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ポナという間抜け鳥の背にしがみついて空を飛ぶこと十分、最初はマエサ=マナから南の方向に、かすんで影だけが見えていた岩山が、明確にその姿を現した。
まるで塔が無数に建っているような光景が広がっている。しかしそれが人工物ではなく自然物なのは、近付けばはっきりと分かった。
――〈黒〉さん、あの一番大きい岩山におねーちゃまの巣があるんですよー。
間延びした声で言うポナに、修太は苛立ちをこめて言う。
「俺の名前は〈黒〉じゃねえ。修太だ」
――シューって言うんですかぁ。なんだかおいしそうな名前ですねえ。
「修太だ!」
強く怒鳴り返す。
シュークリームか、てめえ。
これが意図して修太の苛立ちをあおっているなら心の底から怒れるのに、本人(本鳥?)は無邪気なのでげんなりしてしまう。
天然、面倒くせえええ。
――シューさん、巣に下りますから、しっかり掴まってて下さいね。
しかも人の話を聞いていやしない。
修太は溜息を吐く。
ポナは宣言通り降下し始め、岩山の一番上にある、麦わら帽子を引っくり返したみたいな木の枝や藁でできている巣に向かっていく。
その真ん中に、ポナと同じ配色のオウムに似た鳥がうずくまっているのが見えた。姉というだけあって、ポナの二倍の体長はある。三階建ての家くらいの大きさはある鳥に、修太は目眩を覚える。出来れば近付きたくないが、目的地がそこなのだ。
ポナが巣の縁に着地した瞬間、ポナの姉鳥から攻撃的な気配が放たれ、ポナは姉鳥の強靭な翼で弾き飛ばされた。
――うきゃあ!
悲鳴を上げるポナ。
回転して吹っ飛んだ拍子に、背中にいた修太も落ちる。浮遊感にあっと思った時には、そのまま巣を構成している枝の間に落ち、その枝を掴んでいた。
「…………」
枝が木登りできるほどの太さがある枝だった上、巣がぎっちりと固く作られていたので良かった。枝に左手だけでぶら下がったまま、遥か下に見える地面を見て修太はひやりとした。
――お、おねーちゃま! きゃー、痛い痛い! やめて、羽を抜かないでよぉ!
バサバサと羽ばたく音と、ぶちぶちと何かを引きちぎる音がして巣が揺れる。修太は慌てて右手も枝に添え、両手でぶら下がって揺れに耐える。
どうやら姉鳥がポナに襲いかかって、前にポナが言っていたみたいにポナの羽を抜きにかかっているらしい。
ぐらぐら揺れる枝から落ちるのを回避する為、修太は懸垂の要領で身体を枝の上に引きずり上げた。一歩間違えば落下死の危険があるので必死だ。
なんとか枝の上に乗ると、もっと安全そうな場所を探して上に上る。
――ドン!
巣が大きく揺れ、枝にしがみついて耐える。
そうしながら、こんな所に送りこんだサーシャリオンのことを思い出して内心で決意を固める。
(あの野郎、三発は殴らねえと気が済まねえ!)
野郎でないかもしれないことについては考えない。男の姿の時に殴っておけばこっちの良心も痛まない。
なんとか一番上まで登ると、すっかり息が上がっていた。平和な現代日本で生活するに当たり、ロッククライミングじみた木登りなんてしないから当然だろう。
そして見た光景は、姉鳥がポナを足で押さえこんで、背中の羽を嘴で抜いているところだった。じたじたとポナが暴れるたびに巣が大きく揺れる。
ポナは面倒くさいが、これは酷いと思った。親鳥みたいな鳥が、雛のような鳥を虐めているのだ。
だが、巨体を持つ鳥の喧嘩に巻き込まれたらこっちは即お陀仏間違いなしだ。冷やりとして見ていたら、姉鳥は顔を上げ、修太を振り返った。ポナと同じ緑色の目は血走り、黒く濁っている。
何故か、修太には姉鳥の周囲を包む空気がひどく重いような感じがした。
――そして瞬きをした瞬間、姉鳥が動いた。あっという間に距離を詰められ、衝撃とともに背中から巣に倒れ込む。枝が背中に当たって地味に痛い。
「……うっ」
息が詰まって修太は低くうめく。
姉鳥の足が修太の上半身を押さえこんでいる為に、胸部が圧迫されて息がしづらい。
「クルゥルルルルッ」
姉鳥は鋭く鳴き、濁った緑の目で侵入者を睥睨する。
――〈黒〉さんっ!
ポナが焦ったように叫び、思い切った様子で姉鳥に体当たりをする。
流石の姉鳥も、すぐ側からの衝撃に弾き飛ばされる。
巨大な巣の中で、対立する二羽の巨鳥。
どう見ても、妹鳥であるポナの方が劣勢だ。
――おねーちゃま! わたしが生まれた時の、優しいおねーちゃまに戻ってよぉっ!
ポナの声は涙混じりで、悲痛な叫びだった。
しかし姉鳥はそんなポナを翼で弾き、巣から払い落してしまう。
「ポナ!」
思わず叫んだ。
ひらひらと風に吹き飛ばされる木の葉のように、回転しながら落ちていくポナを視界の隅でとらえる。
「この野郎、少しは話を聞いたらどうだ!」
カッと頭に血が昇り、修太は姉鳥を振り返って怒鳴りつけた。
「クルルルゥア!!」
姉鳥は、甲高い声で鋭く鳴く。
乾いた空に、つんざくような音が響き渡る。
あまりのうるささに思わず両手で耳を塞いでしまう。
姉鳥は巣の中に立ったまま、修太を睥睨していた。頭を振るような仕草をする姉鳥を見て、修太は思う。
姉鳥は、侵入者に対して怒り狂っているのではないのではないか?
ふと、クラ森にすむ森の主がフランジェスカに言っていた言葉を思い出した。
――モンスターは、世界中に漂う毒素を喰らうが使命。毒素を喰らいすぎれば意識は消え、闇へと落ち、ただ暴れるだけの凶暴な魔物に成り果ててしまう。だが、〈黒〉がいれば、モンスターは闇堕ちの恐怖を忘れることが出来る、と。そう、森の主は確かにそう言っていた。
姉鳥は巣に閉じこもったまま外に出ないとポナは言っていた。
姉鳥はポナを殺すつもりはなく、巣から追い出そうとしているのではないか?
巣に現れた者が邪魔で、排除したいだけなのでは?
何故、邪魔なのか。それはつまり、近付く者を害そうとしてしまうから邪魔なのではないか?
一気に推測が修太の脳裏を駆け巡る。
もし自分が姉鳥だったら?
意識が消え、ただ暴れるだけの魔物となり、近しい者を傷つける。それは苦痛であり、恐怖となるのではないだろうか。
記憶にない間に家族を怪我させていたら、確かに怖いだろう。
そんな結論に到達した時、修太の心はすとんと落ち着いた。
睨みつけてくる姉鳥を、真っ直ぐに見る。
「お前、なに、怖がってる」
姉鳥の動きが止まる。じっと濁った目が修太を見つめる。
濁った目。
闇にのまれた瞳を見て思う。
何も見えない。気付かない。それは明かりをもたないで闇の中を彷徨う迷子と似たようなものではないか?
「そんな所にいないで、こっちに来い!」
気付けば、落ち着けという代わりにそう口にしていた。
ぶわぁっ
無音の衝撃が風となって姉鳥に吹きつける。
姉鳥は緑の目を見開いて、硬直する。
その目から濁りが消え去り、姉鳥の周囲にある重い空気が薄れた。代わりに、その目に知的な光が灯り、全身から放たれていた敵意が掻き消える。
姉鳥はふらりとよろけるように後ずさり、巣の縁にぺたりと座り込む。
――うわぁぁん、負けないからおねーちゃま! えーい!
“落ち着いた”ようだと修太が安堵した時、空へ飛び上がってきたポナが泣きながら姉鳥にタックルをかました。
「あ」
――え?
修太の声と、姉鳥の間の抜けた声が重なる。
たまたま巣の縁に座っていた姉鳥はポナの決死の体当たりにより、ポナともども岩山を落下していった。
「…………」
修太は縁から下を覗きこむ。
砂埃をたてて、地面に二羽の巨鳥が激突したのが見え、知らず眉を寄せてしまう。
しばらく辺りが静まり返ったが、それも束の間、姉鳥の怒声が響き渡った。
――何さらしてくれんの、この考え無しの鳥頭っ!
――うきゃーっ! ごめんなさい、おねーちゃまーっ!
怒涛の説教にさらされたポナの謝る声が、それからしばらく続いていた。




