第三十九話 黒狼狩り 1
ようやくグレイとの養子手続きが済んだ。
グレイには家名がないので、エレイスガイア風にシューター・ツカーラという名前で登録した。
どんなに訂正しても、周りがシューターだのツカーラだのと呼ぶので、このほうが覚えやすいんだろう。それに塚原修太のままだと、どこかでスオウ国の夜御子にかぎつけられるかもしれない。あの国では、ツカハラ=シュウタで呼ばれていたからだ。
あの国には二度と渡るつもりはない。
今日は最終確認のため、冒険者ギルドにやって来た。
「戸籍に登録するんだと思ってたよ」
修太はぽつりと感想を零す。
応接室のローテーブルには、ようやく完成した書類が置いてある。
冒険者ギルドでの手続きだけだったが、グレイの持つ財産が多いので、いずれ修太が遺産として受け取れるようにするのが煩雑だった。書類を失くした時のために、指紋も登録してある。
「セーセレティー精霊国だと、定住して住民税を五年払えば戸籍がもらえますよ。その間、国内なら引越しは大丈夫ですが、とにかく住民税が大事です。持ち家でも借家でも、アパートでも構いませんが、外国人だと、持ち家のほうが周りには信用されやすいですね」
手続きを担当してくれたギルド職員は、そう説明してくれた。四十代半ばほどで、事務担当みたいで、非戦闘員といった雰囲気だ。
「何故、持ち家のほうがいい?」
グレイの問いに、彼はグレイを見た。
「グレイ様のように、財産があると見なされるからです。元々住んでいた者達がもっとも恐れるのは、財産がなく、他人から奪おうとする者ですから。まあ、お金持ちだからといって、人格者とは限らないんですけどね。それから、子ども連れは信用されやすいですよ。独身の柄の悪い男なんて、特に警戒されます」
職員の言うことはなんとなく分かる。多少柄が悪くても、その人間が子煩悩だったりすると、見る目が変わるものだ。
(っていうかグレイ、一人でいる時は、まんま警戒されるタイプじゃんか……)
普段から、グレイは身分証を見せるまで、周りに警戒される人だ。
修太は思うだけで口には出さなかったが、修太がちらちらとグレイを見ていたせいか、グレイはふんと鼻を鳴らした。
「お前、俺がそれに当てはまると考えただろ」
「……うっ、ごめん」
「ったく。それで、これで終わりだな?」
「ええ、お疲れ様でした」
職員がそう返すので、修太はぺこっと頭を下げる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「……まあ、助かった」
グレイは感謝ともつかない言葉を口にして、椅子を立つ。
(あ、職員さんがちょっと驚いてる)
まさか礼を言われるとは思わなかったのだろう。職員は表情をやわらげ、見送ってくれた。
宿に戻って、手続きが終わったことを啓介達に話すと、旅の物資集めをすることに決まった。
昼食後、買い物前に、竜の花園という下宿屋に顔を出す。
ラミルとイミルが一部屋で暮らしており、グレイが留守にしていた間、修太は啓介達とラミル達に会いに行ったりもしていたのだ。
近くの食堂でお茶をしながら、修太達はラミルとイミルに別れのあいさつをする。
「じゃあ、また旅に出るのか? 寂しくなるな」
ラミルが残念そうに言う隣で、イミルがこくんと頷いた。
二人とも、〈黒〉のためにフードを目深にかぶっているが、口元の様子と声のトーンで、だいたいの感情は分かる。イミルは相変わらず引っ込み思案で、ほとんどしゃべらないのだが、一緒にお茶をしてくれるだけでもかなり距離が近付いたと思う。
「二人はずっとサランジュリエに?」
啓介が問うと、ラミルは肯定する。
「ああ。来年の試験に向けて勉強しながら、近場で働くつもりだ。家庭教師を雇う余裕はないから、古本を使って、自力で勉強するしかない。あとは聖堂で、たまに教室に参加できたらいいと思ってるよ」
聖堂は格安で教室を開いているらしく、基礎を知る程度なら、そこでも良いらしい。
「運が良いことに、ここの下宿の下働きが辞めたところでさ。次が見つかるまでってことで、宿代の代わりに、二人で手伝ってるよ。洗濯と料理の下ごしらえで、午前中と夕方が忙しい」
今は、ちょうどあいている時間らしい。
「学園の受験目当ての若者は多いみたいだから、職業安定所では、そういう人向けの仕事も紹介してるみたいだけど、順番待ちなんだ。しばらくかかりそうだ」
「私……刺繍が得意だから、ハンカチ、作ったの。お一ついかが?」
珍しく口を開いたかと思えば、イミルは鞄からハンカチを取り出した。
「へえ、本当に上手だ。蝶とお花かぁ」
啓介が褒める通り、赤い糸での刺繍がとても綺麗だ。ピアスが真面目な顔になって問う。
「一枚、おいくら?」
「えっと……50エナくらいかなって」
「駄目よ、安すぎるわ! これ一枚に、どれくらいの時間がかかるの? 材料費は?」
「え、えっと」
商人の顔になって、ずいずい突っ込んでいくピアスに、イミルはたじろぎながらもぼそぼそと値段を答える。だいたい三日で一枚を作り、布と糸代で40エナくらいらしい。
「それじゃあ、ええと、60エナくらい?」
だいたい日本円で600円くらいだ。日本では百円ショップのハンカチくらいしか使わない修太には、それでも高めに思うが、職人が売っているようなお土産屋で買うなら、そんなもんかなとも思う。
「いい、こういうのは売り込み方よ。ただ売るんじゃなくて、どういう物語を持たせるか。お花が綺麗だから、愛の花言葉を持つお花を刺繍するのよ。そして、恋に浮かれてそうな人を狙って売り込むの。大事な方に、お一ついかが? ってね」
「なるほど」
「買いそうな人を選んで売るの。私なら一枚100エナで売るわ」
「すごい……!」
たったこれだけで、ピアスはイミルの尊敬を得たようだ。
「すげえ、ピアス……」
「水を得た魚のようだな」
修太とフランジェスカはうなった。
「勉強代、お茶は私が……」
イミルが支払いを名乗り出たが、ピアスは手を振った。
「いらないわ。がんばってね」
「ありがとう」
イミルは小声ながら、嬉しそうにお礼を言う。ラミルがイミルに笑いかけた。
「良かったな、イミル」
「うん」
ちょうどそこに、砂糖を使った小さなケーキが運ばれてきた。ベリーがのっている。
「この町では、ケーキがこんなに安い値段で食べられるんだから、びっくりだよな」
つやつやと輝くベリーと、生クリームでコーティングされたスポンジケーキは絶品だ。
菓子を扱っている食堂でなら、ほんの一口の小ささなら、子どもの小遣いでも買えるみたいだ。大人達と行動すると、夜遅くでもあいている酒場が多いから、ラミル達と会ううちに気付いたことである。
「ここの近くの森で、砂糖をドロップするモンスターがいるらしいよ。結構、凶暴らしいけど、捕まえて飼ってる食堂も多いんだって。そういうとこは、安い値段で菓子を出してる」
ラミルが噂を教えると、ピアスが含み笑いをした。
「へえ、この町で砂糖を買いこめば、よそでぼろもうけできそうね」
「それでよそで値段が暴落して大騒ぎになるとかで、ここでの砂糖の取引量は決まってるって。あと、許可がいるんだったかな? よく知らないけど、乗合馬車で商人が噂してた。領主が厳しく取り決めをしていて、王家に優先的に回してるんだって」
「領主様、やり手ねえ。つまり王家よりも取引の量を増やそうとする商人が出てきたら、王家ににらまれるから無理って断れるってことでしょ? 価格調整に、権威を上手く利用してるんだわ」
ピアスはぶつぶつと呟くが、修太にはよく分からない。
「え? 売れば売るほど、もうけが出るんじゃねえの?」
「貿易ならそれもありかもしれないわね。でも、国内だけで見ると問題だわ。市場に同じ物が大量に出回ったら、全体的に価格が下がるでしょ。普通は作物から作るから、他の砂糖を扱っている農家や商人に迷惑がかかるわ。経済っていうのは、人とお金と物資が移動していくほうが良いの。どこかでとどこおると、結果的には損するはめになるのよね。――っていうのが、商人ギルドの顔役である、おばばの教えよ」
「うーん、よく分からん」
「簡単に言えば、そうね。ここの人だけがもうけて、周りでお店がつぶれたり農家が立ち行かなったりする。本来は、そこで利益が生まれて、生活してる人達がいる。彼らのお財布に余裕があれば、商品を買ってくれるけど、余裕がなくなったら買えないわ。つまり、買い手が減る。物だけあって、買う人がいなくなるってこと。商売っていうのは、売り手だけでなく、買い手も必要なのよ。そのバランスの話」
すごい。ピアスが賢いことを言っているのは分かるが、修太には小難しい話だ。理解をがんばっている修太に対し、啓介は面白そうに頷いている。
「そうだよな。人が移動すると、飲食や宿代で何かしらお金を使うもんな。それに、ここの砂糖と、作物のほうの砂糖で味や品質も変わるかもしれない。いろんな選択肢があるほうが、料理人にとっても都合が良いし、他の所がつぶれると、そういったものもなくなっちゃうんだよな。それはつまらない」
「はあ、ピアスさんもケイも、なんかすごいことを考えるもんだな。俺達はとにかく日々に必死で、そんなに大きく考えたこともないよ」
ラミルは感心しきりで、イミルもこくこくと頷いている。フランジェスカは話を理解しているようだが、修太はちょっと飲み込みづらい。
「うーん、とりあえず。いろんなものがあったほうが、美味いものを食えるってことは分かった」
修太の結論に、テーブルにいる面々はどっと沸く。
「あははは、シュウらしいや!」
「面白すぎるわ、シューター君」
「そういう答えを聞くと、俺は安心するよ」
ラミルの隣で、イミルが頷く。フランジェスカとサーシャリオンは、テーブルに突っ伏して爆笑している。
グレイは別行動中だし、ササラは宿でアレンに捕まっていていないが、居合わせていたら二人も笑っていたかもしれない。
「おい、もう充分、笑っただろ。二人はサランジュリエ暮らしかぁ」
修太が改めてラミル達を眺めると、ラミルはそうだなと返す。
「学園を卒業するのに三年かかるし、数年はいると思うぜ。またこの町に来たら、顔を出してくれよ。土産話を期待してる」
「そろそろ仕事の時間だから、行くわね」
イミルが申し訳なさそうに口を出した。
それで随分話し込んでいたことに気付く。
「ああ、去り際に話せて良かったよ。カンパ代わりに、そのハンカチ、売ってくれ。一枚100エナで」
「え、無理しなくていいわよ?」
修太が財布を出すと、イミルが気が引けた様子で問う。修太は自分のハンカチを見せた。
「ちょうど使い古してて、買い替えたかったんだよ」
それが結構なボロボロ加減だったので、ラミルが首を横に振る。
「お前、それは雑巾か台拭きにしちまえよ。ほら、イミル、売ってやって。くくっ、シューターが花のハンカチを使ってるところを想像したら面白いな」
「えっと、犬もあるよ。コウ、可愛いから、スケッチしていたの」
イミルが広げたハンカチには、コウにしては丸くて可愛い犬が刺繍されている。
「何割増しか可愛いな」
「女の子向けだもの」
「あと……小鳥」
「何枚持ってるの!?」
次々に出てくる刺繍入りハンカチに、修太はついツッコミを入れた。
結局、イミルは五枚のハンカチを持っていたので、全部買い取った。
修太と違い、彼らには後ろ盾がいない。〈黒〉の苦労が分かるので、つい応援したくなる。
小鳥の柄はピアスが欲しがったので、ピアスにあげた。何も言わないくせに、フランジェスカが花のハンカチをちらちらと見ていたから、欲しいならやると押しつけた。蝶はササラにあげることにして、犬と果物の柄は修太が使うことにした。
しばらく分の食料や日用品を買いそろえて宿に戻ると、部屋に荷物が山積みになっていた。
「シューター、悪いがこいつを預かってくれ」
旅人の指輪を示し、グレイがそう頼んだ。
「どうしたの、これ」
修太は好奇心から、荷物を眺める。
食料から日用品、剣や短剣といった武器だけでなく、素材もある。金属やガラスのインゴット、色とりどりの糸に革紐、反物の山、綿など。他にも衣類、植物の種が入った袋もあった。
「ちょっとした隊商並ね」
ピアスも驚いている。グレイはさらっと返す。
「エシャトールに行く時、どうせモンスターの背に乗って移動するんだろう? 休息は必要だから、ついでにマエサ=マナに寄ってもらおうと思ってな。仲間への土産だ」
「ほう。グレイ殿、そういうところは面倒見が良いな」
フランジェスカが感心した口ぶりで褒めた。
「たまに行商人が来る程度で、あそこでは手に入りづらいものもある。調味料や布がそうだ。モンスターのドロップ品には限りがあるからな。海産物の干物なんかは、たまに手に入ると喜んでいた」
食料の箱の中に、確かに干物が紛れている。乾物は保存がきくから、内陸地でも出回りやすい。
その時、ササラが部屋に戻ってきた。
「シューター様、助けてください! この男、しつこくてしつこくて!」
ササラが指差すほう、廊下にアレンの姿がある。旅立つと聞いて、アレンがササラと話したいと、朝から食堂にいたのだが、まだいるとは思わなかった。
「アレン、お前、いい加減にしろよ……」
ササラが後ろに逃げ込んだものだから、アレンににらまれる形になった修太は、思い切り呆れて言った。
「なんだ、女性につきまとっているなら、いくらアレン・モイスといえど、私の剣の錆にするぞ!」
フランジェスカがすっと前に出て牽制したが、アレンは戸口に手をついて、がっくりとうつむく。
「だって……寂しい……っ」
「うわ、情けない。子どもかよ」
「シューター、君は分かってない! このご時世、一度離れたら、また会えるとは限らないんですよ!」
「必死すぎて怖いわ」
部屋に入ってこないだけ、分別はあるものの、アレンは見るからに鬱陶しい。アレンは溜息混じりに呟く。
「エシャトールに行くなら同行したいくらいですが、私は聖剣返還の件で、パスリルににらまれているんですよ。エシャトールは同盟国、指名手配されているに決まってます」
「そういうのって、ここでは大丈夫なのか?」
「冒険者ギルドの指名手配なら有効ですが、国の指名手配は、その国と同盟国にしか通用しません。違う国だから、違う政治です」
「ああ、そういうもんなんだ」
へえと呟く修太の前で、アレンは苦悩に満ちた様子で頭を抱える。
「好きで聖剣に選ばれたわけでもないし、あれのせいでトラブルに見舞われまくるし、白教にはコキ使われて、監視される日々。やっと脱したのに、なんでこんな時まで邪魔してくるんですかね!」
「お前も、結構な不幸体質だよな」
同情するが、こっけいで笑える。
「シューター、僕はサランジュリエを拠点にして動くことにします。だから、またこの都市に来たら、冒険者ギルドに伝言をください」
「ええー」
「絶、対、で、す、よ?」
「だから必死すぎて怖いって」
腰が低いくせに、眼力を込めて威圧してくるので、修太は苦笑する。
「分かったよ、もう、しかたないな。だからいい加減に帰れって。これでササラさんに嫌われたら意味がないだろ」
「シュウタさん、とっくに嫌いなので心配無用ですわ」
「ササラさん、こいつがうるさくなるから、ちょっとだけ毒舌をおさえてくれ」
修太が頼むと、ササラは不服と言いたげに黙り込んだ。
すると、サーシャリオンがにやにやしながらからかい始める。
「ササラ、その男はかなりの美形だし、財力もあるぞ。それでも嫌なのか?」
「ええ。わたくしの殿方の好みは、もう少し背が低くて、守りたくなるタイプです。それにわたくしに誠実でいてくださるなら、稼げなくても構いません。むしろ養います」
「おお。確かにこやつと正反対だな」
サーシャリンの呟きに、修太達は「確かに」と、いっせいに頷いた。ぐぬぬと歯噛みするアレン。
「ま、こいつはともかくとして、俺も結構この都市は気に入ったし、旅が終わったらここに住むのもいいな」
修太はぽつりと呟く。
「えっ、そうなの?」
啓介が興味を示す。
「季節が毎日変わるから、涼しい日もあるし、冒険者の都市ってとこがいいよな。冒険者ギルドの力が強いから、差別禁止だろ。それに、セーセレティー精霊国は、俺みたいな〈黒〉には安全なほうだから、住むならこの国がいいと思ってたんだ。それに……」
「それに?」
「砂糖菓子を安値で食べられるのが、特に良い」
「結局、食べ物じゃん」
呆れ混じりに言って、啓介は噴き出した。グレイは意外そうに問う。
「そんなに気に入ったのか?」
「他にも良い所があるかもしれないけど、今のところは」
「王都よりは安全か……」
このやりとりを聞いていて、アレンは気を取り直したようだ。
「住むにしろ、旅にしろ。近くまで来たら寄ってください」
念押しするアレンを、廊下にやって来たディドが連れていく。
「ほら、旦那。いい加減に戻りますよ。なんでそう、ササラ殿がかかわると残念になるんですか。これ以上は宿にも迷惑です」
「くうーっ、毛むくじゃらの分際で、正論をっ」
ディドに連れていかれながら、アレンは「絶対に来い」と何度も言っていた。その声が遠のくと、ササラが扉を閉め、鍵までかけてしまう。
「ふう。やっといなくなりました。わたくしの何がそんなに良いんだか知りませんけど、本当に鬱陶しいですわ」
「……うーん、男としては、アレンにはちょっと同情するかな」
ここまで必死だと、むしろ憐みを誘う。
修太と啓介は顔を見合わせて、互いに苦笑した。
次、エシャトール予定でしたが、間にお話を追加することにしました。
終わりに向けて舵を切ってますけど、ノリで書いてるので、話が追加されていったりもしますよ。
ポナと再会、マエサ=マナ二度目です。
簡単あらすじ
エシャトールに向けて旅立った修太達。
レステファルテを通るため、休憩で降り立ったエズラ山で、ちょっと成長したポナと再会する。
ポナは「大変大変たいへーん!」と大騒ぎ。
なんでもパスリルの情勢悪化の隙を狙い、レステファルテがパスリルに戦を仕掛けようとしているらしい。
あの馬鹿王子が兵を率いて、兵力の足しにしようと、黒狼族の集落に兵を差し向けたようだ。
急いで向かった修太達が空から見たのは、レステファルテの兵と黒狼族の戦士たちの戦だった。
という感じを予定しています。




