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それからヴァイの死体を森に埋めると、討伐証明のために、冒険者の身分証明書だけ持ち帰った。
サランジュリエに戻ると、その足で冒険者ギルドに顔を出す。
受付にいたギルド職員のリックが、すぐにグレイに気付いて、血相を変えて飛んできた。
「賊狩りのお兄さん! まさか、本当に!?」
「……済ませてきた。もう騒がせることはない」
「嘘。まじで? ええと、死体は」
声をひそめ、リックが恐る恐る問う。生死問わずの賞金首は、報酬をもらうには死体かその一部が必要になる。グレイはヴァイの身分証明書を渡す。
「死体は埋めた。金はいらない。これで終わりにしろ」
身分証明書のカードを受け取り、リックは口を引き結び、強く頷く。
「分かった。マスターにもそう伝えておく。――つらい仕事をさせて悪かったよ」
「これは一族の掟だ。それに奴は、因果応報だった」
ヴァイが罪のない者を多く殺したのは本当だ。被害者の家族の今後を考えれば、同情されるいわれはない。
「俺の連れはまだいるか?」
「え? ああ、ケイ達のことかな。いるよ。前と同じ宿にいるから、戻ったら来てくれってさ」
「分かった」
そのまま冒険者ギルドを出て、宿のある通りへ足を向ける。
立ち去った可能性も視野に入れていたが、意外にもまだいるようだ。
目的地に辿り着くと、入口の前で少し足を止める。
正義感に熱い連中を思い浮かべ、言われるだろう言葉を予想して、しばし迷う。罵られるにしろ、グレイを待っていたのだからけじめはつけるべきだ。
そう思って玄関扉を開けようとして、やめた。
建物の横、馬どめを兼ねた道を通り抜け、宿の裏に回る。聞き覚えのあるギタルの音を追いかけ、厩舎や、日なたで服やシーツがはためく洗濯場も通り過ぎると、大きな木が一本と花壇がある裏庭に出た。
大木の下で、コウを観客にして、修太がギタルを弾いている。
コウがピクッと耳を動かし、起き上がった。こちらを振り返り、パタパタと尾を振る。
グレイは離れた場所に、無言で立っていた。
修太はコウの様子でグレイに気付くと、ギタルを弾く手を止めた。
「あ、グレイ。お帰り!」
木の幹を支えにして立ち上がると、修太はこちらに歩み寄ってきた。
てっきり弟子を殺すなど非道だのなんだのと非難すると思っていたから、この反応は意味が分からない。
この子どもが何を考えているのか分からず、グレイはとりあえず質問する。
「……もういいのか」
出かける時は安静と言われていたが、外にいていいのだろうか。
「え? ああ、大丈夫だよ。あれからもう二週間過ぎてるしな。ただ、あんまり大きな魔法は使うなって注意された。ええと、魔力の量の急激な変化が血圧に影響して、心臓に負担がかかるんだって」
そして顎に手を当てて、困ったように言う。
「無理しなくて済むような方法を考えないとな。でも俺、加減が下手だから難しいんだよなあ」
そう言いながら、修太はグレイの様子を観察している。フードを目深に被っていても、視線は分かる。
「グレイ、何か飲む?」
「いや」
「じゃあ、ここで少し話そうぜ」
「……ああ」
なるほど、メンバーから抜けるように言うつもりなのだろう。
グレイは修太に言われるまま、木陰に座った。修太も隣に座り、コウは修太の左隣に落ち着く。
「お弟子さんの件、どうなった?」
「片付けてきた」
「そっか」
グレイはちらりと修太を見やる。
「それだけか?」
「んー……、まあ、俺もこの二週間でいろいろ考えたんだ。トリトラから話も聞いたし、悲しいことだけど、グレイらしいなって思って」
修太がこちらを見上げると、フードがずれて、目元が覗いた。黒い目が見守るようにこちらを見ている。
「お弟子さんのこと、助けてあげたかったんだろ? 他の知らない人じゃなくて、グレイが終わらせてあげたかったんだ。看取ってあげたんだろ?」
――看取る?
そんな綺麗なものではない。戦って、成長を見て、そして命を刈り取っただけで。
『師匠、ありがとう。さよなら』
ヴァイの最後の言葉が、耳によみがえった。
その時、修太が目を丸くした。
「……大丈夫?」
「何が」
「……涙が」
言いづらそうな指摘に、グレイはなんのことか分からず、それに気付くと驚いた。左目からツーッと水が零れ落ちていく。
「……なんだ、これ」
よく分からないが、なぜか止まらない。
訳の分からない事態に混乱していると、修太にハンカチを差し出された。とりあえず受け取ったものの、正直、戸惑っている。
「みっともねえな」
「グレイ、世話した人を手にかけたら、誰だってつらいよ。――貸して、目をこすったら駄目だって」
手の甲で目元を拭うと、修太がハンカチを奪い返して、グレイの目元に押し当てた。
「……なんで」
「目をこすると、もし砂とかがついてたら、目を痛めるだろ」
「そうじゃねえよ。親父が殺された時だって、こんなものは出なかった」
「うーん」
修太はしばし考え込み、やがて頷いた。
「その時はグレイは一人だったけど、今は一人じゃないだろ」
「……分からん」
「ははっ、グレイらしい答えだな。っていうか、グレイって涙腺もにぶかったのかな。全然、涙が止まらないけど」
「おい、“も”って、なんだ」
「え……表情筋?」
お前までそれを言うか。
眉を寄せると、やっと涙が止まった。
訳が分からないグレイに対し、修太は微笑ましそうに頬を緩めている。
「なんか俺、ほっとした。グレイは感情がにぶいだけで、やっぱり良い人だなって分かったから」
「こんなものでか?」
泣いたくらいで相手を信じていたら、きりが無い。詐欺師ならどうするのだと、不審を込めて修太を見ると、修太には伝わったようで言い足した。
「グレイだからだよ」
「よく分からん」
「うん。いいよ、グレイは分からなくても。俺は分かるからさ。グレイは感情面がにぶいし、怖いし、おっかないけど。でも、もういいや。俺はグレイの良い面を探して、そこだけ見て、それを信じることにするよ」
そして少し照れくさそうに笑って、グレイに問う。
「なあ。俺、グレイのこと、父さんって呼んでいいかな?」
グレイは修太を見下ろした。
養子にならないかと訊いたことへの答えだ。
「……ああ」
こういう時は、どう答えるべきなのか。とりあえず頷いた。
「お前はつくづく意表を突いてくる奴だな。普通の奴なら、断るだろ」
「普通じゃないから。それに、他の人の考えとかどうでもいいだろ。俺の人生なんだから、俺が考えて決める。でも、一つだけ約束してくれよ」
「……何を?」
人を殺すなとか?
いかにも常識的な人間が言いそうなことを考えてみたが、また予想が外れた。
「長生きしてくれ。また家族を亡くすなんて嫌だ」
「お前のほうが弱いくせに」
「そうだけど、黒狼族って血の気が多いから。ちょっと心配なんだ」
「……そうか。善処する」
グレイは修太の頭に手を伸ばし、ポンポンと軽く叩く。
(立ち去れだのくたばれだのというのは言われ慣れているが、生きてくれとはな)
特に生きようとして生きてきたわけではない。さすらいながら、ただなんとなく流れるようにして生きてきただけだ。
父親であるフレイニールが、死に際に「いろんなものを見ろ」と言っていたのを思い出して、なんとなく見て回ってはいたが、それだけだ。
「おい、またなんか出てきた」
「ははっ、何、感動したの?」
「知らん」
物心ついて以来、泣いたことなどなかったせいか、どうも涙腺がぶっ壊れたらしい。また左目から水が零れ落ちて、グレイは眉間に皺を寄せる。
修太は座り直し、ギタルを抱える。ポロンパロンと適当に爪弾いた。
「俺達、良い家族になれるかな?」
「そもそも、お前の言う『良い家族』ってのが俺には分からねえ」
「ああ、そうだな。考え方の共有って大事だよな」
「お前は黒狼族じゃねえから、弟子と同じことをしたら死ぬってことは分かる」
「……うん。早急に話しあおう」
ものすごく真面目な調子で呟いて、修太はギタルを鳴らす。
それから、夕方になって空の色が変わるまで、グレイと修太は木陰で長々と語り合っていた。