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王都オルセリアンの西北には、特に貧しい者達が暮らすスラム街がある。そこから程近い、一応は南商業区の端っこに位置している場所に、イェリの薬屋はある。
隣が三階建ての家なので、イェリの小さな店の敷地は正午にしか日が差さない。影の中にひっそりとある佇まいだ。
日干し煉瓦造りの四角い家は平屋で、表の扉は木製で水色に塗られているが、ところどころ塗装が剥げていた。扉脇には木製の板が打ちつけられ、店名のつもりなのか「薬屋」とだけ書かれている。
どんなぞんざいな人物が店主なのだろうと疑問を覚えるが、店周りは綺麗に掃除されているから、薬屋として清潔さは保っているようだった。
「こんにちは! あ、アリテちゃん。久しぶり。イェリおじさんいる?」
ピアスは扉を開けて中に入るなり、笑顔で挨拶した。背後で扉に付けられたカウベルが甲高い音を立てるのを聞きながら、店内を一瞥する。
まず真っ先に目に入って来たのは、カウンターに座る少女――アリテだった。年は十二か十三くらいだろうか。真っ黒い髪を細い三つ編みにして両肩に垂らし、大きな目は瑠璃色だ。藍色とはまた違った、鮮やかなブルーだ。
(綺麗な色だなあ……)
歳の割に落ち着いた光が宿った瞳は、静かな水面を見つめているみたいな気分になる。
修太が無意識に直視していたせいか、アリテがわずかに眉を寄せる。
「……そんなにこの怪我が気になる?」
静かな印象の少女は、声も静かなトーンだった。けれど声には隠せないきつさが滲んでいる。
その問いで、修太は初めてアリテの右目を覆うように包帯が巻かれているのに気付く。隻眼だったのか。
「……あ、悪い。目の色が綺麗だったから、ついがん見しちまった。なんだろ、青色、いや、違うな。ラピスラズリって石の色に似てる」
慌てたせいで、意味の分からないことを口走る。
ああ、止まれ、俺の口!
「う……、妙なこと言ってすまん……」
結局、正々堂々謝ることにした。
うなだれ、気恥かしさで赤くなった頬をごまかす為にフードをつまんで引き下げる。
「初対面でそんなこと、初めて言われた。ピアスちゃん、この人達、どうしたの?」
アリテは声を若干和らげ、ピアスを見上げる。
アリテの肌は白く見える。皮膚が出ているのは首から上だけで、白い糸で繊細な模様を刺繍した紺色の長衣を着ている。どことなく神官が着るローブのようにも見える。カウンターに乗せている手には白い手袋をはめるという徹底ぶりだ。
そんなに日焼けしたくないのだろうか。
日本の高校で、女生徒達が日焼けは嫌だと散々ぼやいていたのを思い出し、修太は内心で首を傾げた。
「今日で完了した護衛の仕事で、同じ隊商にいた人達なの。今の面白い子がシューター君で、彼がケイ、素敵お姉さんがフランジェスカさんで、変わり者のダークエルフのお兄さんがサーシャさん」
なんだその紹介のしかたは。褒めているのがフランジェスカだけというのが気に食わん。
「面白いって、なんだよ。サーシャが変なのはともかく」
思わず突っ込むが、啓介が羨ましそうに横から言った。
「いいなあ、シュウ。面白いって、すごい褒め言葉じゃないか」
「どこがだ!」
「普通より断然良い言葉だろ?」
真剣に問う啓介。
いまいち、こいつの人生哲学が分からん。
「……俺は普通でいい」
「ええー」
口を尖らせる啓介に、サーシャリオンが零す。
「我なんて変と言われたのだぞ。面白いほうがいい」
「何を言ってるんだよ、サーシャ。変って言葉もすごい褒め言葉じゃないか! いいか、変ってことは、個性的ってことだ。個性があるって良い事だろ。それに昔っから、物語で活躍する人は皆個性的だったんだ」
とうとうと力説する啓介。
呆れたポジティブ解釈っぷりだ。
しかも笑顔で自信満々に語るのを見ていると、それでもいいかという気がしてくるから不思議なものだ。
案の定、サーシャリオンは上機嫌に笑った。
「では我は活躍する側なのか。ふふっ、それはいい」
修太は啓介を見上げてきっぱりと言う。
「安心しろ、啓介。お前も十分に変人で面白い」
「まじで? やった!」
ぱあと表情を明るくし、満面の笑みを浮かべる啓介。
そんなことを言われて喜ぶのはこいつくらいだろう。
ほんと、黙って立っていればそれこそ物語のヒーローだろうに。口を開くと残念なオカルト野郎だ。心の底から良い奴なのが救いだろうか。
アリテは修太達四人を生ぬるい目でじろじろと観察し、結局、ピアスに視線を定める。
「この変な人達、冒険者? 薬と治療のどっちが入用なの?」
どうやら話すのが面倒になったのか、アリテは仕事に取り掛かる姿勢になった。
ピアスは首を振る。
「どっちも違うわ。イェリおじさんに用があるの」
「ああ、あっちのほう。……悪いけど、今はお客さんが来てるの」
出直してきて、とアリテが付け足した時、カウンターの後ろの扉が開いた。
眼鏡をかけた、背は低いががっしりした体躯の男が顔を出す。五十代くらいだろうか、短い髪は灰色をしており、無精髭が目立つ、白い肌をした男だ。どことなく野暮ったい印象の男は、眼鏡の奥の黒目をおやっというように丸くした。
「おう、アリテ。客か?」
「お父さん」
アリテは男を見て言った。
(えっ、父親!?)
似てない。全然、全く、これっぽっちも。
全力で否定出来る程に似ていないと思った後、男の背後で揺れている黒い尻尾を見て、似ていなくて当然だと思った。
男は黒狼族だ。少女に尻尾はないようだから人間だろう。血が繋がっていないのなら、似ていなくて当然だ。
「イェリおじさん! 久しぶり」
「おっ、ピアス嬢ちゃんじゃねえか。久しぶりだなあ! 一ヶ月ぶりか?」
相好を崩してピアスに笑いかける男。
この男がこの薬屋の店主で、裏で情報屋をしているという“イェリ”なのか。
「今日はどうしたよ。依頼は特に出してないんだが」
「違うよ。今日はあっちのほうのことで、人を紹介に来たの。大丈夫、信用できる人達よ」
ピアスは笑顔で言い、修太達四人を紹介した。
「とりあえず、お前ら、フードを外せ。顔も見せないんなら、相談には乗れねえな。うちはギルド認可の情報屋だから、闇情報は売ってねえ。顔を見せられねえ、身分証も出せねえって奴は端からお断りよ。分かったら、フードを下げて、ギルドカードを出しな」
イェリはやや面倒そうに促した。
四人ともフードを下ろし、フランジェスカとサーシャリオンは鼻までを覆っていた口布を外す。
「これは、礼儀知らずだった。すまないな」
フランジェスカが凛とした態度で謝ると、イェリはたちまちデレッと顔面筋を崩壊させた。
「うおっ、こりゃまたえらい別嬪さんだな!」
「……お父さん、オジサン臭い」
「るせえな、アリテ。いいんだよ、俺はもうおっさんだ」
「…………」
はあ。アリテは小さく溜息を零す。
冒険者ギルドに登録をしている三人分のカードを見て、イェリは面白そうに口元を歪めた。カードを三人に返す。
「こりゃ面白い。冒険者になりたてのヒヨッコが三人。しかも、依頼を一つもこなしていないときた。訳ありかい?」
イェリの黒目がギラリと愉快気に光る。
それにフランジェスカは真っ向から笑い返す。
「なんだ、情報屋と聞いたのに違ったらしい。ここにいるのは詮索屋のようだ」
場数を踏んでる度合いが違うだけあり、イェリのからかいに、皮肉で返す。
イェリは一瞬笑みを消し、しかし次の瞬間、笑いだした。
「はははっ、こいつはいい! 見た目だけじゃない女は好きだ。――いいだろ、取引しようじゃないか。ただし、フランジェスカ・セディン。あんただけだ」
「――ふむ、いいだろう。元々、この用事は私の用事だからな」
フランジェスカはあっさり同意した。
ここじゃ話せないから奥に行くぞ。イェリが促す。
「フランさん……」
啓介が心配そうに呼びかけると、フランジェスカは奥の部屋に行く前に足を止め、男勝りに笑う。
「心配無用だ、ケイ殿。この男の力量では私の首は取れん」
「いや……、そっちじゃなくて、その……」
女の人だし……。
もごもごと口の中で呟く啓介。困ったようにちらちらとフランジェスカとイェリを見比べている。
啓介の心配も最もだ。イェリが女好きだと宣言するような台詞をさっき言い放っていただけに。
まあ大丈夫だろうとは思う。むしろこのおっさんの身を心配すべきだ。返り討ちにあったら、悪夢を見るのは明らかにこのイェリという男だ。
「――フラン」
修太はポンチョの下から取り出すフリをして、旅人の指輪から金の入った袋を取り出すと、それをフランジェスカに放り投げた。片手で軽々とキャッチするフランジェスカ。
「上手くやれよ」
「言われるまでもない」
フランジェスカはふんと鼻で笑い、ひらひらと左手を振り、イェリに続いて奥の部屋に姿を消した。




