5
グレイが離脱して、一週間。
大事をとって休まされていた修太は、右往左往していた。部屋の中を行ったり来たりする修太に、ベッドでごろごろしているサーシャリオンが、仰向けに寝転がったまま、顔だけこちらに向けて問う。
「いったい何がそんなに落ち着かないのだ」
「だって、グレイがまだ帰ってこないだろ? どうしよう。そろそろ次へ移動しないといけないよな」
サーシャリオンが下位モンスターに命令するという裏技を使えば、あっという間に遠方まで行けるが、普通は徒歩か馬車での移動だ。
「そう急がなくても、オルファーレン様はかなり持ち直された。もう少し休んでいっても大丈夫だろう。それが嫌なら、冒険者ギルドに伝言を残して、後日、戻ってくるのはどうだ」
「でも、次の目的地は、エシャトールだろ? パスリルの東にあるっていう同盟国……。遠いよなあ。行くのも戻るのも大変だ。あんまり時間をかけすぎるのもな」
「他に分かっているのは、青石の魔女くらいだが、あやつは雲隠れしてさっぱり行方がつかめない。どうせそちらに手間取るのだから、多少時間がかかっても構わんだろうよ」
同意だと言いたげに、ベッドの足元でコウが「ワフッ」と吠えた。
「シューター様、お茶の時間ですわ。あら、いけませんよ。三日は安静にしているように、お医者様に言われたでしょう?」
ササラが盆を抱えて入ってきて、眉をひそめる。
「もう一週間だから大丈夫だよ」
そう答え、修太はササラの後ろを見て、けげんな顔になった。
「なんでエセ勇者もいるんだ?」
「エセではないと言ってるでしょうが。私の名前を覚えてますか?」
「アレンだろ。え、何、花? まさか俺に?」
すでに何度か見舞い……と称して、ササラに会いに来ているアレンが花束を持っているので、修太はひくりと頬を引きつらせる。
「こちらはササラさんに」
ササラはテーブルに盆を置き、アレンを振り返る。つい花束を受け取って、迷惑そうに顔をしかめた。
「え、またですの? ……分かりました、はっきり言いますわね、アレン様。お花なんていりませんわ、宿暮らしの身には邪魔ですもの。今までの分は全て、宿の方に差し上げてますのよ」
「ええ、宿の方に聞いて知っています。ですから今度は、全部薬草です。お茶にすると、安眠に効果的ですよ」
「……そうですか」
断る理由を封じられ、ササラは渋々といった態度で花束を受け取り、チェストのほうに置いた。アレンのほうが上手らしい。
(うわあ、こういう知恵が回る奴って面倒だな)
修太は無言で首を横に振る。
ササラはアレンに興味が無いらしく、丁寧に接するのも面倒になってきたのか、だんだん扱いが雑になってきた。
(ササラさん、アレンに告白されたけど振ったって言ってたよな)
行動力だけはあるようで、アレンはササラのもとに日参して、アプローチに忙しそうだ。ここまで来ると拍手ものである。修太だったら振られた時点で撃沈し、顔を見るのも気まずくて、二度と近付かないだろう。
「お前も、よくめげないもんだな」
「ええ、当たり前でしょう。僕の相手は彼女しかいません!」
アレンの返事に、ササラは冷たく返す。
「あらあら、今日の鳥はよくさえずりなさいますね。朝と夜では、違う鳥にピーチクパーチク鳴いているんでしょうに」
「はは、ご冗談を。その辺の小鳥ならともかく、鷲は一雄一雌で浮気もしません」
ササラの言葉に、アレンは嬉しそうに返している。
(なんか会話が文学的だな……。これが風流ってやつ?)
高校で習っていた古典文学を思わせるやりとりである。鳥を話題にして、遠回しに「女なら、誰にでも声をかけてるんでしょ?」とあしらうササラに、鷲の生態について返すアレンもなかなかだ。
(ササラさん、傍付きで教養がありそうだし、アレンは元貴族だからな。さすがって感じ)
ふと思い出して、修太は漢詩を話題にする。
「鳥かあ。あれを思い出すな。『天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん』。どこの国でも、例えに鳥とかが出てくるんだな」
恋愛光景って似たようなものなのだろうか。
修太の呟きを拾い、ササラが目を輝かせて問う。
「まあ、異界の知識ですか? 風流な響きですわね」
「俺の故郷じゃなくて、隣の国の詩なんだ。悲劇の夫婦が、生まれ変わったら仲睦まじく過ごしましょうって約束する話。ええと……」
比翼の鳥は、目が一つで翼も一つという鳥で、空を飛ぶ時は助けあわないと飛べないので、仲睦まじい夫婦の例えだ。連理の枝は、二本の木が合わさって合体したもののことである。
説明を聞き終えたアレンは、じろりと修太をにらむ。
「つまり、なんですか? ササラさんとの恋愛に希望はないから、来世に期待しておけという、遠回しの嫌味ですか」
「うわ、面倒くさ。ただ思い出して言っただけだろ」
だいぶこじらせているなあ。
身を引く修太に対し、サーシャリオンはベッドで笑い転げている。アレンはそちらもにらんだ。ササラはぷいっとそっぽを向く。
「シューター様をないがしろになさるなら、もう口も利きませんわっ」
「ただの冗談の言い合いですよ。ねえ、シューター?」
アレンはにこにこと笑っているが、圧力がすごい。これはかばってやらないと、アレンが後で怖そうだ。仕方がないので、修太はフォローを入れてやる。
「ササラさん、友達同士の会話だから」
「そうです、そうです。友達です!」
「左様ですか。シューター様の交流は広くてらっしゃるのね」
修太が言えば、ササラは疑わずに褒める。修太はなんとも複雑な気分にさせられるが、アレンが面倒くさいので、とりあえず頷く。
「……うん。あと、様付けはやめてくれってば」
「ええ、シューターさん。さ、お茶を飲んでください。おやつで魔力を補給してください」
「ありがとう」
修太は席について、ありがたく茶菓子を味わうことにした。今日はクラッカーに似た菓子に、マロネの実のジャムが挟まっている。
さくっとして、甘味もあっておいしい。
さすがのアレンも、勝手に椅子に座る気はないらしく、少し離れた場所で所在なさげにしている。そうされていると食べづらいので、修太は前の席を示す。
「座ってくれよ」
「では失礼します。なんだか浮かない顔をしていますね、まだ体調が悪いんですか?」
席についたアレンは修太の顔をまじまじと見て指摘する。
「そろそろ次の断片を探しに移動すべきか迷ってるだけ。でも、ほら」
「保護者が帰ってこないから心配?」
「いや、グレイは保護者じゃねえけど」
「でも、養子縁組を誘われてるんでしょう? いいじゃないですか、冒険者なんて不安定な稼業ですが、紫ランクなら特別です。よほど高官ににらまれることでもしなければ、政略争いに巻き込まれることもない。それでいて発言権と警察権はある。後見人としては、かなり良い条件です」
だが、とアレンは断りを入れる。
「リスクもありますね。賊狩りグレイは、犯罪者に恨みを買いまくっていますから。でも同じだけ、怖がられてもいる」
「賛成なのか反対なのか、どっちだよ」
修太の問いに、アレンは肩をすくめてみせる。
「どんな物事にも、表裏はあるもの。僕はそれを教えてあげただけですよ。信用ならない人間は、利点しか述べません。自分が損をしても、リスクについて話してくれる知人ならば善人といえるでしょう。そして、考えて決めるのは、そちらの仕事です」
筋は通っているが、つまり、自分は良い人だよとアピールしているのか。アレンがちらっとササラをうかがっているのが良い証拠だ。
「相変わらず、まだるっこしい奴」
修太は悪態をついたが、アレンはなんだかんだと人が好いのも本当で、憎めない人柄をしていると思う。
その時、ササラがスッとお茶をアレンの前に置いた。
「わたくしとしては、是非、アレン様の良心をお聞きしたいですわね」
ササラはにこりと微笑んで、アドバイスしろとせっついた。アレンはお茶を嬉しそうに受け取り、仕方ないなあとばかりに付け足す。
「そうですねえ。狼は警戒心が強いですが、仲間には情が深い生き物です。知っていますか? 狼は一度番になると、同じ番のまま共に生きるんですよ。一夫一妻なんです」
「そうなの?」
動物の生態など詳しくない。修太はアレンの話に耳を傾ける。
「ええ。黒狼族の生き方にも、それがよーく現われています。ディドから聞きましたが、一度、夫を見つけた女性は、相手が違う家庭を持とうと、相手を想って子どもを育て、子どもが巣立った後も一人で生きていくそうですね」
「そうらしいな」
「そして、仲間と認めたら情に厚い。君達を見ていれば、よーく分かる」
言われてみると、そっくりだ。人間より狼に近い種族ということか。
「灰狼族もそうなのか?」
「ええ。余所者にはなかなか心を開かないそうですが、仲間と認めたら情に厚いようですよ。そして一度結婚すれば、浮気など絶対にありえない」
するとササラが神妙な顔で呟く。
「女性は皆、灰狼族か黒狼族と結婚すべきですね」
「人間も捨てたものじゃありませんよ」
アレンがしれっと付け足す。
修太は手を振る。
「そういうやりとりはいいから。で?」
「そっくりでしょう? 実際の狼と、彼らのありかたは。若い雄は群れを旅立ち、新しい群れを作るために配偶者を探します。時に群れのボスを殺して、自分が成り変わることもありますが、成功率は低いとか。そういった狼を一匹狼といいますが、群れが合わなくて、さまよっているだけのはぐれもいる。そして、そういう狼は死にやすい」
修太は話を咀嚼して、首をひねる。
「ええと?」
「黒狼族は個を大事にしますが、狼として考えると、群れを――家族を持つほうが本来の在り方に近いわけです。しかし一匹狼で、さすらっている者のほうが多い。ひずみができてもおかしくはない」
修太はぱちくりと瞬く。
――つまりそのひずみが、黒狼族の男の暴走につながるということか?
「単なる推測ですけどね。僕の予想が正しければ、彼にとっても家族を持つのは良いことだ。――本当かどうかは、是非、君が実験して証明して欲しいですね」
「いや、それなら、イェリさんが長生きしている理由が納得いくな」
レステファルテの王都である、殻状都市オルセリアンに住んでいる男を思い浮かべ、修太は呟く。黒狼族としては風変わりにも、彼は薬師をしている。そして、彼は親に大怪我を負わされて死にかけていた娘――アリテを拾って養女としていたのだ。
修太がイェリについて教えると、アレンは興味深げに話を聞く。
「仮説は正しそうですね。パスリルにいた時は、黒狼族はほとんど見かけなかったので、興味で調べていただけなんですが。役に立つこともあるものですね」
「興味で調べるの?」
「失礼をしたら悪いでしょう? 異種族が多くいる地域で生活するなら、最低限のマナーを調べておくべきです」
「すげえ。その辺は貴族っぽいな」
マナーと聞いて、修太は彼の姿勢に素直に感心した。
「よく知らずに、ディドの尻尾を触ったりする人もいましたしね。というか、君ね。尻尾に限らず、他人の体に断りなく触るのは、普通に考えてマナー違反でしょう。気を付けてください」
以前やらかしたことをチクリと刺され、修太は首をすくめる。
「うぐっ。だってディドさんの尻尾が、あんまりふわっふわだから!」
思わず叫ぶように言い訳すると、開けっ放しの扉からディドが顔を出し、グッと親指を立てた。いないと思ったら、廊下にいたのか。
「……あの毛むくじゃらの尻尾の何が良いんだか、僕にはさっぱり分かりませんけど」
「モフモフしてるじゃないか。最高だろ、モフモフ。ほら、コウもモフモフしてるんだぜ。啓介がブラッシングして手入れもしてるから、毛並みが良いだろ」
修太がコウを差して褒めると、床に寝転がっていたコウは、うれしそうに座り、ふふーんと誇らしげに胸をそらした。尻尾をパタパタと振って見せつける。対するアレンは、ちらっと見ただけだった。
「もしかしてお前、犬が嫌い?」
「好きも嫌いもありません。興味が無い」
「好きな動物は?」
「……牛?」
「もしかして、おいしいからとかそういう……」
「よく分かりましたね」
アレンの返事に、修太はがっかりした。
――駄目だ。本当に動物に興味が無いんだ、こいつ。
コウがあからさまに顔を歪め、フンと鼻を鳴らすと、修太の足にすり寄った。かわいそうになったので、修太はコウを撫でてやる。
動物に興味が無くても、アレンはササラにはにっこり笑顔を向ける。
「どうですか、参考になりました?」
「ええ、アレン様は賢くてらっしゃるんですね」
「喜んでいただけたなら、デートをしましょう、デート。今、広場に劇団が巡業に来ていますよ。王都で人気の大衆劇団らしいです」
ササラは溜息をついた。
「……しかたありませんわね。ちょっと興味もありますし、劇を見るだけなら」
「それから食事をして、散歩に買い物に」
「調子に乗らないでくださいます? ただの情報代ですわっ」
ぴしゃりと言い返し、ササラはそっぽを向く。
その時、テーブルの下で足を軽く蹴られた。修太がそちらを見ると、アレンが目で「頼む!」と語りかけてきた。鬱陶しいとは思ったが、彼の推測はかなり役に立ったのも事実だ。
「ええと、ササラさん。良かったら、俺にお土産を買ってきてくれるとうれしいなあ……なんて」
「お土産ですか?」
「こいつ、目利きは良いだろうし」
アレンに買わせてもいいし……とは心の中で付け足しておく。
「俺、あんまり物に詳しくないしさ。ササラさんなら、元の知識もあるから、すぐに理解できるだろ。良い品かどうかって、アレンに教わったらいいと思うんだよ」
「……まあ、確かに勉強にはなりそうですわね」
我ながらこじつけだったが、ササラは納得したようだ。
それから駄目押しに、手を合わせて頼んでみる。
「で、後で俺に教えて?」
「分かりました! このササラ、しっかり知識を吸収してまいりますわ!」
ササラのやる気に火がついた。
すると、アレンがこのタイミングで席を立つ。
「では、明日、朝食後くらいの時間に迎えにきますね。よろしくお願いします」
「ええ、分かりました」
ササラは頷いて、ぺこりと会釈する。ササラの態度はデートという甘い雰囲気は一切無く、アレンを教師として見ている感じだが、この際なんでもいい。
ついでに修太は戸口までアレンとディドを見送りに行く。先にアレンを通してから、ディドが小声で言った。
「グッジョブだ、小僧。旦那の機嫌が良くなって助かるよ」
そして、アレンの後に続いて、のしのしと階段を下りていく。
とりあえず修太は思った。
恋愛が絡むと、なんて面倒くさいんだ、と。
※興味あったら調べてみてください。
・「比翼連理」……白居易の「長恨歌」より。玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇の別れの時に出てくる詩。
高校の教科書にのってたはず。
「連理の枝」自体にもストーリーがあって、そっちも好き。
・鷹……一雄一雌は、種類によります。
・狼……こちらも一夫一妻。群れの中では、アルファの雄と雌しか繁殖できない決まりらしいよ。
近い場所で生まれ育った雌より、遠方で生まれた、遺伝子上、遠い雌のほうがモテるらしい。
(この理論でいくと、狼の獣人的に、異世界人なら見た目関係なくモッテモテですよね。いつか獣人もの書いてみたい……)
おまけ小話
修太「アレンってかなりイケメンなのに、好きそうじゃないよな。ササラさんの好みってどんな人なの?」
ササラ「そうですねえ。もう少し背が低くて、はんなり風雅で、性格が良くて、守りたくなるタイプが良いですわねえ」
修太「守られたいんじゃなくて?」
ササラ「わたくし、充分、強いですもの。弱くても構いませんわ」
修太「まじか。フランと好みが真逆だな……」