7
「相変わらず、イェリは阿呆だな」
何やら剣呑としている空気の理由を聞いてグレイは一言こう言った。
ぐぅっとうなるイェリを無視し、ちらりとアリテを見る。
「アリテ、必要な物があれば買ってくるが」
「果物を何か買ってきて欲しい。五個。なんでもいい」
「分かった」
グレイはカウンターの後ろを通り抜け様、アリテの頭にポンと手を置いてから、まるで何事も無かったかのように去っていった。フード付きの裾の長いマントを着ているだけで、武器は持っていかない。
パタンと閉まった扉を見ながら、修太は衝撃を隠せない。
やっぱり、やっぱりだ。グレイはあの無愛想さに似合わず子どもの扱いに慣れている。
アリテにした仕草といい、子どもに対する態度まんまだ。
(似合わねえ……!)
違和感がありすぎて、呆然としてしまう。
それをぶるぶると頭を振って追い払い、修太は現実逃避の為にも今後の行動について考えることにした。
フランジェスカの報告だと、情報屋でもガーネットの居場所については分からないらしい。で、大会の褒章が大粒の柘榴石で、しかも孤島の塔からみつかったものだとか。なんとなく無関係に思えない気がするのは、修太が浅慮なだけなんだろうか。
「ふと思ったのだが、フローライトに訊けばいいのではないか? 遠く離れていても、互いのことは分かるようではないか」
修太が難しい顔をして考え事をしているのに気付き、内容をなんとなく察したのか、サーシャリオンが眠そうに言った。あくびをしつつ、ちらっと啓介を見る。
「そういえば忘れてたな。フローライトさんがいたんだった」
啓介がぽむと手を叩いた時、すうと空気から溶けだすように少女の姿が現れた。
「!」
ぎょっと目を瞠ったイェリは、ばっと後ろに下がり、アリテを背後に庇う。
フローライトの幽霊みたいな登場のしかたに、金縛りにあったように凍りつく修太の横で、啓介とフランジェスカは目を瞠り、ピアスは唖然と口を開けた。欠片も動揺を見せないのはサーシャリオンだけだった。
「……呼んだ?」
短い銀髪と紫色の目をした、今にも消えそうな空気を宿した少女は、やはり片手に燭台を持ったまま現れた。
フローライトは茫洋とした目で啓介を見て、ふと上を見る。
「ふうん。ここは王都だね。ガーネット姉様の気配が近い」
「居場所、分かるのか? ……そもそも、出てきて大丈夫なのか?」
フローライトはこくりと頷く。
「君は〈白〉だろう。光の気配が強いから、ボクが消える心配はない。むしろ、お陰でだいぶマシになった」
二番目の質問にだけ答え、ピアスとイェリとアリテを順に見る。
「どうやら不味い時に出てきたようだね」
イェリは警戒しつつ、恐る恐る尋ねる。
「……本物の蛍石の魔女? 太古の魔女で、知の賢者?」
「それで合っているよ」
ぽそりと返し、じっと啓介に視線を据えるフローライト。
「ボクに聞きたいことがあるようだけれど」
「えっ。ああ、ガーネットさんの居場所、もっと詳しく分からないかと思って」
あんまり凝視するので、居心地が悪そうにしながら、啓介は白状する。
「……姉様は今、眠ってる。人の姿をしていない。ボクらの元の姿、宝石の姿に戻っている。そういえば、前に起きていた時、景品にされたと言っていたな。いつでも逃げられるが、今逃げると宝石の番人の立場が悪くなるだろうから助けてくれって、僕らに泣きついてきたんだ。そんなの、番人を蹴散らして出てけばいいのにね」
とつとつと、やや物騒なことを言うフローライト。
「景品……」
なんだか嫌な単語を聞いた。
修太は低くうなる。
「居場所は、あっちだ。随分高い場所にいるようだよ」
フローライトが東を指差して言うと、今度はイェリがうめいた。
「高い場所であっちとなると、内殻っぽいな」
頭が痛そうに額に手を当てる。
「ってことは何か。魔女の言う事をかんがみるに、今度の祭りの褒章は、太古の魔女ってことになるのか?」
「正確には、正体が魔女と知られていない柘榴石だ」
フローライトは端的に間違いを修正する。
それから不思議なことを聞いたというように、数度瞬いた。
「日祭りの景品にされるなんて、姉様、流石だな。そうなかなかなれることじゃないよ」
「……うん。まず宝石になれる人がそういないしな」
どっと襲ってくる疲労感から目をそらし、修太はぼそりと返す。
「姉様の望みは、番人に迷惑をかけないで助けられることだ。君達の誰かが優勝すれば問題ない」
とんでもないことをあっさり言ってくれるフローライト。
「簡単に言うなよ!」
なんだこのおとぼけ女、寝ぼけてんじゃねえのか。
修太が噛みつくと、フローライトはにこりと笑った。
「大丈夫、君に出てなんて言わないから」
嫌味か。そりゃあ修太一人じゃ予選通過も厳しいだろう。子供のなりだしな!
「それに、あなたが出れば問題ないでしょう?」
意味ありげに見られたサーシャリオンはくつりと笑む。
「ふぅむ。仕方ない。ここは個性的な我が手を貸すべきか。我は活躍するぞー。個性的だからな」
個性的という単語が気に入ったらしい。やたらめったら強調しながら笑うサーシャリオン。とても楽しそうだ。
「サーシャが出てくれれば助かるな。武闘大会という言葉には少々心揺れるが、人の視線にさらされるのは困る」
渋った声を出すフランジェスカ。
任せておくがよいと胸を張るサーシャリオン。
なんだかんだでサーシャリオンはこき使われている気がする。面白がって話にのる方も悪いが。
「問題は解決したみたいだね。じゃあ、ボクは戻るよ。マシになったといえ、まだ疲れるんだ……」
フローライトは静かに呟く。半透明の姿が徐々に薄らぎ、空気に溶け込むようにして消えていった。
静まり返る店内。
目を丸くして、フローライトが消えた場所を見つめていたピアスは、はたと我に返るや、あわあわとその空間を指差す。
「なっ、何なの! 消えたり現れたり! しかも魔女ですって!?」
ガーネットが魔女だなんて聞いてないわよとまくしたてるピアスの前に両手を突きだし、まあまあと啓介は苦笑する。
「えーと、俺、魔女ってそんなに驚かれる存在だとは知らなくて……」
困ったように視線をさまよわせる啓介。視線がこっちに向いたのに気付いて、修太も同意する。
「啓介に同じく」
そして今度はフランジェスカに目を向ける。フランジェスカは肩をすくめた。
「すまない、ピアス殿、アリテ殿。彼らに常識を教えておくべきだった」
どうやらフランジェスカはピアス達側らしい。
サーシャリオンは聞くまでもない。どう考えても、魔女のどこが驚く存在なのかと返すはずだ。
「俺にはないのか?」
イェリが半眼で見ると、フランジェスカは冷笑を返す。
「貴様に向ける気遣いなど存在するか」
「…………」
ばっさり切り捨てられ、傷ついたように胸に手を当てるイェリ。
自業自得なので気にしないことにする。
「伝説の魔女に会えるなんて……。夢みたい」
さっきまで取り乱していたピアスだが、少し落ち着くと、今度は両手を祈るように握りしめ、憧れを込めて呟いた。
「お前ら、いってぇ何者だ?」
好奇と疑念をないまぜにしたような目を、イェリが向ける。
啓介はあははと困ったように笑い、後ろ頭をかく。
「何者って言われても……。ただ、不思議現象を探して、エレイスガイアのあちこちを旅してるっていうだけです」
「そうそう。ちなみに俺はこいつに付き合って旅してるだけで、不思議好きじゃないからな」
「我は面白そうだからついてきているぞ。いい暇潰しだ」
「私は……事情があってな。この二人を護衛しつつ、旅を共にしている形になる」
修太は念を押し、サーシャリオンは気ままに笑い、フランジェスカは淡々と答える。
「なんだそりゃあ……」
訳が分からん。イェリは天井を仰ぐ。
「お前らに危ないにおいはしないし、グレイも何も言わんということは、まあ、無害っていうことなんだろうが。変な連中だ」
そんな呆れ果てる父親に、アリテは落ち着き払って冷静に指摘する。
「お父さん、この人達が変なのはここに来た時からずっとだよ」
「そうかぁ、アリテ。最初からかぁ」
「うん、最初から」
よしよしと愛娘の頭を撫でてやるイェリ。
なにが、そうかぁ、だ。妙な納得の仕方すんな。
「そんなことより!」
やおら生ぬるい空気を切って捨てたピアスは、相変わらず祈るように胸の前で手を組んだまま、紫の目をキラキラと輝かせた。
フローライトと似たような外見な割に、持っている空気が全然違うのがすごい。フローライトは静かな夜みたいな雰囲気で、ピアスは春の花畑で遊ぶウサギみたいな躍動性がある。
「もしかして、あんた達にこのままついていったら、柘榴石の魔女に会えるの!?」
修太は目を瞬く。
「……上手くいけば? なんだ、会いたいのか?」
「そりゃあ会いたいわよ! 伝説の存在よ! 人で会えた者はほとんどいない、知の賢者よっ! 冒険者なら一度は到達したい存在よ! 憧れよ!」
くううっと息をためるピアス。たまらないとばかりに、勢いよく啓介に詰め寄る。
「ケイ、君がこのパーティーのリーダーなんでしょ? ねえ、良かったら私もパーティーに入れて!」
「へ? え? パーティー? いや、別にパーティーじゃなくて。てゆか、俺、リーダーじゃなっ、いてえ!」
気圧されてしどろもどろな啓介の足を、修太は思い切り踏んづけた。
……おのれは。せっかくの棚からぼた餅を台無しにする気か。
我ながら胡散臭い笑みを浮かべ、修太はピアスに言う。
「そうそう、こいつがリーダーだ。いいじゃねえか、啓介。一人くらい増えたって。なあ、フランやサーシャもそう思うだろ」
足を押さえてしゃがみこんでいる啓介を尻目に、他の二人に問う。
フランジェスカはやや考え込むように顎に手を当てる。
「……ふむ。まあ、この娘なら足手まといにはならなそうだしな。旅慣れているようだし、我らの知らない常識も知っている」
「我は関与せぬよ。好きに決めよ」
サーシャリオンは相変わらず無関心だ。
おっし。フランジェスカがオーケーを出せばしめたものだ。こいつくらいだからな、反対するのは。
心の中でガッツポーズをする修太の横では、恨みたっぷりに啓介が睨んでいたりするが、無視しておく。
「後は啓介だけだぜ」
「……」
もう一度しっかり修太を睨んでから、啓介は立ち上がる。そしてピアスに向き直った時には照れたような笑みを浮かべていた。
「俺はもちろん構わないよ。よろしく、ピアスさん」
「やった! よろしくね、皆。あと、仲間になったんだから“さん”はいらないわ」
そう言って、心の底から微笑むピアス。そして両手をパンと合わせ、はきはきと言う。
「よぉーし、こうなったらお婆のお遣いは後回しよ。手紙を出しておけば問題ないわ。まずはギルドに行って、パーティー登録しなきゃ!」
更に勢い込んで右の拳を上へ突き上げる。
「善は急げよ! 行くわよ、リーダー!」
「え? なに、パーティー登録って。ちょっとピアスさんっ」
「“さん”はいらないったら」
猪突猛進なのか、啓介の左腕を掴んでぐいぐい引っ張っていくピアス。啓介はやや慌てた声を上げるが聞く耳を持たない。あっさりと扉の向こうに消えて行った。
「我らも行こう」
「あ、フラン、待て。俺、ちょうどいいから買い物してく。財布を返せ」
財布というか、コイン袋か?
「買い物? ……ああ、なるほど。では、用事が済んだら迎えに戻る。ここから出るなよ」
フランジェスカは首を傾げ、それから一つ頷き、財布を返すと一言念を押してから出て行った。
「ギルド関係なら、我も行かなくてはいけなさそうだ。店主よ、しばしこの子どもを頼む」
「おいおい、出会ってすぐの他人に何を頼んでんだ」
イェリが呆れるが、サーシャリオンは良い笑顔を浮かべる。
「ふふ、そなたが信用に値するのは、においで分かる。お前達流に言えば、な」
イェリは後ろ頭をがしがしとかく。
「こりゃ参ったね。ああ、もう分かったよ。こいつを見ていてやっから、用事を済ませてこい」
サーシャリオンはふっと口端を上げて笑うと、そのまま身を翻して薬屋を出て行った。
カランカラン……
カウベルの音が鳴り響き、やがて消えた。