2
ピリカが言うように、墓場砂漠には岩と骨が転がっていた。
赤砂砂漠と違い、砂の色は白に近く、まるで浜辺にいるようだ。あちこちに転がっている白い物が骨ではなく貝だったら、海岸と言われても疑わなかっただろう。
ピリカ達が下ろしてくれた場所は背の高い岩がごろごろしているので、影ができていて涼しい。
「すげー! ほんとに骨がごろごろしてるんだな!」
好奇心いっぱいに周囲を見回す啓介。
「ほんとだなー、カルシウムたっぷりだな。目に痛いぜ」
あいにくこっちは疲労しているので、手近な岩に座った。もうだいぶ日も傾いてきているというのに、白みがかった砂が日光を反射して目がちかちかする。
「今日の野営地はここがいいか」
フランジェスカも落ち着いた態度で、ゆっくりと岩場を見回す。
それを横目に見つつ、修太は啓介に言う。
「だけどよ、太古の竜の骨が残ってる砂漠にしちゃあ、ある骨は小さいよな」
「ええっ、竜の骨があるのか! すげえ! 探そうぜ!」
目をキラキラさせ、すぐ側の岩によじ登り始める啓介。それを見たフランジェスカが「毒虫や蛇がいたらどうする、気を付けろ」と注意をしたが、それを言い終わる頃には啓介は岩のてっぺんに登りきっていた。サーシャリオンは目の上に右手を掲げ、そんな啓介を見上げて感心したように頷いている。
元気なものだと思いながら、修太は旅人の指輪からパネの実を取り出して、魔力補給をかねてかじりだす。喉も乾いていたから美味い。
「なあなあ、野営するんならあそこにしようぜ!」
岩の上から、唐突に啓介が声を張り上げた。浮き浮きと西の方を指差している。
「あそことは?」
フランジェスカが首をひねって指差す方を見、サーシャリオンは「あれか」と呟く。修太も見習ってそちらに目を凝らすと、白い柱のようなものや建物のようなものがずっと向こうに見えた。大地の色にすっかり溶け込んでいて気付かなかったが、あれはなんだろう。
「集落……か?」
自信がなく、啓介を見上げる。
啓介はにっかりと歯を見せて笑う。
「違うよ、シュウ! 竜の骸骨だ!」
お前、竜の骸で野営しようってのか。バチ当たっても知らねーぞ。
結局、竜の骸の地点まで行った。
ああ、行ったとも。
啓介の度重なる催促に負けたのだ。
竜の幽霊出ないかな~、などと鼻歌混じりに歌っている啓介に、修太は、もしそんな幽霊が出たら啓介を餌にして逃げようと決意を固めた。啓介なら本望だろう。むしろ幽霊と友達になりそうで怖い。
骨や岩が転がっていない、砂粒だけの地面の所には、確かに蟻地獄のような渦があったりした。もちろん、普通の可愛らしいサイズのものではない。牛一頭を飲み込みそうな渦だ。穴の底で黒い巨大な虫がギチギチ歯を鳴らしていて不気味だ。こんな所に巣を張って、いったいどんな獲物がかかるんだか。
獲物がモンスターなのか動物なのか知らないが、そのサイズのものもうろついてるってことだ。気を付けよう。
ところで、平屋の一軒家並みに大きな竜の頭蓋骨の中はかなり居心地がいい。日が差さない上に、ちょうどいい具合に風が通るから涼しいのだ。
こんなに過ごしやすいのだから、動物やモンスターの住処になっていそうなものだが、中はもぬけの空だった。せいぜい、虫や蛇がうろついてるくらいで、そういう虫や蛇は火をつけた松明を振り回して皆で追い払った。が、それでも安心ならないと思ったらしいサーシャリオンは、頭蓋骨の中で風を吹き荒らし、塵とともに外へ全て押し出した。目に見えない虫避けの結界つきだ。
氷を張り巡らしたらもっといいのにとサーシャリオンが呟いたのには、修太達三人で声を揃えてやめさせた。そんな所で野営なんて出来ないし、こっちはただの人間なので凍死してしまう。
アストラテで買った薪で焚火をし、火の周りに座る。テントも二つ張っている。それでも余るくらいの広さがある。
こうして、竜の骨の残る砂漠で夜が更けていった。
――三日後。
さすらいの湖が出現しやすいという、半月の日。
修太達は竜の頭蓋骨の上に登り、四方を探していた。
「うーん、湖っぽいのはどこにも見えないな」
フードを目深に被った上に、更に目元に手をかざし、啓介が呟く。その頭上では日光反射の魔法が展開し、時折、光を反射してオレンジ色の格子目が浮かび上がった。
頭蓋骨の上が、この辺では一番の高地だ。物見代わりにちょうどいいが、広い砂漠の中にそれらしきものは見当たらない。
「そう簡単に見つかるわけはないと思うぞ。常に現れている保証もないのだ。持久戦だな」
同様に頭蓋骨の上に座り込んだフランジェスカが落ち着いた声音で言う。
修太はかったるいと思いつつ、無言で頷いた。黒いポンチョのフードを目深に引き下げ、砂漠に目をこらす。白い砂が光を反射して目が痛い。サングラスが欲しい。
サーシャリオンは頭蓋骨内で昼寝している。暑い所は好きじゃないからだと。まあいいけどな、暇つぶしでついてきてるだけだもんな。
面倒で仕方ないが、真面目に探す。こんな砂漠からとっととおさらばするには、とっとと見つけて去るしかないのだ。
結局、それが現れたのは日が沈んでしばらくした夜になった頃だった。
「シュウ、シュウ! 見つけたぞ! あれ見ろ、あれ!」
すっかりやる気を失くして、暇つぶしに『エレイスガイアの歩き方』を眺めていた修太の肩をがんがん揺さぶり、啓介は声を張り上げた。
「なんだよ……」
そんなに大声で叫ばなくても、隣にいるんだから聞こえるっつの。
修太は迷惑顔で啓介の言うほうを見る。
啓介の光の魔法のお陰で、頭上には丸い光の玉が浮かんでいて、頭蓋骨の上を明るく照らし出していた。それに慣れた後だと、遠くの暗い所がよく見えない。じっと目をこらし、ようやく、昼間には砂漠しかなかった場所に小さな湖が出現しているのに気付いた。
「ええっ、どんなふうに出てきたんだ、あれ!」
修太は思わず目を疑った。
「左を見て、次に視線を戻したら現れてたんだ。神秘だ」
啓介の返事を聞き、修太はちらと啓介を見る。その銀の目がキラキラと輝いている。三秒後には駆けだしそうだ。さーん、にーい、いち……
「行くぞ、修太!」
まじで走りだしやがった。
有言実行とばかりに竜の頭蓋骨の上から下りていく啓介。本を指輪に仕舞ってから、渋々修太も竜の頭蓋骨の側壁を伝い降りていく。あちこち風化してえぐれているから取っ掛かりはあるが、足を滑らせたら大惨事だ。
「サーシャ! 湖が出たよ、行こうぜ!」
修太がようやく地面に着いた時には、すでに啓介が、頭蓋骨内で横になっているサーシャリオンの肩を揺さぶりにかかっているところだった。
サーシャリオンは眠たげに目蓋を持ち上げ、眠そうな声で言う。
「我は眠いから、ここにいる。危険もなさそうだしの。童達だけで行って参れ」
左手をひらひらさせて言い、くああと欠伸をしてから、また眠る体勢に戻った。
啓介はとても不満そうにそれを見たが、起きる気配がないと見ると諦めたようだった。
(あれ、おかしいな。休日のお父さんとその子どもに見える……)
TVの前で、休ませてくれと言う父親と、遊園地に連れてってーとせがむ子供の図のようだ。
「仕方ないなあ。じゃあ俺らだけで行こう。な、フランさんも」
「ニャア」
啓介の足元に座っている、ポイズンキャット姿のフランジェスカが、小さく鳴いた。もちろんだとでも返事したかのように。
「シュウ、二ケツしてこうぜ!」
歩くのは面倒だしバ=イクを取り出そうかなと修太が考えたのを見抜いたのか、啓介が笑顔満面に言う。
「へーへー」
そんなに早く湖を見たいんだな。分かったから、少しは落ち着け。
修太はげんなりしつつ、頭蓋骨内を覗くのをやめ、指輪を外に向けてバ=イクを取り出す準備をした。
*
さすらいの湖は、近くまで来ると結構な大きさがあった。周りを一周すると疲れそうという程度には。
「いきなり現れた以外は、普通っぽいな」
修太はそう呟いたものの、不可思議なものには近付かない主義なので、距離を保ったままだ。
それに引き換え、啓介は湖の側にバ=イクを停車させるなり荷台から飛び降り、興味津津に湖の周囲を歩き回っている。一応、用心の為か近くに落ちていた石ころを放り投げたが、何かが起こるわけでもなく、ぽちゃんと音を立てて石は湖に沈んだ。
「こんばんは。良い月夜だね」
「あー、そうですね」
見るともなく石の起こした波を見ていると、横から挨拶をされ、反射で返す。
(…………ん?)
何かがおかしいと右側を見る。
振り向いた先で、紫色の目がにこりと微笑んだ。
「うっわ―――!」
あんまりびっくりしたので、大声を出してその場から飛びのいた。
「なっ、お前、いつから!」
十四、五歳くらいだろうか。短い銀髪と紫の目をした少女が立っていた。白いブラウスの襟元を大きな紫色のリボンで留め、黄土色のベストを着て、紺色の八分丈ズボンを履いている。浅い革製ブーツといい、ボーイッシュだ。
「最初からいたよ」
武器はない癖に、何故か右手に銀製の燭台を持っていて、その上で炎が揺れた。
そして、一番おかしいのは、少女の体が透けていて、向こう側の景色が見えることだった。
「ぎゃあああ、幽霊! 来るな! あっち行け!」
修太は停車していたバ=イクを盾にするようにし、腰を抜かしかけながら盛大に叫ぶ。そんな修太を横目に見て、フランジェスカが馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らしたが、気付かない。
「ええっ、幽霊!?」
驚くどころか好意的な声を上げる啓介。素晴らしい早さで駆けつけてくる。
「幽霊じゃないよ。ボクは魔女だ。ただちょっと存在が希薄になっちゃってね、こうして断片に寄り添わないと姿すら保てない。意味は分かるよね、君達なら」
「魔女? 箒、持ってないよね?」
「箒?」
啓介の問いに、自称魔女の少女は訝しげな顔をした。
「黒いローブに黒いとんがり帽子、月夜に箒に乗って空を飛ぶお婆さんっていうのが、俺らの故郷での“魔女”なんだ。物語の中だけど。あとは、大きな鍋をかき回しているイメージ、かな」
表情が欠けて見える少女は、ちらりと啓介を紫の目で一瞥する。
「君の故郷では、ずいぶんおかしな妄想が流行っているんだね。魔女というのは、古の知を継承する不老の存在のことだ。ボクは特殊だけれど、世間一般ではそう言われてる」
とつとつと語る少女は、どこかぼんやりした瞳で啓介を見て、次に修太を見た。最後にちらりとフランジェスカを見る。
「ボクは断片の一つ、宝石姉妹が一人、蛍石の魔女フローライト。待っていたよ、断片の使徒達」
修太達は目を丸くした。
「宝石姉妹!?」
修太は思わず足元のフランジェスカを見た。
「ボクらはそんなに有名かい?」
フローライトは不思議そうに首を傾げた。
「ボクらは大抵僻地にいるから、存在を知っていても伝説程度のはずなんだけどな」
「俺達、宝石姉妹を探していて。探していたのは、柘榴石の魔女なんだけど……」
啓介もまたちらりとフランジェスカを見て言い、更に付け足す。
「君なら、フランさんにかけられた呪いを解ける?」
フローライトは二人の視線を追い、フランジェスカを見る。
「ああ、やっぱりその子は呪われてるのか。夜の気配がするから、そうじゃないかと思った」
フローライトは静かにフランジェスカに近付くと、その前に片膝をついた。
その様子を見ながら、啓介が更に言う。
「緑柱石の魔女に呪いをかけられたから、宝石姉妹なら呪いを解けるかもしれないって聞いたんだ……。もしできるなら、解いてあげてくれないか?」
話を聞いているのかいないのか、フローライトは表情を動かすことなく、じっとフランジェスカを見て、右手で頭を撫でたり、蝙蝠のような羽を引っ張ってみたりしている。
「無理」
「えっ」
「ボクじゃ無理だって言ったんだ。姉様の呪いを解けるわけがない。それこそ、一番上のガーネット姉様でもないと……。ごめんね、猫ちゃん。ボクは末っ子だから、一番力が弱いんだよ」
困ったように眉を下げ、フローライトはフランジェスカの頭を軽く撫でた。
「うみゃあ……」
残念そうにうなだれるフランジェスカ。
こうしているとまるっきり猫だから可愛く見える。人間の姿より断然。修太は胸中で呟く。
フローライトはちらりと顔を上げる。
「それに、ボクはますます力が弱っていて、こうして別の断片に寄り添っていても存在が消えないようにするのがやっとなんだ。姿だって、半月の夜と満月でしか現せない」
でも、とどこか悲しげに目を伏せるフローライト。存在が希薄なのに加え、ますますはかなげに見えた。
「ボクら宝石姉妹は、人を呪うことは禁じられている。理由が何にせよ、姉様のしたことは許せない。呪いは解けないけれど、君に祝福をあげよう」
フランジェスカの頭に右手を置いたまま、フローライトは目を閉じる。
ふわり。
フランジェスカの周りを淡い紫色の光が包み込む。
「蛍石は、強い光を取り込んで光る石だ。だからボクからの祝福は、満月の夜のみ呪いを無効化するものだ。双子月のどちらかが満月でも有効になる」
「ニャア」
「ふふ、どういたしまして」
手を放したフローライトにフランジェスカが鳴くと、フローライトは目元を緩ませて微笑んだ。
フローライトは立ち上がり、じっと啓介を見つめる。
「封印をするのは君だろう? ボクはその本の中にいることにするよ。ボクら姉妹は五人で一つの断片だから、全員揃わないと封印できないしね。名前を呼んだら出てくるから、用がある時は呼んで」
酷く疲れたような顔で言い、力尽きたように倒れかかるフローライトを啓介は慌てて支える。
「大丈夫か」
「……大丈夫。あと、君達が探している柘榴石の魔女はこの国の王都にいるよ。風の噂だと、困ったことになっているみたいだ。お人好しな姉様らしい……」
僅かに苦笑を浮かべてそう呟くと、フローライトは啓介が首から提げている豆本に右手で触れた。瞬間、ふっと姿が消え失せる。支えていた啓介は、急に消えた感覚に、不思議そうに目を瞬いた。
*
「なんか、あっという間に情報が集まったな」
修太が唖然と言葉を漏らすと、啓介もやや戸惑い気味に首肯する。
「そうだな。ちょっと意外すぎて、少し気持ちが追いついてないけど……。つまりは、この湖はやっぱり断片で、宝石姉妹は五人揃えて封印しなくちゃいけなくて、柘榴石の魔女は王都にいるってことだな?」
確認するように問う啓介。
「そうなんだろ」
修太は言い、湖に視線を転じる。
「次の行き先も決まったことだし、それ、とっとと封印しちまえよ」
「了解~っと」
啓介は軽い調子で答え、左手で首から提げている豆本を掴んだ。
ポン!
小さな白煙とともに、本が巨大化する。
それを適当に開くと、啓介は封印の鍵になる呪文を唱えた。
「ここなるオルファーレンの断片、お前の役目は終わった。我はオルファーレンの使徒。断片よ、ここへ戻られたし!」
啓介が一息に唱え終えると同時に、湖全体が青く光り輝いた。
そして、啓介の立つ眼前の空間が水面のように円状に輝き、さざなみが立つ。
湖はぐるぐると渦をかき、その空間へと細い光となって吸い込まれていく。
全てが光となって吸い込まれると、一瞬、ぶわりと風が舞い起こった。啓介は本を持ったまま衝撃に耐える。
瞬くと、眼前にはただ砂漠が広がっているだけだった。
いつものように本を捲って確認する。
半月の夜空の下、砂漠の中で水面に月を映した湖の絵が新しく現れていた。
啓介が何気なく湖に触れると、スライムかゼリーみたいにふるふると揺れた。いったいこの本はどうなっているのかと毎度不思議だ。でも、不思議なものは好ましいから個人的にはとても好きだ。世界に一冊くらい、こんな不思議な本があってもおかしくないと思う。面白いから全然大丈夫だ。
「おーし。終わったな。くああ、帰って寝るぞ」
バ=イクの座席に座って修太が思い切り伸びをすると、啓介は本から手を放す。ポンと音がして、赤い革表紙の本は豆本へと戻る。
「そうだな。明日はさっそく王都に行かなきゃならないし、体力温存しないとな。隊商に追いつけるかな」
啓介がフランジェスカを手に抱えて、荷台に飛び乗ると、修太がちらと振り返り口端を持ち上げた。どこか面白がるような笑みだ。
「なに、隊商に追いつきたい理由でもあるのかな。啓介君?」
「え?」
啓介はきょとんと目を瞬く。
何故か、不思議と隊商に追いつければいいなと思ったのだ。理由はよく分からない。
「盗賊にあったら、大変だろ」
それらしい言い訳を引っ張りだすと、修太が呆れた目になった。
「ふうん。そういうことにしといてもいいけど。なあ、啓介」
「ん?」
「鈍感もほどほどにしとけよー」
「はあ?」
意味が分からなかった。問い返そうとしたが、修太がバ=イクを発進させてしまったので、それ以上聞けなかった。
第七話、完結。次は王都編です。