第十三話 真実は白日の下に 1
ダンジョンへの入口からほど近い、町の奥まった場所にそこはあった。
四角に切られた白い石が、乾いた大地に幾つも並び、石のところどころに苔やカビが生え、蔦が絡みついている。
共同墓地であるにしては手入れが雑であったが、熱帯雨林が多いこの地方では、手入れをしてもすぐに草が生えてくるから、自然とこんな状況になってしまう。
グレイはそのうちの一つの墓の前に来ると、手にしていた酒瓶のコルク栓を開け、中身を墓に振りかける。琥珀色の酒が白い石を濡らし、暑さですぐに干上がった。草いきれと酒のにおいがむっと立ち昇る。
――偉大なる冒険者の一人、フレイニール・コルビッツ、ここに安らかに眠る。精霊の祝福があらんことを。
苔むした石には、セーセレティー精霊国での弔いの言葉が刻まれているのを、文字に明るくないグレイも知っていた。葬式の時に周囲の人間に教えてもらったのだ。
レステファルテ人であるフレイニールにしてみれば、残念がりそうな文句であるが、それでいてセーセレティー精霊国の方がうまが合うとよくぼやいていたのを思い出すと、これはこれで良いのかもしれないとも思う。
黒狼族として育ったグレイには、墓参りをするという考え自体が不思議なものであったが、人間はそうするのだと父親たるフレイニールが言っていたのを思い出して、何となく足が向いたのだった。
黒狼族は、死者は荒野に埋めて、ただそれだけだ。死者は大地にかえり、自然の中にその魂が宿るから常に側にいるのと変わりはなく、その為に悲しむ必要はないとされていた。
こんな石ころの下に、父親の死体が埋まっている。ただの墓標だ。やはり死体が埋まっているその場所を拝むのがよく分からない。
けれど、なんとなくそこに在りし日の彼がいるような気がして、無意識に言葉を紡いでいた。
「――決着をつけにきた。十四年も待たせて悪かったな。……親父」
見たくなくて、目を反らしていた。信じていたものを粉々にされて、その粉々にした相手を見たくなかった。
グレイは逃げたのだ。見たくなかった暗闇から。
煙草に火をつけ、青空の下で煙を吐く。
心は異様な程に凪いでいた。
いつか戻るつもりだった。それに向き合い、正面から戦う為に。
そのいつかが、ついに来たのだ。
もう、あの頃のような右も左も分からぬ子どもではない。
戦う力も身に着けた。
「真実を、白日の下に」
グレイはぽつりと呟いて、来た時と同じように、静かにその場を立ち去った。
煙草から出る煙が、青い空に白い線を引き、やがて揺らいで消えた。
*
「レクシオンさん、書き方、これでいい?」
便箋を冒険者ギルド職員であるレクシオンに見せると、レクシオンは頷いた。
「うん、その書き方でいいよ。その調子でね。分からなくなったらまた訊いて」
「はい。ありがとう」
修太は礼を言い、前の席に座っている男を見上げる。
「オーケー貰えたから、封をしますね。他に書きたいことや入れたい物はありませんか?」
「いや、無いよ。それで宜しく」
「はい。あ、こっちに住所を書くんで、先に教えて貰っていいですか?」
「ああ、送り先は――……」
他のメンバーが迷宮に潜っている間、修太は冒険者ギルドで手紙代筆のバイトをしていた。宿にいるより人の目がある分、安全だからと、特に反対もなく、つつがなくバイトしている。
どうしてバイトしているかって? 暇だからに決まってる。
一通り仕事を済ませると、代筆希望の男は感心気味に笑った。
「小さいのに賢いね、君」
小さいという言葉に怒るべきか、そんなことないですよと謙遜するべきか一瞬悩み、結局修太は
「どうも」
とぼそりと呟いて会釈した。
ともかくとして仕事は終わったので、レクシオンの姿を探して声をかける。
「こっちの仕事、終わりました」
「ありがとう、助かるよ。今日はもう代筆希望者いないから、帰ってもいいよ。仲間を待ってるならそうしててもいいし、また書庫に行く?」
「いえ。今日はゼフ爺ちゃんと約束あるから、そっちに行きます」
修太が、ギルド職員でもある薬草園の管理人の名を口に出すと、レクシオンは僅かに目を瞠った。
「え? ゼフさんと仲良いの?」
「書庫に行く途中で挨拶したら、話しかけられて。そのまま夕方まで話してたんだ。面白い人だよ」
「……すごいな。ゼフさん、話長いから苦手なんだよね」
「そう?」
老人の話なら喜んで付き合う修太は、長話について迷惑に思ったことはない。首を傾げる。
「今日は薬草の手入れを手伝うことになってるから。もう行くよ」
「おう。頑張ってな」
レクシオンの応援を背に聞きながら、修太はギルドの本舎を出て、庭に出ると、薬草園の方へと駆けていった。白い髪と白い髭をした、優しい青の目をした老人を探しに。
そして、その帰り、本舎に戻る修太をゼフが見送りについてきて、一緒に本舎に入ったところで、修太は大剣を背負った中年の男が、受付で興奮気味に話しているのを見つけた。
「グレイが戻ってきたって、本当か!?」
思いがけず、旅の仲間の名前が出て、修太は驚いた。
こげ茶色の髪を後ろで一つに束ねた、無精ひげが目立つ男だ。茶色い目をしているのを見ると、ノン・カラーのようである。
「坊」
ゼフ爺さんに声をかけられ、ハッと意識を引き戻す。
「ここまででいいな? 明日も来るか?」
「明日は来ないよ。仲間は、三日潜って一日休むらしいんだ」
「ペース配分が出来ているのは実に賢いな。じゃあ明後日来るか?」
「来るよ。手伝う」
「ありがとよ。年寄りにはしんどい仕事もあるからな。うちの者が、菓子を焼いてくれるらしいから、昼は薬草園に来いよ」
「まじで! ありがと、ゼフ爺ちゃん! リファカさんにも宜しく言っといて」
修太にとっては暇つぶしなので少し気が引けないこともないが、菓子と聞いてはテンションも上がるというものである。
「ふぉふぉ。任せておけ」
ゼフはフードの上から修太の頭をぐしゃぐしゃに掻き回すと、ゆったりした足取りで薬草園の方に戻っていった。かくしゃくとした老人だが、動作はのんびりしている人だ。結構気難しい人らしいので、修太が仲良くしているのをギルドの職員にはよく驚かれる。
やっぱり老人というのはいいもんだと修太は感動をこめてゼフの後姿を見送る。小さい頃にはすでに祖父母は他界していていなかったので、祖父母というものに憧れがあって仕方が無い。
待合室のようなスペースに行き、空いているテーブルを探してきょろきょろしていると、周りで話し合いをしている冒険者の中で、ここ最近で顔見知りになった人と目が合った。
「よっ、少年! 今日も暇そうだね!」
赤い髪に緑のバンドをした十八くらいの少女が、片手を挙げて挨拶した。緑色の目は翡翠みたいに明るい。ヒルダという名で、〈緑〉の弓士だ。
その向かい側で、ヒルダのパートナーであり恋人でもあるエア青年が穏やかな笑みを浮かべた。金髪青目の治療師兼剣士だ。一応、治療師の方が本業らしいが、剣士として引っ張り回されているという隠れ苦労人だ。二十代くらいに見える、なかなか格好良い顔をしているのに、何故かいつも分厚いゴーグルをしていた。周りの噂によれば、ヒルダの暴虐的な風の魔法から目を守る為という話があるが、本当かは知らない。
「まあ確かに暇だけどさ……」
口の中でぼやきつつ、聞きたいことがあったので、ヒルダの方へ歩いていく。
「なぁヒルダさん、あの受付の人って誰?」
「受付~? ありゃレクシオン君じゃないの。受付で一番不人気青年。受付嬢の方が癒されるからって避けられる不幸な青年」
散々な評価をされているらしきことは分かった。どんまい、レクシオンさん。
「いや、そっちじゃなくて、お客さんの方……」
エアがヒルダに代わって答える。
「あの人、ザーダさんだよ。ここじゃ古株の冒険者で、まあ顔役みたいなもんかな? ギルドと揉め事あると、仲裁に来てくれたりする、顔の広い人だよ」
「へえ……」
ザーダ。確か、前に雑貨屋の店主が話していた名前だ。
「どったの、少年。何か気になることでもあった?」
「いや。グレイの名前を出してたから、知り合いなのかと思ってさ」
「ああ、なーる。そういやあんた、賊狩りの旦那に護衛されてる規格外だったわね」
「……規格外?」
初耳だ。フードの下で、目を丸くする。
「そ。だって賊狩りグレイって言ったら、盗賊しか相手にしない冒険者で有名だもんよ。そんな奴がよ、なんでかあんたみたいな子どものこと認めてて、護衛までしてるっていうんだから驚きじゃないの」
「弟子がいるのも驚いたけどねえ。パーティー登録はしてないとはいえ、ソロでいるので有名だから、団体行動してる時点で充分に驚きだよね」
エアがしみじみと頷いた。
修太はふとグレイの言動を思い出す。
「ああ、そういや護衛は苦手だって言ってたな……」
「へえ! 苦手なもんもあるのね!」
「はは。ヒルダだって護衛は苦手だろ? 雇い主の上から目線がムカつくから無理だって、よく言ってたじゃないか」
「子どもの護衛だって苦手よ。目を放すとちょろちょろするし、我が侭だし、すぐに泣くじゃない。その点、この落ち着いた少年を見なよ。すごく護衛しやすそうよね」
これは褒められてるんだろうか。それとも子どもらしくなさを言及されてるんだろうか。よく分からん。
ヒルダから視線を外し、受付の方を見ると、ザーダは話を聞き終え、待つ為かこちらのテーブルにやって来て、空いている席に座った。
「教えてあげたんだから、少年も何かお得な広告あったらお姉さんに教えてちょうだい」
キランと目を光らせ、ヒルダが言う。
「私はまた文字を教えて欲しいな。さぁさぁ、こっちおいで」
エアがにこやかに隣の席を示す。
もしかして、聞いた相手が間違っていたのだろうか。
修太は少しげんなりし、ヒルダの頼み通り広告を見て、得になりそうな情報を教え、エアとは、エアが勉強に使っている絵本の解読を一緒にした。
絵本があったら教えやすいんだけどと言ったら、速攻買ってきたのだから驚いた。暇つぶしで文字を教えてくれるような物好きは滅多といないので、この機に習得するつもりなんだそうだ。
とても飲み込みの早い、良い生徒である。
ヒルダはエア任せだが、自分の名前を書けるようになると、そのことを大いに喜んでいた。
余談だが、医師や薬師は文字を読めないと仕事にならないが、治療師は魔法で傷を癒すので、文字を読めなくても仕事になるんだとか。医療関係にも色々あるらしい。
*
啓介達が帰ってくると、ギルド内が色めきたった。
ギルドの女性職員や女性冒険者の色めいた視線が啓介や青年姿のサーシャリオンに向けられ、若手の男性冒険者などは友好的に挨拶をする。
代わりに、フランジェスカとピアスには、女性からは嫉妬めいた視線が向けられた。グレイは怖がられているのか誰もガンつけたりしない。
ええ、いつもの人たらしの才能を発揮して、セーセレティーでは不細工扱いのはずなのに格好良いと言われているんですね、うちの幼馴染殿。
ただ挨拶してるだけで女性職員が頬を赤らめ、迷宮内でピンチに陥っていた冒険者を率先して助けていたせいで、女性冒険者に将来有望の眼差しを向けられ、男性冒険者には是非ともパーティーを組みたい相手に昇格したらしい。というのが、この状況にげっそり来て、思わずフランジェスカに訊いた時の回答だった。
「ワフワフッ」
出入り口から弾丸のように駆けてきたコウが、修太の元にやって来て、足元に纏わりついてきた。ぶんぶん尻尾を振り、何やらくわえていたものを修太の膝に落とす。ピンク色の石――ローズクォーツという天然石に見える。親指大だ。
ギルドにいる間は邪魔なので、コウには啓介達についていくように言っていたのだ。サーシャリオンが側にいるから、闇堕ちさえしていなければ、威圧感で目が冴えるだろうと踏んでのことだ。
「あら、結構大きい媒介石じゃないの」
身を乗り出したヒルダが、目を丸くして言った。
修太の膝に手をかけたコウは、ぶんぶん尻尾を振っている。褒めて褒めてと言ってるみたいだ。
「はいはい。偉い偉い」
仕方ないので、頭をわしわし撫でてやると、ようやく落ち着きを取り戻し、足元に寝そべった。
「はー、ほんとによく懐いてるね、この犬」
「ほんとだよな。何かしたわけでもないのに、これだよ」
土産を持ってくるとか、どんだけ賢いんだよ。
修太は感心を混ぜた呆れの目で、足元のコウを見る。まあ、モンスターなんだけどさ、こいつ。
「グレイ!」
お。ザーダが動いた。
修太は成り行きを見守るべく、視線をグレイに向けた。
ザーダは身長こそ百七十センチ無いくらいの低めではあったが、がたいは良かった。がっしりした肩幅をしていて、丸太みたいな筋肉のついた腕をしてる。見て一目で分かる重量級だ。
そんな巨体をどしどしいわせ、グレイに近づく。
気のせいか、一瞬、グレイの眉が不愉快そうに寄った気がした。ほとんど表情が読めない男が、不愉快そうにしているのが一目で分かるくらいの感情を表わすのは初めて見た。
「生きてたか、良かった! 十四年ぶりか? 久しぶりだな! ますますフレイニールに似てきやがって。はは、表情以外だけどな!」
「……ああ、久しぶりだ」
グレイの薄っぺらい声が、静かに返した。その声を聞いた瞬間、遠く離れて聞いているはずの修太の背筋がゾクッとした。あまりにも感情がこもっていなかったのだ。
しかしザーダという男は違和感には気付かなかったのか、笑顔でまくしたてる。
「お前、あの後、いきなり町を出ていっちまうからさ。心配したんだぜ? すぐ帰ってくると思って、商店のあちこちについ声をかけてまわってたくらいだ」
「……十四年も続けてたそうだな。普通は諦めないか?」
やはり、どこか不機嫌そうな声だ。
「ダチのガキのことだぜ? 簡単に諦められっかよ」
がははと歯を見せて笑うザーダは、はたから見るととても面倒見の良い、良い人のように見える。
だが、どうもグレイの機嫌は徐々に低下しているようだ。
威圧感が普段の五倍くらいありそうで、側に行くのも嫌な感じだ。怖い。
何であのザーダという男は気付かないんだろう。
「どうだ? 久しぶりに会ったんだ。酒でもよ。ヨーエやエルザにも声かけてくるぜ?」
「――いや、断る。疲れていてな、そんな気分ではない」
ばっさりすっぱり断るグレイ。
ザーダは残念そうに肩を下げる。
「そうか。まあ、何かあれば声かけてくれよ。じゃあ、俺はお暇するわ」
「……ああ」
あまりしつこくしても嫌われるだけだと思ったのか、ザーダはあっさり身を引いて、ギルドを出て行った。
(疲れた? 疲れたって言ったか、今。嘘だろ、嘘。分かりやすっ)
未だかつて、グレイが疲れたなどと口にしたのを聞いたことはない。戦慄を覚えていると、ヒルダが上体をかがめ、口元に手を当てて密やかに声をかけてきた。
「ねえ、ちょっと少年」
「なに?」
「あれ、絶対嘘よね? しかもなんかすんごい怒ってたような気がするんだけど……」
「ザーダさん、全然気付いてなかったけどね」
エアも声を潜めて言う。
「いや、嘘だろ。それに怒ってるだろ、どう聞いても」
「変なの。フレイニールさんと親しくしてた友人のはずだけどね、ザーダさん。父親の友人には、もっと親しくするもんじゃないのかな?」
「俺に聞かれても困るんだけど……」
修太は眉尻を下げ、困ったような声で返す。
三人は困惑いっぱいに顔を見合わせ、即座に深く関わるのはやめておこうと意見が合致した。興味本位で首を突っ込んだら、火傷を負うどころか細切れにされそうな気がしたので。