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「ハルミヤ、私達から離れないという約束だっただろう?」
啓介の後ろから現れた白銀の騎士を、修太は目を丸くして見た。触れたら切れそうな鋭い気配をした男だ。男の後ろから、更に騎士が二人現れる。
「あ、団長さん。悪い悪い。シュウを見つけたから……」
頭を掻いて謝る啓介を見て、ユーサレトは小さく頷く。どうやら啓介の知り合いみたいだ。修太はまじまじとユーサレトを観察する。
「そうか、この子どもがそうなのか……。 !」
ユーサレトが息を飲んだのを見て、修太は嫌な予感がした。また斬りかかられるかと思ったが、ユーサレトは修太を素通りしてフランジェスカを見ている。
「フラン! お前、こんな所にいたのか!」
「ユーサ団長……」
フランジェスカは苦い顔をして、一歩後ろに退く。
どうやらこちらも知り合いらしい。
「副団長、ご無事だったのですね。無事なのでしたら、連絡くらい下さい!」
「そうですよ、半年も行方知れずで……。団長の荒れっぷりといったら酷いんですよ! こうして自らモンスター討伐になんて来てしまうし!」
部下らしき騎士二人は口ぐちに言いたてる。
フランジェスカは更に苦い顔になった。
「申し訳ありません、ユーサ団長。ですが私はまだ戻れません……」
「どういうことだ、フラン。理由を述べろ」
ユーサレトの鋭い問いに、フランジェスカは顔をうつむける。じっと地を見つめるようにして目を伏せて、ゆっくりと首を振る。
「訳は言えません。ですが、解決すれば戻るつもりです。どうか、私には会わなかったことにして下さい」
修太はフランジェスカの苦々しい横顔を見上げる。どうやら呪いのことは秘密にしているらしい。
(えーと、モンスターの仲間だから〈黒〉が嫌いって論理だったよな? ああ、だからか。モンスターになる呪いにかかってるなんて言い出せないよな)
フランジェスカから聞いた話を思い出し、事情を察する。
「……それは、そこの〈黒〉に理由があるのか?」
低い声だった。
気付けば、ユーサレトが暗い憎悪を含んだ銀の目で修太を睨んでいた。
背筋がゾクリと粟立つ。修太は無意識に後退する。
フランジェスカはすぐに首を振った。誤解だと言わんばかりで、少し必死さが滲み出ている。
「いいえ! この子どもは関係ありません。もしかしたら解決に導く者かもしれぬ故、生かしているだけです! 庇いだてしているわけでも、守っているわけでもありません!」
「………。どんな事情があるか知らんが、〈黒〉を前にして生かしておくなど、聖女レーナ様がお許しになると思うのか?」
ユーサレトは腰の長剣を引き抜いた。
げ。修太は唖然と抜き身の刃を見、更に一歩後ろに下がる。下生えの草が足首に絡んだ。
ユーサレトの行動を見て、啓介が驚いたように修太の前に立つ。
「ちょっ、団長さん。何してるんですか?」
「どけ、ハルミヤ。悪魔の使いを生かしておくわけにはいかぬ。庇うのなら君も同罪だ」
「は? 何の話かさっぱり見えないですが、シュウに何かするってんなら怒りますよ?」
この場の空気が修太にとって最悪なものだと感じとった啓介は、静かに構えの姿勢をとった。腰のフリッサの柄に右手をかける。
啓介の家は金持ちだから、自分の身を守れるようにと、啓介は護身術にと小さい頃から剣術道場に通わされている。その腕は全国大会上位の常連となるレベルだが、試合と実戦は違う。だから、喧嘩程度なら安心していられる修太も、さすがに不安になる。
啓介が戦闘態勢に入ったのを見て、騎士達は皆戸惑った様子を見せる。
「何故、〈白〉が〈黒〉を庇う? 処刑場か収容所への護送中ではないのか?」
おいおい待て待て。何だその不穏な単語は!
修太はますます冷や汗をかき始める。
「はあ? 何だよ処刑場とか収容所って。幼馴染をそんな所に連れていくわけないだろ!」
啓介はとうとうフリッサを抜いた。幅のある片刃の大剣といった感じで、刃は緩やかに波打ち、一見するとでかい包丁のようにも見える。
どうやら今の一言で、頭に血が昇ったらしい。
いつもはへらへらと笑いを振りまいているが、啓介は意外に血の気が多い方なのだ。無闇に暴力を払う輩も大嫌いだから、暴力行為に走ることは滅多とないが、切れた時はやばい。しかも無駄に強いから、止められる人間がいなくて更にやばい。
「啓介、よせ! 鉄パイプならまだしも、お前が今持ってるのは刃物なんだぞ!」
とにかく流血騒動だけは避けなくてはと啓介の左腕に飛び付く。
「いや、鉄パイプでも止めろ」
横からフランジェスカが冷静に突っ込むが、修太には構っている余裕はない。
「この辺の奴らは黒い目の奴を敵視してるんだ。宗教問題だよ、宗教問題。国際問題で一番厄介な問題だよ。分かるだろ!」
腹が立つことに、今の修太では力で劣っているせいか啓介を動かすことが出来ない。元の姿だったら、少し抑えるくらいは出来るのだと思うと歯がゆい。仕方が無いので、言葉で必死に宥める。
「ほら、こんな殺気だってねえで落ち着けって。茨の呪いだなんて、まるで眠りの森の美女みたいじゃねえか。笑えるよな? な? お前の好きな不思議現象っぽいじゃん。ああもう、とにかく落ち着け!」
「……落ち着けるか。事情はよく分からないが、こいつらが危険だっていうのは分かる」
うあああ、マジモード入ってやがる。
スイッチ入れやがって、余計な真似をーっ。
修太の敵に回したくないものナンバー1は、竹刀を構えた啓介だ。空気が凛と涼やかでいて、鋭利な刃のようで、近付いたら負けると本能的に思わされる。例えるなら、猛禽類に狙われたネズミの気分だ。
啓介は近くにいる修太の肌がじりじりとしてくるような鋭い気配を纏いながら、左手を軽く払う。
「いてっ」
あっさり後ろに放り出され、修太は草の生い茂る地面に尻餅をつく。
「……ほう。その歳で、気のコントロールが出来るとは。なかなかだな」
一方、ユーサレトもまた構えの姿勢を取る。長剣を身体の前で斜めに構え、重心を落として僅かに左足を引く。面白そうに口元を僅かに引き上げた。
修太は顔から血の気が引くのが分かった。
こいつら、本気だ。
啓介とユーサレトが足を踏み出そうとした刹那、突如、声が響いた。
――〈黒〉。安寧の〈黒〉よ。ようやく見つけましたぞ!
幼児のような舌足らずな高い声だった。
修太は座り込んだまま、ぎょっと周りを見回す。
どうでもいいが、皆してクロと呼ぶのをやめてくれないものか。俺は野良猫じゃない。
「玉ネギ……?」
右手の奥の地面に妙なものを見つけて、目を瞬く。
地面からにょきっと突き出している緑色の玉ネギは、よくよく観察してみると緑色の蕾のようだった。薔薇の蕾に似ている気がする。
しかし、異様にでかい。バスケットボールほどの大きさはあるようだ。
まじまじと見つめること数秒。ふいに花弁の一部が真ん中から割れ、人の顔が現れた。
「うおあっ!」
軽くホラーだ。
びくりとする修太。
その場にいる全員が、その奇妙なものを見つめる。お陰で、不穏な空気はどこかに消えた。
――探しもうしておりました、〈黒〉の子ども。
「は? え?」
腰を抜かしている修太に、人面つき巨大蕾は幼い子供の無邪気そうな声で続ける。
――どうか、我らが森の主をお助け下さい。
「は?」
突拍子もないお願いに、ますます目を丸くする修太。
――森の主は、茨の呪いで眠りについているのです。
その為、下位モンスターを抑えられるものがいなくなり、人に被害が出ているのです。
このままでは、目覚めた時に森の主はお悲しみになってしまう。
「いや、そんなこと言われても……」
何のことやら。
――〈黒〉よ。鎮める者よ。毒素で闇に落ちたモンスターを我に戻すことが出来るのは、あなただけなのです。
嘆かわしいことに、この国には〈黒〉がいない。ようやく見つけたあなた様だけが頼りなのです。
抑止力となる者を自らの手で狩るとは、人間の何と愚かなことよ。森の主ですら、狂いかけておられる。その為、森の主は、自ら眠りにつかれた。
どうかかの方をお助け下さい。安寧の〈黒〉よ。
人面つき巨大蕾の声に呼応するように、森の周囲から声が続く。
――〈黒〉
――〈黒〉
――我らの明かり
――灯たる〈黒〉
――我らの主を助けて
――助けて
――救って
森中で合唱になる声。
修太は恐れを感じ、身を竦ませる。
「やめてくれ! 俺にそんなことが出来るわけがない!」
耳をふさいで叫ぶ。
――大丈夫です、〈黒〉の子ども。
あなた様が共に来て下されば、それだけで良いのです。
人面つき巨大蕾が、宥めるように言う。
――怖がらないで下さい。我々は〈黒〉を害すことはありません
――そうです、〈黒〉。あなた様から零れている魔力があれば十分です
別の声が重なる。
――鎮静と全ての魔法の無効化。〈黒〉の力が今こそ必要なのです
また別の声が言う。そこで啓介が憤然と怒鳴った。
「誰か知らないけど、勝手なこと言うな! シュウが困ってんだろ!」
一瞬、静まり返る森。
――〈白〉たる子ども。汝は〈黒〉を殺める者か?
人面つき巨大蕾が問う。
「なんで俺がシュウを殺すんだよ。俺達は一蓮托生だ。一緒に神の断片を探すんだからな! それで不思議体験をたくさんする予定なんだ。なのに、さっきからごちゃごちゃとうるさいんだよ。シュウは俺とオカルトツアーをするんだから、俺の方が先約だ!」
自信満々にふざけたことを宣言する啓介。
「待て、オカルトマニア。俺は不思議が大嫌いだっつってんだろ!」
聞き捨てならないので、修太はキッと啓介を睨む。
啓介はじっとりと半眼で修太を見て、きっぱりと言う。
「シュウ、お前に断る権利はない。何故なら、昨日、ハーゲンダッツを食べたからだ。食い逃げは許さん!」
「くっ、珍しくまともなことを……っ」
ぎりりと歯を噛みしめる。腹立たしいが、それを持ち出されると弱い。
――なれば、共に来るがよい、〈白〉たる子ども。茨はオルファーレン様の断片ゆえ。
「えっ、そうなの?」
パッと表情を明るくする啓介。
「それなら行く行く! なあ、シュウ。行ってやろうぜ。断片集めて、またあの幽霊に会わなくちゃいけないんだからな!」
浮き浮きと弾んだ声で言う啓介を、修太はうろんな目で見る。
「なんでお前、そんなに幽霊好きなんだよ……」
「待て、私も行くぞ!」
フランジェスカの名乗りに、修太は顔をしかめる。
「うぇ」
「何だその反応は! 貴様、美女をつかまえて失礼だぞ!」
「美人は嫌いじゃないけど、通り魔はお断りだ」
「だからその失礼な呼称を正せというに!」
「斬りつけたのは事実だろ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いをする二人。修太はフランジェスカと離れたかったが、フランジェスカにはポンチョのフードをがっしりと掴まれてしまった。
この野郎、ちょっと俺より背が高いからって!
当然、ますます不機嫌になる修太である。だが、振りほどこうにもフランジェスカの握力は強すぎて解けない。
怪力女め……!
修太は顔をしかめて心の中で毒づく。
――では行きますぞ。
騒がしいのを無視して、人面つき巨大蕾は言う。
修太達の周囲で風が巻き起こり、木の葉が乱舞する。
「待て!」
それにハッと我に返ったユーサレトが剣でもって斬りかかってくるが、剣を振り下ろした時にはすでに三人の姿は消えていた。
*
「フラン、何故、悪魔の使いなどと共に……」
ギリリと歯を食いしばり、ユーサレトはうなるように呟く。
二人の部下、サミュエルとジーダもまた、不可解そうに誰もいない空間を見ていた。
「団長、あれがこの森に棲むというモンスターでしょうか?」
「おい、サム。そうに決まってんだろ? 顔のある植物なんて、モンスター以外に何があるってんだ」
どちらも頭だけを守る兜を被っていて、顔は見える。団長を示す青いマントや武器以外は装備は同じで、銀色のプレートメイル姿である。
「しっかし、副団長はいったいどうしちまったんだ? 根っからのモンスター嫌いだってのに……」
「何やら事情がおありのご様子。とりあえず、戻ってくる意志はあるのですから、安心しましたが……。それに先程のモンスター達の言葉はいったい……? 〈黒〉が鎮静?」
「ただの戯言に決まっている!」
ユーサレトの鋭い声が場に響く。
部下達はユーサレトから発せられる怒気に、表情を青くして凍りつく。
ユーサレトは手にしていた抜き身の剣を鞘に治めると、ばさりとマントを翻し、森の奥へ向かって歩き出した。
「行くぞ。あの悪魔をモンスターともども屠るのだ!」
「は、はっ!」
「了解しました!」
部下は返事をして、慌てて後をついてくる。
ユーサレトは昏い銀の目で虚空をねめつける。
(フラン、絶対に取り戻す。お前は私の片腕なのだからな)
心の内で決意しながら、同時に忌々しい〈黒〉を思い出す。
あの悪魔に何かそそのかされたのに違いない。
憂いの芽は、おのれの手で摘み取ってくれる……!




