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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
レステファルテ国王都編
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第九話 処刑  1 



 じめっとした空気が気持ち悪かった。

 ズキズキする頭に無意識に眉を寄せながら、けれども温かいその場所で目を覚ます。


 ……どこだ、ここ


 ぼんやりとした薄暗闇。

 ここが暗いせいでそう見えるのか、それとも自分の目がかすんでいるのか判断がつかなかった。

 地にうつぶせに伏せたまま、ぼうっと薄汚い石造りの床を眺める。

 ゆっくりと何故こうしているのか思い出しかけた時、ふと背後の温もりが消えた。移動する気配がし、そして、灰色の毛をした狼が覗きこんできた。


「クゥン?」


 可愛らしい鳴き声とは裏腹の厳つい顔に、目をみはって凍りついた。



   *  *  *  *  *



 無事にパーティー登録を終えて薬屋へ戻る途中、見知った顔を見つけて啓介は声をかけた。


「グレイさーん!」


 おーいと手を振ると、グレイは足を止めて振り返る。端正な顔立ちに表情は全く見られない。

 おっかない人だなあとは思うが、あまり気にならない。無愛想には修太で慣れている。ここまで顔から感情を読みとれない人には初めて会ったが。


「町中で恥ずかしい呼び止め方をするな」


 一応立ち止まってくれたのは、苦情を言う為らしい。


「町中だからこそですよ。こんな人の多い所で、小声で呼び止めろっていうんですか?」

「…………」


 もっともな言い訳に、グレイは黙り込んだ。

 僅かに息を吐き、問う。


「……それで、なんだ?」


 左腕に果物の詰まった麻袋を抱えたままグレイが問うので、啓介はにこやかに答える。


「知り合いを見かけたから声をかけてみただけです!」

「…………」


 またグレイは黙り込んだ。

 なんだろう、変なことを言った覚えはないんだけど。


「薬屋に戻るんですか? 俺達も一度イェリさんのお店に戻るんですよ。良かったら一緒にどうですか?」


 知り合いを見つけたら声をかけ、帰り道が同じだったら同行しないかと誘う。コミュニケーションの基本をさらっとこなし、啓介はにこにこと笑った。

 その後ろで、ピアスがよく賊狩りに声をかけられるなあと感心しているが、さっぱり気付いていない。啓介にとっては普通で自然のことだ。


「……構わんが」


 グレイはぼそりと返し、ちらりと啓介達を見る。


「シューターがいないな」

「シュウなら、薬屋で買い物してます。それを迎えに行くんですよ」

「なるほど」


 通りの流れに乗って、南商業区をスラム街のほうへ歩きながら、グレイは言う。


「子ども、お前のほうが子どもらしいな」


 比較対象が何かすぐに分かった。


「シュウだって子どもですけどね? 十七ったって、俺らの国では未成年ですし」


 啓介が何気なく返した言葉に、グレイとピアスが思わずという調子で声を揃える。


「「……十七?」」


「ケイ、待って。誰が?」


 空耳かしらとこめかみに手を当て、ピアスが問う。


「え? 俺とシュウだけど」

「君も!? ええ? でもシューター君てどう見ても十二かそこらじゃない。そりゃ大人びてるけど」


 若返ったなどと本当のことをここで暴露するわけにもいかないので、啓介はとりあえず笑ってごまかすことにした。口が滑ったとはいえ、事実なのでついというか。ごめん、シュウ。小言なら聞くから、腹に拳めりこませるのだけはやめてくれ。

 ここにいない少年に心の中で懺悔しつつ、啓介は苦笑を浮かべる。


「まあ、でも実際そうなんだよな」

「あたしの常識だとすでに成人してるわよ? あれで成人かぁ。ケイ達の故郷だと成人はいつなの?」


 さんざん驚いた後、ピアスは小首を傾げた。

 仕草の一つ一つが妙に可愛らしく見えるので困る。話の途中でぼんやりしてしまいそうになるのだ。


 美人だからって、なんでこんなに目をひくんだろう。

 原因はよく分からないが、ピアスのことなら幾ら眺めていても飽きないだろうし、なんとなく側にいたい気がする。不思議だ。妹と重ねて見ているんだろうか。分からない。

 啓介は自分の気持ちに心の中で首を傾げながらも、質問に答えることにする。


「二十歳だよ。ピアスの国では何歳で成人なの?」

「十五よ。この辺の国はだいたいそうね。だから冒険者ギルドの登録も十五歳からなの」

「ああ、そういう意味だったんだ」

「黒狼族は十三が成人よね?」


 ピアスがちらっとグレイを見上げると、グレイは頷いた。


「そうだ。とはいえ、集落の外に初めて出るようなガキだからな、外にいる世間慣れしている大人に一年間師事する慣例がある。たいていは父親の元で学ぶことになる」

「でも、グレイさんって子どもの面倒を見ることが多いらしいじゃないですか」


「全ての父親が突然やって来た息子の面倒を見るとは限らないからな。それに死んでいることもある。そういう場合は、他の同族の男が面倒を見るんだ。何故か俺の所によく送られてくるから、仕方なく見ているだけだ。……イェリには恩がある。あいつの頼みは断れん」


 どうやらそういった子どもをグレイに送りつけてくるのはあの薬屋の男らしい。


「それと、子ども、俺のことはグレイと呼べ。“さん”もいらんし、“旦那”もいらん。“賊狩り”とも呼ぶなよ。全く、人間ときたら余計な呼称をつけるから面倒だ」


 やや煩わしげな声で呟くグレイ。


「分かりました。俺もケイでいいですよ?」

「……気が向いたらな」


 グレイの返事はそっけない。

 ピアスの言う通り、認められないと名前を呼ばれないというのは本当らしい。

 少し残念な気はしたが、問題はない。相手の名前を知っていればコミュニケーションは成り立つ。

 薬屋まではまだ距離がある。

 ここぞとばかりにこの国のことや名物を知らないかなどと話しかけると、グレイは邪険にこそしなかったけれど、呆れたように一人呟いた。


「よく喋る奴だな」



     *


 その男達が薬屋に足音も粗く入ってきた時、修太はまさにイェリから魔力混合水と魔力吸収補助薬を受け取り、旅人の指輪の中に仕舞いこんだところだった。

 やおら、イェリが修太の胸倉を掴み、カウンターの後ろに引きずり倒したので、なんの身構えもしていなかった修太は一回転した挙句、背中を打って咳き込むはめになった。

 痛いとか怒るとかの不平を口にする前に、何が起きたか分からなかったというのが正しい。ついでに目が回ってもいた。

 異常な気配を感じ取ったアリテが、すっとカウンターの後ろに身を潜ませ、目を白黒させている修太に近寄る。


「しっ、黙って。じっとしてて」


 年下であるアリテが(見た目が同年代なのはこの際置いておく)真剣な目で静かに声を出すのを制したので、修太は勢いにのまれて言葉を飲み込んだ。静かに半身を起こし、四つん這いになってじりじりとカウンター裏に寄りそって、様子を伺う。

 何がなんだか分からないが、厄介事だと分かる。


「黒狼族のイェリだな?」


 乗り込んできた白の法衣を纏った男の一人が問うた。

 質問しているが、確定に近い。


「あんだぁ、お前ら。人さまの店にずかずか押し込んできやがって」


 男二人に槍の先を突きつけられているというのに、イェリは動揺した様子も見せず、ぞんざいに見る。


「あいにく、うちのお客は怪我人か病人てぇのが相場でな。どうも診察の必要はなさそうに身受けるが?」


「黙れ! 荒野の狩人! 貴様が故郷から出た奴らの居場所を全て把握しているのは知っているんだ! リストを寄越して貰おうか」


 声からして若い男が、ずいとイェリの首筋に槍先を突きつけながら要求する。


「リストぉ?」


 イェリは訳が分からんという顔をした後、面白そうに笑いだす。


「いきなり来て、何を言い出すかと思えば、そんなもんを探してんのかい。んーん。見たとこ、白教徒っぽいな。相変わらずご大層な格好で」


 くくっと笑うイェリの様子に、若い男が顔を赤くする。


「余計なことを言うな!」

「……落ち着け。イェリ殿、質問に答えて貰えるかな?」


 一番最初に口を開いた、年の頃は五十代ほどの男が問う。薄黄色の目には、不気味な光が宿っている。


「あんたは偉そうだから、話が分かるかな? 俺はそんなもんは知らねえよ」

「……知らないはずはない。貴様が奴らの繋ぎ役なのは、少し調べれば分かることだ」

「もしそうだとして」


 イェリは平坦な口調で言う。


「仲間を危険にさらす真似を、俺がすると思うか?」


 イェリの黒目は、冴え冴えとして温度が無かった。

 店内にピンと糸を張ったような緊迫が生まれる。

 槍で脅されても何も語る気はないと宣言するイェリに、白い法衣を纏った侵入者達は鋭い視線を向ける。


「しないだろう。だが、手はないわけではない」


 男は静かに答え、右手の指をパチンと鳴らした。



「きゃああっ」



 アリテの小さな悲鳴が響く。

 突然、足元の床が隆起し、手の形となった岩が石造りの床を突き破って現れ、アリテの小さな体を握りしめるようにしたのである。


「アリテ!」


 イェリがそちらに一歩踏み出そうとした瞬間、槍先を更に突き付ける男二人。イェリの顔が忌々しげに歪み、殺気が零れ出す。


「貴様が、その血の繋がっていない娘を、掌中の玉のごとく大事にしているのは知っている」


 くくっと笑う男。


「まあ、そのことを教えてくれた者は、我らの飼っている化け物に“処刑”されたがね」


 なんつー陰険野郎だ、この爺。

 修太は岩の腕に握りつぶされそうになっているアリテを見上げながら、心の中に火が灯った。


「お、お父さん……うう……っ」


 苦しげにイェリを見つめるアリテを認めた瞬間、イェリの顔から余裕が消えた。ギラリときつい目で男達をねめつける。


「てめえら、俺の娘に手ぇ出して、ただで帰れると思ってねえだろうな?」

「おや、どうするのだ? 貴様が動くと同時にその小娘が死ぬ。分かりやすくていいだろう? 貴様がすべき行動は一つだ」


 どこか面白がるように、淡々と告げる侵入者。

 リストを寄越せと、そう言いたいらしい。

 聞いていて修太は色々限界だった。

 危ない。隠れていたほうがいい。厄介事なんかごめんだ。そんな心の声を無視し、岩の腕を手で叩く。


「このやろ! 外れろ!」


 叩いたくらいでどうにかなるとは思っていないが、手が痛いだけというのも切ないものだ。


「なんだ、あのガキ……」

「ここに別のガキがいるとは聞いてないが」


 男達はけげんに呟くが、誰も止める様子はない。それどころか馬鹿にしたような笑いを唇に乗せ、面白いものを見る視線を向ける。

 どう見ても、人力ではどうしようもない魔法に立ち向かう、無知な子どもの姿そのものだったのだ。


(ああもうっ、こんな時くらい魔法出やがれ!)


 どうやって使うか分からない無効化の魔法。勝手に発動するそれが今こそ必要だった。

 驚いたような目で修太を見下ろすアリテには気付かず、どうにかしてこの岩の塊を消したいと思う。



 自分は無力だ。

 こんな子どもの姿をしているし、ここに来てから病気になって体が弱くなった。

 魔法を使えば具合が悪くなるのは分かっている。

 けれど目の前の知人くらいどうにかしたいと思って何が悪い。


 俺は眼前の他人の不幸を見なかったフリが出来る程、腐ってはいないつもりだ。

 ましてや相手はこんな子どもだ。

 こんな、小学校に通っているくらいの小さな子ども。


 それをあいつらときたら、脅しの道具になんかしている。人として最低だ。

 最低最悪の治安の悪い国だろうと、そんなん知るか。



 肝心な時に役に立たない自分に苛立って目をぎゅっと瞑る。


 足手まといでもお荷物でもないと、証明したい。

 俺が、当たり前に生きるだけで誰かを助けられるのだと、そう信じたい。

 役立たずなんて御免だ。


 そうしてギッと眉を吊り上げて目蓋を開けた時、修太の黒目には青い魔法陣が浮かび上がっていた。

 そしてその魔法陣は岩についた手の表面にも浮かび上がり、魔法陣が形作られた瞬間、岩は砂に変わって消え失せた。


 唐突に束縛が消え、落下するアリテをとっさに手を伸ばして受け止めようとしたが、体格がほぼ同じなことも手伝い、一緒になってもんどりうって床に倒れ込む。


「ぅぎゃあ!」

「ひゃっ」


 ……悪い、アリテ。重い。

 膝をついた中腰姿勢で格好良く受け止めるなんてのがそもそも無理な話だ。


「なっ、無効化しただと!」


 男達が動揺した瞬間、制限がなくなったイェリは自然な動作で槍の柄を掴み、思い切り奥へと押した。


「うわっ!」

「なっ!」


 イェリの膂力 (りょりょく)に押され、後ろへとよろめいた瞬間、カウンターに右手をついて飛び上がったイェリが、若い男二人の顔面をそれぞれ両手で掴んで後ろへ勢いよく落とす。ゴッという音が響き、男二人は後頭部を打ってそのまま静かになった。


 だが、男達を束ねているらしき五十代の男は気に留めず、すっと左手を上げる。

 すると男の後ろにいた一人が、手を叩く動作をした。三人の周囲に水の膜が張られる。お陰で、イェリは拳を勢いよくふるったのに、水の壁に阻まれて攻撃が無効化された。


「ちっ」


 低く舌打ちし、一歩後ろへ跳ぶ。


「カラーズが二人もいるとは、()がわりぃ」

「そんなことないわ、お父さん。カラーズならこっちにも二人いる」


 持ち直したアリテが、左腕を右手で押さえて眉を寄せながら、小さく呟く。

 俺も数に入ってる!?

 修太が動揺している横で、アリテが手を当てている場所に淡い青の光が灯っているのを見てとり、イェリは低くうなった。ぐぅぅと、まるで狼のそれのように。


「貴様ら、アリテに怪我させやがって……! 砂漠に埋めてやる……っ!」


 そして拾った槍を構えた瞬間だった。


 カララン。


 最悪のタイミングで、啓介達が帰って来たのは。



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