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結局、シークとトリトラは宿を移してきた。
「ほんとに来たのか、お前ら」
夕飯時に食堂で会ったものだから、驚いてそう言うと、トリトラは食事しながら幸せそうに言った。
「ここの料理がおいしかったからさ~」
「ありがとね、お客さん。うちの人も喜ぶわ」
給仕をしていたヘレンは、それを聞いて嬉しそうに笑う。料理人は旦那さんらしい。
四人がけの机にトリトラとシークが対面して座っているのを見て、修太は二人から一番離れた席に座った。やっと静かに食べられそうだ。
しばらくして、ヘレンが今日の分の夕飯を運んできてくれたので、礼を言って食べ始める。
カレー粉の味がする、炒めた鶏肉だ。美味い。付け合せの葱がまた味を引き立てている。
おいしさをかみ締めて夢中で食べていると、ふいにガタンという音がした。目の前を見ると、トリトラが前の席に座ってにこりと笑った。
「ひどいなあ。普通、ああいう場面だと一緒に食べるもんじゃない? どうしてわざわざ一番遠い席に座るかなあ」
「何で?」
「何でって……」
「俺はお前らの友達じゃねえけど」
「…………」
うっというように言葉を詰まらせるトリトラ。
「食事の時くらい静かに食べたい。うるさいのは迷惑だ」
きついことを言っている自覚はあるが、うるさいのは嫌なのだ。
また視線を食事に戻し、黙々と食事を再開すると、またガタンと音がした。トリトラの隣にシークが座っている。シークは大げさに肩をすくめてみせた。
「可愛くねえガキ。こんなん相手にするだけ無駄だってトリトラ」
「俺もそう思う。つか、そう思うんならお前も俺に関わらないでくれるか」
一番うるさくてうざったいのはシークなのだ。じと目で言う。
「ほんと可愛くねー!」
「えー? とりあえずシークよりはずっと可愛いと思うけど」
「うっせえよ、トリトラ! 可愛いって思われても嬉しくねえけどな!」
うん。修太も同じ意見だ。
「食事終わったんなら、部屋に戻れば。ここ、風呂もあるから、風呂にも入ってくればいい」
「ちょっとはお喋りしようよ」
トリトラがめげずに催促する。
「食事中」
ぴしゃりと返す。
「嫌われちゃったね……。大部分がシークのせいな気がする」
「別にいいだろ、俺は気にくわねえもんよ」
また人の目の前で悪口を言ってる。
面倒くさい。
修太はもぐもぐ野菜を食べ、スープを飲み干すと、手を合わせて「ごちそうさまでした」と呟いてから、席を立つ。
「ヘレンさん、おいしかったです」
「ありがと! いつも残さず食べてくれて嬉しいわ。いい子ね!」
ヘレンはにこっとふくよかな笑みを浮かべ、テーブルの上を片付けていく。それを横目に、自分の部屋に帰ろうと階段を上る。
「ねえ、ちょっとくらい親交を深めようよ! ほら、お酒あるよ!」
すかさず追ってきたトリトラがどこからか酒瓶を取り出して見せた。
「俺、酒は飲まないから」
きっぱり返し、自室の鍵を開ける。そもそも子どもというなら、子どもに酒をすすめるなっつーの。ドアを閉めようとしたところで、途中でドアが止まる。
くっ。ぴくりともしない。
しかも隙間に足を入れられて、閉めるのを防がれた。性質の悪い訪問販売か、てめえっ。
「何なんだ、もう! 鬱陶しい!」
「師匠が“認めてる”人間なんて珍しいから、興味津々なんだよっ」
ドアノブを押す修太と、片手で止めているトリトラ。後ろでシークが呆れている。
「トリトラ、あんまやりすぎると犯罪だ」
「全然話聞いてくれないんだもん、つまんないよ」
あーもう。訳わかんねえ、黒狼族。
なんでこんなに気に入られてるんだ?
扉を押し返しながら、修太はちらっとコウを見た。
(狼に気に入られる要素でもあんのか、俺は……)
謎すぎる。
「グルルルル」
修太が困っているのを見て、すっ飛んできたコウが、トリトラに歯を見せてうなりだす。
急に色々と面倒になった修太は、コウを止め、扉を押さえる手を緩める。
「お前、俺らに何もしないか? 海賊とか奴隷商人の所に連れてったりとか」
「するわけないでしょ、何言ってんの!」
華奢とはいえトリトラは百七十センチ越えくらいの身長だ。百三十センチかそこらしか身長がない修太は、自然、見上げる形になる。
そうして見上げた先で、トリトラはぎょっと狼狽した様子を見せた。
うるさいし迷惑だけど、扉の前で粘られる方が迷惑だ。近所迷惑もいいところである。
「言っておくけどね、同胞を金で売ったりするような馬鹿な真似するのは、人間くらいだよ。黒狼族や灰狼族、エルフやドワーフだってそんな真似はしないんだから」
そして、なんだか泣きそうな目をして修太を見下ろした。
「あー、もう、なんだろ。君、人間を……、いや、他人を信じてないんだね?」
そんなの、エレイスガイアで色んな厄介事に遭いだしてからだ。他人が油断ならないことと、自分が〈黒〉として特異な存在であることを理解しているからだ。
「……別に」
ぽつりと答える。
別に、信じてないわけじゃない。
啓介のことは信じているし、サーシャリオンのことも信用出来ると思っている。モンスターは誰も修太を傷つけようとしないのも知っているし、フランジェスカは嫌いだけど信用はしてる。ピアスは啓介が惚れてるから信用してるし、グレイは助けてくれたから気を許してるところがある。信用しているのかは今一分からない。
「よく考えれば、お前らってグレイの弟子なんだもんな。うるさくて迷惑だけど、悪い奴じゃねえか」
ぼそりと呟いて、扉を開けた。
「適当に座れば」
そして、すたすたと部屋の奥に行く。
三人分の椅子が置いてある、丸テーブルに行き、座る。苦労して火打ち石でランプに火を点け、裁縫の続きをすることにした。
「……お邪魔します」
トリトラは律儀に言い、シークは遠慮なくずかずかと入ってきた。扉を閉める。
「ここって部屋の間取りが広いよな。俺らの二人部屋も広かったぜ? 値段にしちゃいい宿だ」
「食事もおいしいしね」
部屋を見て感想を呟くシークと、にこやかに付け足すトリトラ。
修太のいるテーブルにやって来て座り、勝手に酒の用意をし始めた。修太は媒介石で作った魔力混合水をグラスに注ぐ。
修太が必死に型紙から起こして作っているトランクスを見て、トリトラは変な顔をした。
「それ、何作ってるの? 短パン?」
「トランクスっていう下着。俺の故郷のやつ。こっちにないから仕方なく作ろうと頑張ってるとこ」
ところどころ縫い目がおかしいのを見て、トリトラはますます呆れ顔になる。
「なんていうか、前衛的な縫い方だね?」
「下手って言えよ。うるせえな」
自分でも下手だと思っている。
ゴムは売ってなかったから、紐を入れるつもりだ。大丈夫、小学生の時に、ナップザックやエプロンを作る家庭科実習があったんだ。あれと同じことをすればいいだけだ。あれはミシンで手縫いではなかったが、同じ縫い方をすればいいだけのはずだ。
「ねえねえ、自分の部屋なのにやっぱりフード外さないの?」
期待たっぷりに見てくるトリトラ。
「男の顔なんか見ても面白くねえだろ」
「君かどうかはにおいで分かるけど、ほら、目を見て話す方が気楽じゃん?」
そういや昼間もそんなこと言ってたな。
一つ溜息を吐き、フードを外す。
「これでいいのか?」
やけっぱちな気分で問うと、シークとトリトラの両方が息を呑んだ。
「す、すごい……。こんな真っ黒な目の〈黒〉、初めて会った」
トリトラが唖然と呟き、シークが首をひねる。
「なんだっけ、漆黒? 弱い上に子どもで漆黒の〈黒〉じゃ、そりゃ護衛いるわな」
急に何もかも納得したらしい。気に食わんという敵意オーラがシークから消えた。
「そりゃ他人を信用出来ないよね! うわ、ごめんね。無理に聞き出したみたいで……」
あちゃあというように額に手を当てるトリトラ。
「別に。俺が〈黒〉なのはあんたのせいじゃねえし。これはこれで別に良いんだけど、魔力欠乏症でな、すぐに体調を崩すんだ。そっちの方が面倒」
「魔力欠乏症って何だ?」
シークが問うので、軽く説明する。
「魔力が足りなくなって調子崩したりする体質的欠陥の病名、らしい。魔力混合水を飲んでないと、気分悪くなるし、魔法を使えば数日寝込む羽目になる。面倒だろ?」
「そんなのあるんだね。僕ら、魔法は使えないから知らないや」
トリトラはあっけらかんと言う。
黒狼族の男は、カラーズと成り得る色の目を持って生まれても、絶対に魔法を使えないのだと、そういえば前にグレイが言っていた。黒狼族の女は使えるのだというから不思議な話だ。
「カラーズなら知っていて常識だってエルフの医者が言ってたけど、知らない奴の方が多いみたいだな。まあ、話だと〈黒〉がなりやすい病気らしい」
「大変だね、〈黒〉って……。パスリル王国じゃ迫害されるし、白教の色改めの連中に捕まったら処刑対象にされちゃうし。いや、ほんと白教徒は怖いよ。僕、一回捕まってさぁ。命からがら逃げ出したけど、ほんとギリギリだった」
予想外の言葉に、修太はまじまじとトリトラを見る。
「俺も一回とっ捕まって、モンスターの餌にされかけたけど、逆に味方につけて難を回避したな」
そいつは今、足元で丸まっている犬なのであるが。
「僕はあれだよ、ナイフ投げの的にされて死ぬ運命だったらしいけど、枷をぶっ壊して、檻もぶち破って逃げてきたんだ。しかも毒塗りナイフらしくってさぁ。えげつないよね」
そんな穏やかな笑みを交えて言う内容じゃないと思う。修太は白教徒の遣り口の酷さにびびりつつ、同時に、笑い話で片付けているトリトラの神経の図太さに戦慄した。
「たまーにこの町にも出没するから気を付けてね。たいていは門前払いなんだけど、忍び込む奴もいるからさ。ダンジョン内だと、モンスターのせいに出来るからもっと危険なんだ」
「中入ったら、自己責任だもんな。ま、モンスター以外の殺害や窃盗は、ばれたらギルドから罰がいくけど」
「そうなのか?」
「そ。だから、パーティーを組む時は信用ある人としか組まないんだ。どうしてもいないなら、ソロの方がよっぽど安全ってこと」
「結構殺伐としてんのな」
「そうでもないよ? 幾ら倒してもモンスターは湧いてくるし、何故かある宝箱の中身も、時間を置くと復活していたりするしね。よっぽどのレアアイテムでもない限り、また来ればいいっていう発想になるから。でも、パーティーメンバーで、例えば僕らだと白教徒とうっかり組んでみたりしなよ、命狙われる羽目になるだろ? そういうのは慎重にしなきゃ拙いでしょ」
確かにその通りだ。
そこまで言ってから、トリトラはとても不思議そうな顔をした。
「ねえねえ、君ってどこの出身なの? セーセレティーの民やミストレイン王国のエルフなんかは、黒狼族を蔑視しないけど、君も全然差別感持ってないでしょ? でも髪の色とかはレステファルテの民に似てるしなあ……」
「どっか遠いとこだよ。東の方。島国の出身」
嘘は言ってない。ここの世界の話ではないだけだ。
ちょっとだけ眉が寄るトリトラ。
「島国なんて、東の方にあったかな? まあいいや。訊かれたくないってことは分かった」
「…………」
修太はふいと目を反らし、針を持つ手に視線を据える。
嘘が分かるのといい、どうもやりにくい相手だ。
「初対面の奴の事情を、あんま根掘り葉掘り訊くのはいかがなもんかと思うけど」
ぼそっと牽制の言葉を突きつける。どうも人懐こすぎて気付くとうっかり内情を話してしまうが、それは互いにとって良い事ではないだろう。
とはいえ、どこから来たの? という話題は、会話のきっかけとしては妥当な線だ。出身地の話なら誰だって盛り上がれるから。
そして、ふと幼馴染を思い浮かべる。
(そろそろ二週間になるってのに、まだ油売ってんのか?)
修太の代わりにこいつらと遊んで欲しい。正直、疲れる。
その後は、お酒が入ってテンションが高くなった二人に、しきりに故郷や師匠の自慢話や、ダンジョンの話をされ、延々と付き合わされた。
朝まで話に付き合わせて、元気ピンピンで自室に戻っていった二人を見て、まじで半端ないぜこいつらと、体力の違いをむざむざと突きつけられた。すっかりくたびれ果て、昼まで寝てしまった。生活のリズムが早起き早寝の健康志向な修太にしては、かなり珍しい日になった。
*
「――酒臭い」
扉を開けるなり、フランジェスカは盛大にしかめ面をした。
フランジェスカとグレイは、夕方ではなく昼頃に帰ってきた。
寝ぼけ眼で目をこすりつつ、修太はあくびする。
「……俺は飲んでない。シークとトリトラに付き合わされて、朝まで話聞いてただけ。……眠いから寝る」
眠さのあまり、やや拙い話し方になりつつ、修太はふらふらとベッドに戻ろうとする。
「あいつら……。とっ捕まえて、説教せねば」
グレイが低くうなるように言うのに、足を止める。おおっと、鬼が降臨されたぞっと。
「そんな怒らなくていいよ。お陰で、この辺の常識とか聞けたし。……とりあえず寝る」
「待たんか」
白い麻の長袖とズボンという寝巻姿の、後ろ襟をフランジェスカが引っ掴む。ぐえっと声を漏らす。息が詰まる。
「ケイ殿達と再会した。部屋を変えるから、荷物を纏めろ。それから、いい加減に起きろ。もう日は頭上高いぞ」
「そうなのか?」
寝起きは良い方だが、今日は寝不足なせいで、目が今にも閉じそうになっている。腹は空いたが、食欲より睡眠欲を優先したかった。ちらりと窓を見ると、確かに日射しがさんさんと降り注いでいるし、締め切った部屋はむっとする程暑い。
「こんな部屋で寝ている方が体調を崩す。せめて窓くらい開けないか」
「ふああ」
「聞いているのか、クソガキ」
フランジェスカの怒声が低く響く。
「聞こえてるよ……。着替えて部屋を移動すればいいんだろ? でも男女別にしてもここの部屋でいいじゃん」
「わざわざ隣り部屋にしてくれたんだ。まあ、確かに、長い滞在になるから男女別にはなったがな」
「ほっか……」
またあくびをし、修太はふらふらとベッドまで行くと、上掛けの上に適当に置いていた服をその場で着替え出す。ピアスならともかく、フランジェスカの前なのと、眠たさから遠慮がない。
着替えるや、荷物を旅人の指輪に放り込む。すぐに移動の準備は出来た。
「珍しい! シュウが昼間に眠そうにしてるって。俺、初めて見たかも」
久しぶりに再会した幼馴染は、黙々と昼食を摂る修太の前で、目を瞠った。珍しい珍しいと、ぼんやりしている修太の額を指でつんつん突いてくるので、流石にイラッときて、手をはたき落とす。
「うざい」
啓介は両手をホールドアップした。
「調子に乗りました。すみません!」
ふん。修太は鼻を鳴らし、また食事を口に運ぶ。食事しながらだんだん目が覚めてきたような気がする。
「グレイの弟子で、シーク君とトリトラ君だっけ? いいな、俺も会ってみたい!」
「会えば。グレイの説教が終わった後にでも」
部屋を移した後、弟子二人の所に歩いていっていたから、怒られているはずだ。別にいいと言ったのだが、しつけの一環だと言われれば、修太もそれ以上は言えなかった。
「眠そうにしてると外見の歳相応に見えるわよ、シューター君」
ピアスが相変わらずの眩しい笑顔で、楽しそうに言った。
「…………」
無言を返すと、面白くなさそうに肩をすくめる。
「ほんとに眠いのね」
「それでも食事だけはしっかり食べておるところが、シューターらしいの」
修太の隣りに座ったダークエルフの青年姿のサーシャリオンは、ふふっと口元を引き上げた。
四人掛けのテーブルばかりなので、隣りのテーブルにフランジェスカが一人で座っている。
そこに、遅れてやって来たグレイが向かい側に腰を下ろした。反省しているらしき二人の黒狼族の少年もまた、空いている席に座った。フランジェスカの眉が一瞬ぴくりと動いたが、特に文句は言わない。
「シューター、迷惑ならこいつらを部屋に入れなくて良かったんだ」
グレイがぼそりと言った。
「ああ、うん。性質の悪い訪問販売みたいに、ドア閉める前に足で止められたりしたし、面倒臭くなっただけ……」
グレイを振り返りつつ、眠気からぼそぼそと返す。トリトラの顔から血の気が引くが、眠い修太は失言に気付かない。
「ほお。どっちだ?」
「トリトラの方だけど?」
「説教追加だ、トリトラ」
「うわああ、すみませんでした、師匠! もうしませんから!」
「聞かん。賢く見えてそそっかしいからな、お前は」
ぴしゃりと返すグレイ。トリトラは絶望したようにテーブルに突っ伏す。
おお。性質をきちんと理解しているようだ。
「貴様、面倒だからとそれをいつもするんじゃないぞ」
フランジェスカが小言を言うので、修太はぼーっとフランジェスカの後ろ頭を見て、首をひねる。
「いつもするわけねえだろ。そいつら、うるさくて迷惑だけど、グレイの弟子だから悪い奴じゃねえと思っただけだし」
何を不思議なことを言うんだ、こいつ。というように、さも当然と返す修太。
「……ふん」
何でかグレイが小さく鼻を鳴らし、視線を反らした。
「?」
よく分からないが、話が終わったようなので、自分のテーブルを向いて食事を再開する。
「……なに」
視線が気になって顔を上げると、啓介とピアスが微笑ましいものを見る目を修太に向けていた。
ピアスがにまにまして言う。
「いやぁ、やっぱ良い人だね。シューター君」
「? 良い人ってのは、ケイやピアスのことだろ。俺はそういうんじゃねえ」
おかしなことを笑顔で言う。少し心配になった。
「なに、そんなにアリッジャの方は大変だったわけ?」
おかしなことを言い出すくらい大変だったのかと思って問う。
「うーん。なんか気にくわないっていうか、失礼っていうか……」
「まあまあピアス、落ち着いて」
急にむくれだしたピアスは、いつものように可愛らしく見えるが、いったいどうしたことだろう。
とりあえず食事したら寝よう。修太はうとうとしながら、寝ることしか考えていなかった。