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翌朝、目が覚めてみて、馬鹿げた夢ではなく実際に異世界に来ていることを再確認し、修太は深々と溜息を吐いた。
「朝っぱらから溜息とは、陰気な奴だ」
聞こえた声にぎょっとして、テントの中で跳ねるように飛び起きる。
白マントの女が、焚火の側に片膝を立てて座っていた。
「なっ!? なんでいるんだ、昨日の通り魔!」
「そのふざけた呼称を取り消せ。私は誇り高きパスリル王国の騎士だ。剣聖フランジェスカといえば、一度くらい聞いたこともあろう?」
「いや、聞いたことねえし……」
いつからここにいたのだろう。そもそも、何故当然のように焚火に枝をくべているんだ?
訳も分からず斬りかかられた身としては、意味不明すぎて拍子抜けだ。
唖然としていた修太だが、ハッと我に返ると声を荒げる。
「つーか、待て! なんでさも当然みたいに料理してんだ? いや、何でここにいる? 昨日はいきなり斬りつけといて、急にいなくなるし。何がしたいんだ、あんた!」
疑問をいっぺんにぶつける。フランジェスカという名らしき女は、ちらりと藍の目で修太を一瞥する。
「何故料理をしているか。食材があって道具があって、私が腹が空いているからだ。斬りつけたのは、お前が悪魔の使いだからだ。それから、いなくなったわけではない。私はずっとお前といた」
淡々と答え、修太が放置していた食材を勝手に調理して、勝手に皿に盛り付け、勝手に食べ始める。
フランジェスカはフードと口布を下ろしているので、顔があらわになっている。美人と呼べるくらいの綺麗な顔立ちだが、左頬に右上から左下へとざっくりとした切り傷があるせいで、ただでさえきつそうな外見なのに迫力が増している。青みがかった黒髪は肩口で切りそろえられていて、艶やかだ。不思議な色だが、綺麗な色だと思う。
「はあ……?」
さっぱり分からない。
しかし修太の目は食材を目で追っている。
「てか、食料……」
今のところ、手持ちの食料はそれだけなのに。何勝手に食べてんだ、こいつ。
食い意地が張っている修太は、フランジェスカがいることよりも、勝手に食料に手をつけられたことの方が腹立たしかった。
「安心しろ、勝手に食べる代わりに、お前の分も作った」
そう言って皿を差し出され、ころりと機嫌を直す。
「え、まじ。ラッキー」
つい受け取って、湯気を立てている野菜と肉の炒め物を食べると、フランジェスカがぼそりと言う。
「お前、昨日私に殺されかけておいて、疑いもせずに食べるとは馬鹿か。毒が入ってたらどうする?」
「ごほっ!」
あっ、飲み込んじまった!
「毒入れたのかよ!」
咳き込みつつ声を荒げると、フランジェスカは鼻で笑う。
「毒なんぞ持ち合わせていない。毒入りが所望なら、その辺に生えている毒キノコでも摘んでこい」
「……あんた、俺をおちょくってんのか?」
「例えの話をしただけだ。お前は警戒心が地よりも低いな。馬鹿なのか?」
「馬鹿じゃねえよ! あんたが俺をどうこうする気なら、俺が起きるのを待たなくてしてるだろ! それに俺だって腹が空いてたんだ!」
腹立ち紛れに怒鳴りつつ、毒入りでないなら問題なしと食事をかきこむ。腹が満たされて人心地がつくと、違和感に気付いた。きょろりと周りを見回す。
「……あれ、そういや猫もどきがいねえな。やっと野生に戻ったのか? あんた、猫もどきを知らないか?」
一応、問うてみると、フランジェスカはくっと喉の奥で笑う。
「さっきも言っただろう。私はずっとお前といたと。そのポイズンキャットが私だ」
「は………?」
突拍子もない言葉に、修太は目を点にする。
「ポイズン……何?」
「ポイズンキャットだ。お前が猫もどきと呼んでいるモンスターだ」
「もんすたー?」
目をしばたたかせる。嫌な単語を聞いた気がする。
「あれってただの羽の生えた猫じゃねえの? つか、えーと、何。あんたの言う事を信じるなら、あんたがあの猫だったってことになるのか?」
混乱気味に問う。フランジェスカは頷く。
「正しくは、あの猫が私だった、だ。月光の呪いという呪いをかけられていてな、夜の間だけポイズンキャットになってしまうのだ。昨日は、お前を殺そうとした瞬間に夜になったのだ。運の良い奴だ」
赤い唇をにぃと微かに吊り上げるフランジェスカ。
修太はぽかんとする。
呪い? そんなものが存在するのか、ここは。
それよりも、修太には確認しておくことがあった。
「とりあえずさ、一つ確認するけど。俺はこの後、殺されたりするの?」
「いいや。夜の間に気が変わった。悪魔の使いだから、今すぐにでも葬りたいところだが、お前がエレノイカの言う“運命”とやらなのか、確かめる必要がある。私は呪いを解かねばならぬから、例えおぞましい〈黒〉だろうと、手掛かりならば放置できない」
悪魔の使いを野放しにするわけにもいかぬし、監視だ。
フランジェスカは、あっさり言葉を返す。
修太はフランジェスカをじっと見つめる。とりあえず身の安全は確からしいので安堵するが、言っていることの大半が分からない。言葉の端々から修太に悪口を言っているのは分かるのだが、何を怒ればいいのかがまず分からないのだ。
「あのさ、その“アクマノツカイ”とか“クロ”とかって何なんだ? 俺は人間で、悪魔じゃないぞ? それにクロって名前でもない。名前なら、塚原修太だ」
フランジェスカは食事を口に運ぶ手をぴたりと止め、信じられないものを見る目を修太へと向ける。
「お前、もしや馬鹿ではなく無知なのか? 〈黒〉の意味を知らないのか?」
「知ってたら聞かねえよ。悪いけど、俺は昨日ここに来たばっかりで、何が何だかさっぱりなんだ。啓介も見つからねえし……」
はぐれたっきりの幼馴染を思い出し、修太は表情を曇らせる。が、それは一瞬で、すぐに苛立たしげに唇を噛む。
「あの野郎、勝手に妙な手助け買って出た癖して、まさか俺に役目を全部押しつける気じゃねえだろうな」
むしゃくしゃしてきて髪をがしがし掻き回す。
「なんなんだよ、神の断片とか、奇異なる現象とか! 俺は不思議現象や怪談は大嫌いだっつってんのに。あのオカルトマニアーっ!」
ハーゲンダッツを先払いして貰ってなければ、一発殴ってるところだ。
修太の取り乱しぶりを、フランジェスカは温度の無い目で見る。
「お前の言うことの方が私には分からんが、お前、流石にカラーズという言葉は聞いたことがあるだろう?」
「からーず? 色って意味か?」
「……おい、なんの冗談だ。一般常識だぞ。これを知らずにその年齢まで生きているとは」
この世の謎を前にしたように、額を押さえて空を仰ぐフランジェスカ。
首を傾げる修太の視線に、フランジェスカは溜息を吐く。
「どうして私が〈黒〉相手に講釈せねばならぬのだ……」
フランジェスカはぶつぶつとぼやきながらも、説明する。
エレイスガイアに住む人間には、三種類いる。カラーズ、ハーフ、ノン・カラーの三つだ。
魔法を使うことの出来る人間を、基本的に「カラーズ」と呼ぶ。言葉の意味は「色」という意味だが、魔法が絡んでくる時は「色持ち」という意味で使われる。
カラーズの判別は分かりやすい。それは、目の色を見れば分かるからだ。生まれ持った目の色で、その人間の扱える魔法の属性が決まる。
カラーズは、青、赤、黄、緑、白、黒の六色のいずれかを持つ人間だ。この六色の色が濃ければ濃いほど、強い魔法を使うことが出来る。その為、六色は「貴色」と呼ばれ、この色を持つ人間は自然と尊ばれた。六色のどれか二つの色が混ざっている者もまた威力は小さいが魔法を扱うことができ、こちらは「混ざり者」という意味でハーフと呼ばれている。その他の色を持つ者はノン・カラーと呼ばれ、魔法を使うことが出来ない。
『青』は、水に関わる魔法を使える。同じように、火に関わる『赤』、植物や大地に関わる『黄』、風に関わる『緑』、光に関わる『白』、闇に関わる『黒』がある。
「つまり黒い目をしてる俺は〈黒〉なんだな? え、俺、魔法なんて使えるの? うげ……」
まったくもって嬉しくない。
「で、その〈黒〉だと悪魔の使いなのは何で? もしかして、カラーズは皆、悪魔の使いなのか?」
「お前は私の説明を聞いていたのか? 貴色持ちは尊ばれると言っただろう。悪魔の使いは〈黒〉だけだ!」
険をこめて睨んでくるフランジェスカ。何やら地雷を踏んだらしい。修太は僅かに身を引く。
「何で? 闇に関係してるからか? でも、光があるんなら闇くらいあるだろ。日が出てりゃ影が出来るんだから、当たり前じゃねえか」
予想外の反論だったのか、フランジェスカはむっと眉を寄せる。
「そういうことではない。〈黒〉だけは、何故かモンスターに襲われんのだ。その為、人間の敵であるモンスターの仲間と見なされている。だから〈黒〉は悪魔の使いとして処断せよというのが白教の教えだ!」
意味の分からない単語が増えて、修太はまた眉をひそめる。ついでだから聞いてしまおう。
「白教って?」
「ああーっもう! なんなのだ、貴様は! 無知にも程があるぞ!」
フランジェスカは今にも暴れ出しそうだ。頭を抱えて、空に向かって嘆きの言葉を吐く。
「五百年前のモンスター大量発生事件、それを鎮めた〈白〉の聖女レーナ様を祀る宗教だろう! レーナ様を祀る為、我が国では〈白〉は神聖視されていて、〈黒〉は蔑視されているのだ。これで分かったか!」
「はあ、なるほど……」
修太は首肯する。しかし、何かが引っ掛かった。なんだろう、何故か分からない。
「とりあえず、あんたは白教とやらの信者で、パスリル王国? とかいう国の人間で、だから〈黒〉が嫌いなんだ。騎士だけど呪いかけられてて、それを解く方法を探してるんだな? で、夜になると猫もどきになる、と。そういうことでいいのか?」
「大雑把すぎるが、そんなところだ。……貴様と話していると疲れる」
大仰に溜息を吐くと、フランジェスカは最後の一口を食べる。そして、修太の手から空の皿を奪い取ると、右手の人差指をくいと曲げる。
瞬間、右手の周りに水が現れた。その水はまるで蛇のようにうねり、皿の汚れを洗い流す。
「器は洗ったぞ。何か拭く布はないのか?」
そう言ってフランジェスカは修太を振り返り、修太が目を丸くして固まっているのに気付く。
「なんだ?」
「い、いや、水が……。今のが魔法か?」
「そうだ。私は〈青〉のカラーズだから、水の魔法を使う」
「呪文とかいらないのか?」
「私には必要無い。カラーズの使う術は、人によって強さも発現方法も異なる。呪文を使う者もいる」
どこか諦めた様子で説明を付け足し、再度、左手を突き出してくるフランジェスカ。そして、いいから布があるなら寄越せ、と言った。




