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鳥モンスターの背に乗って海の上を飛び続けること十分程。ようやく奇妙なものを見つけた。一ヶ所だけ霧がたちこめていて、海上をゆっくりと移動している。その霧の中に船影が見えた。
「あれが幽霊船か?」
啓介の問いに、サーシャリオンは「さて」と答える。
「あれがそうよ。幽霊船は霧を引き連れて海を回遊してるの。噂通りね」
代わりに、リコという名の灰髪と灰色がかった黒目の女がそう答えた。啓介は頷くと同時に、目の前にある本物の幽霊船に鼓動が速まるのを感じた。
幽・霊・船。
ロマンだ……! ロマンがそこにある! 幽霊という名のロマンが!!
啓介は幽霊や妖怪や宇宙人などの、とにかくはなはだしくうさんくささの漂う部類の話が大好きである。妖精だってどんとこい。見られるものなら見たいが、あいにくと第六感に優れていないので見えないため、小さい頃はあまりにうらやましくて親に駄々をこねたものだ。
実際、霊的なものは見える人間には見えるらしいのだが、見える本人はたいてい嬉しくないと言う。理由は現実の人間と霊との区別がつかなくて困るから、らしいけれど。ずるいと思う。見たい人間には見えないのが常なのだから。
とにかく、見えるという場所に行けば見ることができるならと、噂を聞きつけては突撃していたけれど、見たことはない。たいていが勘違いや原因があった。
幼馴染である修太は、そんな世界に関わりたくないと言うけれど、啓介は関わりたくて仕方がない。神隠しではなかったけれど、異界に迷い込んでしまったりして、啓介自身は念願叶って大興奮だ。しかも神様という霊的な存在も見られたし、使命という役を背負っていろんな珍現象に立ち会える機会ももらえた。万々歳である。
妹の雪奈や母親も、話を聞けば悔しがるに違いない。
母親は珍妙な現象が大好きで、妹は大のホラー映画好きだ。父だけはそういう部類は好きではないのが残念だ。むしろ嫌がって逃げるところは修太と似ている。祖母は死んでもういないが、祖父も父と似たところがあり、目で見えないものは信じない性質である。
つまらない。
なんて面白みのない答え。
面白いことが、目に見えないだけでそこらに転がっているのだと考えると、啓介には楽しくて仕方ないのに。
「ギュルルルウ!」
急に鳥モンスターが攻撃的な鋭い鳴き声を発し、啓介達を振り落とそうと身を揺らしだした。
「いかん、あの船に近付くと、こやつの気が触れてくる。娘、そなたの出番だ」
サーシャリオンに促され、リコは鳥の背にしがみついたまま慌ててぶつぶつと呟きだす。
「落ち着いて、可愛い鳥さん。怖いものはなんにもないわ。落ち着いて。心を鎮めるのよ」
リコが一言呟くたびに、リコの周りに黒い靄が花の形となって浮かび、それが鳥モンスターの頭の周囲を旋回し始めた。黒い花は花弁になり、花弁は乱舞し、やがて花冠となってモンスターの頭に落ち着く。
すると鳥モンスターの動きが止まり、落ち着きを取り戻した。
「ふう、成功して良かったわ。狂ってるモンスターを鎮めるのは、私だと一匹ずつしか相手できないのよね」
「しかし、稀なる力だよ。我らの灯よ。胸を張るがよい」
サーシャリオンが落ち着いた声音で諭すと、リコは僅かに目を見開いた後、気恥かしげに笑う。
「お兄さん、変な話しかたをするのね。古風っていうか。それに我らって、あんたまでモンスターみたいじゃない」
真実を知る啓介やフランジェスカは思わず無言でリコを見つめた。しかし騒がれても困るので口にできない。サーシャリオンもまた黙ったまま微笑み返すだけだった。
「え? なあに、その反応」
「……否。我の言葉遣いは気にするな、辺鄙な所に住んでいたのでな」
「ああ、そうなのね。ごめんなさい」
まあ、確かに辺鄙だよな。
啓介は地底の塔を思い出して一人頷く。ノコギリ山脈の峰近くにある、氷の根城。辺鄙だろう。誰も人間は入ってこられない。
サーシャリオンはぽんぽんと鳥モンスターの背を叩く。
「あの船へ降りよ」
「クルルルゥ」
高い声が可愛らしく応え、鳥モンスターは幽霊船めがけて着陸体勢に入る。
一瞬、胃が浮くような感覚がした後、鳥モンスターは一気に滑空していった。
霧を突き抜け、啓介達を乗せた鳥モンスターは静かに幽霊船の甲板へと降り立つ。
幽霊船は、崩れ落ちていないのが不思議な程ボロボロだった。
床や壁を構成する木の板はところどころ抜け落ち、カビが生え、刃物で斬りつけたような跡や焦げ跡がところどころ見られる。帆は破れて、ボロキレが風に時折たなびく。チャプンチャプと水面が船体にぶつかる音と、ギィギィと木が軋む音が静かな中に響いていた。
そしてその舳先。海をじっと見つめるようにして、白い影が一つ立っている。
「あなたが幽霊船の幽霊?」
啓介は鳥モンスターの背から飛び降りるや、他のメンバーが止める暇もなく白い影に近寄って問う。
ただの霞のようだった白い影は輪郭を作り、薄ぼんやりとした人の形を作りだす。それは二十歳前後の青年のように見えた。時折風もないのに白い影は揺れ、薄らいでは元に戻る。幽霊はわずかに啓介を振り向いた。
――エディーラを知らないか?
霧の向こうから問うような、ぼんやりした声が言った。
「エディーラ?」
――知らないのか……。どこにいるんだ。
青年の幽霊は深い悲しみをこめて呟き、姿勢を戻した。
そうしていなければ何かを見過ごすとでも言いたげなほど、ひたむきに海を見つめている。
啓介は肩をすくめ、無言で後ろから見ていたリコと目を合わせた。リコは静かに首を振る。どうやらリコもエディーラという名は知らないらしい。
「あなたの名前はなんて言うんです? もしエディーラさんを見つけたら教えておきますよ」
啓介は少し考えて、幽霊が答えてくれるような言い回しで問う。
――私の名は……デュオサーク・プフト。プフト商会の跡取り息子です。荷を仕入れ、結婚したばかりの妻とともに輸送船に乗っていたところ、海賊に襲われ……
ノイズが入るように、白い影が揺らぐ。まだ何か話しているが声は掻き消えた。少しして薄らいだ姿は再び戻る。
――……は、賊から逃れようとして誤って海に落ちてしまいました。私は助けようと海に身を乗り出し、無防備な背をさらした為に海賊に斬り殺されたのです。私は妻の魂を探している。海にいるのは分かるのに、どこにいるのか分からない……。彼女はきっと暗い水底で寂しがっているでしょう。私は見つけなくてはいけません。
茫洋とした声が、真摯な響きを持って耳の奥を振るわせる。
もしかしたら、泣いているのかもしれない。
どんな顔かはっきりと見えないけれど、幽霊から限りない悲しみと後悔が滲み出ているような気がした。
――私に声をかける勇気を持ちえる旅の方。彼女に会ったら、私が探していたとお伝え下さいませんか。
「うん、伝えるよ」
白い影が笑ったような気配がした。
――ありがとうございます。
そんな言葉を残し、影は風に流されるようにふっとかき消える。
気付けばボロい船の甲板には啓介達が立っているだけだった。それなのに船は勝手に動いていく。
「……あれ。どうしよ、断片だったら回収するつもりだったんだけど」
「いや、私を見ても答えなどないのだが」
啓介に目で問われ、フランジェスカはやや慌てたように返す。フランジェスカは落ち着きなく幽霊船をあちこち見回していて、考えるどころではなさそうだ。
「幽霊の頼みを聞けば解決するのではないか。……そういえば、この者の名、どこかで聞いたような?」
顎に手を当てて、不可解そうに首を大きく傾げるサーシャリオン。啓介も首をひねる。そう、どこかで聞いた気がするのだ。それも最近。
「プフト商会なら、私、知ってるわよ?」
リコの言葉に、啓介達三人の視線がリコに集中する。リコはたじろいだ様子で一歩下がる。
「うっ、そんなに見ないでよ。アストラテで一番大きな商会よ。スオウ国と香辛料で取引してるので有名ね」
フランジェスカは眉を寄せる。
「しかし同じ家名の者である可能性もあるだろう」
「それもそうね。この国の商人は一部族で動いているから、同じ家名かも」
「違うよ、フランさん、リコさん。俺達が聞いたことある気がするのは、名前のほう」
啓介の言葉にリコは不思議そうな顔をする。
「デュオサーク? ありふれた名前だと思うけど。……あ!」
ハッと目を丸くするリコ。ぱちんと両手を合わせた。
「もしかして、セイレーンの呪い歌?」
「「それだ!」」
啓介とサーシャリオンは声を揃える。
「?」
一方、詳細を知らないフランジェスカは困惑したように三人を交互に眺めた。
「じゃあ待てよ。次に探すのは、セイレーンってこと……か?」
デュオサークを待つと歌っているセイレーン。セイレーンがデュオサークの探すエディーラの魂だと考えれば、辻褄が合う。そうすると、互いに会いたがっているのに、三百年も会えていないことになる。
とりあえず、どうやって探そう。
本気で考え込む啓介の言葉に、サーシャリオンは早々に考えを放棄し、フランジェスカは雲をつかむような話だと頬を引きつらせる。
そんな中、リコはまじまじと啓介を見つめて、一拍遅れて強張った顔をした。
「え、本気で探す気?」
もちろん。そう答えると、半笑いを浮かべてリコは言った。
「……えーと、頑張って」
うん。最初からそのつもりだ。
啓介はセイレーンについて考える。
海のどこかにいるのは間違いない。幽霊もそう言っていた。
そういえば龍が、幽霊が探している相手が神の断片と融合してしまって変な力を持ったと言っていた。つまり、断片は幽霊船ではない?
ふと、啓介は考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。
海のことなら、あの龍のモンスターに聞けばいいのだ。サーシャリオンがいるからきっと答えてくれるだろう。
もしかして、これを見越して迎えに来ると言っていたのだろうか。
もし沈んだら怖いので鳥モンスターには待機しておいて貰い、四人は龍を待つことにした。
「ケイ殿、どこへ行くんだ?」
「待ってる間は暇だから、幽霊船探検しようかなって。せっかく幽霊船に乗れたんだし」
「そ、そうか。すまぬが私はここにいるのでな、床板を踏み抜かぬように気を付けるのだぞ」
苦笑混じりに忠告するフランジェスカに礼を言い、啓介は胸を高鳴らせて船内探検に乗り出した。もしかしたら“エディーラ”の手掛かりがあるかもしれない。リコもその場に残り、サーシャリオンだけは楽しそうについてきた。
――結果。船で見つけたのは埃かぶった船室の数々と、幾つかの白骨、持っただけで粉々に砕けた武器や、小さな箱に入った宝石だった。ただ、持ち出したら呪われそうな気がしたので、そのままにして立ち去った。船長室でも日誌を見つけたが、湿気のせいで紙がパリパリになっていて、開くと同時にボロボロに崩れてしまい読めなかった。
うーん、残念。手掛かり無しのようだ。