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アストラテ周辺から西一帯に広がる赤砂荒野は、その名の通り、赤っぽい色合いの土をした荒野だ。
グインジエに行くまでに通ったオジェ荒野のような、黄土色の砂とは全く違う。
アストラテから南西にあるマエサ=マナへ向け、一行はゆっくりと進んだ。
荒野に生息するモンスターは虫の形のものが多く、他にはサンドタートルやファイアバードという大型の動物に似たモンスターがいる。交易品を狙った盗賊が出ることもあるが、平坦な荒野ではすぐに見つけられる為、町の手前での襲撃が多いらしい。
一日目は、特に大きな問題もなく穏やかな一日だった。
夕方、野宿場で焚火を起こして食事の用意をしていると、あの踊り子風の少女が、二十歳くらいの女性冒険者とともにやって来た。食事の入った器を持っている。
食事や寝床の用意については、修太達は同行者であるために自分達で用意する決まりになっているが、護衛の分は商人達が用意しているようだ。
「はあい、ご一緒していいかしら?」
「……よろしく」
踊り子みたいな少女は、緩やかにウェーブをえがく銀髪と菫色の目をしていた。上に極上がつく美少女である。頭には飾りのついたバンドをしていて、胸元にビーズ飾りのついたキャミソールのような赤い上着と、青と白の布地とビーズ飾りで構成されたびらびらのスカートを着て、丈夫そうなブーツを履いている。大ぶりの石製の耳飾りや、ビーズ細工の首飾り、手首には木製の腕輪をしている。肩かけ鞄は薄汚れ気味だし、腰にベルトで短剣を提げていることから旅慣れている感じがした。
そして後ろの女性は、金髪と淡い緑の目をしていて、褐色の肌が明るい色合いを引きたてていて、鼻筋のすっきりした美人だ。静かにたたずんでいて、気配が薄い。少女と違い、革鎧をつけた、レステファルテの人間らしい白い衣服の男装姿で、荷物とともに弓矢を背負っている。
修太達は自然と顔を見合わせた。
「どうして俺達と? 仲間と一緒に食べればいいのに」
啓介の問いは至極当然のものだと思った。
「こっちには女の人がいるから。男ばっかりの所でずっと気を張ってるのって疲れるのよ」
少女は明るい口調でさっぱりと言い、にこっと人好きのする笑みを浮かべる。そして、自身の胸元に右手をポンと当てて名乗る。
「私、ピアス。で、こっちはサマンサさん」
そう言うと、承諾を得ないまま焚火の側に座る。日が傾いているので、荒野では徐々に気温が低くなってきていた。火の側に自然と寄る気持ちは分かる。
こうなっては退けというわけにもいかず、修太達も仕方なく名乗り返す。
「俺は春宮啓介だ。こっちは塚原修太で、サーシャと、フランさん」
「フランジェスカ・セディンだ」
啓介が縮めて紹介したせいか、てきぱきと芋や緑黄色野菜などの食料を刻んで鍋に突っ込みながら、フランジェスカはしれっと付け足した。そして、ちらりとピアスを見て、片眉を跳ね上げる。
「ピアス殿は、もしやセーセレティーの縁者か?」
「あら、分かっちゃった?」
野菜の入ったスープをスプーンですくいながら、ピアスは小首を傾げる。十人中十二人が可愛いと思うだろう笑みだった。
修太はフランジェスカをじっと見る。視線の意味に気付いたフランジェスカは、やや面倒そうながら説明を口にする。
「レステファルテの隣国、北西にあたる場所にある国の名だ。セーセレティー精霊国といってな、歌と踊りを愛する人々が住むという。その国の人々は幼い頃から魔除けとしてアクセサリーをつける習慣があるのでな、冒険者の割にアクセサリーを多くつけているからそうではないかと思ったんだ」
「完璧な推論ねえ。身元を隠したい時は、アクセサリーを外さなきゃ駄目なのね、勉強になったわ」
ピアスはにこっと笑う。
「あたし、お婆のお遣いでアストラテまで来て、その帰りなの」
「お遣い? こんな所まで?」
フランジェスカは眉を寄せる。修太は地理が分からないが、言い方から察するにそれだけ遠いのだろう。
「ええ。アストラテの特産品、パネの実を手に入れに、ね。パネの実って、魔力具有の果物だから、アイテムクリエートのいい材料になるのよ」
「帰り着くまでに腐らないのか?」
修太の問いに、ピアスはふふっと微笑む。
「君、魔法使いでしょ? “保存袋”を知らないの?」
「……?」
修太は無言でフランジェスカを見る。が、フランジェスカも首を振る。
「保存袋というのは、麻袋や網で出来た袋のことか? 果物や野菜を入れて涼しい所に吊るしておく」
ピアスの顔があれっという間の抜けたものになる。そんな顔ですら可愛く見えるが。
「サマンサさんは知ってるよね? 保存袋……」
サマンサも首を振る。
「フランジェスカさんの言うものしか知らないよ?」
「ええっ。あれえ、おっかしいなあ」
首を傾げるピアス。頭の高い位置で束ねた銀髪がさらりと揺れる。
「物の大きさに限らず、十個までなら収納できる袋のことだよ。袋内の時間は袋の外よりゆるやかになるし、重さもなくなるから、旅の便利アイテムなんだ。セーセレティーの冒険者ギルドじゃ、冒険者なら持ってて当然のアイテムって教わったんだけどな」
「この指輪みたいなものかな?」
啓介が興味津津で身を乗り出し、左手の中指にはめた銀製の指輪を見せる。
瞬間、ピアスの態度が大きく変わった。
目をキラッキラと輝かせて啓介の元まで駆け寄ると、その手に飛びついてマジマジと指輪を見つめる。啓介は僅かに顔を赤くし、居心地悪そうに身を引いて目を横へ反らす。ピアスはキャミソールみたいな服を着ているのだ。その位置からではいろいろと際どいのだろう。啓介は女にもてるが、付き合ったことがない為に女慣れしているわけではない。それで困っているようだ。修太も啓介のことをとやかく言えないが。
「すごい! やっぱり、これ、旅人の指輪じゃない! 五百年前に滅んだ、魔法の都ツェルンディエーラの遺産の一つよ! うわあうわあ、古代遺産の一つをこの目で拝めるなんて、今日はなんてついてる日なんだろ! ねえ、ハルミヤさんだっけ? これ、どこで手に入れたの!?」
怒涛のごとく言葉を連ね、仕舞いにはぐいぐい詰め寄るピアス。紫の目は好奇心でキラキラと輝いている。
修太は既視感に思わず目をこする。まるで、オカルトに遭遇した時の啓介を見ているようだ。
たじろいだ啓介は、顔の前に両手を上げて言う。
「とりあえず、俺のことはケイって呼んで。春宮は家名だから、そっちで呼ばれるのは微妙なんだ。あと、どこで手に入れたっていうか、その、貰ったんだ」
「誰なの、そんな気前の良い人物は! 古代遺産はね、五百年経った今でも使用可能だし、便利な道具や強力な武器が多いの。でも、今じゃ珍しいし、残っててもダンジョンや遺跡の奥にしかないわ。だからコレクターには高い値で売れるのよ。一種の金持ち連中のステータスってわけね。ただ、魔力の波長によって使える使えないがあるから、皆が使えるわけじゃないってのが難点かな」
「誰かはちょっと……。すごく偉い人ってことしか」
「そうよね。ごめんなさい! あたしったら、つい、興奮しちゃって……」
詰め寄るのはやめ、頭の後ろをかきながら気恥かしそうに笑うピアス。それを近くで直視してしまった啓介は更に顔を赤くして固まった。
ピアスが席に戻って食事を再開してもそのままなので、修太はいぶかって啓介の眼前で手を振る。
「おーい、啓介。どうしたよ?」
「へ?」
夢から醒めたみたいに目をパチパチ瞬く啓介。
「へ? じゃねーよ。ぼーっとしてんなよ、気味悪い」
そう言うと、啓介は口を尖らせる。
「うっせ。一言余計だ」
「で、どうしたんだ?」
「いや、なんでもない……」
啓介はそう返し、小さく溜息をついて、足元をじっと見つめ出した。
幼馴染のおかしな態度に修太は首をひねるが、まあこいつがおかしいのは今に始まったことじゃないかと自分を納得させた。
「そなたは行商人なのか? やけに品を見る目に秀でているようだが」
「まさか、違うわよぉ」
サーシャリオンの問いに、ピアスは明るく笑って首を振る。外見があまりに綺麗なのでとっつきにくそうに見えるが、性格は男女関係なく接しやすいタイプらしい。馴れ馴れしさを感じさせない親しみやすさ、という感じだろうか。やや感情的なところは修太には苦手に感じるが、それくらいだ。
いっぽうで、サマンサは静かに食事を続けている。それでいて淡い緑色の目は修太達を注意深く観察しているように見えた。
「あたしの本業はね、トレジャーハンターなの。生活のために冒険者をしてるけど、本業はそっち。珍しい材料を探して、おもに遺跡を探索してるわ。あとはそうね、アイテムクリエートの材料になる植物や鉱石の収集や、採集地の開拓ってとこかしら」
そこでピアスはにっこりと笑う。
「将来的には、アイテムクリエーターとして、お婆の店を継ぐのが夢なの。その時は贔屓にしてね」
笑顔で夢を語り、屈託なく微笑む様に、思わず応援したいという気持ちが沸き上がる。
無言で頷く修太の左隣で、啓介もやや興奮気味に頷く。
「夢を目指すっていいな! 応援してるよ!」
「ありがとう」
ピアスは再びにっこりした。
花のような笑みだ。大輪の花ではなく、可憐で小さな花のような、目にとまると思わず微笑んでしまうような笑み。
本当に良い子だなあ、この子。同年代の少女でこんなにしみじみと人の良さを感じたことはない。修太は感心しつつ、なにげなく啓介を見てぎょっとする。またもや顔を赤くしていて、ぼぅっとピアスを見ているではないか。
(……え、おい。まさか)
こういう表情は見たことがある。それもしょっちゅう。啓介を見つめる、啓介に恋に恋する少女達の表情とまるきり同じだ。
いや、でも、似ているだけで違うのかもしれない。
修太は自分を落ち着けようと深呼吸する。
「シューター」
「!!!」
背後から突然声をかけられ、修太は座ったまま飛び上がった。ぎょっと後ろを振り向くと、さっきのピアス達のように椀を手にしたグレイが立っていた。気配を消して背後に立つのは本当にやめて欲しい。
「俺も邪魔していいか? あっちにいると疲れる」
「?」
表情に変化はないが、確かに声が疲れている気がする。
グレイの示す、冒険者達の集う焚火を見ると、いい歳した大人の男達がグレイを恐々と見ているのに気付いた。確かにずっとあの調子では疲れるだろう。
「別に構わないよ」
「助かる」
やや同情をこめて言うと、グレイは短く言って、焚火を囲む輪の中で一番広い、修太とサマンサの間に座る。するとサマンサの背筋がぴんと伸びた。緊張気味にグレイをうかがい見ながら椀のスープを匙ですくう。ここにも、恐れを含んだ視線を投げる大人が一人。ピアスは全く気にしていないのを見ると、この国の人間限定なのだろうか。
確かに、グレイは怖い。近付くのにも話しかけるのにも緊張するから気持ちは分からないこともない。だが、ここまであからさまなのは大人としてどうだろう。
「グレイ……の旦那は」
「グレイでいいと言った。改めないなら、こちらも子どもと呼ぶ」
きっぱりと言われ、修太は溜息をつく。さすがに子ども呼ばわりは遠慮したい。あの王子の件で修太がグレイを無意識に庇ったのを契機に、名前呼びに変わっただけに。恐らく、あの時にグレイの中で修太の信用度が上がったのではないか、と、遅れて気付いたのだ。
「グレイはどうしてここに? グインジエに戻ると言ってなかったか」
今度はグレイが溜息をつく番だった。
「そのつもりだったんだが、コーラルの旦那に言いくるめられてな。緊急時でもないのに、護衛なんて範囲外の仕事を請ける羽目になった」
グレイに溜息をつかせるなんて、いったいどんな問答があったのだろう。修太はコーラルの憎々しい笑みを思い浮かべて好奇心が湧きおこった。
「あの王子が滞在しているせいで、俺をアストラテから追い出したかったらしい。マエサ=マナ経由の隊商は賊に襲われやすいから賊狩りの出番だとか、ついでに里帰りしてこいだとか、用事をこじつけられてな。正直、迷惑な話だ。黒狼族の男に、里帰りの習慣はないからな」
「え、帰ったらいけないのか?」
「帰っても、集落内に入れないからな。帰るだけ無駄だ」
「……なんか、それって追放みたいだな」
思わず口から出た言葉に修太がハッとして謝ろうと思った時、グレイは気にした様子もなく頷いた。
「そうだ。追放だ。だから、黒狼族の男は、孤独なあまり力に溺れる輩が多い。帰る場所がないというのは精神的にくるらしいな。俺はそうでもないが」
「はは……」
確かに。グレイがホームシックにかかっているなんて想像がつかない。
修太は引きつり気味に笑いを零す。
「おい、食事ができたぞ。日が沈む前に食べてしまえ。でないと片付けが面倒だ」
「サンキュ」
フランジェスカが椀を押し付けるように差し出してくるので、修太は礼を言って受け取る。啓介も目を輝かせて椀を受け取り、気持ちの良い笑みで礼を言う。
「いただきます!」
膝に乗せた椀の前で手を合わせて僅かに頭を下げ、スプーンを取って具たっぷりスープを食べ始める。
薄味にもだいぶ慣れてきたようで、前程の物足りなさは感じない。
「うま~っ」
ガツガツと頬張る。フランジェスカのことはいまだにムカつくし、好きにはなれないが、料理の腕だけは手放しで褒められる。修太の中では、人間性と料理は別に区分けされている。
「シューター。そなた、食後はパネの実を食べるのだぞ。あれだけ大量に買い込んできたのだからな」
「分かってるよ。でもありがとな、サーシャ」
機嫌良く返すと、サーシャは頷きを返した。椀の中のスープを、不思議なものを見るような目で眺めて、しばらくスプーンの先で具を突いていたが、ようやく決心がついたのか口に運ぶ。ほっとしたように頷くのを見て啓介がどうしたのかと問い、アストラテでは香辛料のせいで酷い目にあったからと答えた。修太が冒険者ギルドにいる間に食事でトラブルでもあったらしい。
「そうだ。食料といえば、シューター、貴様、前にエルフの長老達にもらった食料はどうした?」
「あ? ああ、持ってるよ。ここに広げるか?」
「そうしろ。今後のメニューを考える」
フランジェスカの催促に、修太は旅人の指輪に意識を向け、食料を強く思い浮かべる。ふっとフランジェスカのすぐ後ろに山になって現れる。燻製肉や野菜などが、貰った時と同じ幅広の布にくるんで地面に現れた。
瞬間、それを目の当たりにしたピアスは「きゃああ」と興奮気味に叫び、サマンサは驚きの光景に目をみはった。
「すごいすごいすごい! あなたも指輪持ちだったの! 旅人の指輪持ちが二人も揃ってるなんて、羨ましい! ねえねえ、見せて」
距離を詰めるや目をキラキラさせて問うてくるピアスが鬱陶しい。修太は眉を微かに寄せる。
「啓介に見せて貰ってたからいいだろ。面倒だから嫌だ」
「むう。じゃあどこで手に入れたの?」
修太はわずかに思案する。啓介と同じことを言うのも芸が無い。それに今後見せてと言われないようにするならこう言うのが一番か。
「親に貰った。形身みたいなもんだ」
実際は形身でもなんでもない。それはエレイスガイアに来たことで自分の手元からは去った。
「……そっか。それじゃあ触られたくないわよね。教えてくれてありがとう」
思った通り、ピアスはあっさり身を引いた。やはり根は善人なのだろう。
「前に水筒をどこかから出し入れしていたのは、その指輪によるものか?」
グレイの問いに、修太は頷きを返す。
「そうだよ。なかなか便利な品だと思う。容量制限が無いし、重量は無視だからな」
「へえええ、すごぉい」
横で話を聞いていたピアスが目を輝かせる。
修太は食事の続きを口に運びながら、食料を検分するフランジェスカをちらりと見る。
「慣れてくりゃ、俺が食事の用意をしてもいいんだけどな。あんたばっか作ると負担だろ」
親切心からの申し出は、いつもみたいに鼻で笑われる。
「貴様の手際では日が暮れる」
ムカーッ。
無言で眉を寄せる修太。びしっと啓介をスプーンの先で示す。
「こいつと一緒にすんな」
「えっ、そこで俺を引き合いに出すの?」
急に矛先を向けられ、啓介が驚いた顔をする。
「お前、家じゃ料理しねえだろ」
「台所は女の戦場だって母さんが言うんだから仕方ないだろ。包丁持ったままで出てけって言われて、出てかない奴がいるか? 俺だけじゃなくて雪奈も追い出されてたけど。家庭の武器庫だから近付くなって」
「……恵子おばさんはよく分かってるな」
あの悪魔に包丁なんて持たせた日には、恐ろしいことになりそうだ。バレンタインデーだけにしておいて欲しい。毒入りか悩む食べ物を渡してくる日は。
ふっ。あいつのことを思い出したら背筋がぞくぞくしてきた。怖いから思い出すのはやめよう。
「二人とも、喋るのはやめて食べろ。それから確認したから食料をしまえ。まったく、もう夜が近いというのに……」
ややイラついた声で呟くフランジェスカ。地平線に近付いた太陽が周囲を朱色に染めているのが気にかかるらしい。
修太は食べ物を片づけると、食事の制覇に集中することにした。