8
リコとフランジェスカがいなくなった甲板では、兵士達がひそひそと言葉を交わしていた。
「心配性っていうか、あれはどう見てもリコさん限定だよなあ」
「提督も浮かばれないというか」
「可哀想……」
サマルはにっこりと笑い、なんでもないことのようにきっぱりと告げる。
「君達三人、今月の給料一割引きな」
「「「ええっ、そりゃないですよ提督―!」」」
三人の抗議を、どこ吹く風の体で聞き流し、飄々と船尾のほうへ歩いていく。舵柄で舵を取っている船長に近付いて何か話しかけた。
(うわー……、ここでも一方通行の恋愛が)
手すりにへばりついたまま、彼らの会話を聞いていた修太は目を半眼にする。否定しないあたり、真実なのだろう。
あんな気の強い女のどこが良いのか分からないが、リコは修太の役割を率先して交代してくれたあたり、良い人ではあるのだろう。ただ、ああいう騒がしくて感情の起伏が激しい人が修太は苦手だから、さっぱり理解できないのだが。
修太は首をひねりつつ、床に転がっている水筒を拾い上げる。四角い革製の水筒で、木で栓がしてあり、ちょっと転がしたくらいでは零れない頑丈な造りになっている。革製だから軽いし便利な品だ。
水筒の水を飲むと、じんわりと身体に沁みていく。定期的に湧水を飲んでいないと気分が悪くなるのだから困る。水筒の中の水はあと三分の一程度だ。
栓を締めてから、眉を寄せる。魔力混合水というのは店で売っているのだろうか。
修太が思索にふけっている間にも、兵士達は片付けや怪我人の手当てに奔走している。修太をちらちらと見る者もいるが、扱いに困っているらしく目を合わせないようにして立ち去って行く。
「あれ? そういや船が勝手に進んでないか?」
風もないのに船が進んでいる。修太の呟きを拾って、龍が口を開いた。
――水を操るくらい造作のないこと。岸まではワシが運ぶことにした。
なるほど。龍が水を操って勝手に船を動かしているから、風もないのに船が進んでいるのか。
「へえ、すごいな」
森の主も植物を操っていたし、ボスクラスにもなると、そういう能力があるのかもしれない。
――ふぉふぉふぉ。童はワシを恐れぬのだな。
「驚くのに疲れた。それに、俺はモンスターより人間の方が怖い」
パスリル王国領でのことや海賊のことを思い出して溜息を吐く。
――そうか。ワシらより人間が怖いか、カカカ、主は面白いのう。
「なあ、龍の爺さん」
修太はとても気になっていたことを聞いてみることにする。じっと龍の頭上を見つめる。オーガーがぐったりと倒れているように見えるのだが、気のせいなんだろうか。
――何じゃ?
「その頭の上の奴さ、さっきから静かじゃねえ?」
――おっと、しまった。こやつエラ呼吸じゃった。
龍は慌てて頭からオーガーを振り落とした。ぼちゃっと音を立ててオーガーは海に沈む。しかししばらくすると水面に顔を出した。
「ギョギョ?」と首を傾げている。どうやら死にかけていたのに気付いていないらしい。
「あんた、オーガー達を殺されたのに怒らないんだな」
修太の問いに、船上の兵士達の動きが止まる。緊張の糸がピンと張り、皆、龍の動きに注目していた。
――闇堕ちした手下を霧に帰すもワシらの使命じゃて、怒る道理もない。ただ哀れに思うだけじゃな。
「そんなものか」
――そんなものじゃ。
兵士達はまた動きだした。安堵したように肩から力が抜けている。
――主、顔色が悪いのう。水を飲んでいることといい、もしや魔力欠乏症かえ?
「そうらしいぜ? エルフの医者がそう言ってた。すげえ面倒臭い」
龍と話そうという者は誰もいないので、修太は兵士達の隙間を縫って龍のいるほうの手すりまで行くと、そう言う。老成した空気を持つ龍のことが、修太は嫌いではなかった。老人相手だと無意識に気が緩むのかもしれない。
手すりに肘をついて龍の顔を見上げる。
――なんじゃい、その言いざまは。まるで他人事のように。
呆れたように目をすがめる龍。
「そう思ってなきゃやってらんねえよ。ああ、そうだ爺さん」
――なんじゃい。
「爺さん長生きしてそうだし、ここいらであの幽霊船以外に変な噂とか、奇異な現象とかそういうのないか知ってる? そういうの探して旅してるんだよ、俺ら」
――うーむ。変な噂か、そういうのはお主ら人間のほうが詳しかろう?
「知らないならいい」
修太はあっさり言葉を切る。そういうのを知っていればという程度での問いだったから、別に知らなくても困らなかった。
――いや、待てよ。あれはそれになるのか? ううーむ。
「?」
――さすらいの湖。この国の砂漠のどこかに、時折出現する湖があるらしい。場所は一定ではないとか。灼熱の地に倒れし旅人に救いの手を与えるらしいがのう、ワシは陸のことは詳しくない上、噂じゃから真か知らぬがのう。
ふらふらしてる湖ってことか? 想像がつかなくて修太は眉を寄せる。
「よく分からねえけど、分かった。情報ありがと」
――カカカ。ほんに変わった子どもじゃのう!
龍は楽しげに笑う。
――なにゆえ、そのようなものを追い求める?
「ん~? 人助け、になるのかな。啓介が勝手に助けるって言い出してさ。仕方ねえから付き合ってるんだ」
――ケースケとな?
「あの白いマント着てた奴」
――ああ、〈白〉の少年か。嫌そうな割に旅に付き合うのか? おかしな奴だ。
「それがな。俺があいつのくれた食べ物を食べちまったばっかりに、拒否出来なくてな……。はあ、こんなことになるんなら食べなかったのに」
食べ物につられてしまったと聞いて、龍はげらげらと大笑いする。笑いすぎて波が起こった。
――ほんに変な子どもじゃのう! して、それで誰を救う?
修太はちょいちょいと手招きする。
――なんじゃ。
「耳貸せ、耳」
――む?
顔を近づけてくる龍の耳元に、そっとオルファーレンの名を告げる。
――なんじゃとー!?
驚いた龍は後ろにのけぞり、そのまま海に倒れた。バッシャンと波が起き、修太は高波を頭から被ってしまう。
「ぺっぺっ、塩辛えっ。加減しろよ、爺さん。いい歳して派手だな」
――驚くなという方が無理じゃわい! なるほどのう、あの引きこもりの御方が共にいるわけじゃの。いや、納得したくなかったぞ。
「引きこもり?」
――クロイツェフ様じゃ。あの方は、自身の作り上げたダンジョンから出てこないことで有名なんじゃ。どこにいても役割をこなせるゆえ、誰も文句は言わぬがの。
修太は思わず吹き出した。
サーシャリオンが引きこもりというのが的を射ていたせいだ。冷たい氷に覆われた塔にいるのが一番だとサーシャリオン自身が言っていたのを思い出し、連鎖的に笑いが巻き起こる。
「はは、はははは! 引きこもり! 上手いっ、爺さん上手すぎ!」
おかしくてたまらなくて、手すりに肘を乗せたまま笑う。ああ、腹が痛くなってきた。
――ふふん、そうかの。ワシもなかなかやるじゃろう。
まんざらでもなさそうに目を細める龍。その口元が笑みの形に歪んだように見えた。
*
「とんだ拾いものをしましたなあ、閣下」
黒い髭がたっぷりとした老人――サマルの乗るイストフェーシェ号の船長である男の言葉に、サマルは肩をすくめる。
船長は舵の隣に設置されている羅針盤と海図とを見比べながら、今後の方針についての指示を出すサマルの言葉を聞いていたが、話が終わるや甲板を見てそう言った。
二人の視線の先では、グレイが海賊の船から助けた〈黒〉の子どもが、恐れる様子もなく龍と言葉を交わしている。
「確かに予想外に力が強くて驚いたし、お友達はモンスターを操る奇人だし、なんかあのモンスターと親しげに話してたりするけど、大丈夫だよ」
「何故そう思うのです? ワシだったら、とりあえず船室にでも閉じ込めてしまいますがね。あんな得体の知れない子ども」
サマルはちらりと船尾を見る。手すりに寄りかかって煙草を吸っているグレイの姿があった。
「答えはあれだ」
「グレイの旦那がどうされたんです?」
「知らないのかい、船長。黒狼族は、害のある奴とない奴はにおいで分かるんだってさ。グレイの旦那が何も言わないんだから、あの子どもは安全ってこと」
「それ、信用に値するのですか?」
うろんげに目を細める船長に、サマルははははと声を上げて笑う。
「初めて会った時にね、言われたんだ」
「はい?」
「嘘吐きのにおいがするってさ」
「……そうですか」
それだけで、船長は納得した様子を見せた。
ひどいなあ。そこで納得するなんて。
「その嘘吐き閣下も、リコのことになると正直者になるようですがな」
うわ。ここでそれを持ち出してくるか。
サマルは思わず眉をひそめてしまうが、飄々とした笑みで覆い隠す。
「彼女は不思議だよ。僕の嘘が全て分かるらしい。嘘をつくんならぶん殴るって睨まれたことが何度あったか……」
顎を手でさすりながら、どうしてばれるのだろうと首をひねる。大いなる謎だ。
「お陰でワシらは助かっていますがね。しかし、リコは困った奴だ。あんな得体の知れない連中にあっさりついていきおって……」
「仕方ない。たぶん、魔力欠乏症の子どもに手伝わせたことで、気がとがめてるんだろう。リコの妹もその病気だ」
「そうなんですか? 初耳ですぞ」
「女だてらに船に乗り込んでいるのも、治療薬を買う為らしい」
そこでバシャーッと音がして、甲板を大波が洗い流した。ひっくり返っている龍に、海水でずぶ濡れになった子どもは抗議しているようだったが、少し言葉を交わすと笑いだした。
(ふうん、子どもらしい顔もするんじゃないか)
無愛想で大人びた可愛げのない子どもだと思っていたから、少し意外だ。
そう思いながら船長に視線を戻すと、船長はやけに真面目な顔をしていた。
「閣下、とっととリコを娶っておやんなさい。妹の為に働いて行遅れだなんて哀れですよ」
リコを孫みたいに可愛がっている船長の言葉に、サマルは苦い顔をする。
「それが出来たら苦労してないよ。何回プロポーズしたと思ってるんだ」
「え、振られたのですか?」
ぎょっと目を丸くする船長。
「もっと酷い。冗談だと思われて笑い飛ばされ、帳消しにされること数回だ」
船長は哀れなものを見る目をした。
「そうですか、ただの甲斐性なしじゃなかったんですな。頑張って下さい、提督。ワシは応援しとります」
「………そりゃどうも」
余計な御世話である。というか船長、心の底では甲斐性なしと思ってたのか。酷い話だ。
レステファルテでは女性は15~18で嫁に行くのが普通です。
パスリル王国だと、16~18歳。
って感じです。はい。
サマルの出番が思ったより増えて、作者は驚いてます。
ちなみに、さすらいの湖は、実際にある『さまよえる湖』という本のタイトルから名前だけお借りした感じです。この本での湖は、楼蘭という土地の所にある湖が季節によって大きさを変えるためにそう付けられてますが、こっちのファンタジー世界では実際にうろちょろしてるイメージです。