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オデイルに案内された場所は、暗い森の中で一際明るい場所だった。
ぽっかりとあいた空間は花畑になっていて、青い薔薇が一面に咲き誇っている。花畑の周囲には茨が木のように生い茂っている。空からは柔らかな日差しが降り注いで、花畑の中央で眠る人影を照らし出し、幻想的な光景を作りだしていた。
――森の主です、〈黒〉よ。
オデイルは花畑には入ろうとはせず、少し手前で立ち止まる。
「あれが森の主……。なんと美しい……」
無意識だろう、フランジェスカが溜息混じりに呟く。
遠目から見ても、森の主が美しい姿をしているのはよく分かった。上半身は人間の女性の姿をしていて、長い銀の髪と彫刻のような白い肌をもち、黄色いドレスを着ている。腰から下は巨大な赤い薔薇になっていて、それでようやく彼女がモンスターであると分かった。
「あ、いや。ボスモンスターなのだから、別に美しくは……っ」
自分で呟いた言葉に気付き、慌てたように言い直すフランジェスカ。だが、修太はにやっと笑う。
「聖なる森の主なんだから、綺麗でもいいじゃん。認めろよ」
「そういうわけにはっ」
酷い葛藤にさいなまれているのか、フランジェスカは動揺している。
その一方、啓介はいつものごとくキラキラと子どもみたいに目を輝かせて興奮している。
「すっごいなあ、身体の半分が花だなんて! なっ、すごいよな、シュウ! 世界は本当に広いんだなあ!」
「違う世界だし、広いもんなんじゃないか」
それにどうでも良さそうに返す修太。
もういい。何がこようと俺は驚かんぞ。
意地のような気分で、腹の底でうなる。いちいち驚いていると、何かに負けた気分になる。
「とにかくあの人を起こさなきゃな。森の主さん! ちょっと起きてくれ」
啓介はテンション高く花畑へと駆け寄ろうとしたが、オデイルに阻まれた。
――待ちなさい、〈白〉の少年。近づいては駄目だ!
オデイルが叫んだ瞬間、入口になっていた隙間が、茨で完全に覆われた。ぎょっと足を止める啓介。
「なっ……」
――ここに入れるのは、森の主だけだ。茨は、五百年前、オルファーレン様より賜った断片なのだ。言うことを聞かないモンスターを眠らせる為の魔法であり、聖域に踏み込んだ人間や妖精達から身を守る為の砦なのだ。青い薔薇もまた茨の一部。仮死の魔法を解く唯一の薬草だ。
「ってことは、森の主は茨を操れるのか?」
修太の問いに、オデイルは是と答える。
――森の主は花の化身。操れない花や植物はありませぬ。
「……それで、俺にどうしろって? あんたは青い薔薇を食べさせろと言いたいんだろうけど、近づけないんじゃ、どうしようもない」
修太が途方に暮れて言うと、オデイルはさらりと答える。
――〈黒〉は大丈夫です。〈黒〉には、あらゆる魔法が効きませぬゆえ。
「どういうこと?」
――〈黒〉とは、闇に関わる魔法を使える者を指します。闇は全てを呑みこみ、包容し、無へと帰します。つまり、世界に還す力なのです。
修太は首を傾げる。
「ブラックホールみたいなもんか?」
「いいなあ、シュウ。なんか強そうじゃん。“ブラックホール修太”」
「黙れ、啓介。その最低なネーミングセンスを俺にだけは発揮するな!」
「ええー何でだよ。良いじゃん、ブラックホール修太。胃袋だってブラックホールだろ」
「うるせえ、黙れ!」
訳の分からないごねかたをしてくる啓介を、修太は青筋を浮かべて怒鳴る。啓介はつまらなさそうにぶつぶつぼやいている。
「ぶら……何だ?」
「通り魔も黙ってろ!」
首を傾げるフランジェスカにも怒鳴っておく。余計な単語を覚えられたら敵わない。
修太に怒鳴られ、フランジェスカの機嫌がワンランク下がる。
「私の名はフランジェスカだと言っているだろう! いい加減にしないとたたっ斬るぞ!」
負けじと怒鳴り返され、修太はフランジェスカに向き直る。
「言いにくいんだよ、フランジェシッ……くそ、舌噛んだ!」
「だったら剣聖様と呼べ」
「何で様付けなんだよ! それになんなんだ、剣聖って」
「王国で年に一度開かれる剣術大会で、五連覇した者に与えられる栄誉ある名だ! どうだ、崇めたくなっただろう!」
ふん、と胸を張るフランジェスカ。
啓介が目を瞬き、意味を理解して驚きの声を上げる。
「ってことは、君は国一番の剣士ってことなのか?」
「そうだ。大会では身分関係なく相手を叩きのめせるからな、実に小気味良いぞ」
にやり。愉快気に笑うフランジェスカは、本当に楽しそうだ。
言葉遣いだけでなく、性格も悪いのか、この女。
修太はうろんに思う。
「流石、通り魔は格が違う」
修太が茶化すとギロッと睨まれた。おっと。いい加減にしないとマジ切れしそうだ。
「というか、別に呼び方なんてどうでも良いだろ。俺はあんたと行動する気はない」
「私とて行動を共にしたくなどない! だが、呪いを解く手掛かりがお前かもしれんのだ、嫌でも共にいるしかないのだ!」
――どういうことだ、女。手掛かり?
「我が友、エレノイカの占いだ。ここに来れば、運命を変える出会いがあり、良き方に道が変わると教えてくれた」
「占い?」
修太は何言ってんだこいつという目でフランジェスカを見る。
「そんなもんを真に受けたのか?」
「エレノイカの占いの腕は良い。それに、彼女は先天的な無色だ」
――なるほど、生まれた時から目が見えぬのなら、先見に秀でていても不思議はあるまい。
「は……?」
意味の分からない会話だ。きょとんとする修太だが、それをフォローするかのように聡い啓介が口を挟む。
「目が見えない人間は、特別な力を持ってるのか?」
――必然ではないが、持って生まれる場合が多い。その場合、先見の力を持つ者、耳が異様に良いあまりに霊の声を聞く者もいれば、心の声を聞く者もいる。嗅覚や聴覚や味覚が無い者にはそんな異能は生まれない。彼らの場合は目が見えるからだ。ゆえに、目の見えない彼らはノン・カラーではなく「無色」と呼ばれる。
「神の寵愛を受けた者だ。我が国では手厚く保護され、尊敬されている」
フランジェスカはとても誇らしげだ。親友のことだから、尚更誇らしいのだ。
「エレノイカの言葉を信じてやって来たら、何故かここでこの子どもに会った。会った時に殺そうとしたが、夜になってしまい、呪われた姿に変わった。偶然とは思えない。だが、私は〈黒〉が運命などと認めたくない。しかし私は呪いを解きたいのだ。なあ、オデイル殿。先程までの非礼は詫びる。だから、もし呪いを解く方法を知っているのなら教えてくれないか」
――呪いを解けるのは、本人だけだ。だが、いったい誰に呪われたのだ?
「緑柱石の魔女だ。王国の南にある山の麓の村で、夜な夜な村人を餌にしていたモンスターを私が討伐した。それが魔女の子飼いだったらしくてな、恨まれて呪いをかけられた」
――緑柱石……。それは運が無い。よりによって宝石姉妹が一人の部下に手を出すとはな。
オデイルはうなるように呟く。
――宝石姉妹は存在そのものが神の断片ゆえ、我にはどうすることも出来ぬ。森の主なら何か存じているやもしれぬが。
修太は顔を引きつらせる。それはつまり、占いは外れてはいないということだ。
啓介がポンと手を叩く。
「それなら俺らと来ればいいよ。俺達は神の断片を集めてく予定なんだ」
「神の断片とは?」
――創造主オルファーレン様の断片だ。世界のあちこちに散らばっている。
「そ。そのせいで、オルファーレンちゃんは消えかかってる。それを助けたいから、断片を集めるんだ」
――オルファーレン様をちゃん付けとは……。断片の使徒は恐れを知らぬ。
呆れるオデイルに、修太達は事情を話す。たまたまエレイスガイアに飛んでしまい、帰れないこと。そこでたまたまオルファーレンに会い、助けたいと申し出たこと。そして、断片を集めることになったこと。世界が滅びそうなこと。
――世界の終末? それは真か!? ああ、すぐさま森の主をお起こししなくては。お願い申し上げます、〈黒〉の子ども。先にも申した通り、あなたに魔法は効きませぬ。心配せず、森の主の元まで近づいて下さい。
「わ、分かったよ。だから落ち着け。少し離れろ」
ボコッと音を立て、修太の目の前に現れたオデイルに詰め寄られ、あまりの不気味さに身を引く修太。顔が怖いって分かってんのか、こいつ。
早く早くとせきたてられ、修太はやれやれと思いつつ、茨に近づく。
「まじで大丈夫なんだろうな? 俺まで仮死になったりしないよな?」
念押しをすると、オデイルは問題ないと答える。
――ええい、くそ。男は度胸だ!
修太は思い切って茨に手を触れた。




