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※残酷描写注意。
――ふわり。
吐きだした煙が草のにおいと混じり、夜の空気に消えていく。
双子月が雲に隠れ、辺りは暗闇に沈み込み、煙草についた火が赤い点となって浮かび上がっている。
グレイは、それの訪れを待っていた。
サランジュリエを出て、一週間。ヴァイがよく現われるという地点に着くと、見通しの良い場所に岩を見つけてそこに座っていた。双子山脈に近付きすぎず、モンスターが現われればすぐに分かり、こちらからもあちらからも、誰かがいると分かる場所。
今晩は月が雲に隠れ、風も無い。
夜目が効き、嗅覚が鋭い黒狼族にとって、絶好の夜だ。
もし隊商を襲うなら、こんな夜だろう。だが、近くに商人はいない。ならば旅人を襲うはず。
そういうわけで、グレイは堂々と、獲物を釣り上げる餌としてそこにいた。
やがて、闇の中を影が走るのが見えた。それは近くまで来ると足を止める。静かに、探るように、ゆっくりとグレイの近くまでやって来て、再び立ち止まった。
雲間から月が現われ、白い光が差し込む。
雑に伸びた黒い髪をした青年が、影のように立っていた。赤い双眸が光り、グレイを見据えている。黒い上着に、黒いズボン、そして黒い尾。右手には、よく手入れされた槍を持っている。
「……師匠。待ってたよ」
青年――ヴァイは離れた場所から、まるで独り言みたいに言った。
グレイのもとを卒業し、別れた時は十五だった。随分背が伸びて、体格も良くなっている。数え年ならば、今年で二十二歳だ。
「随分、お迎えが早かったな」
グレイも雑談みたいに返す。
――お迎え。
黒狼族の男が力を暴走させる時のことを、仲間内では暗にそう呼んでいる。
ヴァイは静かだった。グレイがここに来たことの意味を分かっているだろうに、動揺も逃げる真似もしない。
(やはり、そうだった)
グレイは心の中で呟いた。わざと盗賊の真似をして、この男はサインを送っていた。
――自分を殺しに来い。
だから、グレイはやって来た。
「そんなに外は合わないか」
グレイの呟きのような問いかけに、ヴァイはふいと月に目を向ける。
「俺は、気付いたんだ」
……何を。
グレイは視線で問う。それだけで意図が伝わり、ヴァイは虚しそうな声で答える。
「俺はずっと独りだ。誰かといても、独りだ。そしてこれは、死ぬまで続くんだって」
「それが生きるってことだ」
「……うん。師匠は……他の仲間は、それを耐えられるんだ。でも、俺は苦しい。俺は世界の中にいるのに、世界から分断されているんだ。どんなににぎやかな音がしても、俺は音の無い場所に立っている。そんな感じがする」
あいにくと、グレイにはヴァイの言うことが分からない。ただ黙ってヴァイの話を聞いている。
ヴァイははっきりとした声で、意思を告げた。
「俺は、世界に戻りたい」
グレイはふうと息をつく。煙が夜空に線を引いた。吸いかけの煙草を地面に捨てると、靴底で火を消す。岩に立てかけていたハルバートを手に取った。
「どうして賊の真似をした。どうして、関係ない奴を大勢殺した」
ヴァイは首を傾げる。
「戦いたかった。刃を交えている間は、俺は独りじゃない。それに、あいつらは分断されているのに気付いていない。かわいそうだから、俺が世界の一部にしてやった」
「……そうか」
肯定も否定もしない。
黒狼族の教えでは、死んだ後、世界の一部になるといわれている。
ヴァイにしてみれば、ああするのは正しいことで、良いことをしたのだと信じているのだ。
こうして話してみて、決意がついた。例えヴァイが正しかったとしても、この世界では殺しは悪だ。もう軌道修正できないほどに、この男はずれてしまっている。
「どうして俺を待ってた?」
「最後くらい、独りになりたくない。師匠なら、綺麗に終わらせてくれるだろ?」
ヴァイは穏やかに笑った。嬉しくてたまらないというように。
その狂気をはらんだ気配に目を細め、グレイはハルバートを構える。ヴァイもまたゆっくりと槍を両手で握り、腰を落とす。
「しかたないガキだ。俺がお前らの世話をしたのは、生きられるようにしてやるためだったってのに」
――まったく、可愛げのないクソガキだ。
夜闇の中、二つの影が踊るように動き、金属音が響く。
蹴り飛ばされて地面を転がったヴァイに、グレイは指先で手招きする。
「おい、そんなもんか? てめえのこの五年は」
槍を構え直し、ヴァイは目を輝かせる。
戦いを喜び、牙をむく。
仲間のことながら、どうしようもないさがだ。
「そんなわけないだろ!」
ヴァイは鋭く切り込んできたが、グレイは柄で攻撃を流す。
叩き返し、よけ、距離を取り、駆け出し、また切り結ぶ。
もしこの戦いを見学する者がいたなら、稽古をしているように見えただろう。
ヴァイは楽しそうだ。グレイも数年の成長を、武器を通して感じとっている。
「やっぱり師匠には敵わないな。尊敬してるし、俺にとっては自慢だよ」
「このクソガキ、最後まで手間かけさせやがって」
「ははは! 師匠って文句言うけど、なんだかんだ、俺達のことを助けてくれてたよな」
笑い声を上げ、ヴァイはグレイと大きく打ち合うと、いったんグレイから距離を取った。悪戯っぽく笑う。
「シュレインに会ったら、『お前もとっととくたばれよ、バーカ』って言っておいてよ」
「……自分で言え」
「とか言いつつ、言っておいてくれるんでしょ?」
ヴァイは槍を構え、深く腰を落とす。
次が最後だ。グレイにはヴァイの考えが、手に取るように分かる。
「師匠、ありがとう。さよなら」
そして、ヴァイの目つきが変わった。
赤い目をギラリと光らせ、まるで獣が獲物を見据え、深くためて前へと飛び出すように、グレイへと魂をのせた一撃を見舞う。
グレイもまたその一瞬、本気にならざるをえなかった。
そして二つの影が交差し――鮮血が飛び散った。
グレイの後ろで、ヴァイが倒れる。グレイの左腕にも深い傷ができた。
「……少しは成長したじゃねえか」
ゆっくりと振り返る。ヴァイの返事はない。首を切り裂かれ、すでに事切れている。
歩み寄ると、その顔は随分満足そうだった。グレイはふんと鼻を鳴らし、半分空いた目蓋を閉じてやる。
「お前みたいなクソガキ、弟子にするんじゃなかった」
世話してやったわりに可愛げがなさすぎる。
グレイは死体の傍らに座ると、夜が明けるまで、ずっと隣で煙草を吹かせていた。