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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
セーセレティー精霊国編
83/340

 7



(ひやっこい……。何これ)


 トリトラはゆるゆると目蓋を持ち上げながら、ひたひたする額の上のものを手で摘まんで持ち上げた。濡らした布だ。

 内心、意外に思う。

 あの脳筋シークが、こんな気のきいたことをするなんて。

 そうしていると、横から伸びた手が布を取り上げ、トリトラの額に布を乗せなおした。


「湿って気持ち悪いかもしれないけど、乗せとけ。熱、結構出てる」


 声がシークではないことに驚いて、トリトラが右を見ると、わざわざ運んできたのか、枕元に置いた椅子に小さな少年が座っている。


(なんだ、シューターか……)


 どうやら毒のせいで鼻が馬鹿になっているらしい。においがさっぱり分からない。

 植物系モンスターの(とげ)付き(つた)を素手で防ぐなど、我ながら馬鹿な真似をしてしまった。湿地帯フィールドで、足を滑らした直後で、しかも剣を手放してしまったせいだ。戦闘中に得物(えもの)を手放すなど、自殺行為も甚だしい。


 たいていはソロでダンジョンに潜るから、たまたまとはいえシークとペアを組んでいて良かった。一人だったら生還出来たか危ういし、出来ても宿まで戻るのは無理だったに違いない。

 そんなことを考えていたトリトラは、眠る直前は意識が朦朧としていたので、修太がいたことを覚えていなかった。


 ひとしきり自己嫌悪をしたトリトラは、喉の渇きを覚えて視線を彷徨わせる。

 すると、さもそれが当然であるかのように、水入りのグラスが差し出された。

 何で分かったんだろうと目をパチクリしていると、零すなよ、と言われた。


「水に、塩と果汁を少し混ぜてる。変な水じゃないから」

「ありがと……」


 声がかすれてほとんど音にならなかったが、修太には伝わったようで頷きが返った。

 半身を無理矢理起こし、水を飲む。

 味のついた水はさっぱりしていておいしかった。

 一杯だけでは物足りなく感じていると、またもや修太がグラスを取り上げ、無言でお代わりを注いで渡してくれた。


「遠慮すんな。たくさん水分とって、汗かくなりして出した方がいいから」


 そんなものなのか?

 まあ、毒を体外に出そうとするなら、それが良いのかもしれない。

 生まれてこのかた寝込んだ経験がないトリトラは、それが一般的な風邪への対処法とは知らずに感心した。

 一気に三杯分の水を飲むと満足して、再び寝転がる。

 部屋を見回し、幼馴染の姿が無いことに気付いて問う。


「シークは?」

「着替えを買いに行った。汗かいて気持ち悪かったら言えよ」

「まだ平気」

「ならいい」


 修太は手短に答え、さっきトリトラが起きた拍子に落とした布を洗面器に浸してしぼり、再びトリトラの頭に乗せた。

 頭がガンガンして、吐き気もするし、熱でぼうっとする。こんな目に遭うのは初めての経験なので、トリトラにはなんだか世界の終末が押しかけてきたみたいに思えた。視界がぐるぐる回るだなんて、寝ていて起こることはない。


 こういう弱っている時、誰かが側にいるのがこんなに居心地の良いものとは知らなかった。人間が家族に固執するのが、少しだけ分かった気がする。


「……ギルドの仕事、良かったのかい?」



「ああ。あれ、暇潰しだからな。シークじゃ不安だったから様子見に来たら、そのまま寝かせてるだけだったから、案の定だ。ま、気にしないで寝とけ。どうせ暇潰しの一環だ」


 口ではそう言っているが、それが気負わせないようにする為の気遣いであるのは、トリトラにもすぐに分かった。


(……うん。シークじゃこうはいかないよな……)


 ものすごく納得した。

 そのまま目を閉じ、眠りに身を任せようと体の力を抜く。

 眠っている時は無防備にならざるをえないから、知らない者がいる所での眠りは自然に浅くなりがちだ。とはいえ、黒狼族はとにかく頑丈なので、一週間くらいなら寝なくても元気に過ごせるけれど。


 だが、この子どもは初めて会った時から害になる者のにおいが全くしないし、目の前で寝ても平気だ。寝首をかかれる心配もないだろう。まあ、そんなことになる前に返り討ちに出来るだけの力量差があるというのもあるが。過酷な環境で生きてきたトリトラからすれば、目の前の子どもはあまりにもひ弱な生き物だ。人間という部分を差し引いても弱い。とはいえ、子どもはトリトラに害をなすどころか、見守るような穏やかな気配をしていて、トリトラはなんだか安心してぐっすり眠れそうな気すらした。


 だからほとんど警戒することもなく寝ようとしたわけだが、ふいに遠くでカシャーンと何かが割れる音がした。

 何の音だろう。さっき閉じた目を開ける。すると、修太が扉の方を見ているのが視界に映った。


「俺らの部屋の方からしたっぽいな。窓、開けっぱなしにしてたのかも。ちょっと見てくるよ」


 椅子を下りて戸口に向かおうとする修太の左手を、トリトラはほぼ無意識に掴んで止めた。


「……シークが帰ってきてからにしなよ」


 何となく、嫌な予感がした。

 少しばかり驚いたらしき修太がトリトラを振り返り、黒輝石(クローレ)みたいな双眸できょとんとトリトラを見、そして、ふっと口元に笑みを浮かべた。


「分かった。シークが戻るまでここにいるよ」


 どこかおかしそうに、笑みを含んだ声が言う。


「……うん」


 なんだろう。その、仕方ないなあという感じ。

 小さい頃、トリトラの我儘に、母がそんな感じで返していたのを思い出し、トリトラは反論したい衝動に駆られたが、どうしてそんな感じに返されたのか分からなかったので、結局、口を閉じた。



       *



(やっぱ、病気になると人恋しくなるのかね……)


 しっかり勘違いした修太は、黒狼族も人間と変わらないのだと思って、一人笑いをこらえていた。

 そのうちトリトラは眠ってしまい、修太は椅子に座ってシークの帰りを待っていた。やがてシークが帰ってきたが、階段をバタバタと駆け上がり、扉をうるさく開け、「買ってきたぞ!!」と大声で叫ぶというあまりの騒々しさに、修太はシークを廊下に引っ張りだし、とりあえず説教した。


 病人への遠慮というのを覚えやがれ、この馬鹿。


 トリトラは起きてしまうし、シークは馬鹿でうるさいし。修太は溜息を吐きつつ、シークを部屋に残して、自分の部屋の方に歩いていく。

 扉を開けてみて、目を丸くする。


「石……?」


 (こぶし)大の石が一つ、窓際に落ちていた。閉められていた窓は割れ、ガラス片が窓際のベッドの上や床に散乱している。


(悪戯か?)


 ついてきたコウが、クンクンと石やガラス片が落ちている辺りの床のにおいを嗅ぐので、修太は手で払う仕草をする。


「コウ、危ないからあっち行け」

「クウン」


 一つ返事をして、コウが後ろに下がる。そして、床にちょこんとお座りした。


「誰だよ、こんな真似する奴。はあ、このベッド、グレイのなんだよな……。掃除しとかないと。えーと、おかみさんに言って、弁償、するのか?」


 どうしたらいいか分からず、とりあえずおかみさんに相談することに決める。


「ん?」


 よく見ると、落ちている石はつるっとした石で、表面に文字が書かれている。実は間違ったやり方の手紙だったりするんだろうか。

 可能性としてはないこともない気がしたので、とりあえず拾おうと手を伸ばす。


「なー、変な音がしたってトリトラが言ってたけど、ほんとか? ――って、おい! そいつに触るな!」

「え?」


 シークがいきなり戸口から怒鳴り、その声に驚いてびくりとした拍子に指先が石に触れた。

 一瞬、石が青く光る。


「?」


 何だ? 修太は石をまじまじと見たが、光は一瞬で消えて、それだけだった。

 シークを振り返り、修太は眉を寄せる。何故か知らないが、シークが顔を両腕で覆って、何かに耐えるような仕草をしていたのだ。


「何してんの、お前」

「え? ……あれ? 何で爆発しないんだ?」

「バクハツ?」


 不穏な単語に、目を丸くする。

 シークはさも当然だと言わんばかりに、石を指差す。


「簡易設置型地雷魔具だろ、それ」

「は?」


「いや、だから、固定後に触ると爆発するやつ。誰でも使えるから、ダンジョンでモンスター向けの罠として使ったりする……」


 そう言いながら、大股に部屋を横切ってきたシークは、修太の足元にある石を見て頷く。


「うん、間違いねえ。何で発動しなかったのかは分からねえけど、お前、ついてたな。とりあえず、爆発したらこの部屋くらいは吹き飛ぶ程度の威力のやつだぜ?」

「…………」


 修太の背にだらだらと冷や汗が浮かびだす。


「い、悪戯にしてはやりすぎじゃないか?」


 何とか声を絞り出すと、シークがおかしな冗談を聞いたというように鼻で笑った。


「悪戯だぁ? どう考えても、殺す気できてんだろ、これ。投げ込み型爆晶石(ダムズ)よりはマシだけどな。爆発直後に顔が割れないで済むって点じゃ、暗殺向きかな?」


 いや、今日は良い天気だけど明日は雨かな、みたいな口調で言われても困る。


「あれ?」


 じろじろとこっちを見ていたシークが、ふいに眉を跳ね上げ、修太の顔を覗きこんできた。


「チビスケ、お前の目、黒じゃなかったっけ? 青く光ってんぞ。あ、消えた」


 指摘にびっくりして目を大きく瞬いたら、シークが消えたと言った。鏡を見る時間が無かったが、何故か魔法が発動していたらしい。ふと、それが引っかかる。


「魔具……?」


 顎に手を当てる。


「それって、魔法ってことか?」

「魔法を誰でも使えるような道具にしたものが魔具って聞くから、そうなのかもな? 俺、そういうのはよく分からねえから、知らね」


 修太も分からないので、曖昧でも構わない。でも、今度、ピアスに詳しく聞いてみよう。


「魔法だったら、俺が使える魔法で無効化出来るから、それで爆発しなかったのかもな」


 いや、爆発はしたけれど、その魔法自体が無効化されたのかもしれない。分からないが。


「そっか、なるほどな!」


 ポンと手を叩くシーク。


「で、これ、どうしよ」


 修太は石を拾って、シークに見せる。


「んー? 不発なのをどうするかって考えたこともねえな。師匠に相談して、オーケー出たら、ダンジョンにでも捨ててきてやるよ。モンスターにでもぶつけときゃいいだろ」


 わはははと笑うシーク。

 能天気過ぎて、馬鹿にしか見えない。ときどき頭が良さそうに見える瞬間があるが、やっぱり馬鹿なんだな、こいつ。修太は内心で失礼なことを再認識する。……しかし。


「俺、爆弾を投げ込まれるようなことしたっけ? うーん……」


 腕を組んで首をひねる。

 シークはきょとんと青い目を瞬く。


「何でお前宛てだと思うわけ?」

「いや、だってさぁ、啓介達がいない留守中、この部屋にいるのは俺くらいだろ?」

「ま、そうだな」

「啓介のファンに目ぇつけられる真似をした覚えはないんだけどな。でも、爆弾は流石にねえよな……」


 校舎裏に呼びだされるのは日常茶飯事だったし、上から水が降ってきたり、目を放した隙に運動靴に画鋲が入っていたりという経験ならあるが……。


「ファンだぁ?」


 シークが訳の分からないことを聞いたというように、大仰にのけぞった。修太は重々しく頷く。


「啓介は故郷じゃ人気者だったんだ。ここでもそうみたいだけどよ。そんな奴と幼馴染してるから、やっかみがこっちに来てな。たまーに嫌がらせをされたりしてな。……今回はどいつだろうな。面倒だけど潰しに行くか」


 よし、決めた。しばらく探るとしよう。


(今回はフランやピアスに矛先が向くと思ったんだけどな、こっちに来るとは)


 常に側にいる連中の方にこそ、嫉妬は向かいやすいものだ。


「潰すって……」


 頬を引きつらせるシーク。


「弱味見つけて、ちらつかせるだけだって。啓介に嫌われたくなければ、自然と手を引く」

「お前……意外に黒いのな……」

「失礼な。自己防衛だ」


 修太だって、こんなやり方、昔は知らなかった。啓介の妹・雪奈がそうしているのを見るまでは。

 真似してみたら思いの他よく効いたので、やりすぎ感のある奴にだけこうしてきただけだ。


(あんな小学生、まじ怖いんですけど)


 ほんと、有能で天才っていうのは恐ろしい。

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