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冒険者ギルドには明日行き、今日はゆっくりすることになったので、修太は書店を探すことにした。
本は高価だが、どこの町にも一軒はあるらしい。グラスシープという巨大な羊がいる分、羊皮紙は他の国よりは安い方で、自然と本の値段も下がっているのだそうだ。
ちなみに、今までは触れなかったが、ここにはトイレットペーパーは存在しない。
レステファルテ国では使い捨ての木ベラ――木を薄く削っただけの板――がその代わりで、熱帯雨林が多い為に植物が大きいセーセレティーでは、手の平より一回り大きめの葉っぱをトイレットペーパー代わりにし、そのまま捨てる形になっている。迷宮都市ビルクモーレは下水道があるので、そのまま便所とは名ばかりの穴に投げ捨てるだけだ。穴に便器を置いているだけなので、水の流れる音が絶えず聞こえる。下水道ではなくて川にそのまま流しているような感じが近いかもしれない。まあ、レステファルテみたいに、地面に埋めた甕を便器代わりにするよりマシかな。におわないし。
日本で遊びに行くみたいな感覚で外に出て行こうとしたら、ポンチョをむんずと掴まれて止められた。
「護衛の意味を分かってない奴だな。そもそも、見知らぬ土地を子どもが一人でうろうろするんじゃない」
ええ。もちろん、掴んだ人はフランジェスカさんですよ。そうに決まってるじゃないすか。
「現地の子どもとならいいのか?」
うろんな目で返すと、意外にも肯定が返る。
「まあそうだな。どこが危険であるかないかの区別がつく者が側にいるなら、私も止めん」
フランジェスカは少し考え、問う。
「なんだ、腹でも空いたのか?」
「フラン、お前、俺イコール食べ物とか思ってんじゃねえだろうな?」
「思っているが?」
「ぐっ。まあいい、否定出来ないしな。書店があるなら行こうかと思って」
よく考えたら否定出来なかったので、それについては流し、用件を言う。
「ついでに買出しにも行くか」
「あと、文房具と紙も買いたい」
「見かけたら買えばいいだろう。仕方ないな。貴様には花の石鹸を買ってきてもらった借りがあるし、今回は喜んで付き合ってやろう」
「……そりゃどうも。よろしく」
だから何でそう上から目線なんだ?
少し不満に思いつつも、あのことを一応は借りと思う程には喜んでいたのだと遠回しに知り、まあいいかという気分になった。
「グレイ殿はどうする?」
「ああ、俺も行く。煙草が切れた」
ハルバートを手に、グレイが答える。紙煙草の箱を振って見せた。何の音もしない。
「ワフワフ」
コウがじーっと修太を見上げ、尻尾をパタパタ振っている。修太と目が合うと、床に伏せて、目の上に前足を置き、哀れっぽく「クウウン」と鳴いた。賢いというか、芸達者というか……。
修太は呆れた。
コウは賢く、行儀良くしなかったら放り出すと言った修太の言葉を正確に理解して、普段は賢い犬のフリをしている。とはいえ修太はペットに興味がないから、ついてくるならついてくるでどうでもよくて、放任主義を貫いていた。
が、こんな風に訴えかけられると少しは良心がとがめるというものである。
「そんな風に可愛い子ぶらなくても、ついてくればいいだろ」
「ワンッ!」
パッと身を起こしたコウは、修太の足元に纏わりついてきた。
何でこんなに懐かれているのか、未だによく分からない。
(ついでに、犬用のブラシと毛を切るハサミも探してみるか)
砂埃のついたコウの毛を見ながら、修太は頭の隅でそう呟いた。
最初はただの気のせいかと思った。どうも視線を感じるのだ。伺うような、確かめるような、じろじろと見る眼差しだ。
でも、しばらく街中を歩くうちに、そうじゃないと気付いた。
確信に変わったのは、全員で雑貨屋に入った時だ。
「店主、紙煙草は置いているか?」
グレイが店主のおじさんに訊いた瞬間、何故か店主の肩がびくりとはねた。
「え、ええ。置いてます。……なぁ旦那、以前、この町にいたりしたかい……?」
五十代くらいの親爺は、そわそわと問う。グレイが頷くと、手を叩いた。
「やっぱり! 黒狼族なのといい、ハルバートを持ってるのといい、似てると思ったんだよ。フレイニールさんとこの倅 だろ?」
そこで急にしかめ面をした。
「今頃になって戻ってくるなんて、黒狼族ってのは情に薄いのかね? 墓参りくらい、来てやればいいもんを。あの後、すぐに町を出て行っちまうし、ザーダの旦那達もあんたのこと探してたよ。戻ってきたら教えろって、十四年も経ってんのに、未だに言いに来る」
言いながらも、後ろの棚から紙煙草を取り出し、ポンとカウンターに置く店主。30エナだよと付け足した。特に銘柄などは無いらしい。グレイが1エナ銅貨を三十枚、じゃらじゃらとカウンターに置くと、それを素早く数えて回収する。
「……あいつら、元気にしてんのか」
買った煙草の箱をその場で開け、ジッポライターで火をつけて遠慮なく店内で吸いながら、グレイは少しの沈黙の後、そう問うた。店主が文句を言わないのを見ると、これが普通なんだろう。
(フレイニールって父親の名前か? あの後って何なんだろ。それに“あいつら”に良い印象ないみたいだな……)
何となく声のトーンが下がった気がする。
そちらに視線を向けないように注意しつつ、修太は日用品の棚を見る。スポンジ代わりになりそうな、ヘチマを乾燥させたような物や、新調したいタオルなどを籠に放り込む。
他にも下着を買いたいところだが、ここの下着は木綿や麻の肌着と、細長い布を巻くだけのなんちゃって相撲まわしなので困る。上はいいけど下が困る。修太はトランクス派なのだ。面倒だからいっそのこと、作ってみるのもいいかもしれない。そこまで裁縫は得意ではないが、欲しい物が存在しないのなら作るしかないのだ。裁縫箱や布も買っていこう。布はないが、裁縫箱はセットで置いてあった。500エナか……。こんなもんかな?
「元気も元気だよ。まああの日から、100層より下には行かなくなっちまったけど。今じゃ冒険者の間じゃ顔役みたいなもんかね。ザーダはよく一人で潜りに行くし、ヨーエは魔具屋のとこの娘と結婚して、店やってるよ。たまに迷宮に潜るくらいだな。エルザはギルドの治療師として詰めながら、ときどき迷宮に潜ってる」
「ふぅん……」
訊いておきながら、グレイの関心は薄そうだ。
「俺が来たら教えろというのは、ここだけに言ってるのか?」
「いや、親しくしてる店には言ってるみたいだが。会いに行ってやれよ。心配してるんだ」
「……どうだかな」
小さな声で呟いて、グレイは修太達の方を見た。
「フランジェスカがいるからいいな? 俺は少し抜ける」
「分かった」
「おう」
フランジェスカが頷き、修太が片手を軽く挙げるのを見てから、グレイは隙の無い足取りで店を出て行った。
店主の苦々しい顔が少し気になる。
「ったく、愛想の無さは進歩してないねえ」
「おじさん、グレイの知り合い?」
修太の問いに、店主は首を振る。
「知り合いっていうか、客の一人だよ。どっちかというと、あのガキの父親と知り合いだ」
「フレイニールという人か?」
フランジェスカが口を出す。
「そうだよ。人間で〈赤〉のカラーズな上、武の才に秀でててねえ。しかも陽気な男だった。この町であいつを嫌ってた奴なんていないんじゃないかな」
「へぇ……」
駄目だ。想像がつかない。
「息子だって紹介された日にはおったまげたね。顔は似てたが、雰囲気が全然似てなくてね。愛想が全然違うよ」
顔が似てるけど愛想がいい。無理。やっぱり想像がさっぱり出来ない。
「ハイレベルの冒険者だったけど、最後はダンジョンで死んじまってね。ほんと冒険者ってやつは、どうしようもないよな。あんな死に方はしたくないね」
そこで喋りすぎたと思ったのか、店主はわざとらしく咳払いした。
「で、それ買うのかい?」
「うん。会計お願いします」
籠をカウンターに乗せ、修太は軽く会釈する。
そんな修太をじっと見つめた店主は、ここ最近でよく訊く台詞を口にした。
「ところで、坊主、あのガキの息子だったりするのかい?」




