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翌日、啓介とサーシャリオンが準備を万全に整えてくれたので、森の街道に向かう仲間と別れ、修太とフランジェスカは影の道を通った。
影を踏み、闇へと落ちたと思ったら、どこかに寝転がっていて、ハッと目が覚めた。
高い位置にある天井は、花の絵が描かれたタイルで埋まっている。修太はすぐに起き上ったが、すぐ近くではフランジェスカが目の上に腕を置いてうめいている。
「大丈夫か?」
「ちょっと待て、少しめまいが……」
そう言って、フランジェスカは動かない。リオンの姿をしたサーシャリオンがひょこりと顔を出し、修太を手招く。
「魔力酔いだ、放っておけば治る。ほら、シューターはこちらに来て、お茶でも飲むといい」
そこでようやく周りを見た修太は、目を丸くした。
目の前にあるものが、最初は池かと思った。湯気が立ち上っているので、温泉らしい。ほとんどプールと変わらない。周りには傘がかけられたテーブルと椅子がいくつか置いてあり、その一つにお茶と菓子が用意されていた。
「すげえ。金持ちのホテルって感じ」
「王侯貴族や富豪向けの宿だからな」
「急に俺達が増えて、不審に思われないか?」
修太はフランジェスカのほうを気にしたが、無理に動かすと気分が悪くなるだろうから、そっとしておくことにした。優美な藤椅子に腰かける。
サーシャリオンも右隣の椅子に座って、氷の浮いたジュースを口に運ぶ。
「問題ない。ここは人数ではなく、一棟まるごとでの宿泊代になるんだそうだ。出入り口を使えるのは我らだけだ。奥のほうにスタッフが控えているが、呼び鈴を鳴らさなければ顔を出さぬそうだ。食事の時だけは、別のようだが」
「プライベート重視ってことか。すごいな」
「富豪の中には、踊り子や楽師を呼んで、楽しむやからもいるらしい」
「へー! すげえ、金持ちって感じ!」
修太のちんぷな感想に、向かいの席に落ち着いた啓介が噴き出す。
「シュウ、金持ちって感じしか言ってないじゃんか」
「それ以外にどう表現しろっていうんだよ。うまそう。食べようぜ」
修太は言い返し、お茶菓子の引力にあらがわずに手を伸ばす。クッキーでジャムをサンドしたお菓子は、甘酸っぱくておいしい。それから、風呂を指さす。
「なあ、啓介。あの風呂ってどうやって入るんだ? 男女で交代?」
「水着で入るタイプらしいよ。それが嫌なら、奥に風呂場があるって」
「は? さらに別に風呂場があるのか? 金持ちの考えることは、よく分かんねえな」
洗い場や脱衣所が見当たらないので、そちらを使うのだろうか。それならそっちの風呂を広くしてくれればいいのに。システムは意味不明だが、ここのお菓子は好みの味なので、今晩の料理が楽しみだ。
「ところでシュウ、ピアス達はどうなったのか教えてくれよ」
「夕方には着くよ。そんなに心配しなくても、ササラさんとコウがいるから、ピアスも大丈夫だって」
最初にピアスの名前を出すあたり、啓介がピアスを気にしているのがよく分かる。ササラと聞いて、啓介は目に見えて安堵した。
「良かったよ。黒狼族だけだと、足が遅いって置いていきそうだもんね」
「そこは手加減するように頼んでおいた」
グレイとシークはともかく、トリトラは女性のことは気遣うほうだ。おそらく大丈夫だと思う。シークはトリトラからよく、「アリテと結婚するんなら人間のことを知るべきだ」と叱られている。アリテを話題にすると、素直に言うことを聞くから、うまい操縦方法だ。幼馴染なだけはある。
「さすが、シュウ。じゃあ、今晩が断片の鑑賞と回収な」
少しだけ観光しようとも言い合って、予定が決まった。
「それで、水着ってどこで売ってんの?」
修太は水着を持っていない。カラーズとして目を隠さなければならないため、そもそも人前でそんな無防備な格好になどなれないから、考えもしなかった。
「フロントのほうにショップがあるよ。後で行こうぜ」
「うわぁ、しっかりしてるなあ。テーマパークのホテルじゃん」
温泉宿というより、温泉テーマパークだと思えばいいんだろうか。その後、啓介やサーシャリオンと見に行くと、割高なあたりも観光地という感じだった。とても商魂たくましいが、おしゃれなものばかりで質も悪くない。店探しをする手間を考えれば、妥当なところか。
しばらくして元気になったフランジェスカに水着のことを教えると、即答で断られた。
左頬だけでなく、普段衣服で隠れているあたりにも、モンスターに襲われてできた傷痕があるらしく、周りに見せたくないんだそうだ。
思わぬ過去の傷にふれ、ちょっと気まずくなった修太達だった。
夕方、ピアス達と合流した。
普段、露出度の高い格好をしているだけあって、ピアスは水着になるのに抵抗がないみたいだったが、ササラは気後れして、結局、ワンピースタイプの水着を選んでいた。
スオウ国の民はあまり肌をさらさないみたいだ。
プールの端に腰かけ、修太はプールに棒切れを投げる。コウが飛び込んで、わーっと泳いでいって、すぐに棒切れをくわえて戻ってきた。コウは、ちゃんと最初に風呂場で綺麗に洗っている。
啓介やササラとボール遊びをしているピアスに、修太は不思議に思って問いかける。
「ピアスはそういう格好は気にしないんだな」
「そりゃあ、そうよ。セーセレティーは暑いから、水浴びすることが多いもの。皆、一着は持ってるわ。男の人なら、半ズボンの人もいるけど」
「涼をとるなら、水浴びしかないか」
なるほど、それは理にかなっている。
「シューター、泳ぎ方を教えてあげようか~?」
水着でも黒い半ズボンというトリトラが、兄貴面をして寄ってくる。さらされている上半身は透き通るような白い肌なので、男なのに、なんだか目に毒だ。
「泳ぎ方くらい知ってますー。というか、お前はなんでそんなに肌が白いんだ? あんな砂漠で育ってるのに」
「ん? これは体質というか……親ゆずり? 母さんもこんな感じだったけど、実の父親はセーセレティーの民らしいんだよね。日焼けすると赤くなるだけで、シークみたいにはならないなあ」
「いや、俺のも親ゆずりだぞ。日焼けじゃねえよ、地肌だっつの」
褐色の肌を示し、シークが言い返す。
シークはいかにも浜辺にいそうなこんがり焼けた色をしているので、プールにいるとよく似合う。
「あんまり日に焼けると痛むから、いつもは布を巻いてるんだ。籠手の金具での違和感を避けるためってのもあるけど。そういうのが、戦いでは感覚を邪魔するからね」
「足に巻いてるのは?」
「靴下の締め付けが嫌いなだけ」
「なんかこだわりがあるのな?」
トリトラのほうが見た目も繊細そうなので、細かいところが気になるのは、なんとなく分かる。
「ほらほら、お兄さんと遊ぼうよ~」
「俺はコウと遊んでんの! あ、こら……ぶげふっ」
トリトラが手を引っ張られ、修太は風呂に顔から飛び込んだ。トリトラ達で腰の高さくらいの浅いプールだが、いきなりはきつい。
「げっほごっほ。てっめ、鼻にお湯が……」
「ごめんごめん、ちょっと引いたつもりだったんだけど、なんでかな」
「手加減、下手すぎだろ、トリトラ」
首をひねるトリトラに、シークが「それはないわ」みたいな顔で口を出す。
「おい、お前ら。水場でふざけてんじゃねえぞ」
そこに、シャツとズボン姿のグレイが、馬鹿な弟子達に威圧をかけた。
「はっ、はいっ。すみません!」
「俺のせいじゃないですけど、ごめんなさい!」
トリトラとシークは素直に謝る。どう見ても、プールサイドでふざけている悪ガキを叱る、怖い体育教師みたいな空気だ。
「父さんは入らないのか?」
「入るわけねえだろ。後であっちの風呂だけ使う」
「っていうかそもそも、グレイって水浴びとかってするの?」
純粋な興味をぶつけると、グレイは否定した。
「レステファルテでは、水は貴重だ。そんなことができるのはオアシスくらいだが、そういった場所は都市か交通の要衝だ。差別されてる身で、ほいほい入れるわけねえだろ」
「海は?」
「船に乗り移るために泳ぐくらいはするが……それくらいだな。お前、俺が浜辺で遊ぶがらに見えるのか?」
声に呆れがこもっていて、修太は馬鹿なことを聞いたことだけは分かった。トリトラもうんうんと頷く。
「僕らも海辺はほとんど行かなかったな。人買いは海賊と手を組んでることが多いから、港って危険なんだよね」
「だな。師匠と旅してた頃でも、師匠が仕事で留守の時は、だいたい砂漠でモンスターや動物を狩ってたもんな」
「そうそう、ノコギリ山脈の傍とか良かったよね、食べごたえのある獲物が多くて」
「町でうっかり白教徒に目をつけられて、トリトラが捕まった時はあせったよなあ」
「僕のほうが冷や汗をかいたよ! 死ぬとこだったし!」
トリトラとシークは思い出話に花を咲かせ、わいわいと話していたが、最後には物騒なところに着地した。
修太は前に聞いたことを思い出して、トリトラに問う。
「そういや、トリトラは白教徒にナイフ投げの的にされかけたんだっけ?」
「そうそう! 枷とか檻とか、ぶっ壊して逃げたんだよ、懐かしい!」
「壊せるのがすごいけどな……生きてて良かったな」
そう聞くと、少しくらい優しくしてやろうかなあなんて思ってしまう。
啓介がボールを持ったまま、こちらをあ然を見ている。
「すごい話をしてるね、皆」
「いろいろとツッコミたいけど、シューター君が普通に受け入れてるのが特にすごすぎるわ」
ピアスが首を振り、ササラが目を輝かせる。
「さすがです、シュウタさん」
「いや、意味が分からんぞ、ササラ殿」
彼らの傍で足湯をしているフランジェスカが、冷静に指摘した。
「よく分からないな。それより僕と遊ぼうよ、シューター」
「温泉で? それじゃあ、水鉄砲とか?」
修太が両手で水を飛ばすと、トリトラとシークが歓声を上げる。
「わあ、何それ! 水デッポー? デッポーって何?」
「俺の世界にある武器の名前だけど、こっちにはねえな。水飛ばしとかでいいんじゃないか」
修太は適当なことを言って、水鉄砲でトリトラに湯を飛ばす。
「んん? どうやるんだ? 手を……叩く?」
シークが手を叩いたが、ただ湯が飛び散っただけだった。
湯につかる文化がなく、水が貴重な土地で育ったのだから、こういった遊びは知らないのが当たり前だ。
修太が水鉄砲を教えると、二人はわいわいと試し始める。これが黒狼族の力ですると、なかなかの凶器レベルだったりする。
「トリトラが遊んでやると言いながら、結局、シューターが遊んでくれてるじゃねえか。お前ら、相変わらず馬鹿だな」
グレイがふんと鼻で笑い、テーブルのほうでおやつをもりもり食べ続けていたサーシャリオンが、大笑いして天板に突っ伏した。




