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何やら勘違いしているらしき修太には気付いていたが、シークはあえて訂正しなかった。
どう考えても、これは師であるグレイがらみだろう。それにしても、
(こいつ、いったいどんな日常を送ってたんだ……)
あのホワイトグレーの髪をした、人懐こい綺麗な少年を思い浮かべる。確かに人の良さといい好ましく感じる少年ではあったが、ファンというと首を傾げてしまう。むしろ、誰かれ構わず笑みを向けているところはなよなよしく感じて、自分とはあまり合わないかなと思った。
でも、人間には大人気らしい。
そういえば、トリトラも人間には愛想が良いと評判だった。いつも優しげな笑みを浮かべているのが近寄りやすくさせているらしい。
反対に、がさつで言いたいことを平気で口にするシークは、やや距離を置かれている。笑顔で毒を吐くトリトラの方が怖いと思うのだが、人間というのはよく分からない生き物だ。
強い者が尊敬される黒狼族であるが、啓介と修太を並べた場合、強さでは啓介を称賛しても、男らしさだったら修太の方が上だと答えるだろう。女が感情豊かなのは長所と見られるが、男はいっそ愛想が無いくらいの方が男らしく見られているところがあった。そういう点から見ると、師匠であるグレイはとても男らしく、しかも強いので言うことなしの存在だ。……人間受けは悪いようだが。
何やら犯人を探す気らしき修太は、シークに爆弾の件を口止めし、簡易設置型地雷魔具だった石をポケットに放り込んでから部屋を出て行った。そして戻ってくると、箒と塵取りを手にしていた。
修太はガラス片が飛んでいるベッドの掛け布とシーツを外し、両手でぶんぶん振ってガラス片を落とし始める。背が低いせいで苦労していたので、シークも手を貸した。
側にいるのだから、手伝えと一言言えばいいのに。こちらは文字を教わっているのだから、それくらいの頼みなら聞くのだが。
ガラス片を落とすのを終えるや、やはり修太は一人で掃除を始めたので、どうやら他人に頼らない性分なようだと思った。
おおかた片付け終わった頃に、宿の店主夫妻の息子ロディがやって来て、ガラスの割れた窓に簡単に布をはり、木枠にピンを刺してとめた。近いうちに修理するが三日は待つように言い、弁償代もよろしくとだけ言って去っていった。替えのシーツや掛け布はおかみさんが持ってきた。
「師匠が戻るまで、俺らの部屋に来いよ。落ち着かねえだろ?」
一応、シークの方が年上であるし、グレイに頼まれていた手前、シークはそう言ってみた。
少し考えていたような修太だったが、結局、了承した。
曰く、トリトラの看病をするのがシークだけでは心許ないし、とのことだった。
――やっぱ生意気だ、このチビ。
夕方、シークは宿の裏庭で剣の素振りをしていた。
静かにしているというのが苦手で苦痛で仕方なかったので、トリトラのことは修太に任せて庭に出てきたのだ。
寝ている者を起こさないようにじっとしているなんて無理だ。あのチビはすごい。椅子で本を読みながら、ときどき額の布をかえ、汗がひどければタオルで軽く拭いてやるとか、無理だ。シークには無理。
そうしていて、思い出したのはグレイの言葉だ。強さにも色々あり、“認める”判断基準は人それぞれだ。聞いた時は理解出来なかったが、今はなんとなく理解出来そうな気がして、素振りをやめて考える。
修太は十二かそこらの人間の子どもで、シークの目から見ると、子ウサギ並みに弱っちい。でも〈黒〉で、魔法は使える。さっきの魔具を不能にしたし、側にいる狼はモンスターが懐いたものだという。変だ。それは確か。それから、魔力欠乏症という体質的欠陥を抱えていて、寝込みやすいらしい。やっぱり弱い。
(うーん? 弱くて、変な奴ってとこまではいいか)
でも、子どもにしては異様な程に頭が良い。文字の読み書きは勿論、本を読んでいる。看病の時のことといい物知りだ。
(あれくらいの歳の人間のガキってのは、もっと子どもっぽいし、我儘だし、考え無しなことして大人を困らせてるのが普通だけどそれもないよな……)
子どもらしくないけれど、大人でもない変な子ども。
それから、それから……。
一人の人間についてここまで考えたことはないというくらい、シークは考える。師匠が何故認めたのか、その点を探す為に。
物静かで、シークやトリトラが話しかけると迷惑そうにするし文句も言うけれど、それでも話はきっちり聞いているから、迷惑がられてもつい話しかけてしまう。
それから、両親は死んでいて、故郷にはよく分からない理由で帰れなくて、変な仲間達と旅をしていて、それで……。
シークは少し眉を寄せた。
あのチビは、ときどき物思いにふけって窓の外を見つめていて、それが痛みでも耐えるみたいな顔になっている時があったのだ。あれはきっと寂しいという感情だろう。そういうのを表に出せば、きっと幾らか子どもらしく見えるような気がするが、そうしないのだ。
でも両親のこと以外は同じ境遇のはずの啓介の方は、そんな様子はなかった。ということは、やっぱり修太は弱いということになるのだろうか。
弱くて変だが、でも、“良い奴”というのは分かる。
平気で嘘を吐く奴、騙そうとしてくる奴、見下して優位に立った気になる奴、色んな人間を見てきたが、こういう奴は珍しい。ほとんど嘘をつかず、黒狼族だからと恐れもしなければ取り入ろうともせず、迷惑そうにしてもこちらが頼れば返し、見返りすら求めない。それでいて弱っていれば無条件に手を貸そうとし、でも自分は手を貸せとは言わない。
結局、なんなんだろう。
シークは馬鹿だから、分からなくなった。
でも、トリトラが気に入っているのだから、害は無いのだ。あの優しい笑みの裏で、冷静に敵と味方を判別している奴が、全く珍しすぎることに初対面から弟にしたいとまで言っていたのだから。
何も解決はしなかったが、なんとなくすっきりしたシークは、宿の表玄関へと向かう。そこでグレイと鉢合わせた。
「あ、師匠! お帰りなさい!」
「……ただいま」
何で一歩下がるんだろう。
「師匠、ちょっと話があるんでいいですか?」
あの簡易設置型地雷魔具のことを話しておかなくてはいけない。
シークの真剣な空気に、何かあったと思ったのか、グレイは了承した。
そしてシークは再び裏庭に戻り、人気がないのを確認してから事情を話した。
「魔具を無効化か……。流石だな」
グレイはぽつりと感想を漏らした。
「師匠、何を調べてるのか知りませんけど、色々すっ飛ばして爆弾を放り込むなんてろくでもない奴、とっとと始末したらどうっすか」
攻撃は最大の防御。殺られる前に殺れ、が基本な一族なので、シークはそう訴えた。
「そうしてもいいが、今回は社会的に滅殺する気で動いているからな」
淡々と返された中身に、シークは少しだけびびった。
(それ、殺すより性質悪いんじゃ……)
「だいぶ証拠も揃ったし、そろそろ片を付けるつもりだ。今、動くのはまずい。相手を刺激しかねない」
「えーと、それってつまり、師匠が宿を変えたら逃走準備をしていると思われて、逆にあいつらに火の粉が飛ぶってことですか?」
シークが思い当たったことを問うと、グレイは息を飲んだ。心底驚いたように言う。
「お前……どうした。まともに返すとは。明日は砂嵐でもくるのか?」
本気で疑わしそうに空を見るグレイ。
「ひでぇっ!!」
ぎゃんと叫び、うなだれるシーク。
「まあ、お前の予想通りだ。すぐ片付くから安心していろ」
「いいっすけど……。今日、トリトラがドジ踏んでモンスターの毒にやられて寝込んでるんすよ。チビスケが看病してくれてるんで、それならそのまま俺らの部屋にいさせます」
「そうか……。後で見舞いに行く」
グレイはそう答えながら、そろそろいい加減、弟子達が修太に迷惑をかけすぎだと思った。変なところで度量が広いのか、修太が二人を追い払わなかったのがそもそもの誤算だった。
そういえば、人間も黒狼族もモンスターも、皆平等に接するような子どもだった。啓介の方も似たような反応だった。ふと、サマルの船で水竜と親しげに話していたのを思い出す。どちらかというと、修太は人間よりもモンスターと親しくしている気がする。啓介の方は、面白いと思えばどれにでも突撃していく。本当に、カラーズとしての色といい、対照的な性格をした二人だ。あれでいて親友だというのだから不思議である。
「お前達、あまり迷惑をかけるなよ」
実年齢十七歳といえど、姿は子どもだし、他人なのだ。自重しろとグレイは付け足して、宿に戻る。
シークもまた、グレイを追って宿に戻った。
*
毒のせいでトリトラが寝込んで三日目。
(まだ熱が高いな……)
修太は寝ているトリトラの額に手を当てて、眉を寄せた。
始めの危惧通り、初めて寝込んだせいか、トリトラの熱は一向に下がる様子を見せない。一度だけだが、嘔吐もあった。
二日目の方が熱が高く、三日目である今日は、二日目よりはマシだがそれでも高い。体温計はないので、手で計った印象でこの違いだ。
修太は一つ息を吐き、後ろを振り返る。
「シーク、うるさい」
トリトラの苦しみ具合におろおろしているシークが、部屋をうろうろ歩き回ったり跳んだりはねたりするので、そのことへの苦情だ。
「だ、だってよ――……」
シークは口応えしかけて、へにょりと眉尻と肩を下げた。ついでに黒い尾も元気なく毛が寝ている。
「そろそろ、近くの医者に診てもらうべきかもな」
「え? でも、薬飲んで寝てりゃ治るってギルドで言われたぜ?」
「薬に合う合わないがあるし、症状で中身を変えたりもする。熱が引かないからもう一度診てくれって頼むのは悪いことじゃない」
「そうなのか……?」
修太はサイドテーブルに置いておいた、ギルドであらかじめ聞いておいた医者の居場所のメモを手に取る。
「一番近い医者は、二ブロック先の所だ。シーク、事情を話して来てもらえ。本当は連れていくべきなんだろうけど、これじゃ動かすのは危ない」
「分かった!」
することが出来たシークは勢いよく部屋を飛び出していった。
診療に来てくれたオルストイ医師は、白くて長い髭が仙人みたいな老人だった。禿頭で、眉毛も白くて長い。目は開いているのか閉じているのか分からないくらいに細く、青色の法衣のようなものを着ていた。
「トリトラ、一度も寝込んだことがないらしいんだ」
修太がオルストイに状況を説明すると、オルストイは顎髭を撫でて「ふむ」と呟く。一通り診察し、薬も確認してから、再び「ふぅむ」とうなった。
「うぅむ。これは、薬が強すぎたのかもしれんな。これで吐いたとなると、副作用かもしれぬ。少し効力を弱くして、別の薬を調合してやろうの」
「ありがとう。それでお願いします」
修太はきっちり頭を下げる。
よく分からない顔をしているシークに、副作用について説明すると、そんなものがあるのかとショックを受けたようだった。
「坊主はしっかりしているな。見たところ、看病はお前さんがしておるのじゃろ? 黒狼の坊主に出来るとは思えんからな」
「はい、その通りです」
「友達か知らんが、良い知り合いを見つけて良かったな、黒狼族の。お前さん達ときたら、やたら頑丈なものだから、病気になると対処を間違って、それで悪化して死んでしまう者も多いからの。こういうことはよくよく学んでおきなさい」
ぽんぽんとシークの背を叩き、オルストイは言った。
「……うん」
シークは神妙に頷き、一度戻って薬を調合すると言うオルストイを送っていった。
「丈夫すぎるのも少し考えものだね……」
疲れたように息を吐くトリトラに、水入りのグラスを渡してやりながら、修太も頷く。
「ま、薬を貰う時は弱めにしてもらうように今後は気を付けりゃあいい」
「うん……」
水を飲むと、トリトラはまたもぞもぞと掛け布におさまった。ふぅと息を吐き、熱でぼんやりした目がこちらを見る。
「……ずっとついてなくていいよ。大変でしょ」
「気にすんな。弱った時はこうするのが人間流だ」
そう返すと、トリトラはブルーグレーの目を細めて微笑んだ。
「そう聞くと……人間ってのが羨ましくなるな……。……ありがとう、シューター」
濡れた布をトリトラの額に乗せる手を、修太はぴくりと止めた。
いつも修太を呼ぶ時は“君”だったのに、名を呼ぶとは思わなかったのだ。
(こんな程度のことで“認められる”のか?)
当たり前のことを当たり前にしているだけのつもりだったから少し戸惑ったが、悪いことではないと、とりあえず頷く。
「……うん」
でも、どういたしましてと返すのも変な気がして、そう答えた。
しばらく何とも言えない沈黙が場を支配していた。何だか照れるなあと修太は気まずい気分で椅子の上で身じろぎする。すぐに眠りに落ちたトリトラの小さな呼吸が聞こえる以外は、外から聞こえる遠くの喧騒くらいしか聞こえない。
――コンコン
修太はびくっと肩を跳ねさせた。
どうもレステファルテ国で海賊にさらわれて以来、ノックの音にびびってしまう。シークはノックなんかしないから、宿のおかみさんか従業員だろうか。この部屋にいることは告げてあるから、もしかしたら修太の部屋の窓の修理についての話かもしれない。三日後まで待つように言われていたからだ。
「はいはいっと」
そうして出たら、予想と違う人が立っていた。四十代くらいのがっしりした体躯の男と、町人のような格好のひょろりとした男。一人はどこかで見たことがある気がする。
「えーと、どちらさまでしょうか? あいにくと部屋の主は体調が思わしくなく……」
シークやトリトラの知り合いか? 人が来るなんて聞いてないけどな。
「大丈夫だ。それは知ってる」
「……?」
知っているなら来るなよ。いや、見舞いか?
「トリトラ、知り合いか?」
首をひねり、とりあえず知人か確認しようと室内を振り返る。
その瞬間、頭にガツンと衝撃がきた。真っ暗になった視界の向こうで、重いものが床に落ちたような音がした気がした。