3
旅程にして五日。レイクルフォン商会の隊商はマエサ=マナへ到着した。
途中、砂嵐に見舞われた他はモンスターや盗賊の襲撃にあうこともなく、旅は順調すぎる程に順調だった。
外から見たマエサ=マナは、赤色の礫を集めてきて積み重ねて作ったと思われる防壁に囲まれた集落だ。壁は二メートルほどの高さで、入口になる場所には二本の大きな木製の柱が立ち、赤色で塗装されている。柱の上には青色の布が結ばれていて、時折風に揺れていた。
中を見ることは敵わないが、僅かにテントのような家屋の屋根が見える。
物珍しげに見ていたら、強い視線を感じた。視線は、入口の両脇に立った門番の女性二人からだ。どちらも黒い衣服を身に着け、手に槍を持っている。
一人は黒髪と赤目、もう一人は黒灰色の髪と緑色の目をしていて、狼の黒い尾があった。黒狼族だ。革鎧をつけた衣服は上腕が剥き出しで、その日に焼けた肌が筋肉質で引き締まっている。彼女達は鋭い目でこちらを見据えた。
「レイクルフォン商会の者だな? 荷物その他はそちらの結界地内に置き、男はそこで野営せよ。女は希望するのならば、集落内に泊めることもできる。どうする?」
右側に立った門番が問う。
レナスは冒険者の二人に言う。
「ここは安全だから、護衛の仕事は必要ない。好きに決めなさい」
その言葉で、ピアスとサマンサは速攻で集落内に泊めてもらうと言った。サマンサは相変わらず落ち着いた態度だが、ピアスは好奇心が勝つのかやや興奮気味だ。
「……そちらの剣士殿はどうされる?」
同じ武人として力量が分かるのか、門番はやや丁寧にフランジェスカに問う。
「私は外で宿泊する。気遣いに感謝する」
堅苦しい口調での返事に、門番は頷いた。
「では、一刻後に長が見えるので、その間に準備しておくように。それから、くれぐれも塀を越えようなどとおかしな気は起こすな。塀を越えた時点で、抹殺対象とする。例外はない」
一瞬、赤色の目が強烈な光を帯びた。
レナスは大きく頷く。
「もちろん心得ている。もし越えた者がいれば、好きに対処してくれ。そんな馬鹿な真似をする者はここにはいないと思うが」
その言葉に、隊商の男達は無意識に頷いていた。
門番は満足げに頷いて、隊商を四つの石に囲まれた結界地内へ案内すると、また入口の前に戻って屹立の姿勢をとった。
*
護衛四人を連れて集落の外に出てきた族長は、まだ二十代半ばほどの女性だった。長い黒髪は後ろの高い位置で束ねられ、赤い色の複雑な刺繍入りのバンダナを頭に巻いている。怜悧な赤い目をもち、彫りの深い面立ちは、凛々しい戦士の顔だ。
赤色の長衣の下は、他の女戦士と同じく黒い衣服の上下で、靴は刺繍とビーズで飾られた革製のものだ。腰に長剣をはいている。ただのお飾りではなく、実動的な長なのだろう。
驚いたことに、族長は傍らに三十代後半程の男性を伴っていた。成人男性で唯一集落内に入れるのだから、族長の夫なのだろう。ではその間にいる小さい少年は二人の子どもだろうか。
「レナス・レイクルフォン。久しぶりだ。遠方より、我が集落までようこそ」
「お久しぶりでございます、族長殿」
「三ヶ月ぶりか?」
「ええ。今回は、以前、ご要望頂いた品をお持ちいたしました」
レナスは恭しく頭を下げたが、商人の顔になって族長に話しかけている。その傍らには、馬車から下ろした荷が敷物の上に山になって積まれていた。
商談には興味がないので、修太は商人達の後ろに突っ立ったまま、見るともなく族長やその家族、それから護衛の女兵士を眺めていた。
「そんなに珍しいか?」
真横の馬車に背を預けて立っているグレイの問いに、修太は首を傾げる。
「尻尾があるのがな。俺らの故郷には、人間しかいないから。なあ、啓介」
啓介は迷わず頷いた。
「そうそう。ファンタジーだよなあ」
「ふぁんたじぃ?」
話を聞いていたらしいフランジェスカが、ちらと啓介の左側から視線を向けた。啓介は困ったように微笑んで返す。
「こっちの話。外国語と思ってて」
「お前達の話は、よく分からない単語が飛ぶから意味不明だ」
わずかに眉を寄せるフランジェスカ。
「こっちだって、意味わかんねえ単語があるからお互い様だろ」
修太があっさり返すと、フランジェスカはそれもそうかと頷いた。
そういえば、霊樹リヴァエルの葉を飲んだお陰で自動翻訳されているようだが、日本語で話せるのだろうか?
商談中で待っている間は暇だったのもあり、修太はその思い付きを実行に移した。
『日本語、日本語。色は匂えど散りぬるを』
おお、意識すれば使えるのか。ちゃんと日本語だと自分で分かる。
「我が世誰そ常ならむってか? どうしたんだ、急に」
きょとんとしているが、続きを口にする啓介。
「んん、いや。日本語使えるのかなって思っただけ。ふうん、使えるな……」
顎に手を当て、にやりとする。啓介と内緒話をする時はこっちだな。
啓介は一つ頷く。
「シュウ、退屈なんだな。こういう時はしりとりだよな。しりとり、はい次」
「急に始めるなよ。り……林檎」
文句は言うが確かに暇なので続けることにする。
「うわ、ベタだなあ。ゴ、かあ。ゴリラ」
「てめえもベタじゃねえか。ラッコ」
顔は商談中の面々を向いたまま、隣同士にいるのを幸いに、ぼそぼそとしりとりを始める。
「……何をさっきから謎の呪文を呟いている?」
やや呆れた声が後ろから聞こえる。暑さにうなだれ気味のサーシャリオンだ。黒狼族の女戦士を刺激しない為に、日光反射の魔法を使えないので暑いらしい。
「サーシャも入るか? しりとりだ。単語の最後の文字を、次の頭文字に繋げるんだ。単語が“ん”で終わったら負け」
啓介が人懐こい笑みを浮かべる。
「そなたら、元気だな……。童はいつでもよく遊ぶ」
呆れたように言葉を漏らすサーシャリオンを、修太はじとっとねめつける。
「サーシャまで子ども扱いするなよ。俺の実年齢を知ってる癖に」
「シュウ、俺ら、な」
「てめえはほとんど変わってねえだろ」
啓介にはきっちり突っ込んでおく。二歳差と五歳差は大きいのだ。
「年齢の話を聞いた覚えはないが……。まあ、どちらにせよ童に変わりはない。我から見れば、そなたら人間はいつ見ても童だ」
「そうか。分かったぞ、サーシャ」
ふいに生き生きとした声を上げた啓介に、修太は少し驚く。急にどうした。
「なんだ?」
不思議そうに問うサーシャリオンに、啓介は意気揚々と失礼なことを言う。
「サーシャはさ、歳をとりすぎてるから暑さに弱いんだよ! 体調には気を付けた方がいいよ、おじーちゃん」
「誰がお爺ちゃんだ」
むっと口元を引き絞るサーシャリオン。
「いやいや、もしかしたらお婆ちゃんかもしれないぞ」
横からフランジェスカが楽しげに口を出す。
サーシャリオンはじっとフランジェスカを睨む。
「お婆ちゃんでもない! 老人扱いするなっ、失礼な童どもだな。ふん、引っかけようとしても無駄だ。性別は秘密だからな」
さりげなく答えを得ようとしてみたが、またしても分からなかった。
修太と啓介とフランジェスカは顔を合わせ、そろってがっくりと肩を落とす。サーシャリオンはなかなか尻尾を出さない。狸めっ。
「お前達の会話は……突っ込みどころ満載だな」
すぐ側にいたグレイがやや疲れ気味に呟く。それでもそれ以上問おうとしないのは、深く関わると面倒だという大人の処世術なのだろうか。
しかし、いけない。グレイがいることを完全に忘れていた。主にしりとり辺りから。気配が無い人間っていうのはこういう時に空気になるんだな。気を付けよう。
「グレイ殿。その中に私を入れないでくれ。言っておくが、こいつらに比べたら私は平凡な、ごくごくありふれた一般人だ」
ひどく真面目な口調で重々しく言うフランジェスカ。
一つ言わせて貰えば、月光の呪いを受けた国一番の剣士なんて、とても平凡で一般人とは呼べないと思うぞ。
*
商談が終わるのを待ち続けること三十分。ようやく動きがあった。
族長の護衛についていた女戦士の一人が、族長に話しかけて何か許可をとるや、こちらへ駆けてきて、そのままグレイに飛び付いたのだ。
「グレイ! 十九年ぶりだね!」
「……もしかしてバロア姉さんか?」
敵意がなかったために不意打ちで抱きつかれるのを見過ごしてしまったグレイは、あ然と女戦士を見下ろす。かなり自信がなさそうだ。
すぐ真横での奇行に、修太は思わず女が斬り捨てられやしないかと心配したが、姉と聞いて今度は興味をひかれてまじまじと観察した。
三十代らしき女戦士――バロアは、抱擁を解くと、にぃっと歯を見せて笑う。腰まである黒髪は後ろで一つに束ねられており、黒い衣服と茶色い革製のサンダルを履いている。そして、腰には剣を二本提げていた。顔の綺麗さはグレイと同じだが、女の表情が豊かなのでグレイと似ているようには見えない。
「もう、一回くらい顔を見せに来てくれたっていいのにさ。そんなに“外”って楽しいの?」
「“外出”してないのか?」
グレイがやや驚いたような声で問う。
「あたし、子どもいらないもんよ。“外”で旦那探しする必要ないしね。カリアナ様の護衛につけるだけで十分幸せだよ」
あっけらかんと笑うバロア。ますます似ていない。
「“父さん”は? 元気にしてる? あ、母さんは元気だよ」
「あいつなら死んだ。十四年前だ」
「そうなんだ。ふぅん、どんな人だった?」
「さぁ。顔は俺に似てると、周りは言っていたな。だが、ハルバート使いとしては優秀だった」
バロアはむうと口を尖らせる。三十代の女性がする仕草にしてはどうかと思うが、わざとする幼い仕草は不思議と似合っている。
「それじゃ分かんないよ。はーああ、やっぱ一回くらい“外出”すべきだったかな」
残念そうに溜息を吐いて、それから気を取り直したように笑みを浮かべる。
「あんたの噂は聞いてるよ。賊狩りって呼ばれてんだって? 格好良いな。それから、いつも成人したてのチビッコの面倒を押し付けてごめんねぇ」
再びあっけらかんと笑い、本当に謝っているのか疑わしくなることをのたまうバロア。清々しいほどに快活だ。
「そろそろやめにしてくれると嬉しいんだが。言うだけ無駄なんだろうな」
「あはは、分かってるじゃないか」
「でも、それ以上に見合い相手を送りつけるのはやめてくれ」
「つまんない男だねー!」
あははは。豪快に笑い、バロアはあっさりときびすを返す。
「じゃあね。一回顔を見られて良かったよ。母さんにもよろしく言っとく」
「……ああ」
こんな短時間で家族の再会は終わりらしい。
やけにあっさりしたものだ。
バロアの後ろ姿を見送りながら、家族にもいろんな形があるのだなと修太は思う。
一緒に暮らせない家族。
でも、生きているだけいいのかもしれない。
小さく溜息を吐く。
なんだか急に両親の墓参りに行きたくなってきた。これも一つのホームシックだろうか。