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サーシャリオンが声に出して読み上げた内容を聞き、修太は笑い声を上げた。
「啓介の奴、魔法使いなのか! それも大魔法使い!」
我はなんちゃらという台詞を聞いて、お腹がよじれるほど笑う。
「すげえ面白い! 目の前で見たかった!」
「何がそんなに笑えるんだか、よく分からん」
「クウン」
グレイとコウはけげんそうにしている。
「我も見たかったぞ。きっと可愛かっただろうな」
まるで劇に出た子どもを見に来た保護者のような目線で、サーシャリオンは感想を呟いた。心から悔しそうに首を振る。
「我も中に入れたらな。こんなに愉快なことは滅多とない」
「そうだったら安心だったんだけどな。皆、無事?」
修太の心配に、サーシャリオンは頷いた。
「今のところは、としか。文字が止まっているから、これ以降はなんとも言えぬな。しかし、魔王から姫を助け出す、古典的な物語とはな。皆で魔王軍を撃退しながら進んでいる」
「ふうん。魔王とやらと戦うのは面白そうだな」
グレイが興味を示した。戦闘のことになると、黒狼族は途端にやる気になる。もしトリトラやシークがこの場にいたら、同じような反応をしただろう。
「危なくないのか? もし本の中で死んだら、どうなるんだろう」
修太は笑えなくなり、真顔で本を見つめる。
「今のところは問題なさそうだが、そうだな、これが古典的な流れを汲む王道物語ならば、後半の危険度が高い」
サーシャリオンの目つきも鋭さを帯びた。
「どういう意味だ? 古典的といわれてもな、俺は物語なんぞ興味がないから、まったく分からん」
「だいたいにして、後半で仲間が死ぬ場合が多いんですよ」
急に声が増え、修太はぎょっと入口を振り返る。アレンとディドが立っていた。後方には校長がいて、こちらと目が合うと会釈して立ち去った。
「アレン? 危ないかもしれないから、入ってくるな」
「一番弱いだろう君が無事なのに、僕が危ないわけがありますか」
「まったくもう、面倒くせえな。何かあっても、俺達は責任取らないからな」
念のため、修太は断った。ここからは自己責任だ。グレイが不審げにアレンをにらむ。
「なんの用だ?」
「ただの様子見ですよ」
「……とか言うけど、ササラさんを心配してるんだろ、分かりやすいなあ。残念だけど、ササラさんも本に喰われた」
「“も”?」
アレンの問いに、修太はササラと一緒に本に喰われた、他の三名の話もする。
「シューター、君は大丈夫な理由があると言っていましたけど、その様子だと結果はかんばしくなさそうですね」
「まあな、奥の手が駄目だったんで」
修太は肩をすくめ、物言いたげなグレイとサーシャリオンに向けて言う。そんなに事情を暴露していいのかと聞きたいのだろう。修太が気にせず話しているのは、表面上の浅い部分なら話してもいいだろうと踏んでのことだ。エレイスガイアの神であるオルファーレンのことまで話すつもりはない。
「こいつを誤魔化すのは無理。押し問答するだけ時間の無駄」
「そなたが良いなら、我は構わんがな」
「邪魔はするなよ」
サーシャリオンとグレイの返事に、アレンとディドは首肯する。
「もちろん。引き際は心得ています」
「旦那に同じ」
ディドものしのしと図書室に入ってくる。その際、扉を閉めた。
グレイはちらとそちらを見てから、アレンに視線を戻す。
「話を戻す。そのだいたいにしてってのはなんだ?」
「魔王退治の王道物語でしょう? だいたいは勇者が一人で冒険するものですが、今回は仲間がいる。そうなると、後半で悲劇に見舞われる仲間がいるものです。その立場は親友か、勇者の恋人が多い」
「ええと、今のところ、そんな立場って出てきた?」
修太はサーシャリオンに問う。サーシャリオンはぱらぱらと本をめくって読みなおしたが、首を横に振った。
「まだ関係性を築いている途中だ。だが、我が見るに、勇者の雑用係のササラと、最初に出てくる男のメインキャラということで、ケイが危ない気がする」
修太とアレン、どちらも眉間に皺を刻んだ。
「そっか、そうだよな。従者との絆をえがくなら、ササラさんが危ない。それに勇者が女だから、最初に出てくるメインキャラは恋人役になりやすい、か」
修太は頭を抱える。
「最悪! シナリオがあろうがなかろうが、どっちも他人を守って死ぬタイプだぞ。特に啓介!」
「うむ、確かに。シューター、そなたが喰われなくて良かった。お前もそのタイプだからなあ。率先的に危険な目に遭う」
「そういや、この間もあの女を庇って、スオウで死にかけてたな」
サーシャリオンの呟きに、グレイが付け足す。崖から落ちそうになり、ササラも巻き添えで死ぬよりマシと、修太が手を離そうとしたことを言っているらしい。
「あれは、だって、仕方ないだろ。二人いっぺんに死ぬよかマシ……って俺のことはどうでもいいんだって。今は啓介とササラさん!」
「そうは言ったって、話が進んでみないことには分からねえだろ」
グレイの指摘は冷静だ。しかし、修太にはじれったくてならない。
「おや、話が進み始めたぞ」
サーシャリオンが本を示した。修太達は、また物語の続きに耳を傾けた。
*
啓介のいた塔で休息した後、物語を進めることにした。
どうやら啓介の役どころである果ての塔の魔法使いとやらは、魔王を倒す聖なる剣を森のどこかに封印しているらしい。邪な者に渡さないために、道に迷う魔法を森にかけ、塔で長らく番人をしていたようだ。
啓介だけは迷いの森を正確に歩けるので、勇者達を試練の岩場まで案内した。
「ここから先は、勇者だけが進むがよい。貴様が真に選ばれし者なら、道は開かれる」
「もし違っていたら?」
グエナが――いや、勇者が問う。
「死にはしない。入口に戻されるだけだ。さあ、行った行った!」
啓介はグエナを岩場に追い立て、自身は近くの木の下に座って昼寝を決め込んだ。
「なんて適当なんだ!」
シーフ役のピアスが言う。
「勇者様、行ってらっしゃいませ」
勇者の雑用係のササラもあいさつをし、勇者グエナは頷いて、慎重に岩場へと踏み出す。その姿は揺らぎ、透明になって消えてしまった。
「何、どういうこと!?」
ほとんど素に近い態度で、ピアスが叫ぶ。
「守っているのは精霊だ。我は入口を守るのみ。勇者に精霊のご加護を!」
啓介はむにゃむにゃと寝言みたいに祈り、そのまま寝入る。残った面々の呆れた視線が突き刺さった。
そこで急に、体が自由を取り戻す。啓介は目を覚まし、その場にがっくりと手をついてうなだれた。
「もう嫌だ」
「ケイ、うんざりするには早すぎるわ」
ピアスが励ましともつかないことを言った。ササラも同意する。
「ええ、このくらいは序の口です。体が勝手に動いて、魔物に突っ込んでいった時は肝を冷やしました」
ここでは魔物を倒しても、血が飛び散ったりはしない。まるでしゃぼん玉が弾けるみたいに、パチンと消えてしまう。そして地面にはアイテムや魔具が残されている。まるでダンジョンにいる疑似生命体のモンスターみたいだ。
自分のペースで戦えないのか。そう考えると、啓介のうんざり加減が増した。それに、ピアス達と再会できたことに感謝が芽生える。
「皆が無事で良かったよ。さて、グエナさんが戻ってくるまで雑談でもするか」
「休息は大事ですよ。火を熾しましょう」
ササラは今いる辺りに、薪を集め始める。
「ケイのいた塔で食べ物をもらえて助かったわ」
ピアスも手伝い、背負っていた鞄から食べ物を取り出す。皆で場を整えると、めいめいに座り込んで茶を飲む。
「どう進むのか分からないけど、無事にクリアできるといいね」
啓介が楽観的に言うと、ピアスが暗い顔をして空を見上げた。
「どうかしら。こういった古典劇のような魔王退治ものは、後半で仲間か恋人が死ぬものよ」
「こっちの世界でも、王道なんだね」
日本で慣れ親しんでいたライトノベルものを思い出して、啓介は呟く。
「ええと、この中だと……やっぱりケイとササラさんが危ないかしら」
ピアスは心配そうに、啓介とササラを見た。
「ササラさんは分かるけど、俺? この役、勇者の恋人なの?」
驚く啓介に、女性達は神妙に首を傾げる。
「メインキャラで初めて出てきた男でしょう? 後々そうなる可能性が高いわ」
ピアスの言葉に、啓介は頭を抱える。
「ええーっ、それは困るよ。グエナさんだって迷惑だろ? だって勝手に体が動くのに、恋人っぽい行動をとらされたらどうなるんだ」
「今のところ、子ども向けの話のようだから、あってもキスシーンだけじゃない?」
「いやいや、困るよ。そりゃあ、子ども向けならハッピーエンドで、王子様とお姫様がキスして終わりは定番だけど! ……でも、なんで子ども向け?」
はたと気付いて、啓介はピアスに目を向ける。
「台詞がやたら分かりやすいでしょ? それに、魔物を倒しても血が飛び散らない」
「それだけ?」
「大人向けが良かったの? ロマンスが混じると、恋愛シーンがどんどんきわどくなるわよ」
「子ども向けがいいです!」
啓介の焦りを込めた返事に、ピアスとササラが噴き出す。
「なんでもいいから、終わらせて戻りたいわ。ここでの旅の生活ってば、不便すぎて疲れるもの」
「確かに、出てくる道具が古いですわよねえ。この本が作られたのは、かなり古いのではないかしら」
ササラの呟きに、啓介は推測を返す。
「オルファーレンの断片なら、新しくても五百年前くらいだろうね」
「そうだな、その可能性が高い」
「筆記具が粘土板なのも納得ね!」
ピアスは頷いた。
そう言われて、五百年前に滅んだ魔法の都ツェルンディエーラのことを、啓介は思い出した。あそこの図書館には大量の粘土板が保管されていたのだ。
そこで、ピアスは溜息をついた。
「暇な時間があっても、アイテムクリエイトもできないんじゃ面白くないわ」
「保存袋も使えないんだね」
「ええ。しかたないから、旅に使うための道具作りをしていたわ。私が作ると安上がりで済むみたいだから」
ここでは町の道具屋でアイテムを買う決まりになっている。単価が高いが、材料だけなら安く買える。しかし、決まったキャラでないとアイテムを作れないルールらしい。
「わたくしはいつも通りですから、特に不便はありませんわ」
ササラがそう言うと、啓介達はなんとなくササラを見つめる。
「何か?」
「いや、ササラさんって趣味とかあるのかなって」
「そういえば聞いたことがないわね。無事に戻れたら、何かしたいことはあるの?」
啓介らの問いに、ササラは目に見えて言葉に詰まった。
「趣味……? 繕い物や掃除などでしょうか。主人のために、場を整えるのは好きです」
「それは仕事じゃない?」
啓介の指摘に、ササラは首を傾げる。
「ええと、武器の手入れ……?」
「なんか違うわね。お金も時間もあって、なんでも自由にしていいよって言われたら、何をしたい?」
ピアスが分かりやすく問いかける。
「自由……ですか」
ササラは戸惑いに、赤い目を揺らめかせる。
「わ、分かりません。いつも遅くまで働いて、疲れて眠るばかりで。主人の喜びこそ、わたくしの喜びですもの」
それを聞いて、啓介は急に納得した。
「だからグレイはササラさんを嫌ってるんだな。ササラさん、主人のためばっかりで、自分が無いもんな。いや、無いというか、奥にしまい込みすぎて忘れてるっていうのが正しいのかな」
啓介の指摘に、ピアスも頷く。
「そうね。今までがああだったから仕方ないと思うけど、もうちょっと我を出すくらいがいいでしょうね」
「どれがいいと聞いても、なんでもいいと返すところあるもんな、ササラさんって」
そんなことを話していると、ササラはうつむいてしまった。
「わたくし、そんなに駄目ですか?」
落ち込んで涙目になっているのに気付き、啓介達は慌てた。
「別に責めてるわけじゃ。ササラさん、とても良い人なのに、なんであんなにグレイが嫌うのか不思議だったけど、意味が分かって納得しただけだよ」
「でも、そうですわね。わたくしはわたくしの形が分かりません。ここに来てみて思いました。むしろ役目があるとほっとするんです」
ササラは悲しげに息をつく。ピアスが困ったように言葉を探し、丁寧に話しかける。
「そういう人も必要だと思うわ。でも、ササラさん。あの国から切り離されたんだもの、これからは自分で立って生きていかなければいけないの。どうしても難しいなら、シューター君に頼るといいわ。彼は真面目だから、責任をとって、ササラさんの世話を焼くと思うの、それは仲間として請け合うわ」
「しかしそれは負担では? わたくしは役目から解放されたことを、後悔してはいないのです。ただ、わたくしを一人の人間として、大事に扱ってくださるシュウタ様についてきたかっただけ。でも、このままではいけないとは、なんとなく分かってはいるのです」
落胆してうなだれているササラを前に、啓介達は目を見交わす。ここまでへこませるとは思わず、どうしていいか対応に困った。
「ちょっとあなた達、皆そろって、ササラさんをいじめてらっしゃるの? 見損ないましたわ、最低!」
急にグエナの怒声がして、啓介らはむしろほっとした。
「あ、おかえり、グエナさん」
「ただいま戻りました! ですがこれとそれとはっ」
淡く輝く長剣を手にして、いつの間にか戻ってきていたグエナは眉を吊り上げている。すっかり仲間意識が芽生えたらしく、ササラを守る様子を見せた。
「違うんですわ、グエナさん。わたくしが至らないだけなのです」
ササラが困ったように微笑んで、グエナを止める。話を聞いたグエナは、首を傾げた。
「何が問題なの?」
「え?」
ササラはきょとんと目を丸くする。
「あなたが他人の世話を焼くのが好きなら、それでいいのではありません? 黒狼族の考えに沿わなくたって、あなたはあなたでしょう」
「はあ」
「世の中には色んな人がいて、それぞれ違うのが当たり前。ただ灰狼族寄りだっただけでしょ? それに今まで抑圧されて生きてきたなら、心が麻痺しているだけよ。のんびりしていたら、そのうち何がしたいか分かるはずですわ」
「お若いのに、達観してらっしゃるのね」
ササラは面食らって、グエナを尊敬を込めて見つめる。グエナはにこりと微笑んだ。
「私や彼らにとって大事なのは、あなたが良い人か、気が合うか、考えが似ているかどうかですわ。あなたと仲の良いかたなら、あなたが幸せかどうかを気にするはず。世話を焼いて幸せなら、それでいいでしょう? 問題あって?」
啓介達は思わず拍手した。
「おお、確かに!」
「あはは、グレイ達に感化されちゃってたのって、私達のほうだったかも。そうよね、深く気にしなくても、旅をしていたら勝手に自我が芽生えるわよね。でないと、とても暮らしていけないもの」
一気に気楽な雰囲気になり、ササラも安堵の笑みを浮かべる。
「そうですわね。麻痺しているだけなら、きっとそのうちわたくしらしさが分かりますよね! ああ、嬉しい! ありがとう、グエナさん」
ササラはグエナの手を取って、礼を言う。グエナは肩をすくめる。
「構いませんわ。でも、あなたはついてると思いましてよ。ちゃんと一人の人間として向き合ってくださるかたは貴重ですもの。だいたい家柄や身分、立場などに左右されがちです」
「ええ、本当に! あのかたにお会いできたことは、わたくしの人生にとって素晴らしい幸運でした。いえ、今もですけれど」
「元気になって良かった。私も友人がおりますの。ここにいてくれたら、どれだけ励みになったかしら」
グエナは少しだけ沈んだ顔をして、溜息をつく。
「もしかしてシモン・ミーサさん?」
啓介の問いに、グエナは大きく頷く。
「ええ、彼とは幼馴染でもあるの。そして一番の理解者ね。シモンがいないとつまらない。早く帰って、我が儘に付きあわせたことを謝りたいわ。だって私の両親だけでなく、周りにも責められていたとか。胸が痛いの」
「本人は、君を置いて逃げたことを悔やんでいたそうだよ」
啓介は修太に聞いたことを思い出して、グエナにそう言った。グエナはぶんぶんと首を横に振り、心外そうに言う。
「そのことも含めて、私の責任なのに。それにダンジョンだったら、シモンのとった行動は、至極当たり前のことですわ。絶交されたらと思うと、胃がキリキリします」
「帰ってみないと分からないけど、それなら君がすべきことは、無事に生きて戻ることだよ」
啓介はグエナをひたりと見据え、きっぱりと言った。
「でないと、『親友を見殺しにした男』になってしまう」
グエナは表情を引き締める。
「ええ。絶対にそんなことにはさせません! シモンの名誉のためにも、私達のためにも、無事に帰りましょう!」
グエナは拳を握り、はりきって宣言する。
啓介らも力強く頷いて、改めてこの物語のクリアを誓った。