第十四話 迷子のエルフさん 1
ダンジョンに潜って四日目。
啓介達はとうとう九十層までやって来た。あと少しで半分だ。
フランジェスカとサーシャリオンが先頭を交代しながら進み、啓介が剣と雷撃の光魔法で攻撃や援護を、ピアスもまた、トラップ解除やアイテムでの攻撃による援護をして、バランスのとれた連携をしていた。
百層まではギルドで地図が販売されていることもあり、楽なものである。日ごとで所々道が変わっていたり、トラップがあったりすることを気を付けてさえいれば、迷うことも無い。そして、モンスター相手ならば剣聖の名を冠す女剣士と、人の姿をとった神竜の前に敵は無い。
調子良く一番後ろを歩いていた啓介は、ふと右手にある小道を見て、銀の目を瞬いた。
「ん? んん……?」
つい、目をこする。
幻覚だろうか。人が倒れているように見える。
長い金髪に、とがった耳の、白い肌をした――……。
「って、エルフじゃないか!」
やおら叫びだした啓介を、先を歩いていた三人が振り返る。しかし、その時には啓介は小道に走り出していた。
「大丈夫ですか!」
エルフはうつぶせに倒れており、腰まである長い一束の三つ編みをしている。そのせいで、パッと見、女性かと思ったが、体格からどうやら男性であるようだと気付いた。法衣に似た薄水色のゆったりした袖の上衣と、灰色のズボンを着ていて、薄水色の布製のブーツを履いていた。だから、背中にボーガンを背負い、腰にエストックやスローイングナイフの詰まったナイフベルト、矢筒を装備しているにも関わらず、神官のように見えた。
生きているかを確認すべく、男の肩を引いて引っくり返すと、上衣の表側の刺繍が目にとまった。銀糸で、十字にも似た花の絵が刺繍されている。繊細な図柄なので不思議と派手に見えない。防具はない布の衣服だ。エルフは非力なので重さのある防具を身に着けられないのである。肩に巻いた白のストールが首に巻き付いて苦しそうだったので、緩めてやりつつ、息を確認してほっと肩を落とす。
しかし、怪我でもしているのかと思ったのに、どこにも怪我はないようだ。血の染みが見当たらないので、倒れていた原因は何だろうと考えながら、男の顔を何となく見下ろす。
(エルフって綺麗な人が多いけど、この人もまた綺麗だなぁ)
悩ましげに寄せられた柳眉といい、気絶しているのに、劇中の王子みたいでどこか現実味に欠ける。
「なんだ、行き倒れか?」
ダークエルフの青年姿をしているサーシャリオンが、面白そうに唇を歪める。
その声につられたのか、エルフの男が目を覚ました。
「み……水……」
かすれた声が言葉を紡ぐ。
正しく行き倒れのようである。
「水や食料が尽きたのか? しかし、そうなる前に脱出すればいいだろうに。間抜けな奴だな」
更に後方から、ゆったりと構えたフランジェスカがぼそりと判定を下す。
確かに間抜けだ。
怪我を負っての行き倒れならたまに見かけるが、飢餓による行き倒れとなると、ダンジョンでは滅多に起きない。そうなる前に、二層につき一つある脱出ポートの転移魔法陣で、一階へと転移すればいいからだ。
その間抜けなエルフは、水や食料を分けられ、ひとしきり空腹を埋めると、深々と頭を下げた。遠くから響く鐘の音のような、柔らかで耳触りの良い声が言葉を紡ぐ。
「見目麗しき〈白〉の少年よ、助けて頂き感謝いたします。私、アーヴィン・テッダリタと申します。どうぞよろしく」
「あ、どうも。俺は春宮啓介……、ええと、ケイって呼んで下さい」
大仰な話し方をする人だと思いつつ、啓介も丁寧に返す。
「それで、どうして食料もなくて行き倒れていたんです?」
とりあえず事情を聞いてみる。
「…………」
アーヴィンはしばらく沈黙し、話すか悩む素振りを見せた。それがあまりにも真剣だったので、もしや一歩踏み込んだことを聞いたのかと啓介が不安になった時、ようやく口を開いた。
「道が分からなくなったのです」
啓介達は、ちらりとアーヴィンの左手に握られている地図を見た。どう見てもこの階の地図に見える。
「はい……?」
何かの冗談かと思ったが、アーヴィンはやはり深刻そうな口ぶりで言う。
「ですから、道が分からなくなったのです。化け物どもの策にまんまと落ちてしまいました」
「……………………えーと」
反応に困る。
それはつまり、モンスターに追われているうちに迷ったということか?
だが、それでも少し歩けば地図通りの道が分かるはずだ。
啓介が返事に大変窮していると、場の空気を全く読まないサーシャリオンがのんびりと言葉を紡ぐ。
「なんだ。つまりはそなた、迷子か」
そう言ったサーシャリオンを、アーヴィンはキッと睨みつけた。
「化け物の陰謀です! 迷子ではありません!」
――うわあ、面倒くさい。
四人は思わず閉口し、視線を交わした。
* * *
五日ぶりに帰ってきた啓介達は、グレイの巻き起こした騒動の一端を聞いて、驚愕の声を漏らした。
「またさらわれたの、シュウ。うわあ。お伽噺のヒロインみたい」
「うるせえ。殴るぞ、てめえ」
修太は青筋だてて啓介を睨んだ。あんまりにも酷い言い草だ。
啓介は同情たっぷりに修太を見て、ぽんと修太の右肩に手を置く。
「大丈夫だよ。……と言いたいところだけど、三回を通り越して四回目だからなあ。でも、きっともうないよ」
「……そうだな。四回もあったんだから、もうねえよな」
修太も自身を励ますように言う。
そんな修太の前のベッドでは、トリトラが枕に背を預けて昼食を摂っている。
寝込んで五日目でやっと熱も引いて、すっかり回復したが、用心の為に明日いっぱいまでは寝ておくように厳命しているのだ。治りかけに無理をするとまた具合を悪くしかねない。毒のせいで寝込んだとはいえ、その後が薬の副作用によるから、注意している。
それでもすっかり楽になったトリトラは、ベッドでじっとしているのが退屈そうである。
そうそう。グレイは裁判所に証人として出向いているので、ほとんど宿にはいない。朝早くに出かけ、夕飯時に帰ってくる。一日中、法廷にいるようだ。
トリトラや修太も証人になるべきなのだろうが、トリトラは具合が悪かったので免除され、修太はまだ子どもだからと免除されたから、グレイ一人が出向いているわけである。だが、訪ねてきた冒険者ギルドの職員に、軽く事情聴取は受けた。
「何だ、その三回とか四回というのは」
フランジェスカが怪訝そうに眉を寄せる。
ここはシークやトリトラの部屋だが、一階でおかみさんから修太がこっちにいると聞いて、全員で顔を出したようだ。何か仕出かしたと勘違いしたらしく、ただの看病と見て、拍子抜けした顔をしていた。揃いも揃って失礼な連中だ。
「俺達の故郷のことわざに、『二度あることは三度ある』っていうのがあるんだよ。だから、似たようなことが三回あったんだから、もう起こらないだろうっていう意味で使ったりするんだけど、修太は四回目だから微妙だねって言ってたわけ」
啓介はにこやかにフランジェスカの問いに答えてから、修太を見て、肩をすくめた。それを見た修太は渋面になって溜息を吐く。
「ほう。なかなか的を射たことわざだな」
フランジェスカは語感が気に入ったのか、口の中で何度かことわざを繰り返す。
修太は二人から視線を外し、扉脇に立っている人物を見る。
「それで、その、さっきからサーシャを睨んでる、そのエルフのお兄さんはどちらさんで?」
当たり前みたいな顔で一緒に部屋にいるものだから、聞くに聞けなかったのだが、やっと聞けた。
「彼、ダンジョン内で空腹で行き倒れてたのをケイが拾ったの。お礼をするって言ってきかなくて……」
ピアスが微苦笑気味にそっと教えてくれた。
その言葉で、優男を絵にしたようなエルフの男は、胸に手を当てて、道化じみた仕草で礼をした。
「初めまして、小さなお仲間君に、黒狼族の少年達。私はアーヴィン・テッダリタ。どうぞお見知りおきを」
白い歯を見せてふわりと笑うアーヴィン。宗教画みたいに綺麗な顔をしている男だ。そんな男の俳優みたいな笑みを目にした修太は、なんだかイラッとした。美貌を自覚している者の笑みにしか見えない。自信満々で鼻につく。
気のせいか、そこで食事の手を止めてアーヴィンを見たトリトラの顔もまた、不味いものを飲みこんだような顔になった。
「空腹で行き倒れ……? つまり迷子か!」
隣りのベッドで柔軟体操をしていたシークが、倒していた上体を上げ、笑いを浮かべて言う。
アーヴィンはにこやかに否定する。
「違います。モンスターの陰謀です」
「「「…………」」」
うわ、こいつ面倒くさい。
修太とトリトラとシークは、はからずも心の内で声を揃えた。一昨日、啓介達が思ったこととまるっきり同じである。
そんな三人の空気には一切気付かず、アーヴィンは軽やかに笑う。
「しかし、ケイのご友人方は皆さん見目麗しくていらっしゃいますね。それもタイプが全然違うとは。私は美しいものが大好きなので、心が躍ります」
そう言ってから、ちらりと意味ありげに、フードを外した状態の修太を見る。
「まあ、こちらの少年は、目の色以外はそうでもありませんが」
「…………!」
あんだと、この迷子野郎! 正面から喧嘩を売るとはいい度胸じゃねえか!
修太は無言で拳を握ってぷるぷる震える。もちろん怒りでだ。
「まあまあ、シューター。落ち着いて」
「そうだぞ。本当のことだろうが」
「……シーク、ちょっとどこかに消えてきなよ」
「なに怒ってんの、お前!?」
取り成そうとしたのを即座に粉砕されたトリトラは、シークに冷たく笑いかけた。正面から視線を受け止めたシークはというと、蛇に睨まれた蛙みたいにピシッと凍りつく。
そうしていると、次に、アーヴィンのハシバミ色の目がトリトラに向いた。
アーヴィンはまじまじとトリトラの顔を見て、どこかうっとりと言う。
「何と美しいお嬢様……、いえ、失敬、少年ですね。女性のごとき美しい顔立ちといい、絵にして飾りたいものですね!」
瞬く間にトリトラの目が据わる。
「……ひとの気にしてることをずけずけと。僕のどこが女みたいだって!?」
「ちょっ、落ち着けってトリトラ! 気持ちは分かるけどっ!!」
拳を固め、即座にベッドを下りていこうとするトリトラを、修太は決死の思いで止める。ここで止めないと血の惨劇が起こりそうだ。
ぶち切れているトリトラを、シークは後ろ頭を両腕で支えながら、呑気に見やる。
「なーに今更なことで怒ってんだよ、おめぇ。母親似なんだから諦めろって言ってんのに」
「うるっさいよ、シーク! 表に出ろ!」
「ああん? 上等だ、てめえこそ表に出ろ!」
「ああもう! このアホども! 喧嘩すんな!! トリトラ、明日いっぱいまで寝とけっつってんだろ!! シークも退屈だからって喧嘩を売るなっ!!」
二人の間に割って入り、修太も青筋立てて怒鳴る。
「ワンッ!」
「うわっ!」
空気を読んだコウがシークに飛びかかり、その勢いで引っくり返ったシークが、ベッドの向こうに転がり落ちて、事態が収束する。
その横で、ピアスがそっと涙を拭う仕草をする。
「シューター君たら、ますます近所のお兄さんらしくなっちゃって……」
「意外に面倒見良いから苦労するよね……」
啓介も不憫そうに呟いた。
「お前らも! 病人の邪魔だから出てけ!!」
呟きを拾った修太は、半ば八つ当たりで四人とおまけを部屋から追い出した。
*
「ああ……追い出された」
啓介は哀しい気分で扉を見つめた。色々と話を詳しく聞きたかったし、話したかったのに……。
修太を怒らせたのは、啓介が拾ったエルフの男なので、止めきれなかった啓介も悪い。修太は昔っから、こういう軟派そうな男が嫌いだから、絶対に拒否るだろうとは思ってはいたのだ。だが、お礼なんかいらないと言っているのについてくるのだから、紹介しないわけにもいかない。
案の定、アーヴィンは修太を華麗に苛立たせ、部屋から追い出すという、いつもなら滅多としない八つ当たりまでしてくる事態を引き起こした。すごいスキルだ。真似したくはない。
(でも、なーんか、どっかで聞いたことがあるような気がするんだよなぁ……)
迷子でエルフでアーヴィンという名。
出てきそうで出てこないのがもどかしい。
「こちらの宿は素晴らしいですね。私も、こちらに変えましょう」
何やら浮き浮きとアーヴィンは宣言し、一度宿を出て行った。そして、夕方になってようやく戻ってきた時にはやけに疲労困憊していた。
そんなに遠い宿だったのかと場所を聞けば、ほんの二ブロック隣にある宿の名を挙げたので、啓介は耳を疑った。
(なるほど。この人、方向音痴なんだな……)
ここまで強烈な道迷いぶりには初めて会う。その方向音痴ぶりは面白くて好ましく思えたが、やけにナルシズムで人の話を聞かない短所の方が前面に強く押し出されすぎていて、珍しくもあまり深く関わりたくないなあと思ってしまった。