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※残酷描写注意。
(相変わらず、レステファルテの町中は汚いな……)
家の前を綺麗にしないと住民税に響くセーセレティー精霊国と違い、レステファルテ国はその辺に動物の落し物が転がっている。生ごみが落ちていることもあった。
むわっとした暑さの中、香辛料と香水のきついにおいもするので、普通の人間である修太でも、気分が悪くなる。
波止場のすぐ傍には、グインジエの海軍要塞があり、町はそのすぐ隣に広がっている。その壁沿いには市が立ち、魚や貝の干物が売られていた。
「へえ、新鮮な魚が並んでるのかと思った」
「生ものを扱うのは、朝市だけだ。こんな時間まで店に並べていたら、役人が没収してそのまま捨てる上に、罰金をとられるぞ」
独り言のつもりだったが、グレイが教えてくれた。
「その辺はちゃんとしてるんだな」
衛生観念は悪いが、生ものの扱いは気を付けないと食中毒のもとだ。それで厳しいのだろうか。
前を行く啓介達についていきながら、グレイが港の傍に建つ堅固な城を示す。
「あれが海軍の要塞だ。まだクビになってなければ、前に会った提督はそこにいるぞ」
「ああ、サマルさん? 元気にしてるかな。リコさんとはどうなったんだろう」
「さあな」
そのまま要塞の門前広場にさしかかった時、人ごみができているのに気付いた。
木製の頑丈そうな台の上に、輪になった縄がぶら下がった丸太が置いてある。
「なんだろ、あれ」
「見なくていい。処刑台だ」
「へ!?」
声が裏返った。
そういう目でもう一度見てみると、確かに絞首刑の台だ。
ふと、海賊に捕まり、グレイに助けられた時のことを思い出した。サマルがさらりとこんなことを言っていたではないか。
「船長くらい生かしておいてくれたら、こっちで絞首刑にしといたのに」
つまり、レステファルテ国では、海賊の絞首刑は当たり前ということだ。
これから処刑される人は、凶悪な海賊なんだろうか。そこへ、頭に麻袋をかぶせられた男が一人、兵士に連れられてやって来た。集まっていた人々はざわめく。
「あいつだろ。戦闘奴隷となるのを良しとせず、逆に兵士を殺したっていう」
「黒い尾、間違いない」
「荒野の狩人どもめ! あいつらはいつも血で汚すんだ!」
後ろを通り抜けるつもりだったのに、修太は足を止めた。思わず、台に上がった男を凝視する。ズボンからは確かに犬のような黒い尾が垂れている。黒狼族だ。
そちらを見ていると、少し先に行っていたグレイが戻ってきて、修太の背を軽く押した。
「シューター、見なくていいと言っただろ」
「でも、あれ……」
「もう手遅れだ。行くぞ」
「良いのか?」
グレイは一瞬、言葉に迷ったようだった。ゆるく首を振る。
「……良くないが、どうしようもない。前もって分かっていれば、どうにかしてやれたかもしれないが。周りをよく見てみろ」
グレイにうながされ、修太はさりげなさを装って視線をめぐらす。広場のあちこちに兵士が散らばり、通行人を観察しているのに気付いた。
「ああやって見世物にして、隠れている仲間をおびきだそうって腹積もりなんだろ。怒りを見せれば、あいつらの思うツボだ。それで他の者が死んだとして、あいつは喜ぶどころか怒るだろう」
「そう、なのか。分かった」
口ではそう答えたが、理解したとは言い切れない。
けれど、黒狼族達は、彼ららしい殺伐とした信頼関係で結ばれているのだ。それは部外者には、容易には踏み込めない領域だった。
修太が啓介達のほうを目で追うと、シークやトリトラも冷静に見えた。シークなんて怒って騒ぎそうなものだったから、意外だ。
「おい、靴ずれでもしたのか? おぶってやろうか」
急にグレイがそんなことを言い出したので、修太は戸惑った。だが、兵士が近づいてきたのだと知り、急いで演技に乗っかる。
「大丈夫だよ、父さん。ちょっとこの騒ぎにびっくりしたんだ」
「子どもはあんなものは見なくていい。まったく、好奇心をもう少し我慢しろ」
いかにも聞き分けのない子どもへの説教を口にするので、兵士はわずかに首を傾げ、進路を変えた。
「ごめん。そんなに怒らないでくれよ」
心臓が口から飛び出そうだったが、修太はぎこちなく謝って、グレイに腕を引っ張られて広場を後にした。
どう見ても、落ち着きのない子どもを連れ帰る父親のようだったはずだ。
広場を離れると、兵士の数が一気に減った。
雑踏の人波に乗りながら、ササラがこちらを心配そうに見た。
「大丈夫でした? はらはらしましたわ」
「父さんが意外と演技派だったから、助かったよ」
表情はまったく変わっていなかったが、やりとりは完璧だった。
「冒険者ギルドで目的地への道を確認したら、すぐに町を出よう」
強張った顔をした啓介がそう切り出した。きっと修太も似たような顔をしているだろう。
その時、遠くからわっと歓声が上がり、処刑が終わったことをさとる。なんとも言えない重苦しい気持ちで、ずーんと落ち込んだ。
レステファルテ国では、黒狼族は差別されている。いや、すでに迫害という領域だ。
「奴隷だの処刑だの、黒狼族には人権はないのかよ」
啓介が憤然と吐き捨てると、すれ違った町民が立ち止まった。鬼のような形相で啓介を怒鳴りつける。
「はあ? あるわけないだろ! あいつらは人間じゃねえ、化け物だ。奴隷として飼ってやったほうが、世の中のためってもんだぜ」
さしもの啓介も、通りすがりの男に詰め寄られ、面くらっている。するとサーシャリオンがへらりと笑って間に入った。
「ああ、すまないね、お兄さん。子どもの言うことだ、勘弁してやってくれ」
「お前がそいつの保護者か? ちゃんとしつけろよ!」
「そうするよ。悪かったね、気を悪くさせて。ほら、行こう」
サーシャリオンが啓介の肩を押し、修太達はまた歩き出す。
直後、突然、男が派手に転んだ。
「うわっ、なんだ、何かにすべって……あれ?」
不思議そうにつぶやくのを背中に聞きながら、急いでその場を離れる。
「サーシャ、さっき、何かしたの?」
通りに人が少なくなったところで、啓介がひそっと問う。サーシャリオンは悪い笑みを浮かべた。
「はは、まあな。あやつの靴裏だけ凍らせてやった」
突然、アイスリンクに乗ったようなものだ。地味に効果的な嫌がらせである。
「しつけをされるべきは、あっちだろうに。不愉快だ。あの程度で済ませてやって、喜んで欲しいくらいだよ」
「サーシャ、グッジョブだ」
修太もムカついたので、胸がすく思いだ。修太が右のこぶしを突きだすと、サーシャリオンもこぶしを突き合わせた。
そんなやりとりを横目に、グレイが啓介に釘を刺す。
「往来でめったなことを言うなよ、ケイ。ここには、耳ざとい連中が多いからな。余計なことはせず、情報だけ集めてこい」
「分かったよ。ごめん、つい頭に血が昇っちゃって。――気を付けます」
気を取り直し、啓介は背筋を正す。
フランジェスカとサーシャリオンが冒険者ギルドに入ると、傍の木陰で休憩しながら、修太は行きかう人々を眺める。
(あそこまでされるほど、黒狼族は悪く見えるのかな)
差別されているとは聞いていたが、目の前で実際に見ると、胸にせまるものがある。
グレイがサマルやコーラルにはわずかばかりの信頼を見せるのは、当たり前のような気がした。
(そういえば、俺が普通の人間扱いすると、皆、びっくりしてたよなあ)
それで名前を呼んでくれた黒狼族の女性もいた。エンラだ。
元の扱いが低すぎて、まともに相手をする人が貴重だったのだとすると、悲しさがこみあげてくる。
溜息をついていると、グレイがぼそりと言った。
「また、何か考えこんでいるだろう、お前。いいか、自分のことだけ考えろ。他人のことは放っておけ。だから複雑でややこしいことになるんだ」
「俺だってシンプルでいたいけど、難しいんだよ。急に地に足がついた気がする。とりあえず、レステファルテで暮らすのは無理。イェリさんとアリテはすごいな」
スラムなんて治安の悪い場所では、不快さを暴力であらわす輩もいるだろう。イェリが冒険者ギルド認可の情報屋を裏稼業にしているのは、薬屋だけでは食べていけないからだろうか。
「アリテがどうした?」
シークが能天気に口を挟む。
「お前、アリテのことになると地獄耳かよ」
「ジゴクミミ? 何それ、モンスターか?」
「俺の故郷での、耳ざといって意味」
「ふーん。で、アリテが?」
「そこしか興味がねえのかよ、お前は」
しっかり言い返してから、修太は疲労たっぷりに返す。
「この国で生活ができるって、すげえなって話だよ」
「そうか? これが普通だから、気にならねえぞ」
「君の故郷はずいぶん平和なんだね~」
シークの横から、トリトラも口を出す。修太は腕を組み、うーんとうなる。
「エルフが人間を嫌うのは、こういうところかな?」
「え? あの連中も、たいがい排他的じゃない? 身内主義で、外見至上主義だろ。君、あの花畑エルフにぶち切れてたじゃないか」
「……まあ、そうだな」
「別にいいんじゃないの? 善悪、いろいろあるもんだよ。いちいち反応してたら、キリないじゃん。面倒だから、僕は好きか嫌いかで分けてる。ほら、これも差別だ。誰でもやってることなんだって。ここはそれを国規模でやってるだけ」
トリトラの言うことも分かるのだが、修太はやっぱり考えが合わない。
「どうやったら、仲良く暮らせるんだろうなあ」
「そんなの、無理に決まってるじゃん。昼と夜が同時に来るくらい、無理。それはそれで置いておくしかないよ。でも、君みたいに、理解できなくても、そこにいることを認めるなんていう考え方をする人が増えたら、いつかはそうなるかもね。千年くらいは先かなあ。その前に国が滅ぶかも」
想像したのか、トリトラのフードからのぞく口元が、皮肉っぽい笑みを描いた。
修太はまじまじとトリトラの横顔を見る。
「何?」
「いや、トリトラって、俺とまともに議論してくれるなあって」
そういえば、グレイもそうだが、変なことを言うと笑いはしても、頭ごなしに否定することはない。これって当たり前ではないのではないだろうか。
「ん? これはただの会話でしょ。思ってることを言っているだけだよ」
トリトラはわずかに首を傾げる。
「まあ、ともかく、君はあれこれと考えすぎじゃない? そんなに気にしてると、背が伸びないよ」
「うるさいなっ、これから伸びるんですー!」
たぶん。おそらく。
蓄積時間を落とすなんて初めての体験だから、また成長するのだろうかと心配はしているが。
雑談しているうちに時間が過ぎ、サーシャリオンとフランジェスカが戻ってきた。メモ書きを手にしている。
「ここから北西に行った、小さなオアシスが点在している辺りの村だそうだ。観光名所になっているらしく、一般人も入れるんだと」
「良かった! ありがとう、フランさん、リオン」
啓介が笑顔で礼を言い、メモを預かって旅人の指輪に入れる。
「さっそく行こうか」
「そうね。ここにいるとはらはらするもの」
静かに黙り込んでいたピアスが、ほっと息をつく。
そして、グインジエの西門前に着くと、白い軍服を身に着けた兵士がずらりと並んで待っていた。
「全員、顔を見せろ」
町に入る時は厳しいチェックがあるが、出る時はそうでもない。そのはずだったのに、まさかの検問所があった。
修太はひやりとした。
逆らうわけにもいかず、修太達はフードを下ろす。兵士はグレイの顔を眺めると、大きく頷いた。
「間違いない、賊狩りグレイだ。まったく、このご時世で、のこのこと町にやって来るとはな」
呆れたようにつぶやくと、兵士はグレイに近づいて、何かをささやいた。グレイの眉が寄ったので、不愉快なことでも言われたのかもしれない。
兵士は一歩離れ、部下に指示を出す。
「国王陛下の名において、黒狼族とその仲間達を捕縛せよ!」