第三十六話 終幕はピリオド 1
「ちょっとあなた、大丈夫ですの? もしもーし?」
「ん……?」
肩を揺さぶられ、頬を軽く叩かれた刺激で啓介は目を覚ました。こちらを覗きこんでいた少女の赤い目が、ほっと緩んだ。
「いったい何が……」
どうして寝ていたのか分からず、ひとまず起き上がった啓介は、周りを見て固まった。
「な、なんだこれ! 風景が絵みたいだ!」
「ええ、ここは絵本の中なんですもの。でもこの野菜、引っこ抜くと食べられますのよ。ほら」
絵で描かれたカブのようなものを引っこ抜いてみせ、少女は誇らしげににやりと笑った。絵でしかなかったカブが現実的なものになっている。絵は消えるわけではなく、そのまま残っていた。
「うわあ、すごい! 君、発想が面白いね!」
「お腹が空いたらなんでも試してみますわよ。ほら、井戸もありますのよ。絵の中のバケツを引っこ抜くと、この通り、水を手に入れられるんです。最初は野菜をかじって、水を飲んで過ごしていたんですが、後から来たかたが色々とお持ちで助かりましたわ」
「へえ~。って、ああっ、君! グエナ・ラーベルさんじゃない? 絵本に喰われた一人目の被害者!」
透き通るような白い肌を持った少女は、頬の辺りにそばかすが散っている。好奇心に輝く赤い目はぱっちりしていて、鼻はつんととがっている。見事な銀髪は、二房の三つ編みに結われていた。そして、シュタインベル学園の腕章を左腕に付けているのが決定的だ。どこからどう見ても、冒険者ギルドで聞いていた通りの少女だ。
少女は頷いた。
「ええ、そうですわ。私がグエナ・ラーベルです。この説明、何回目かしら。いい加減、しんどいんですけど、私を助けに来て巻き込まれたのなら、説明するしかありませんわねえ。――それより、お仲間のほうはよろしいの?」
グエナの問いで、啓介は初めて、少し離れた所に倒れているピアスとフランジェスカ、ササラに気付いた。
肩を揺さぶって声をかけると、三人はすぐに目を覚ました。フランジェスカが腹立たしそうにうめく。
「まったく、サーシャめ! 肝心な時に役に立たない!」
「そんなこと言わないで、フランジェスカさん。サーシャはいつもよく助けてくれているわ」
ピアスがなだめる横で、ササラは慎重に周りを確認する。
「ここは……なんとも奇怪な場所ですわね。わたくし達四人だけですの? シュウタ様はいらっしゃるのかしら。シュウタ様ーっ」
修太の名前を叫ぶササラに、グエナが声をかける。
「他には見てませんわ。本に喰われると、まず、この旅立ちの村の広場に落ちて来るんです」
「旅立ち?」
ササラがけげんそうに問い返すので、グエナはある方向を指差す。
「ええ、ほら、門にそう書いてありますわ。あそこに」
グエナの言う通り、絵で描かれた村の風景の中に、木製のアーチになった門を見つけた。上の方に、『ようこそ、旅立ちの村へ』という文字がエターナル語で彫られている。
「あら本当。なんて親切な村でしょう」
「……そういう問題かなあ?」
ササラの天然発言に、啓介は思わずツッコミを入れた。
フランジェスカが気を取り直して立ち上がる。
「なんだかササラ殿を見ていたら、気持ちが落ち着いてきた」
「分かる。自分はしっかりしなきゃって思っちゃうのよね」
ピアスも同意して、パッと立つと裾を払う。結構失礼だ。
「見れば見るほど、変な場所ね。劇の舞台にでもいるみたい」
「そんな感じだな。出口がないのを除けば」
フランジェスカの呟きに、グエナは首を横に振る。
「そんな目でこちらを見ないでくださいまし。分かっていたら、とっくに帰っています」
「……だろうな」
皆、やれやれと溜息を吐いた。
「こちらに来た皆さんは、村の酒場に集まっていますわ。ご案内します」
グエナが風景画の中の一ヶ所を示す。
(本当に変な感じだ。仮想現実の世界に入り込んだんならまだしも、絵の中にいるんだもんなあ)
奇妙すぎて、じっと見ていると気分が悪くなってくる。遠近感はあるが、近付いてみると平たい。絵の描かれた壁に囲まれた場所に、書割が置かれている感じに近い。
「皆さん、どこで寝泊まりされてらっしゃるの?」
グエナについていきながら、ササラが問う。
「その辺の民家や、酒場の上にある宿屋など、好きに使っていますわ。絵で描かれた村人しかいませんもの。ベッドを使う時は、野菜と同じく引っ張り出せば現実的な物になります。でも、誰も使っていないまま数時間が経つと、消えてしまうみたい」
「つまり、イレギュラーは俺達のほうで、絵が主役の世界ってことか。でも俺達を本に閉じ込める目的はなんなんだろう。絵の一部にするつもりとか?」
啓介は考えながら、ぶつぶつと呟く。自分で言っておきながら、ぞっとする。
「やめてよ、ケイ。怖くなってきちゃった」
「だがピアス殿、一理あるぞ。グエナ殿が無事だから、まだ時間はあるのだろうが……あの絵の村人が、他所で喰われた人間じゃないなんて誰が言える?」
寒そうに両腕を抱えるピアスに、フランジェスカは絵の中の人を示す。するとグエナが振り返った。
「私もそう考えたので、引っ張り出してみましたけど、同じ台詞しか言いませんわ。絵は絵なのではないかしら?」
グエナがそう首を傾げた時、村の教会の鐘が突如鳴り始めた。
――リーンゴーン、リーン……
「えっ、なんですの!? こんなこと、初めて……。きゃっ!?」
グエナの悲鳴に続き、啓介達も声を上げる。
突然、体が光に包まれた。
「ええっ!?」
光が消えると、啓介達の服装が変わっていた。
啓介は魔法使いみたいな真っ黒ローブ、ピアスは盗賊みたいな軽装、フランジェスカは白い装いに赤マントの騎士、ササラは可愛らしいワンピース姿、グエナは軽騎士のような白銀の鎧という格好だ。
――配役は揃った。これから物語を開始する。勇者グエナ、準備が出来たら、村を旅立つんだ。そうすれば、ゲームスタートだよ。
空から男の子の声が響いた。
「誰だ!」
フランジェスカが、水彩画の空に向けて叫ぶ。
――終わってみれば分かるよ。物語を最後までクリアして、ピリオドを打つんだ。出来なかったら……君達は二度と現世に戻れない。頑張ってね。
くすくすと笑い声が響き、声は聞こえなくなった。
なんともいえない不気味さに、啓介の背筋は凍りつく。
「勇者? 意味が分かりませんけど、旅立つ前に、酒場の皆と情報共有をしましょう」
グエナは冷静に言い、絵で出来た酒場の扉に触れる。
その瞬間、パッと絵が光り、現実的な建物へと変わった。
啓介らは頷いて、扉をくぐった。