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「シークに、トリトラか。……待ってたのか?」
その夜、宿のすぐ側まで来た所で、グレイは弟子二人に声をかけた。見た所、人の姿はないが、グレイは気配とにおいを感じとっていた。
それを証拠に、宿と隣家との間の小道から、弟子二人が闇から溶け出るようにして現れた。待ち伏せしていたらしい。
「ええ、まあ」
「何か協力出来ることがあったらしますよ? 師匠」
弟子二人を見つめるグレイ。
「何の話だ?」
「とぼけないで下さいよ。師匠ってば、俺らといた四年の間で、この町の名前を出すだけで機嫌が悪くなっていたでしょう? この町に、何かあるんですね?」
トリトラが青灰色の目に真剣な光をたたえ、グレイを真っ直ぐに射抜く。
「師匠が町なんかに執着しないのは知ってますから、たぶん、親父さんのことだと思うんですけどね」
後ろ頭を腕で支えるようにしながら、シークもまた、伺うようにグレイを見ていた。
グレイは通りを素早く見回し、人目がないのを確認すると、弟子二人の方に歩いていく。
「……ついてこい。ここは話をするには相応しくない」
「「はい!」」
場所を人けのない倉庫街に変え、壁にもたれかかって話す。
「確かに、お前達の考え通りだ。俺は禍根を断ちに来た。だが、お前らにそれを協力してもらう気はない」
暗闇の中、グレイの琥珀色の双眸は、暗く光った。睨まれた二人は、すくみ上がって背筋を正す。
「だから、余計な世話をやいて嗅ぎ回ったりするなよ? 約束出来ないなら、しばらく動けないようにする」
グレイは武器は持たず素手であったが、それでもシークやトリトラが二人がかりでかかってもボコボコに出来る実力がある。それを二人は知っているので、本気を悟って、ぶるると震えあがった。
「しません! 何もしません!」
「探る真似もしません!」
「「約束します!」」
青ざめて声を揃える。
ふ。グレイの薄い唇から、笑いのような吐息が漏れる。
「――分かった」
しかし、満足げなグレイに、シークは恐々と問う。
「ええと、でも、師匠。よく分からないですけど、危ない橋を渡るんなら、あのチビ達とは宿は別にした方がいいんじゃないですか?」
「ああ、俺もそれは考えたが……。今、一人になると、狙われる確率が上がりそうだからな。あいつらを利用しているようで気に入らんが、せっかくだからこの流れを維持することにした」
シークとトリトラは顔を見合わせる。
「おい。今、そんな大物相手なのかと考えたりしただろう? さっきの約束を思い出せ」
「はぐっ、すいません、師匠!」
「今のは不可抗力だと思います! でも、すみません!」
素直な二人は即座に頭を下げた。
「お前らにこの件で協力してもらう気はないが、あいつらに危険が及ばないかだけ気を付けてやっててくれ」
グレイの付け足した言葉に、弟子二人はぱあっと表情を明るくする。師匠を手伝えるのが嬉しいらしい。
「分かりました! 特に、あのチビと、銀髪の女が危険そうっすね。気を付けときます」
「あの〈白〉も少し不安ですけどね。女剣士とダークエルフは問題無いですね。あの子のことは特に気を付けますよ。子どもですし、魔法を使えても〈黒〉では身を守るには不十分でしょう」
「……よろしく頼む。報酬も出す」
グレイの言葉に、弟子二人はぶんぶんと首を振った。
「いえ! 金はいらないです!」
「代わりにまた稽古つけて下さい!」
目をキラキラさせるシークとトリトラを一瞥し、グレイは短く息を吐く。
「……分かった。暇な時にでも、稽古をつけてやる」
「やった!」
「ありがとうございます!」
どうしてそんなに稽古を付けて欲しいのか、グレイにはいまいち分からない感覚だったが、ひとまず懸念が解消されたので、あとは好きに動けると思った。
話が済んだので、宿に戻るべく歩きだす。
(花ガメの花粉さえ出てこなければどうとでもなるが……。あれに弱いことを話したことがあるからな……)
ちらりと考え、少し憂鬱になった。
本当に、あれだけはどうしても苦手だ。
*
ギルドで攻略情報や注意すべき情報が入っていないか聞いてから、ダンジョンに入る。それが賢いダンジョン攻略の方法なんだそうだ。なんでも、ダンジョン内は、日ごとにモンスターの出現数や道が少しずつ違うらしい。だから、ダンジョンから出た後、ギルドでアイテムを買い取りしてもらう時などに、口頭で情報提供を求められる。話すだけだから楽だ。百層を越えると別室で聞かれるようになるらしい。
ダンジョンに潜る冒険者のほとんどの者は、五十層より上の浅い層でアイテム稼ぎをして生計を立てているそうだが、中には、攻略に命をかけている者もいる為、一定区画より上については情報を秘匿にしているらしい。
その秘匿分の情報は、ギルドが高値で売っているとか。情報提供に関してはダンジョン探索者の義務になるらしく、怠りすぎるとダンジョンへの入場禁止という罰則がある。ギルド運営するだけの金をどこから捻出しているのかと思えば、そういうところかららしい。取得物の買い取り手数料と入場料がいるだけで、取得物に税金はかからないから、それで大金が手に入るならと非協力的な者もほとんどおらず、平和的に解決している。
(ダンジョンっていうのは、町の財産であり、国の財産っていうのが面白いよな……)
鉱山みたいな扱いなのが、異世界らしくて面白い。
(ギルド職員さんも冒険者の人達も、みんな親切で過ごしやすくていいな)
旅が終わったら、こういう所で働くのも悪くないかもしれない。
そう考える啓介は、まさかその善意が主に自分だけに集中しているのには気付いていない。
今、情報を教えてくれている受付の女性がにこにこと愛想が良いのも、ギルドに来るなり挨拶してくれる冒険者達がにこやかなのも、そんなものなんだろうと思っていた。
「なあ、君達、グレイとパーティー組んでる冒険者だって聞いたんだが……」
受付で話していると、おずおずと声をかけられた。
ひとまず受付の女性に礼を言い、受付から離れてそちらに向き直る。
「パーティーは組んでませんよ。彼なら、俺らがもう慣れただろうっていうことで、別行動になりました」
「あ、そうなのか……」
困ったように息を吐く男。三十代くらいの、ひょろりとした男だ。細い目は山吹色をしていて、肌は白い。髪が銀髪なのを見ると、セーセレティーの民なのかもしれない。冒険者にしては、町人のようなシャツとズボン姿だ。白金色の不思議な色をした細い腕輪が、質が良いだけに少しだけ浮いている。
「失礼だが、あなたは?」
フランジェスカが慇懃に問う。
「あ、すみません。僕はヨーエ・イリッツ。彼の父親と友人で……。帰ってくるなんて思わなかったから驚いて。とりあえず来てみたんですが、いないんじゃ仕方ないですね……」
聞けば、話を聞いてすぐに、仕事を奥さんに任せて出てきたのだそうだ。
「エルザも会ったって言ってたんだけどなあ……」
「エルザさんって、ここの治療師の?」
ダンジョンでこしらえた切り傷を治療してもらったことを思い出し、啓介は問う。
「そう、それ。彼女と、ザーダっていう男と、俺の三人で昔は固定パーティーを組んでいたんだ。たまにフレイとも組んでいたんだよ。グレイと顔見知りなのもそういう事情があってなんだが……」
それで会いたかったらしい。
「宿は一緒のままなので、もし良かったら言付けしておきましょうか?」
啓介が善意から問うと、何故かヨーエは慌てた調子で断った。
「あ、いや。いいんだ。見かけたら声をかけることにするよ。今からダンジョンに行くんだろう? それだと悪いから」
「いえ、待機組がいるんで。ほら、あそこで手紙の代筆をしてる奴です。伝言があるならあいつに言って下さい」
啓介が指差した先では、修太が冒険者の女性とテーブルを挟んで座り、手紙を書いていた。その足元にはコウが寝そべっている。満足げに寝そべって、ときどき耳をピクつかせている。一度、修太を残してコウをダンジョンに連れていったが、帰りたがってそわそわしていたので、連れていかないことにしたのだ。幾ら犬姿をとっているモンスターといえど、側にいる者がそうだとこっちも落ち着かないので。
「えーと、どっち? あの女性?」
「いえ、その隣りのテーブルの、黒フードの方」
「ああ、分かった。じゃあ、もし伝言する時は頼むことにするよ。ありがとう。……では、どたばたして申し訳ないけど、もう帰るよ。急ぎの用事を思い出したから」
「あ、はい……」
慌ただしく帰っていくヨーエの後姿を見送りつつ、啓介は忙しい人だと首を僅かに傾ける。そして、こちらが名乗り忘れているのを思い出し、少しバツが悪くなった。自己紹介はコミュニケーションの基本だ。
自分の不作法さに少し落ち込みつつ、用事も済んだのでダンジョンに向かう。
「じゃあ、がんばろっか」
「ああ」
「うん! いい素材が仕入れられるといいなあ」
「我はお弁当とやらが楽しみだ」
口々に言い合いながら、ギルドを出る。
今回は三泊してくる予定だ。フランジェスカはサーシャリオンが側にいれば、とりあえず闇堕ちの危険はないようだからと踏んでのことだ。修太を残していくのは不安だが、コウもいるし、どうにかなるだろう。
どこまで潜れるか楽しみである。