第五話 ノーネムノムの火焔王子 1
熱い日射しで温められた海風は、生ぬるい風を吹きつけて通り過ぎて行く。
龍の背に乗ってアストラテを目指す啓介達は、暑さにへばりかけていた。中でも、サーシャリオンが。
「暑いー。暑いのは無理だ。溶けるぅーー」
見た目、いい歳したお兄さん姿で、あぐらをかいたまま項垂れている様は見ているこちらが暑苦しくなってくる。
――クロイツェフ様は相変わらずですのう。ここが氷河地帯でないのが申し訳ないがの、気候を変えるわけにもいかんですしのう。
龍は困ったように呟く。
「だらしないわね、お兄さんてば。このくらいの暑さ、暑いうちにも入らないわよ!」
啓介やフランジェスカは気温調節の魔法陣が縫われているマントを着ているので、実はそんなに暑くないが、そういう服を着ていないはずのリコは鼻を鳴らして長い灰色の髪を手で振り払った。元気ピンピンである。
「我は寒い所が好きなのだ。ああ、氷に閉ざされたねぐらに帰りたい……」
泣き言を漏らすサーシャリオン。
常に飄々としていて楽しげな様子と全く違う態度に、啓介は同情半分、ギャップの面白さ半分という感じで、笑いをこらえていた。
そして少し考える。
「つまりさ、日射しが熱いのが問題なんだろ。ってことは、光を反射すれば暑くないんじゃないかな。そういう魔法ってないの?」
自分達に届く寸前で光を反射すればいいのだと考え、人差指を立てて首を傾げてみた時、ふっと服から出ている肌に感じていた熱さが消えた。
あれ、急に涼しくなったなあと、雲が出たのかと空を見上げ、目を丸くする。
啓介達四人を包むように、透明な壁が出来ていた。光を反射して、時折オレンジ色の光が格子目に浮かび上がる。
「すげー、サーシャ。やるなあ」
「何を言っておるのだ、そなた」
感心しきりでサーシャリオンを見ると、暑さが和らいで機嫌が良くなったサーシャリオンのじと目が返ってきた。
ん?
「我は確かに〈白〉の魔法も使えるが、これは我が使ったのではないぞ。そなただろう」
「……は?」
目をパチパチと瞬く。
「……魔法?」
「うむ」
「これが?」
「そうだ」
「……誰が使ったって?」
「そなただ」
「………………」
啓介は唖然と格子目に光る壁を見る。
ずっと使ってみたいと思っていた浄化以外の魔法だが、あんまり突然に使えてしまって、驚いたり喜んだりするよりも呆然とする。使っている感じだとか、現実感が全くないので奇妙だ。魔法を使用していると言われてもピンとこない。
「魔法の発現方法の習得おめでとう、ケイ殿。今日はお祝いに豪勢な食事にせねばならぬな」
横で座ったままじっと口を閉ざしていたフランジェスカが、にこりと穏やかな笑みを浮かべてお祝いの言葉をくれた。
修太の時にはそんな丁寧な言葉は口にもしなかったのに、啓介の時だと態度が百八十度も違う。しかし啓介はそれには気付かず、ただただ唖然と壁を見ていた。
フランジェスカは首を僅かに傾げる。
「意外だな。もっと喜ぶと思ったが、やけに大人しい」
「俺もそう思う。でも、実感湧かなくてさ。何がどうして使えたのかも分からないから」
「さっき人差指立ててたでしょ。その動作じゃない?」
リコの指摘に、啓介は今度は己の指をじっと見た。今は手は広げた状態であるが、確か魔法を使うのに必要な動作や言葉が人それぞれだという話だったから、指を立てて、こういう魔法はないのかと考えたことで使えたことになる。
啓介はひどく真面目な顔をして、右手の人差指を眼前に持ってきて、物語の魔法使いみたいに指先に光を灯すことを想像した。
音も無く光の玉が指先に浮かび上がる。リコの言葉は当たりのようだ。うわ言のように呟く。
「……点いた」
「ああ、点いたな」
同意するサーシャリオン。怠惰そうに頬杖ついた姿勢で、にやりと口端を上げる。
「変なの。これ、ほんとに俺が使ってるの?」
左手の先で光の玉をつつきながら、納得いかなくて首をひねる。光の玉はふよんと揺れて、元の形に戻る。
「しつこい奴だな。そうだと言っておろう」
「うー、変な感じ。全然、使ってる感じがないぞ」
「そなたの魔力量が多い為だろう。そんな些細な魔法では使った気にもならぬのだろうな。逆に加減もしにくかろう、注意して使え。もし攻撃魔法の加減を誤れば、周りに被害が出る」
サーシャリオンの忠告に、啓介は表情を引き締める。
「分かった。まだよく分からないけど、慣れるよ」
神妙に光の玉を見つめる。
「しかし、ケイ殿とシューターは本当に対称的だな。あのガキは魔法を使えば体調を崩すというのに、ケイ殿は魔法を使っても魔力減少感覚がないとは。性格も色も対比的だし、よく親しくいられるものだ」
心の底から不思議そうに言うフランジェスカに、啓介はにかっと歯を見せて笑う。
「周りにもよく言われるけど、シュウとは不思議とうまが合うんだよ。それに、周りの友達は、俺が決めていいって何も否定すること言わないけど、シュウは俺が悪い方に行きかけると止めてくれるしな。拳で止めるのはほんとやめて欲しいんだけどね」
後ろ頭をかきながら、へらりと笑う。いや、ほんと、修太の鳩尾への一撃は毎度痛い。本気で。テーブルの下で足蹴られて、無言で止められたりすることもある。素敵な親友様だよ、全く。
「愚痴言いながらもフォローしてくれるし、ほんと良い奴だよな!」
そう言ったら、フランジェスカは渋面を浮かべる。
「すまぬが私は同意しかねる」
「またまた、そんなこと言って。俺はちゃんと分かってるよ。“喧嘩するほど仲が良い”んだって!」
自信たっぷりに笑顔で言い切る。
「………どうやらケイ殿とは、徹底的に意見を磨り合わせる必要がありそうだな」
ひくりと頬を引きつらせたフランジェスカが、どこか据わった目つきで言うので、啓介の笑顔もまた凍りついた。
あれ? 俺、おかしなこと言ったかな?
ヒュルルルゥゥゥ………
無意識に逃げの姿勢をとりかけた時、風を切る音を耳が拾った。
「?」
「何だ?」
顔を見合わせていた啓介とフランジェスカは、ほぼ同時に顔を上げる。だが音の正体を掴む前に、すぐ側の海面に水柱が立った。
「え……っ」
三メートル近く立ち昇った水柱を目の端で捉えながら、驚愕の声を漏らす。跳ね返った水飛沫が遅れて四人にかかり、一瞬にして四人はずぶ濡れになった。
「わぎゃっ、なんなの!? ……って、あれはっ! ノーネムノムのバカ王子の旗じゃない!」
キッと眉を吊り上げて周囲を見回したリコは、百メートル先程の海上に帆船を見つけて、眉間にくっきりと皺を刻んだ。その旗は、朱色で獅子が描かれている。
啓介は目元にはりつくホワイトグレーの前髪を指先でつまんでどけながら、銀の目を瞬く。
「バカ王子?」
「リコ、知り合いか?」
フランジェスカの問いに、リコはぶんぶん首を振る。力いっぱい否定する上に、拳をぐっと握りしめ、青筋だてて怒鳴るように返す。
「知り合いじゃないわよ! 知ってるだけ! アストラテより西にあるノーネムノムっていう街を拠点にしてる奴で、ザダック王子っていうの。レステファルテの第三王子で、我がままで乱暴すぎて、持て余した国王陛下が、ノーネムノムを与えて海軍に追い払ったってわけ。ほんっと最低なんだからっ。前に言いがかりつけてサマルさんを殴ったのよ! 権力かさにきちゃって嫌な奴! ぜっったいに許さないんだから!」
かなり嫌いな人物らしい。リコは憤然と悪評をまくしたてる。
知り合いじゃんと啓介達は思ったが、あまりの鬼気迫る形相に何も言えない。
「わ、分かったから落ち着け!」
詰め寄るようにして怒鳴られ、フランジェスカはたじろいだ様子で後ろに身を引いている。両手を自分の前に突き出し、鼻息荒いリコに落ち着くようにと引きつった顔でなだめる。
その間も、帆船からの砲撃は続いている。
龍の右や左にバシャーン、ドバシャーッと凄まじい音を立てて海面を着弾した砲弾が打ち鳴らす。そのたびに水柱が立ち、啓介達は水を被るはめになった。
アストラテに救援に来た所で、龍を見つけたので攻撃を仕掛けているというところだろう。フランジェスカとリコの遣り取りを横目に見つつ、啓介はだいたいの判断を下す。
濡れ鼠になったせいで顔をしかめている四人を背に乗せ、龍は砲撃をすいすいと泳いで避けていく。
サーシャリオンはそんな龍に命令を下す。
「シーガルド、この調子ではアストラテに近づけぬ。少し程度なら離れてもよいから、あやつらを振り切って、他の陸地につけよ」
――もちろんです、クロイツェフ様! 行きますぞー!
龍はやる気に満ち満ちた声とともに加速する。波を切り、帆船とは反対の東の方を目指す。いい歳した爺さん龍なのに、テンションが高い。海上の追いかけっこを楽しんでいるようだ。
「ちょっと、私のこと、船まで送ってくれるんじゃなかったの!」
慌てたリコが龍に叫ぶのに、啓介が横から言う。
「あれじゃ港に寄れないよ。俺達がちゃんとアストラテまで送るから、安心して」
リコはどす黒い表情でギッと帆船を振り返り、鬼の形相で睨みつける。
「あのクソ王子! 地獄に落ちろっっ!」
リコの盛大な叫び声が、砲撃と波を切る音の中、びりびりと空気を震わせた。
*
砂色の空に白い鳥を見つけ、サマルは目を細めた。
レステファルテで白い鳥は珍しい。たいていは極彩色の鳥か、砂色や茶色という荒野に溶け込んだ保護色をした鳥ばかりだからだ。
アストラテの惨状と白い鳥は対比的であり、まるで希望の光のように見えた。
(ははっ、いやあ、笑っちゃうね。まるで詩人だ)
自分の思ったことに苦笑を漏らして白い鳥を見ていると、白い鳥はどんどん距離を縮め、サマルの方へ向かってくる。
「――へ?」
まさかこちらに飛んでくるとは思わない。
無意識に腰に提げたファルシオンの柄に手をかけたところで、異変に気付いた副官のオドがさっとサマルの前に立ち、大ぶりのナイフを構える。
が、オドが鳥を切り払う前に、鳥の動きは止まった。
ふわりと空中で羽ばたくや、ゆっくりとサマルの方に降りてくる。
「提督、お下がりを」
オドが退くように言うのを、ひらりと手を振ってやめさせる。
「いい」
「しかし」
「大丈夫だって」
サマルの言葉に、オドは渋々ナイフを下ろして引き下がる。
瓦礫に人が埋まっていないか探す兵士達や、復興の為に瓦礫や廃材をどかしている兵士達は、何事だろうかとこちらを注視している。その中には、アストラテに拠点を持つガルウィン提督の部下達も混ざっている。サマルの部下は白い軍服の腕章に青い染料で鳥が描かれているが、ガルウィンの部下の服には緑でワニが描かれているのだ。ちなみに、金色は王直属軍の色だ。
何の確信もなかったが、サマルはその鳥に警戒心を抱かなかった。勢いが止まらなければ切り捨てていたが、止まったのだから何かの伝言だろうと踏む。しかし鳥の足を見ても手紙が結わえられている様子はない。
訝ったところで、白い鳥の姿が光となり、形が崩れて、しゅるしゅると空中に文字を刻んだ。
――サマル提督殿
アストラテに戻る途中、ノーネムノムのバカ王子なる者の艦隊に遭遇し、攻撃を受けたため、やむなく迂回することにした。
陸路より、アストラテを目指す。リコは必ずお連れする故、心配召されるな。
また、リコから伝言がある。バカ王子がそっちに向かっているから気を付けて! だ、そうだ。
どんなバカか見てみたい気もするな。
体調を崩しているらしきシューターをくれぐれも宜しく頼む。
サマルが目を通し、「了解したよ」と呟くと、文字は溶け、そのまま宙に溶けてキラキラと光の残滓を残して消えた。
サマルはくすりと笑み、オドに言う。
「どうやらあの〈黒〉の子どもの奇妙な友人達の中には、〈白〉がいるようだね。光の伝書鳥が来るとは思わなかった」
オドは眉を跳ね上げる。
「もし可能でしたら手紙の中身をお聞きしたいのですが?」
「リコから伝言でね。第三王子がここに来るってさ」
「……なるほど」
その一言で、事情を察したオドは短く呟く。表情に面倒臭そうな色が見えた。話が聞こえたらしい周囲の兵士達もそれぞれうんざりしたような顔をしたが、慌てて表情を引き締めると再び作業に取り掛かる。
「第三王子を迎える準備に入るよ。ガルウィン提督にも伝えて。あと、グレイの旦那にも引き続き護衛を頼むと伝言を」
「了解しました」
オドは短く敬礼をすると、命令された足で歩きだし、アストラテ海軍本部と冒険者ギルドに遣いを走らせると、そのまま部下のうち少数だけを集め始める。
「やれやれ。面倒なお方とご対面と行きますか」
少人数での出迎えにザダック王子はさぞかし機嫌が悪くなるだろうが、緊急事態だからやむをえない。
サマルは憂鬱な気分になりながらもそれは笑みの後ろに隠し、部下を連れて港へ歩きだす。今こそリコの強気で明るい声を聞きたいものだと思い、伝書鳥にあった「バカ王子」という言葉に、少し胸のすく思いがした。




