10
その日のうちに、フレイニールの友人と名高き三人の冒険者の悪事が明らかになった。
何でもこの三人、ソロで迷宮に潜る探索者狙いの強盗だったらしい。
ダンジョン内で弱ったり死にかけている冒険者を殺してその金品を奪う、という姑息な真似を繰り返していたのだそうだ。あまりに用意周到で今まで誰一人勘付く者はいなかった。
グレイの父であるフレイニールを最後に辞めたそうであるが、真実かは分からない。
ただ、フレイニールに関しては、本当に親しくしていて共に潜ったのだそうだが、ある宝箱に入っていたSレアのオリハルコン製の腕輪が三つしかなく、分配割れを恐れて、勢い余って手にかけたらしい。
つまり、グレイが迷宮都市ビルクモーレに寄りつこうとしなかったのも、父の友人たる三人の名を聞いて不機嫌になったのも、全てこの過去が由来するようだ。
(ああ、そりゃ賊嫌いにもなるわ……)
修太はひどく納得してしまった。
賊というものをこの世から根絶やしにしてやると言わんばかりの、グレイの賊への憎悪の意味を、正しく理解した。信じていただろう父の友人に、強盗目的で父を殺されれば、確かに憎みたくもなる。
グレイが言うには、たまたま脱出ポートで瀕死の父親の死に際を看取り、その時に事情を聞いたらしい。そして、父親には、葬式後にすぐに町から逃げるように忠告されていたのだそうだ。嘘がにおいで分かるグレイは危険視されるはずだし、当時のグレイでは三人には敵わなかったからだ。
父の言う事を聞いて町を出たグレイは、いつか三人の罪を明らかにするつもりで、隣国で研鑽を積んでいた。そして修太達に会って、時期が来たと悟ったそうだ。
ザーダとヨーエはグレイを追い出そうと人質をとった反面、エルザは何もしていないように見えたが、実はしていた。トリトラが毒によりギルドの医務室に運びこまれた際、薬師に、今までにも寝込んだことのある黒狼族だから人間並みの薬でいいと嘘をついて、わざと強めの薬を出させたようだ。弟子が弱っていれば、幾ら冷徹と言われる黒狼族だろうと、師匠ならば流石に気にして隙が出来ると思ったようである。
トリトラが酷く寝込むことになった要因が意外なところにあり、更には人の業の深さみたいなものに、修太は薄ら寒い気分になった。
話を聞いたトリトラが、吐きそうな顔で「あの女狐……」と呟いていたその顔も怖かったが、心の内にとどめておく。
「人間ってつくづく信用出来ないけど、シューターは信用出来るよ。こんなに親身になってくれるしね」
「看病くらいで大袈裟だな」
いまいち“認める”に値する価値があるのか分からない修太は、困惑しつつも、ナイフで小さく切った林檎もどきを塩水に浮かべたものを、器ごとトリトラに渡す。
寝込んだ時はこれだ。修太の家ではこれが出るのだ。
スープで柔らかくしたパンや、スープ単品の食事は口にしにくいらしいトリトラだが、これは食べられるようだ。
(これ、何て名前なんだろうな……)
露店で適当に果物を買い、食べてみてそれっぽいのを選びだしただけなので、名前を知らない。
見た目は楕円系をした紫色の皮をした実だが、中身は白くて林檎みたいな見た目になり、味も林檎なのだ。
「困った時はお互い様っていうし、当たり前のことをしてるだけだけど」
むしろ余計な御世話のレベルじゃないかとも思うのだが、トリトラはそうはとらなかったようだ。
「そういうのを当たり前に出来る人間って、そう多くないってことだよ」
枕に背を預けて座り、膝の上に置いた器を支え、フォークで林檎もどきを刺して、シャクシャクと頬張りながらトリトラは言う。声はかすれ気味で小さいが、修太には聞こえる範囲だ。
薬を変えてからは、随分調子が戻ってきた。
とはいえまだ熱はあるので、寝ておくに越したことはないが。
「で、その三人はどうなったんだよ、シーク」
トリトラが食べているのを見て、自分も食べたいと言い出したシークは、修太に塩水に浮かべた林檎もどきを作らせて、部屋のテーブルでむしゃむしゃと食べながら、首をひねる。ほんと遠慮がないよな、こいつ。だが、ガキを相手にしている気分になるせいで願いを叶えてしまう修太もいけないのかもしれない。なんか、うん、この程度の我儘で渋い顔をするのも大人げない気がしてくるのだ、こいつら見てると。
「結構罪状があるらしくってさ、まだ裁判中だけど、ギルドの法に照らしても、資格剥奪後、良くて国外追放か五十年の禁固令、悪くて死刑じゃないかってさ。勿論、財産も没収な~」
七十年生きたらかなり長生きな方で、平均寿命が六十歳前後というこの世界だ。五十年の牢屋入りというのは、実質終身刑みたいなものである。
とはいえ、そんなことを呑気な口調で言うなよとも思う。
「ここがレステファルテなら奴隷化されてるよね。僕としては、禁固令がいいな。ほら、国境際で、他国と盗賊とモンスターの襲撃におびえながらの、国境守備兵用の畑を耕す重労働なんかいいんじゃない? 下手な鉱山より精神的にきそうじゃない」
トリトラが笑顔で言う。
修太はげっそりした。
「えげつねえ」
「お前、ほんと笑顔で毒吐くのやめろよなー」
シークもピクピクと頬を引きつらせている。
「で、当のグレイは? 裁判所?」
修太の問いに、シークはちらっと窓の方を見る。外はすっかり藍色に染まり、夜の帳が落ちている。
「いや、ちょっと出かけてくるってさ」
「ふーん」
修太も何となく窓から外を見る。
色々思うこともあるのだろう。
これで、あの無表情な男の気が少しでも晴れるといいと思った。
* * *
「親父、片を付けてきた」
青い闇に沈む、世界の果てのようなうら寂しい共同墓地で、グレイは紫煙をくゆらせながら、酒瓶の中身を墓にふりかけた。
墓の前に座って胡坐をかき、ふぅと深い息とともに煙を吐きだす。
何とも感慨深い夜だ。
自身もグラスを傾けながら、独り言のように語りかける。
「思ってたより悪い奴らだった。あんた、人を見る目、なかったな」
父だった男は、陽気で人を信じやすい男だった。でもだからこそ味方も多かったのに、命を預けられると信じた者にこそ命を狙われた。それは不運と呼べるだろう。
でも、グレイはそんな父親でも、いや、だからこそ敬愛していた。
たいてい、黒狼族の女との間に子をもうけた人間は、十三年ぶりに子どもと会っても迷惑そうな顔をすることが多い。でもフレイニールは珍しく違う者で、イェリ宅で会った時は、グレイに会えたことを喜んで号泣していた。
普通は一年間父親に師事したら、その父親から卒業扱いされて放り出されるものだが、フレイニールの場合はせっかく息子に会えたのに何で一年で手放さにゃならんのだと言って、死ぬまでの五年間、ずっとグレイを側に置いていた。強い人だったから、グレイとしても師事出来るなら少しの間位いいかと共にいた。師匠がそんなだったせいか、グレイもシークやトリトラのような弟子を四年も置いていたわけだが。その前の二人も似たような期間面倒を見ていた。
ともかく、フレイニールは、生まれた赤子に会いに集落までわざわざやって来て、顔を見て帰るような人だったのだ。姉は覚えていないようだが、姉が三歳の時に子どもの顔を見せてくれとやって来たらしい。それでグレイが生まれることになったわけだが。母親のことを心底愛していたらしく、他に誰とも関係を持たず、姿絵片手ににやにやしていたのをよく覚えている。当然だがそんな相手は珍しいので、集落で兄弟がいる者は滅多といない。たいていが一人っ子だ。
黒狼族の女は強い相手と子どもさえ出来ればいいから、浮気でも再婚でも何でもすればいいけれど、息子の場合は一年だけ面倒を見てくれと言って男の元を去っていく。だから男の方もすでに違う相手がいる場合が多いというわけだ。
恐らく、そういうところがレステファルテ人に黒狼族が蔑まれる由縁だろう。一つ断っておくが、黒狼族の女は相手が男なら誰でもいいわけではなく、きちんと相手を見定めている。口さがない者は娼婦呼ばわりする者もいるが、家族の在り方が他の種族と違うというだけだ。
ちなみに、そんなことを言った輩は、同胞の手によりボコボコにされるので注意が必要だ。
そんな父親の最後を見ていたから、グレイは誰ともパーティーを組まない。一生、ソロでやっていくつもりだった。
だというのに、あのへんてこな旅人達にだけは、何となく手を貸してしまった。
「あいつらは、信用出来そうな気がする。良い傾向なのか、悪い傾向なのか知らないが……な」
まだ認めてはいないが、信用は出来そうだ。恐ろしくおかしな連中であるが、筋が通っているのが小気味良い。
ただ、あの〈黒〉の子どもだけは、信じるに値すると確信している。
海賊船で会った時、グレイを見て完全に怯えていたのに、それでも連れの命を優先し、次には第三王子の魔法から、具合が悪いにも関わらず無意識にグレイまでも庇ったのを見て、そう感じたのだ。とっさの時にこそ、人柄は出るものだ。つまり、あの子どもは、そういうものなのだ。
用は片付いたし、自分は根無し草であるから、この連中についていくのも一興かもしれない。
とにかくとても落ち着いた気分だ。
あの日、船でセイレーンの呪い歌を聞いて、幸先が良いと思ったのはやはり間違いではなかった。
「近くまで来たら、また来るよ。……親父」
酒を足したグラスを墓前に供え、グレイは一言挨拶してから立ち上がる。
すると、その眼前で、フレイニールの墓から火の玉が一つゆらりと燃え上がった。
流石のグレイも驚いて目を瞠る。
しかし、火の玉はすぐに風に揺られ、夜闇に消えていった。
まるで、いつでも来いよと告げているかのようだ。
「やっぱりそこにいたのか。あんたもつくづく過保護だな」
グレイはそれとは分からない程度の微笑をその薄い唇に浮かべ、空気を揺らす程度に小さく笑う。
そして、晴れ晴れとした気持ちで墓地を後にした。
人の去った墓地は、墓石がぽつぽつと白く闇に浮かび上がる。それはまるで夜の底に取り残された星のようでもあり、寂しくも温かく誰かを待つ光のようでもあった。
* * *
――男は一人、血反吐を吐きながらも出口を目指した。
友人に裏切られたことへの失望感よりも、もっと強い感情が、男を前へと突き動かしていた。
やがてダンジョンの一角にある脱出ポートに辿り着き、一階のポート先まで転移はしたが、そこで力尽きて壁に背を預けて座った。
腹の傷からはとめどなく血が流れ、命が徐々に枯渇していくのを他人事のように見ていた。
そこへ、偶々とはいえ、別にダンジョンに潜っていた息子が、帰還の為に転移で現れたのは、男の日頃の行いが良かったのかもしれない。
「……親父?」
無表情な息子の顔にも、流石に驚きが浮かんでいた。
男は息子に途切れがちに事情を話し、一言、強く付け足した。
「いいか、よく聞け。俺の葬式が終わったら、お前はとっとと町から逃げろ」
つまらない宝一つで命を奪われることよりも、それが原因で息子の命までもが狙われるのは、男にはずっと腹立たしいことだった。
「何故だ。明るみにしなくていいのか」
こちらが死に際だというのに、息子ときたらいつも通り落ち着いている。相変わらず面白みに欠けるが、それでいい。お前はそれでいいんだ。
「お前には嘘が分か……る……。そして……今のお前では……あいつらには勝てない……。だから……今は逃げろ……。だが……いつか……そう……。お前が力をつけたら――」
男は息子の腕を痛いくらいの力で掴む。手に感覚がなくて、目がぼやけた。
ああ、やっと会えたと思ったのに。たった五年ぽっちで別れる羽目になるなんて。
「いつか、真実を、白日の下に……」
男はがふりと血を吐いて、痙攣しながらも腕を必死で掴んでいた。まだ言いたいことがあった。
「なあ、元気で生きろよ。い……ろんなもの……見て……でかい男になれ……」
声はかすれて、言葉になったか分からない。
視界が真っ暗だ。何も見えない。
「ああ。――親父みたいにな」
でも、息子がそう言ったのは最後に聞き取れて、男は不遇の死にしては満たされた気分で目を閉じた。
そして、男の残り火のようだった命は消え、その意識は温かな闇へと呑みこまれ、ゆっくりと落ちていった。その先にある、柔らかな光へと――……。