰が行くかっ! 俺を巻き込むなって、いっつも言ってんだろーが! 一人で行け!」
「元気良いな~、シュウ」
「流すな!」
めちゃくちゃ嫌がっているのを華麗にスルーし、啓介は浮き浮きとペーパーバックをめくる。
「アーヴィンさんも見ます? 面白いですよ?」
へらっと笑いかけると、周囲の人々は、子どもっぽいケイも素敵とか、可愛いとか呟いていた。勿論、啓介にだけは聞こえていないという不可思議現象が起こっている。
「いえ、私は……」
どこか呆けたように首を振り、それから途轍もなく不思議そうに問うてくる。
「ところで、ケイ殿。あなたのパーティーで、特に美しくもない彼だけ浮いている気がするのですが、仲が宜しいのを見るともしやご兄弟なのですか?」
正直な感想に思わず吹き出しかけるのをこらえる啓介。ここで笑ったら、アーヴィンの台詞を肯定していることになって、修太が怒る。
(修太は滅多と本気で怒らないから、怒るとほんと怖いんだよなぁ……)
幼馴染なので、何度か経験しているから、そこは気を付けている。しかも修太ときたら、無駄に我慢強いものだから、一ヶ月くらい平気で口をきかない耐久レースになったりするのだ。お陰で啓介の精神が、がりがりと削られて困る。
「いやいや、まさか! シュウとは父親同士が仲が良い繋がりで幼馴染なんですよ」
そう答えてから、啓介はにこりと笑う。
「それじゃ、俺はこれで」
とりあえず、七不思議が俺を待っている! 夕方に泣く銅像とか、気になる!
ちなみに、『ダンジョンにまつわる謎特集』もゲットした。これは次にダンジョンに潜った時にでも検証しなくては!