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あいさつしようと右手を出したら、思い切りひねるのだから、黒狼族の子どもって怖い。
修太はいまだに痛む右腕をさすりながら、あの敵意には懐かしさを覚えた。
「初めて会った頃のシークみたいだったな」
修太の呟きを拾い、トリトラはバルのほうをちらっと見た。
「ああ、さっきのクソガキ? 僕らが集落を出た頃はチビだったけど、生意気に育ったみたいだね」
気に入らないという態度でふんと鼻を鳴らし、トリトラは皮肉っぽく笑った。
スレイトがバルは九歳だと言っていた。トリトラの今の年齢は十九歳だから、トリトラが十三歳で集落を出た頃、バルはまだ三歳だったはずだ。チビと表現するのも当然だ。
「いい、シューター。母親が怖いから、あんなことをする奴ばっかじゃないけど、子どもはまだ修業前なんだ」
トリトラが真面目な口調で話すので、修太は合槌を打つ。
「外のことがよく分からないから、僕らは集落を出たら、父親や師匠のもとで一年の修業をする決まりなんだよ。僕みたいに力加減が苦手な子どももいるから、安全のためにも、一族の子どもには近付かないほうがいいよ」
「了解」
そういえば、トリトラには悪意は無かったが、軽く背中を叩かれたせいで、修太はテーブルに突っ伏すはめになったのだ。あれを思い出すと、黒狼族の恐ろしさを実感する。
「それに、あいつらは仲間しかいない世界に住んでるんだ。ここに来るのは岩塩狙いの商人か、あんなふうに集落を襲うような悪党ばっかり。意味は分かるだろ?」
「外から来る奴は、だいたい敵だと思ってるわけか」
「そういうこと。レステファルテ人は僕らを差別してるから、他人を警戒するのは正しい。でも、君や白い人みたいに、種族という理由で差別しない人もいるってことは知るべきだよ」
トリトラは子ども相手だろうが厳しいみたいだ。
「俺は大人の対応をするべきなのかな」
「え? それは違うでしょ。気に入らなければ、そう言えばいい。だいたいさ、君と僕とは違う個なんだから、推測はできても理解なんか無理。僕らが思ったことをそのまま口にするのは、不快なら相手が言い返すって思ってるからだよ。我慢すると、つけ上がるよ?」
「ああ、そういう……」
トリトラと話していて、修太は急に理解した。
彼らには表も裏もないわけだ。そう分かってみると、気に入らないとはっきり口にするバルは可愛い気がしてくる。腹の内で何を考えているか分からない者より、あけすけで分かりやすい。
「だから、何回も言ってるけど、僕らは感情面にうといんだ。口にして言ってくれないと、分からないんだって」
「面倒くせえな」
「ええー? 何も言わないで、勝手に悩んだ挙句に、いきなり怒り出すほうが面倒くさいよ」
修太の愚痴に、トリトラも言い返す。
トリトラの言い分も分かるので、修太は押し黙る。
「ほら、また黙る。何?」
「お前の言い分も分かるけど、やっぱり面倒くさいなって」
「ははっ。そういう遠慮のないとこは好きだよ」
何故かトリトラが笑い出した。
どうしてそこで面白そうにするのか、修太にはやっぱりトリトラの笑いのツボが謎だ。
首をひねっていた修太だが、シークがアリテに抱き着いたのを見て、考えが吹っ飛んだ。
「アリテー! 久しぶり!」
「きゃあっ」
突然のことに、アリテが身をすくめる。イェリはシークの後ろ襟を掴んで、アリテから引きはがす。
「こらっ、娘に気安くするんじゃね……うおっ」
「おっさんも久しぶり!」
シークはイェリにもハグをした。
「そういや、ビルクモーレでグレイと再会した時もあんなんだったな、あいつ」
修太の呟きに、トリトラは頷く。
「シークは、久しぶりに会う知人には、抱き着くんだよね。彼の母親がそういう教えをさずけたせいで」
「レステファルテの慣習?」
「いや、おばさんのマイルール」
「……そうなんだ」
また迷惑な教えを受けたものだ。イェリとアリテの驚きようを、修太は同情を込めて眺める。
「よ。イェリさん、アリテ、久しぶり」
修太がフードを脱いで声をかけると、イェリはシークを自分から引き離してからあいさつする。
「よう、元気そうじゃねえか、坊主。その鉄狼、まだ一緒なんだな」
修太は足元にいるコウを見た。常に傍にいるので、修太にしてみればすっかり空気みたいな存在だ。
「まあな。アリテは背が伸びたみたいだな」
長い黒髪を三つ編みにしている少女は、以前と同じく、水色の長衣みたいなワンピースを着ている。湖面のような静かな青い目が、修太をひたりと見つめ返した。右目を覆う包帯が痛々しいが、色白で可愛らしい少女だ。
「君は変わってないみたい」
「うっせえな、これから伸びるんだよ!」
異世界に来た時に若返ったが、身長は伸びるはずだ。……たぶん。
「こら、チビ! 俺の将来の嫁に、きつく当たるんじゃねえよっ」
シークが噛みつくと、アリテがぎょっとした。
「え? あれって本気だったの? 冗談だと思ってた」
「こんなことで嘘を言うかよ」
瞬く間に不機嫌になるシークを、アリテはけげんそうに眺める。
「変な人。私みたいなキズモノと結婚したいなんて」
「はあ!? 何言ってんだ」
卑屈な言葉を聞いて、シークが真顔になる。
「お前の右目の怪我は、お前のせいじゃねえし、傷があるってことは生きてる証だ。それの何がいけない。いくらお前でも、俺が好きなお前が、お前を馬鹿にするのは許さねえ」
その怒りにアリテは驚いた様子でシークを見つめ、パッと目をそらして、顔もそむけた。
「……本物の馬鹿ね」
言葉のわりに、アリテの目元は赤く、口元には笑みが浮かんでいる。照れているようだ。
シークは胸を手で押さえた。
「うおっ、なんかその『馬鹿』はぐっとくる。もう一回言って!」
「……馬鹿じゃないの。気持ち悪い」
今度は本気のさげすみをにじませて、アリテはぷいっとそっぽを向いた。
「ひでー!」
シークが言い返すと、イェリのほうが怒った。
「うるせえぞ、クソガキ。こんな近くで大声を出すな。ったく、俺が差し向けたとはいえ、よくグレイはこんな奴のおもりを耐えられたな」
「うるさいって言われて、よくアイアンクローされてたよ」
トリトラの暴露に、イェリは頷く。
「ああ、そうだろうよ。俺でもする」
イェリは会話しながら、敷物に座っている黒狼族の男のほうに行き、そちらの傷を消毒して、傷薬を塗り込んだ。
「この程度なら、薬を付けておきゃあ治る」
「……助かるぜ、イェリ」
男の返事に頷いて、また隣の患者のほうに行く。アリテもついてきて、傷がひどい者は治療師として治していく。
「そういやあのダークエルフの奴、ここでも魔王って騒がれてるんだな。またあいつかと呆れられてたぞ」
「そこで排除に向かわないのが面白いよな」
修太の返事に、イェリは肩をすくめる。
「敵じゃないからな。レステファルテ兵を追い払ってくれたのはありがたい。いくら俺らが頑丈で、三日は眠らなくても平気で、一週間は動き回れるったってな。こうも連日やって来ると、じり貧だ。食糧の備蓄がかなり減ってる」
「そんなに襲ってくるの?」
「ああ。ここ一ヶ月ばかり、ずっとあの調子だ。捕虜は出てねえが、何人か死んじまった。ったく、あいつらは俺達を奴隷にしたいくせに、何してんだって感じだぜ」
舌打ちをして、イェリは眉間に皺を刻んだ。
「俺、あの王子は嫌いだ」
「安心しろ。レステファルテ人にも嫌われてる」
「それを知ったからって安心はできないよな」
「違いねえ」
イェリはけらけらと笑い、女戦士のほうに行く。軽いやけどを見て、アリテを呼んだ。アリテがすぐに治療魔法をかけ、ふうと息をつく。
「お父さん、疲れてきたわ」
「重症患者はおおかた診たから、一度休憩するか」
イェリは周りを見回して、一つ頷いた。女戦士には水を飲むように言い、立ち上がる。
「そういや、なんでまた、グレイだけでなく、トリトラとシークまで一緒にいるんだ? あっちのテントで話を聞かせてくれや」
「うん、いいよ。あ、お姉さん、この水をあげるよ。まだしんどそうだ」
旅人の指輪から水筒を出して、使い捨て用に買いだめしている木製のコップについで渡す。
「ありがとな、少年」
彼女は礼を言って受け取った。近くの男が手を上げて、こっちにもくれと言うので、修太はしばらく水を配って歩いた。気付けば、修太だけでなく、仲間達も戦士達の補助に当たっている。
一足先に、日除けのテント下に向かっていたイェリが、後で修太の肩を軽く叩いて言った。
「たまたま立ち寄っただけだろうに、働かせて悪いな」
「困った時はお互い様だよ」
「小僧は変わってるが、良い奴だよな」
「うん。一言余計だ」
修太は言い返した。