6
グレイはハインをじっと見据える。
「本気か?」
「ああ」
「そうか。分か……」
グレイがあっさりと受け入れようとするので、修太は思わず割り込んだ。
「ちょっと待ったーっ!」
ハインの前に飛び出してきた修太に、ハインはあっけにとられた顔をした。
「おじさん、話は聞いたよ。これまで大変だったんだ。きっと疲れてるんだと思う。せっかく生き延びられるんだから、思いつめたら駄目だ」
修太に続いて、啓介も説得を始める。
「そうだよ。それに、こんな暗い場所で悩むのも良くないよ。考え事は朝にしないと」
「明るい場所に出て、お腹いっぱいごはんを食べて、体を清潔にして、ぐっすり寝てから決めたほうが良いって! しばらく俺達と一緒に行こうぜ」
少年二人に励まされ、ハインは眉を寄せる。
「そうだろうか」
「そうだよ。疲れていて、つらい目にあったら、誰でもネガティブになるもんだよ。とりあえずもう一週間だけ、がんばって生きてみないか? それでも死にたいなら、止めないから」
「一週間……」
ぼそりとつぶやき、ハインは究極の選択に悩むように沈黙する。
先ほどは頷きかけたグレイだが、修太達の意見を聞いて考えを変えたのか、賛同を見せる。
「こいつらの言う通りだな。ここの提督が、危険をおかしてお前を生かした。その分だけ生きてみたらどうだ?」
「…………」
ハインは生気の無い目で、瞳を揺らす。
ずいぶんひどい目にあったようなのは、ボロボロの衣服からのぞく皮膚に怪我が残っていることと、なんともいえない臭気からも分かる。奴隷として扱われた間、風呂にも入れなかったようだ。
「おじさん、一緒に行きましょ」
「そうですわよ。わたくし、おいしいものをお作りしますわ」
「私は怪我の手当てをしよう」
ピアス、ササラ、フランジェスカも同調し、トリトラやシークも励ます。
「僕らで獲物をとってきてあげるよ。肉を食べれば元気が出るさ」
「マエサ=マナまで戻ったら、墓場砂漠を抜けて、セーセレティーに行くといいぜ。あっちには黒狼族への差別はねえからよ」
シークの言葉に、ハインは興味を示す。
「差別がない場所があるのか?」
「セーセレティー精霊国のダンジョン都市はそうだぞ。援助するから、迷宮都市ビルクモーレ辺りに行ってみるといい」
グレイの説明が後押しになったようで、ハインはゆるゆると頷いた。
「そうか。そんな場所があるなら、もう少し生きてみるか……」
ハインがそう言ったので、修太はほっとした。
「良かった。これ、俺のなんだけど、良かったら使って。砂漠の日差しはきついから」
修太は旅人の指輪からマントを出し、ハインに手渡す。
「すまねえな、坊主」
「後でちゃんとしたのを買おう」
丈が合っていないので、村で着替え一式を手に入れようと思った。
「ふむ。では、この抜け道の先に、モンスターを呼んでおくか。遊撃隊とやらが待ち伏せしていたら、あやつらに蹴散らしてもらっておこう」
サーシャリオンのつぶやきに、ハインはけげんそうにする。何を言っているんだろうと言いたげな彼を、オドが不憫そうに見やる。
「ハイン殿、彼らは良い人ですが、ものすごく変わっているので、その……お気を付けて」
オドの言葉に、ハインはわずかに首を傾げた。
砂煙をあげて疾走するサンドタートルの背に乗り、最後尾のシークが手を上げる。
「完全にまいたぞ!」
抜け道から外に出たはいいが、オドが心配していた通り、グインジエの周りで遊撃隊がうろついていた。モンスターとの交戦になって混乱している隙に、サンドタートルに乗って脱出したはいいが、骨がある兵士が追いかけてきたのだ。
追っ手をかわすため、一度、オブリガンテ村よりも西へ、砂漠に逃げ込まなければならなかった。
「よし、では適当な所で野宿をしてから、オブリガンテ村まで引き返すとしよう。頼んだぞ、おぬしら」
サーシャリオンが声をかけると、サンドタートルは「ヴォウ」と低い笛の音のような声を出した。
後ろのほうを見ると、ハインが間の抜けた顔をしている。グレイが傍で支えてやっていなかったら、亀の背から転げ落ちていそうだった。
それから岩陰で野宿場を作り、修太はハインが湯浴みできるように、岩の反対側に旅人の指輪から大きなたらいを取り出した。フランジェスカが魔法で水を張り、啓介が〈白〉の魔法で電磁波を使い、バチッとお湯にかえる。
「はい、ハインさん、お湯が沸いたよ」
「タオルとか、これを使って。遮るものがなくてごめんね。サンドタートルにいてもらう?」
「い、いや……」
修太と啓介に声をかけられ、ハインは顔を引きつらせる。
「たいしたものはないが、俺の着替えを貸してやる。湯が冷める前に入っちまえ」
「ああ、ありがとう、グレイ。お前は驚いてないんだな」
「何が」
「だって、おかしいだろ! なんでモンスターを従えてるんだ。それに、どこからあんな荷物を出して……」
「おいおい説明してやるから、まずは風呂だ。においがひどいし、その怪我にもさしさわる」
修太はそれもそうだと思った。
「フラン、ケイ、あの汚れだとお湯が足りないだろうから、もう一つ分用意するぞ」
「ああ、それがいい」
「俺が持ってるたらいを出すよ」
大きなたらいをもう一つ用意し、お湯をなみなみに張ると、手桶も傍に置いた。
「おっさん、その怪我じゃ動きにくいだろ。手伝ってやるよ」
「そうだね、シーク。まったく、ひどいことをするもんだ。本当に、レステファルテ人の黒狼族への家畜扱いはどうにかなんないかな」
「つってもよ、貴族どもは、下々への扱いがだいたい似たようなもんじゃねえか」
「嗜虐趣味の貴族に買われた奴隷って、最悪だって言うもんなあ。クソだよね」
シークとトリトラは悪態をつきながら、呆けているハインを連れて岩陰に向かう。汚れがたまっていたのか、かなり悪戦苦闘し、お湯はさらに二杯追加した。
一時間もすると、ハインが戻ってきた。
それがかなり様変わりしていたので、修太達はどよめいた。
黒茶だった髪は、くすんだ金髪を取り戻している。ぼさぼさだった髪を手入れしたようで、短く整えている様は精悍だった。目鼻口のはっきりした美丈夫である。血と泥に汚れていた肌は小麦色になり、鋭い目は緑色だ。
「さっすが黒狼族。イケオジってやつか」
修太の呟きに、ピアスがこくこくと頷いて同意する。
「ね! おじさまって感じね」
「ああ、そのような意味の言葉なのですね、イケオジ。勉強になります」
「ササラ殿、そんな単語は覚えなくていいぞ。いやしかし、見違えたな」
ササラにフランジェスカがそう言って、珍しく褒めた。
「先に手当てをしてしまいましょうか」
ササラが切り出すと、修太は日陰でごろごろしているサーシャリオンのほうに行く。
「サーシャ、少し診てやってくれよ」
「俺からもお願い」
「しかたないなあ」
修太と啓介のお願いに弱いサーシャリオンは、しぶしぶ立ち上がり、ハインの傍に来る。〈青〉の治癒魔法で、ひどい怪我を治していった。
「これで良かろう。さすがに、失ったものまでは戻せぬぞ」
「構わん。だいぶ楽になった、感謝する。やけどだけは痛みがひどくてな」
ハインが左脇の後ろを手でさすっているので、そのあたりにやけど痕があったみたいだ。
「ささ、お料理を召し上がってくださいな。胃がびっくりするといけないので、スープにしましたわ」
「さっきその辺で狩ってきた、トカゲ肉入りだ」
ササラが座るようにすすめ、グレイが獲物をさばいた後の残骸を示す。修太からしても、良い香りが漂っている。ハインは急に空腹を思い出したようで、腹がグウと音を立てた。ばつが悪そうに、眉を寄せる。
「いいじゃないか、体が生きようとしてるんだ」
「坊主にさとされるとはな」
修太の言葉に、ハインはますます所在なげにしたが、シークに誘導されて敷物に座った。
具沢山のスープを五杯たいらげると、その間に用意しておいた寝床に向かわせる。
「おい、さっきの話を聞こうと思っていたのに」
「話なんかいつでもできる。寝ろ」
どうも、ハインはグレイにさとされると弱いようで、ぶつぶつと文句を言いながらも寝床に入った。ややあって、いびきが聞こえてくる。
「おっさん、師匠のほうが強いって分かるんだな。あっさり命令を聞くんだもんよ」
「まあ、良かったじゃないか。おかげで、こんなに知らない人間ばかりなのに、安心して寝ちゃったよ」
シークとトリトラがそんなことを言いあうので、修太はグレイのほうを見る。グレイは少し離れた所で煙草を吸っていた。
(黒狼族同士だと、何か分かるもんなのかな)
修太にはよく分からない感覚だ。
「はー、腹減った。俺らにも食べさせろよ」
「本当だよ。ああいう世話って、戦うより疲れるんだね」
慣れないことをしたせいか、シークとトリトラが空腹を訴えるので、ササラはにこやかに食事を用意してあげていた。