第十話 日祭り 1
馬鹿でかい大剣をかかげた大男と、同じく巨大な戦斧を細腕にさげた小柄な少女が対峙している。
楕円形をえがく階段状の観客席の中央、地面よりも一段高い長方形をした石造りの舞台で、大男は相手が小さな少女であるのに優越感たっぷりに笑い、少女もまた不敵な笑みを浮かべている。
少女が細い腕一本で軽々と戦斧を持っているのには驚くが、歴然とした体格差に観衆は不安げな溜息をつく。これでは少女が倒されてしまうに違いない。
可愛らしい少女が無残な怪我を負うのは痛ましい。観客の大部分はまっとうな神経をしていたので、どういう了見だと武闘大会の運営者に不快な視線を投げた。
しかし、試合開始を宣言する鐘が鳴り響いた後の結果は、観衆を驚かせるには十分なものだった。
少女が素晴らしい速度で大男に接近し、大男が振り下ろした剣を斧で叩き折ったのである。その後、返す刃を大男の首筋に突き付け、大男は降参の宣言をした。
あまりにも鮮やかで無駄のない手際に、観客たちは呆然と静まり返る。
が、少女が仲間に向けたのか、握った拳を観客席に向けて振り上げた瞬間、会場はどっと湧き返った。
新たなヒーローが誕生した瞬間だった。
*
「楽しそうだな、あいつ」
観客席から舞台の主役を見下ろして、修太はぽつりと言葉を漏らした。
歓声の中でかき消えそうな声であったが、左隣に座るフランジェスカには聞こえたのか、返事が返る。
「自国であれば、私も出場したのに……」
少し羨ましげな声だ。パスリル王国で有名な剣士が、敵国ど真ん中で祭りに興じるわけにはいかない。フランジェスカはそこまで考え無しではない。
しかし、強き者と戦いたいと思うのは、戦士の性である。武闘大会を見れば見る程、うずうずと湧きたつ心を押さえつけるのに必死なようだ。
「うん。楽しそうだよなあ」
今度は右隣から返事が来た。啓介もずるいと言いたげに舞台を見ている。
命をとられないとはいえ、身体の一部喪失は認められている真剣試合だ。竹刀や木刀などでの試合だったら、啓介も心置きなく参加出来ただろう。
「あたしは勘弁かなあ。ギルドで依頼こなすほうが、よっぽど建設的に稼げるわ」
更に向こう、啓介の右隣に座るピアスが呟く。
ピアスの意見は最もだ。見舞い金が出るとはいえ、身体を一部喪失しては、その後の人生が不自由になってしまう。
だが、あそこで試合に出ている人達は、第一に名声を求めているのだから、金のことを天秤にかけるのは筋違いっていうものなんだろう。
カーン
鐘の音が響く。
修太は音につられるように、再び舞台に視線を向ける。
サーシャリオンの次の組の試合が始まっていた。
背の高い剣士らしき男と、大柄な槍使いの男が戦い始める。剣士はカラーズなのか、時折魔法を使った。魔法の使用は禁止事項に相当しないらしい。対する槍使いの男は、カラーズではないのに攻撃を上手く避けながら、反撃している。どちらかというと、槍使いがすごく見える。
日祭りは一週間に渡って行われる。二日目の今日は、本選一日目だ。昨日は一日かけて予選が行われた。決勝試合が行われる最終日は、試合後に、神に感謝を捧げる儀礼があるらしい。祭りでは一番の見せ場だそうだ。
見せ場と言っても、子ヤギの肉を神官が祭壇に捧げるそうなんだが。グロテスクだからあんまり見たいとは思わないが、儀礼に立ち会って祈願をするとたくましくなれるらしく、信奉者が多いらしい。戦闘が好きな日の神ならではというか……。
(祈ったくらいでマッチョが増えたら嫌だな……)
たくましいと聞いてマッチョを想像した修太は、その光景が気持ち悪いと思ってしまった。罰当たりだと自分でも思う。
ところで、修太がこの世界の神様と聞くとオルファーレンしか思い浮かばないのだが、レステファルテ国には在地の人に信じられている神様がいる。
話題にあがる日の神と、月の双子女神、星の神、火の神、水の神、風の神がそうだ。砂漠の国に住む為か、日の神への信奉が特に厚いそうだが、船乗りには方角の導き手である星の神と風の神が信奉されるといったように、職業によって信奉度合いが変わってくるらしい。
これは昔から続いている信仰であり、宗教だったら修太には不吉な白教ももちろんある。敵国の国教だからか、推奨されていないそうだが、こっそり信じている人はいるらしい。
「これからどうする?」
今日のサーシャリオンの試合は、さっきの試合だけだ。次は明日の午前中になる。修太がこの後の方針を問うと、啓介が腹に右手を当てる仕草をした。
「そうだな。ちょうど昼時だし、昼食にしよう。屋台を冷やかすってのはどう?」
周りに意見を求める啓介。
ピアスはぴっと片手を上げる。
「異議なーし!」
「俺も」
「日陰ならどこでもいい」
ウォフッ
足元に座るコウまでが返事をする。犬を連れて観客席に入れるか疑問だったが、見た目が中型犬だったからか了承された。試合出場者の関係者なら、割安で確保済みの席を提供されたので、その代金を支払う際に、犬連れの分の代金を上乗せされたくらいだ。問題を起こしたら責任を取ることを念押しされはしたが。
とりあえず異議はないので、皆、席を立つ。
サーシャリオンと合流すべく、あらかじめ決めていた待ち合わせ場所に向かった。
王都は、相変わらずいろんなにおいがごちゃごちゃしていていたが、祭りの間は食べ物のにおいが勝っているようだった。
南商業区の東端付近のメインストリートは、食べ物メインの屋台が軒を連ね、他にもアクセサリーなどを売る露天商も出ていた。
客呼びの声が飛び交い、喧騒に溢れているが、元気そのものといった感じで、祭りのもたらす高揚感も手伝って不快感より楽しいという気持ちが勝つ。
籠に積まれた香辛料のはかり売りからは、シナモンに似た強烈なにおいが漂ってきて、なんとなく食欲を減退させたが、実際に屋台で食べ物を買うと香辛料のにおいは気にならなくなる。
(……んまい)
修太はむしゃむしゃと平べったいパンに細切れにした野菜を挟んだサンドイッチもどきを頬張り、口元をわずかに笑みの形にする。トマトの酸味が効いていておいしい。多分、名前はトマトではないのだろうが、トマト味だ。
他にも、串焼きや、オレンジに似た味のするジュースを飲んだり食べたりして、すっかり満足した頃、食べ歩きに疲れたピアスや、人混みにうんざりしてきたらしきフランジェスカやサーシャリオンの意見もあり、手近なレストランに入った。
「レストランというか、酒場?」
啓介がきょとんとし、小声でピアスに問うと、ピアスは不思議そうな顔をした。
「食堂なんてそんなものでしょ? 昼間は食堂を、夜は酒場をしている所は多いし、昼間っから酒を出す所も多いわ。ここは昼間っからのほうみたいね」
ピアスはちらりと店内を一瞥して呟く。確かに、青年から中高年の男性客が多い店内では、酒を傾けている人が多い。
「一昨日行った店は? 男が少なかったよな……」
修太も疑問を覚えて問う。
「あそこは特別なの。店主が煙草と酒嫌いでね。煙草と酒はお断りって、店先に看板を立ててるから、男の人はほとんど来ないの。レステファルテじゃ、男の人は煙草と酒をたしなむのが一人前みたいな考えがあるから、ああいう店は珍しいわ。純粋に食事目当ての人か、女性客に人気があるわね」
「へえ~」
「なるほどぉ」
修太と啓介は感心して頷く。
食堂は人でごった返し、紫煙がたちこめていて見るからに空気が悪いので、窓際の席を陣取った。
「…………」
運ばれてきたメニューを修太はじっと見つめる。食べたばかりなのだが、甘味でも食べたいと思い、ルネアのシャーベットを注文することにする。
「……まだ食べるのか、貴様」
右隣に座るフランジェスカが、呆れたように呟く。
六人掛けの円形のテーブルを五人で使う形になっていて、たまたま隣にフランジェスカが座ったのだ。
「フランさん、シュウの胃袋はブラックホールだから仕方ないよ」
啓介が笑って口を出す。
「なにせ、ブラックホール修太だし」
「お前、まだそれ言ってんのか! あだ名で定着させようとしてもそうはいかねえからな!」
修太は青筋たてて啓介を睨む。
「前にクラ森にいた時もそんなことを言っていたな。なんなのだ、ブ……なんとかとは」
「ブラックホールだよ。うーん、なんでもかんでも吸いこんじゃう現象のことって言えば分かるかな。ま、ようは終わりがないって意味」
「いくら俺でも満腹くらいあるっつの。流石に腹八分目だから、軽く甘味を食うだけだ!」
「え、まだ八分目なの? それはそれですごいわね……」
ピアスまで呆れた目で見てくる。
「その小さい体のどこに入るのかしら」
まじまじと見つめられての言葉に、ハンマーを思い切り打ちこまれたようなショックを修太は覚える。
「小さくね……ぶっ!?」
言いかけたところで、後頭部に衝撃が走り、テーブルに突っ伏す。
「ってえ、なんだ……!?」
痛みを訴える後頭部を手で押さえて、振り返った修太の目の前に、フランジェスカの左手があり、修太は寄り目になってその手を見た。手があることに驚き、ついで、その手の中にフォークが収まっているのに目を瞠る。
更にその向こうに視線を向けると、男が二人、荒々しく立ち上がり、テーブルをひっくり返したところだった。
――なるほど、その拍子にフォークが飛んできたのか。
(って、危ねえだろ!)
フランジェスカが止めてくれなかったら、刺さっていたかもしれない。付け加えれば、さっきの後頭部への衝撃は、後ろの席にいた男が腕でも振り回してぶつかったんだろうと思われる。
納得したら、今度はフランジェスカの技量が恐ろしくなった。
(まじでいんのな、飛んできたフォークを素手でとめる奴って……。ただ者じゃねえわ、こいつ)
そんなことが出来るのは、せいぜいアクションものの映画の中の人間くらいだと思っていた。それか小説か漫画か。どっちにしろ、フィクションだと思っていたので、異世界とはいえ実在することに驚嘆する。
「ちょっと! 喧嘩なら外でしてくれ!」
店主の男が怒鳴りつけるが、大柄な男二人の喧嘩にどうしようも出来ないでいるようだ。客達も遠巻きに喧嘩を見て、そのうち数人は勘定を置いて店を出て行く。
「うるせえよ! くそ、誰がへっぴり腰だぁ!?」
「本当のことを言って何が悪い! 試合見たぜ、攻撃を避けてばっかだったじゃねえか、この弱腰野郎!」
どうやら男二人は大会参加者らしい。冒険者かは分からないが。
拳と蹴りによる乱闘になり、あちこちに被害が出始める。
「うわ、さいっあく。あれ、酒に酔ってるわね。面倒くさい」
ピアスが心から面倒というようにぼやく横で、サーシャリオンは飛んできた物を涼しい顔で手で払い落している。
「お前ら、余裕だな!?」
ピアスまで落ち着いているのが驚きだ。
「ああいう手合いは無視が一番だ」
どうでも良さそうに、フランジェスカは冷たく呟いた。興味は微塵もないとばかりに、手元のメニューに視線を落とす。
「あんだと、おめえ! 誰が無視が一番だって! 面倒くさいだって!」
男の一人が女性達の言葉を聞きつけ、乱闘をやめて振り返る。深酒したのか、顔が真っ赤だ。筋骨隆々としてたくましく、日に焼けた肌はがっしりしている。得物は大剣らしい。袖無の白い麻の衣服を着て、腕には包帯のような布を巻き、更に防具をつけている。
「てめえ、こっちの用事が先だ!」
「ぐへ!」
もう一人の大男が、その隙に男を殴り倒した。彫りの深い顔をした、金髪の男だ。こちらも顔が赤い。
(うっげー。これが日の神の加護とかだったら嫌だな)
修太は二人を見比べて、心の内でこっそり呟く。
そして何気なくテーブルの面々を見回して、啓介を見たところで、固まった。
(ひいいい、怒ってやがる……っ!)
やけに静かだと思ったら、無言で切れていらっしゃった。啓介は無表情のまま、つまらなさそうにテーブルに頬杖をついている。
それが、イライラを我慢している啓介の態度だと修太は気付き、背中に冷や汗が浮かんだ。
啓介は人が大勢いる所での喧嘩を嫌う。理不尽に巻き込まれる周囲の人間を見るのが嫌いなのだ。教室で男子生徒による喧嘩が始まろうものなら、どっちも殴って外に追い出すくらいには嫌いだ。教師が出るまでもなく、教室が冷やかに静まり返るあの雰囲気といったらもう恐ろしい。
「お。すげー美人じゃん。どうよ、お嬢ちゃん。俺と一緒に祭りを楽しまないか?」
金髪の方の大男は、ピアスを見て、にっと口端を引き上げた。
(歯を見せて笑うなよ、気持ちわりい……!)
修太の腕に鳥肌がたった。
「あんたみたいな考え無しと付き合う気はないわ」
ピアスは煩わしげに片手をひらつかせ、あっさりいなす。
「誰が考え無しだって!」
喧嘩がこちらに飛び火した。
ピアスが気が強いのは分かっていたが、何故、そこで火に油を注ぐんだ! 怖いだろうが、啓介が!
「ちょっと、おい! お兄さん、酔いすぎだって。水でも飲みなよ」
恐怖に耐えかね、修太は椅子の上で身を乗り出す。
酔っ払いには水だ。それくらい、酒に弱い父親の介抱をしてた母親を見てたから知ってる。
「俺は酔ってねえ! 余計なお世話だ、このクソガキ!」
はいはい、酔っ払いは皆そう言うんだよな。常識、常識。
やれやれと思った時、金髪の大男は修太に手を伸ばしかけ、途中で手を止めた。否、止められたのだ。……啓介に。
「表に出ようか」
啓介は絶対零度の笑みを浮かべ、いつの間にそこにいたのか、修太の少し前に立っていた。大男の右手首を掴んで。
「は?」
手を掴まれた男が、気の抜けた声を漏らす。食堂内にいる他の客達も、えっ? というように啓介を見ている。誰も、こんな優男な少年が「表に出ろ」なんて言うとは思えなかったらしい。
「お、おおおおい。啓介、落ち着け」
対する修太は、パニック気味である。怒っている啓介は、修太の中では敵に回してはいけないものナンバーワンなのだから仕方がない。
そもそも、こいつが短気すぎるのがいけないのだ。ここに来てから、何度、落ち着けという台詞を口にしたか。
「……だから、表に出ろって言ったんだ。人の話を聞こうか、公害さん」
言い方こそやんわりしているが、銀の目は笑っていない。それどころか猛者であろう大男が一歩引く程、迫力満点の表情で睨みつけている。
百戦錬磨のはずのフランジェスカが口を挟めずに凍りついているくらいだ。
「な、おま……」
気圧される大男の手首を引っ張り、そのまま外に連れていく啓介。なんだろう、死神の足音に聞こえるんだが。
大男を外に放り出すや、もう一人の床に潰れている方も、襟首を掴んで引きずっていく。
「代金はちゃんと払わせるから、少し待っててくれ」
そして、店主ににこりと笑いかけると、店の扉を閉めた。
瞬間、どっと安堵感が店内に沁み渡る。
修太はバクバクとうるさい胸に手を当ててうつむく。なんのホラー映画だ。こええええ。
「大丈夫かしら……」
ピアスが不安げに呟いて戸口を見るので、修太は頷く。
「大丈夫だよ。鬼教官モードなだけだから。たぶん、奴らは啓介の冷気にさらされながら説教をされているはずだ」
それも正座で。
これがまた、その辺の教師がやるより効果的なのだ。
拳で分からせることはしないが、あの冷気にさらされながら、笑っていない目で見つめられ、こんこんと常識を説かれるのである。考えただけでも恐ろしい。
まあ、あいつなら大丈夫だろう。
修太はひょいと椅子から降りると、男達が散らかした場所の片付けを始める。机を元に戻し、椅子を立てる。それを見た店主や給仕が慌てた様子で雑巾や箒や塵取りを持ってきた。
「悪いな、坊主。手伝ってくれてありがとよ」
店主が礼を言うので、修太は首を振る。
「別に。たまたま隣なだけだしよ。ほんとは奴らに片付けさせたほうがいいんだろうけど、酔っ払いだしな」
「祭りのせいとはいえ、ああいう連中が多くて困るよ。冒険者ってのはなんでこう威張り散らしてんのかね。っと、坊主の連れも冒険者か。悪いな」
「ああいうのって多いのか?」
「他の街は知らないが、冒険者は力がある分、高圧的なのが多いね。坊主も気を付けなよ。ああいう時は何も言わないで引っ込んでた方がいい、小さいんだから」
「……小さくねえ」
失礼な男だ。
むすっと口元を引き結ぶ。
そうして片付け終え、二十分くらいした頃、ようやく啓介が戻って来た。すっかり憔悴気味の男二人を連れて。
男達は勘定と壊れた皿などの弁償代を払うと、店主に謝り、すごすごと食堂を出て行った。
修太はそれを見送ってから、怒りの片鱗すら見えない、いつもの穏やかそうな啓介を見る。
「け、啓介さん、何をされたんですかね?」
思わず敬語になる。
「ん? ちょっとオハナシしてきただけだよ」
にこっ。女性が見たら、顔を赤くしてきゃあきゃあ騒ぎだすような笑みを浮かべる啓介。
怖い。怖いです。オハナシって、お前、説教というか尋問だろ!
啓介以外の四人は顔を見合わせた。
目で語りあう。
突っ込むのはやめておこう。藪蛇になりそうだ、と。
冒険者が「気ままな乱暴者」とグレイが言っていた理由が分かったその出来事の後、場をおさめたことに感謝され、店主が食事代を少し値引きしてくれた。
二ヶ月更新してませんが出てて焦って更新。
武闘大会を書いてみたくて書いたり消したりしてたんですが、難しい……。しかも出るの主人公じゃないし;
とりあえず休日のんびり編というか、閑話休題的な感じのノリの回です。
続きはのんびりお待ち下さい。