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店内にいる者達は、言葉を失ってその惨状を見ていた。
店の中には埃が舞い飛び、薬草が潰れて混ざった奇妙なにおいが充満していた。
いち早く我に返ったイェリは、白の法衣の男達を無視して駆けつける。
「……あ、アリテ! 小僧!」
なんてことだ。
アリテ。俺の大事な娘。
二年前に実の父親から受けた怪我をして倒れているのを拾ってから、体も、心さえも、もう怪我をすることがないように、大事に大事に守ってきたのに。あんな人間ばかりが親ではないと教えたかったのに。
まさか自分の同胞に関係することで、こんな目に遭わせることになるなんて……!
半分気が狂いそうになりながら、倒れている棚の下、カウンターが支えになって出来た空間を覗きこむ。
――いた。ちょうど隙間に入るように、アリテと修太が重なり合って倒れている。
「う……?」
衝撃から気付いたアリテは薄らと目を開ける。
それに気付いて、イェリは心の底から安堵した。生きている……!
「え? あれ……?」
状況が飲み込めず、ぼんやりと瞬きを繰り返したアリテは、自分を庇うように下敷にしている少年がぐったりしているのに気付いて、隙間を縫って無理矢理腕を引き抜くと、その肩を揺する。
「君、君、しっかりして!」
体ががくがくと揺れるばかりで、なんの反応もない。
アリテは血の気が引くのを感じた。
「ど、どうしよう」
パニックに陥りかけていると、頼もしい声が頭上から聞こえた。
「アリテ、そのままでいろ。両方とも引っ張りだすからな」
「あ、お父、さん」
血は繋がっていないけれど、親子になろうと約束をした、とても頼りになる父の声に、アリテはほっと安堵の息をついた。
イェリがいるなら大丈夫だ。いつだってそうだった。
そのままじっとしていると、イェリがアリテの服の後ろ襟を掴んで引っ張った。少し苦しかったが、助けてもらえるだけマシだ。
助け出されて、ほっとへたりこんだアリテは、イェリ達を背後に庇うようにして剣を構える啓介や、素手のままのグレイを見た。向こう側には、水の結界内にいる男達を挟み打ちにするように、ピアスやフランジェスカ、サーシャリオンが立っているのが認められた。皆、一様に厳しい表情をしている。
もうこれで大丈夫だ。どうにかなる。
アリテは自分の治療師としての仕事をすべく、続いて引っ張りだされた修太を見た。
完全に気を失っていた。何かで打ったのだろう、頭から血を流していて、血まみれの大惨事だ。仕事上、怪我は見慣れていたが、グロテスクでぞっとする。
(だ、大丈夫。頭の怪我は血が出やすいだけ。落ち着いて……)
そっと息を吐いて、気持ちを落ち着ける。
震える指先を怪我へとかざした時、すぐ後ろでガラスの割れる甲高い音が響いた。
ぐいと肩をイェリに抱え込まれる。
ついで、ボンと何かが弾ける音がして、煙が部屋の中に充満する。においの強い花の香りも一緒に広がった。
煙が消えると、アリテを庇うようにしていたイェリは鼻を手でつまんで、ぐううとうめいていた。
「お父さん? どうし……あっ!」
父の身を心配したが、遅れてとんでもないことに気付く。
自分の前に横たえられていた修太はいなくなっていた。姿を探して振り返ると、白教徒の面々も忽然と姿を消していた。イェリが倒した二人の姿もない。
「……やられたっ、くそ。よりによって花ガメの花粉を……!」
イェリが低くうめき、盛大にくしゃみをした。他にもグレイも辛そうに壁に寄りかかり、口元に手を当てている。
アリテは前にイェリが言っていたことを思い出した。黒狼族は花ガメというモンスターの持つ花粉に弱いのだと。気分が悪くなる者から、くしゃみが止まらなくなる者もいる。
しかもこれを嗅いだ後は鼻が馬鹿になるとか。
「そんなことより、お父さん! あの子はどこに行ったの!?」
父親の腕にしがみついて問う。
そして、その父親の背後、窓ガラスが割れているのに気付いた。
「さっきの煙幕と共に、奴らが出てって、ついでに連れてかれたってところだろう。奴らは処刑することにこだわるからな」
「そんな……っ」
あんまりな事態に、アリテは目の前がくらくらしてきた。
「くそ。サーシャ! あいつら、においで追えないか!?」
胸糞が悪そうに眉をひそめ、すぐさま啓介がサーシャリオンを振り返る。サーシャリオンはぶんぶんと首を振った。
「無理だ。今の花の香りといい、薬草のにおいといい、ごちゃごちゃしておってにおいがさっぱり分からん」
「そんな、どうしよう! 前にクラ森で、騎士団長さんが言ってたんだ。〈黒〉は処刑場送りか収容所送りになるって。ああ、もう! これだから宗教問題は嫌なんだっ!」
啓介はフリッサを腰の鞘に納めると、ぐしゃぐしゃとホワイトグレーの髪を掻き回してうなる。そして次に顔を上げると銀の目には決意が浮かんでいた。
「こんなことしてても時間の無駄だ。あいつら、絶対探し出してボコる!」
メラメラと炎が浮かぶ目は、報復に燃えている。
そのまま薬屋を飛び出して行こうとする啓介を、イェリは慌てて呼び止める。
「待て、坊主!」
「なんだよ、イェリさん。二、三発殴ったって構わないだろ!」
「そっちじゃない!」
この少年、変な奴だが人懐こくて陽気に見えたのに、とんだ勘違いだ。血気盛んな若者そのものだ。しかも行動力が無駄にありそうな上に人望が厚そうなのが面倒臭い。
「奴らの居場所に心当たりがある。俺も行く。アリテに怪我させた礼をしてやらにゃならんからな」
そして、イェリはちらりと啓介の仲間達を見る。
「おい、お前ら、エンラとリンレイが戻るまででいい。アリテと一緒にここにいてくれ」
「イェリおじさん、私が残るわ」
ピアスが挙手する。
「それなら、フランさんも、ここに残ってくれないか」
ピアスの声に応じ、啓介はフランジェスカを見る。
「いや、私はお前の護衛だ。側を離れるわけには」
そんなフランジェスカをそっと両手を突きだして押しとどめる。やんわりと、啓介は労わりをこめて笑う。
「またあいつらが戻ってきたら、ピアスと追い払って欲しいんだ。大丈夫だよ、こっちにはサーシャがいるから。な!」
「そうだな。我らの可愛い灯を、あんな輩に殺されてしまうのは腹立たしい。安心せよ。なに、アジトを少しばかり土くれに変えてくるだけだ」
にこっと邪気の無い笑顔で言うから恐ろしい。
魔王の名に相応しい笑みを浮かべるサーシャリオンに気圧されたのか、フランジェスカは冷や汗をかいて頷いた。
「わ、分かった。私はここにいる。そして、行った先でお前達が決めたことに口出ししたりもしない」
「ありがとう」
啓介は一つ頷くと、イェリを振り返る。
「じゃあ、行きましょう」
「おう」
「ああ」
店の奥からハルバートを取って来たグレイも普通に参戦する気でいるようなので、啓介は首を傾げる。
「グレイさんも行くんですか? まあ、多いほうが心強いですけど」
「行くに決まっている。アリテの敵だ。女に怪我をさせる奴など、屑の中でも屑だな。ヘドロでもいい」
無表情で淡々と吐き捨てられると妙に迫力がある。
そういえば黒狼族は女性が優位だったなと思い出した啓介だった。




