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「…………」
じぃぃぃぃ。
「…………」
もぐもぐもぐ。
「…………」
じぃぃぃぃぃぃぃっ。
(なんなんだ、こいつ。うっざ。どっか消えろっつーの)
何やら修太を目の敵にし始めたシークは、食事を修太達のいる宿の食堂で摂り始め、食事のたびに修太を睨みつけながら食べるようになった。
気にしないフリは得意であるが、三日目には大好きな食事の時間が憂鬱になり、修太はだんだん食欲を失くし始めていた。
修太とコウは宿で留守番している間、フランジェスカやグレイが下見を兼ねて昼間だけダンジョンに潜るようになった。フランジェスカは夜になるとポイズンキャットになってしまうから、夕方には戻ってくる。
が、今日は満月なので、ダンジョン内で一泊し、明日の夕方に戻ってくることになっていた。
つまり、この馬鹿を追い払える奴がいない。
修太はいつものようにフードを目深に被って目を隠し、もそもそと食堂で食事をし、部屋に引っ込むつもりでいた。自分の手持ちの下着を元に、慣れない裁縫をしているのだ。トランクス作りに燃えているわけである。
「あ、いた! 探したよ、シーク。って、何やってんの。年下の子どもにガンたれて。大人げないなあ」
食堂に入ってきた黒狼族の少年が、シークを見つけて声をかけ、異様な状況に目を丸くした。
猫っ毛の短い灰色の髪と、くりくりしたブルーグレーの目が印象的な、女みたいな顔の少年だ。白い肌は透きとおるようで、生まれてきた性別を間違えたとしか思えない美貌の少年である。
どうも、黒狼族というのは美形揃いらしい。
目の前の馬鹿も、黙っていれば美形だ。今はただの残念な美形だ。ついでに付け足すと馬鹿。
黒色のフードがついた袖無しの上着と、黒いズボンに、茶色い革靴を身に着けた少年は、その白い腕に幾重にも包帯のような白い布を巻いており、手首から肘までを覆う、青に輝く不思議な鉄で出来た篭手をつけていた。華奢なので、やはり少女でも通用しそうだ。年齢はシークと同じで十八歳だと思われる。腰のベルトには、皮製の小さなポシェットとダガーを一本、左側に装備し、腰の右側にサーベルを吊るしている。左利きなんだろうか。
「お帰り、トリトラ! だってよぉ、こいつ、師匠に認められてて……」
「ええ! 師匠に会ったの!?」
うお。瞬間移動したぞ、こいつ!
さっきまで戸口にいたはずなのに、店の奥側のテーブルまで一足飛びでやって来たトリトラは、テーブルに両手をついて身を乗り出した。シークも驚いたように身を反らす。
「はいはい、食べないんなら出ておいき。食べるんならそこに座る!」
宿のおかみであるヘレンが威圧をかけ、トリトラは慌てた様子で修太の隣の席に座った。
(あああ。逃げ場を塞がれた)
急いで食べて、部屋に逃げようと思ったのに。
「シークって馬鹿だね」
話を聞いたトリトラは、昼食を食べながら、一言そう断言した。
「なんっでだよ! 俺の話、聞いてたか!?」
ダンとフォークを持った手でテーブルを叩くシーク。皿がガチャンと鳴った。
(友達にまで馬鹿呼ばわり……)
なんだか可哀相になるが、馬鹿だから仕方がない。
自分の話を、悪口を交えてしているのを横で聞きながら、修太は黙々とスープを飲む。
「だって馬鹿だろ。師匠が“認めた”相手なんだから、弟子も尊重しなきゃ駄目じゃん」
おお。確かに、言われてみればその通りだ。
トリトラは賢いらしい。
シークもそう思ったのか、ぐっと言葉に詰まった。
トリトラはシークを無視し、修太を見て、にっこりする。人当たりの良い笑みだ。
「初めまして。僕はトリトラっていうんだ。良かったら名前を教えてくれない?」
「塚原修太。修太でいい」
修太はぼそりと答える。
そのことに、なんだかトリトラは感動したようだった。
「うわあ! なんだよ、この子。師匠に雰囲気そっくり! なんかすごいぐわってくる。僕、無愛想なの好きだよ!」
「…………」
思わず椅子ごと身を横にずらした修太は悪くないと思う。
「違う違う違う! 同性が好きとかじゃないから! 尊敬してる人と雰囲気が似てるから、気に入ったってだけだよ?」
慌てて言い直すトリトラ。
修太はほっとして、椅子の位置を戻した。
「きっと、見た目はとっつきにくいのに、良い人だよ、この子。師匠もそうだから。うん、よろしくね!」
ぽんと背中を叩かれたが、勢いがついていたのか、修太はテーブルに突っ伏す羽目になった。ぎりぎりで皿に当たらずに済んだが、派手な音がする。額を天板でぶつけた。痛い。
「うわっ、ごめんね! わざとじゃなくて。ええと、ほんとごめん!」
「うわあ。弱い者苛めかよ、引くわー」
「そんなんじゃないよ、シーク! ほんとごめん。僕、力加減が下手でね」
「だったら叩こうとするなよ。迷惑な奴」
我慢出来ずに修太は悪態を返す。
つか、軽く叩いただけで相手を吹っ飛ばすとか。まじで黒狼族って規格外だな。
「ごめんごめん」
困った顔をして謝るトリトラ。良い人っぽいが、知らずに迷惑をかける部類だな。気を付けよう。
「ごちそうさまでした。俺、先に上がるから」
手を合わせ、席を立とうとするが、トリトラに右腕を掴まれた。
「待って待って。ねえ、もうちょっとだけ話に付き合ってよ」
「……放せ」
腕を引っ張るが、うんともすんともいわない。くっ。ぴくりとも動かん!
無言での攻防に疲れた修太は、諦めて座った。給仕をしているヘレンを呼び止める。
「ヘレンさん、追加料金払うから、お茶ちょうだい」
「何が良い?」
「飲みやすそうなやつ。花の香りがしないやつを適当に選んでよ」
「分かったよ、ちょいとお待ちね」
ヘレンは笑顔で言い、去っていく。そして、ポポ茶を持ってきてくれた。味はほうじ茶に似ている。マグカップ一杯で5エナだ。
「ほんと弱いんだな、お前。トリトラ、力は弱い方なのに」
落ち着いた修太に、シークが呆れたように言った。確かに、重そうなバスタードソードを背負っていたシークだ、ぶん回せるだけの力があるのを考えれば、トリトラより腕力があるのがよく分かる。
「瞬発的な力なら、僕の方が上だけどね。小石でウサギ仕留めたりは出来るよ?」
「それはすげえ」
当たるのがまずすごい。
トリトラはにこにこしながら、楽しそうに言う。
「でもほんと可愛いな、この無愛想な感じ! 弟に欲しいよ」
無愛想が可愛くて弟にしたい、なんて初めて言われた。ていうか、弟にしたい発言が初めてだ。
「変な奴だな、お前」
心の底から感想を口にすると、ますます楽しそうにする。ずいずい身を乗り出してくる。
「ねえねえ、なんでフード被ってんの? ここって室内なのに」
「別に俺の勝手だろ」
物珍しいのかなんなのか分からないが、フードをはごうとしてくるので、それを手で押さえる。くっ、腕がぷるぷるしてきた。
ほんと何なのこいつら。
内心で苛立ちを覚える。
「トリトラ、流石にそれはやめとけ。こいつのことは気にくわねえけど、そういうのはルール違反だ」
予想外のところから助け舟が出た。ちぇーと言って、トリトラが手を離す。
「せっかくだから目を見て話したいなって思ったんだけどなあ」
「うん。じゃあ俺は戻るから」
「待って待って、ごめんってば! もうしないから!」
今度こそ帰ろうかと思ったが、また引き止められた。ちっ。
「は~、ここの料理おいしいなあ。いっそのこと、こっちの宿に変えちゃおうかな」
「それいいな。師匠もこの宿みたいだぜ?」
「そういや、師匠は部屋にいるの?」
「いたら、こいつを一人にしてねえよ。それかもう一人の女のどっちかがついてる。護衛らしいし?」
トリトラとシークは話が盛り上がっている。
「二人とも、明日の夕方に戻ってくる。ダンジョンに潜っていていない」
修太の簡潔な言葉に、トリトラは驚いたようだ。
「護衛なのに、置いてったの?」
「宿から出るなって言われてる」
「それ、守るの?」
「守らなくて痛い目を見たくない。外がおっかないのは知ってるし」
ますます驚いたように目を丸くする。
「随分聞き分けの良い子どもだね。六年前のシークに聞かせてやりたい……」
「本人の前で悪口言うんじゃねえよ!」
くわっと怒るシーク。
「グレイと会ったのも、海賊船でだ。とっ捕まってたところを助けてもらった」
シークとトリトラは目をパチパチと瞬いた。
「そりゃまた、意外な出会い方だな」
「いや、分かりやすいよ。相変わらず盗賊嫌いなんだね、師匠ってば……」
そうすると、急にトリトラは修太の頭に手を伸ばした。フード越しに撫でてくる。
「ごめんね、シークが色々うるさくて。僕は味方するから」
何やら同情したらしい。
手が鬱陶しいので跳ね除けつつ、茶を飲む。
「……同情買う為に嘘ついたとか思わないんだな」
あんまりあっさり信じるので、腹の当たりがむずがゆくなった。
「嘘のにおいがしないから。君の返答には、全然嘘が紛れてない」
「そ。俺らはにおいで分かるんだ。俺らに嘘ついても無駄だから、嘘つくんじゃねえぞ?」
「なんで脅すんだよ、シーク」
「いてえな! 頭叩くんじゃねえよ、馬鹿になるだろ!」
「これ以上、どう馬鹿になるっていうんだよ。馬鹿じゃないの!?」
「うるせーよ! 黙れよ!」
ぎゃいぎゃいとやかましく喧嘩する二人。
うるさいなあと思いつつ、嘘のにおいっていうのはどんなにおいなのかを考える修太である。さっぱり分からん。