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ようやく修太が落ち着きを取り戻した時、何故かピアスやフランジェスカ、ササラも目を赤くしていた。
修太の両親を知っているから、啓介が泣くのは分かるのだが、どうしてこの三人も泣いていたのだろうと不思議に思ったのだが、そういえばこの三人も親を亡くしている。ピアスとフランジェスカは母親だけだが、サーシャリオンの言葉に感じ入るものがあったのだろう。
――大丈夫か、アニサマ。
しゃがみこんでいた修太の肩にするりと這い上がり、アルヴィーラはぺろりと修太の頬をなめてきた。
――しょっぱい。
「大丈夫だから、なめるな」
――いや、つい。うまそうで。
「……は?」
アルヴィーラの一言は、修太を情緒の底から引き戻すのに、充分な衝撃があった。
――魔法使い(カラーズ)は血に魔力を蓄えるだろう? 涙にも含まれておるのだ。
「何を言ってるんだ、こいつは」と、修太は怪訝に見やる。その傍らで、啓介がポンと手を叩く。
「そうだね、涙の成分は血液と同じだ」
「そうなのか!?」
流石は啓介、物知りだ。
「じゃあこれにも魔力が含まれているのか」
目をこすった後の手の甲を、修太は見下ろした。アルヴィーラがひょいと頭を突きだして、ぺろりとなめる。
――含まれておるぞ!
「だから、なめるなって言ってるだろ」
――痛い。
修太はアルヴィーラの額を、軽く指で弾いた。アルヴィーラはちょっとのけぞり、渋々修太の肩へと戻る。
「なあ、シューター。その蛇は何なんだ?」
気を取り直したフランジェスカが質問した。
今ここでようやく気付いたという様子で、仲間達がアルヴィーラを見つめる。視線が集中したせいか、アルヴィーラはびくりと震え、頭を低くした。
「そういえばその娘、行列にいたな」
サーシャリオンはササラが誰か分かったようで、まじまじとササラを見る。
「犬を押さえこんでた奴だろ」
グレイも同意した。
戸惑う面々の中で、トリトラとシークは呆れ顔をしている。
「君、またモンスターを引っ掛けてきたの?」
「どうせなら女にモテろよ。可哀想な奴」
「クウン」
まるで同意するように悲しげにコウが鳴くものだから、修太はこめかみに青筋を立てた。
「うるせえぞ! 余計なお世話だ!」
修太だって人間の女にモテたい。そしてモテモテのこの二人に言われると、尚のことムカつく。
先程までうちひしがれていたのも忘れて、修太は腹を立てながら、事情を説明した。
「聖都が水没? 手伝えることはあるかな」
話を聞き終えるや、啓介は真剣な顔で質問した。
流石、切り替えが早い。
――いや、特に無い。アニサマに手伝ってもらうつもりだ。
「俺? ああ、だからギタルを持ってこいって言ってたのか」
そういえばギタルはどこに行ったのだろう。両親を見つけてここに駆けつけた時には持っていなかった気がする。
修太が辺りをきょろきょろと見回していると、ササラが竹藪の傍に落ちていたギタルを拾ってきた。
「どうぞ、シュウタ様」
「ありがとう、ササラさん」
修太はギタルを受け取って、簡単に調べる。少し弦が緩んだくらいで、壊れてはいない。
啓介が興味深げに除いてくる。
「ギターか? シュウ、前にはまってたよな」
「これはギタルっていう名前らしいぞ。ま、似たようなものだけどな」
その場にあぐらをかいて座ると、修太は音を聞き比べて、弦を調整する。
「実験前に、俺はオルファーレンちゃんの断片を回収してしまうよ。あんなの置きっぱなしにしておくと危ないからな」
「ええ、そうよ、ケイ。自殺の名所になるだけあるわ。祝福が歪んで呪いになるって、最悪よ」
ピアスが同調するのを聞いて、ササラが不思議そうにする。
「ではあの幻影は、元は良いものだったのですか?」
修太が代わりに頷いた。
「ああ、五百年前のモンスター大発生。その時に、オルファーレンがあちこちに祝福として、神の断片を置いたんだと。それがあの幽霊ってわけだな。興味があるなら、見ていくといい」
「シュウはそこにいろよ、絶対に動くな。ぜーったいに!」
いまだピリピリしている啓介が命令してくるので、修太は苦笑いを返す。
「分かったよ。……さっきは悪かったな」
ふいっとそっぽを向きながら謝ると、啓介は何も言わずに修太の肩を叩いた。許すという意味だろう。
啓介を困らせたのは悪いと思っているが、家族のもとに行きたい気持ちは否定しきれない。素直になりきれない修太の心情を察してくれる辺り、啓介は優しい。
「よし、じゃあ、回収するよ」
踵を返し、啓介は崖の方へ少しだけ歩み寄った。
そして、首から提げている豆本を右手で掴む。
一瞬後、革表紙の本へと姿が変わる。
「ここなるオルファーレンの断片、お前の役目は終わった。我はオルファーレンの使徒。断片よ、ここへ戻られたし!」
啓介は宙へ向け、決然と顔を上げ、呪文を唱えた。
その瞬間、変化は起きた。
目の前の空間に、円状に揺らぎ、光のさざなみが立つ。その中心から、何かが細い光となり、本へと吸い込まれていく。
無音の衝撃が走り、辺りはふっと穏やかな静けさを取り戻した。
啓介は最後のページを開き、書かれた文字を読む。
「忘れじの丘って書いてあるな。空と崖、それだけだ。死者と再会できる祝福か」
「会えるものなら会いたい、気持ちが慰められる、というのは分からんでもないな。こんな物騒な場所でなければマシだった」
フランジェスカが言った。
「忘れないでって……呪いみたいな言葉よね」
苦い顔でピアスが呟く横で、グレイが紙煙草に火を点けて、煙を吐く。
「まったくもって理解できん。死んだ奴のことで何をそこまで悩むんだか。死んだら終わり。死体は地面に埋めて、世界に還る。そしてまた世界の一部になる」
グレイは何の気なしに言っただけなのだろうが、修太の心には響くものがあった。
「一部になる……。そっか、一部になる、か」
地球とは違う土地だが、世界の一部になったと思えば、傍にいるような気がしてくる。寂しさが少し薄れた。
何やらグレイは考え込む仕草をして、急にこちらにやって来た。目の前にしゃがみ、じーっと琥珀の目で見てくる。
「な、なに」
たじろぐ修太に、グレイは問う。
「お前、そんなに親が恋しいか」
「……ああ。わ、悪いな! いつまでも引きずって自立出来てなくて!」
思わず噛みつくように返すと、グレイは眉を寄せる。
「誰も責めてないだろうが」
「裏の声が聞こえた」
「ありもしないものをわざわざ拾うな」
呆れたように言われ、うぐぐと修太はうめく。
それではいったい何なのだと、弦を鳴らす手を止めて、グレイに目で問いかける。
グレイはやはり思案げに僅かに首を傾げて問う。
「お前、俺の養子になるか?」
「……!?」
驚きすぎると声が出ないって本当なのだな、と、修太は驚愕の顔のまま固まった。
「よ……!?」
「し、師匠!?」
トリトラとシークも、天変地異に出くわしたような驚きぶりでのけぞる。
サーシャリオンは陽気に言う。
「おお、それは良い。こういう我慢強いくせに寂しがりタイプは、新しい家族が出来た方が生き延びやすい」
「寂しがりじゃねえし!」
修太はすかさず否定する。
何故かフランジェスカは笑いだし、ピアスは感動で目を潤ませる。
「うん、良いと思う! 前に言ったの、冗談じゃなかったのよ。グレイが養父って最高じゃない! 紫ランクの冒険者って地位は高いし、後見人になってもらうだけでもかなり違うわよ。ね、ケイもそう思わない?」
「え、えー……どうなのかな。シュウが決めることだから」
急なことに、啓介は戸惑っているようだ。可もなく不可もなく、みたいな曖昧な態度である。
ササラとアルヴィーラは無言で成り行きを見守っている。
皆の視線が集中して、修太は冷や汗をかく。
「……保留!」
やっとのことで、修太はそれだけ叫んだ。何か言いたげなグレイを、修太はキッとにらむ。
「俺、今、それどころじゃねえから! でもこういうことを、ろくに考えずに軽く返事したくない。傷つけたくないから……ごめん」
ギタルを抱えると、修太はグレイの前から逃げ出した。この静かな琥珀の目を見ていると、無言の圧力に屈して、勝手に頷いてしまいそうだ。
「あ、逃げた」
「混乱してるんだよ、放っといてあげよう」
シークに、トリトラがひそひそと言うのがなんだかいたたまれない。
「まあ、シュウが好きに決めなよ。俺は何も言わないから」
「……助かる」
離れた場所で調律を再開しながら、修太は啓介にぽつりと返した。顔に出ていないだけで、激しく混乱中である。
*****
フランジェスカが相変わらず笑いながら、グレイの所にやって来て、ばしばしと肩を叩いた。
「グレイ殿、やっぱりあいつに甘いんじゃないか。落ち込んでいるのを見て、可哀想にでもなったか。そういう情緒面があったのだな、貴殿に!」
随分失礼な内容だったが、グレイは気にならない指摘だ。感情面がどこか欠落しているのは、自分でも分かっている。
だが、フランジェスカの絡みっぷりが鬱陶しいので、淡々と返す。
「今、思いついた訳じゃない。前にピアスが冗談で言っていたから、それも悪くなさそうだとずっと考えていた」
「考えてたのか!? え、いつから」
ぎょっと身をそらすフランジェスカに、グレイは少し考えてから答える。
「あの花畑王子をミストレインに送る頃だ」
「結構、前だな! へえ、深慮するタイプか。ちょっと見直したよ。短気かと思っていた」
「うるさい」
グレイは短く言い返す。
何となく修太の方を見ると、ガシャガシャとギタルを鳴らしている。顔に出ていないが、態度に動揺があらわれている。
「あいつ、やはり面白いな。俺が傷つくと思うらしい」
「私はそうは思えんが、一般的には繊細な話題だ」
フランジェスカはグレイにうろんな目を向ける。
「しかし貴殿に親が務まるか? 先に所帯を持ったらどうだ」
「ピーチクやかましい女と、俺が上手くやれると思うか?」
グレイが問い返すと、フランジェスカは少し考え、肩をすくめる。
「まあ、そうだな。その辺の女と暮らす貴殿より、あのガキと暮らしている方が想像しやすい。同じ部屋にいながら、全く違うことをしてるんだろうな」
「女ってのは、それを許さんだろ。何かというと、一緒にとか構えとか言う。釣った魚に餌くらい寄越せとかな」
「グレイ殿……前からどこか女嫌いのようだったが、まあ、何と言うか……頑張れ」
グレイが女とろくな付き合い方をしていないと、フランジェスカはすぐに感づいたようで、ものすごく可哀想なものを見る目をされた。
「うるさい」
結局、同じ言葉をグレイは返した。
女が嫌いなわけではないが、傍にいられるだけでうるさく感じて鬱陶しいのだと言ったところで、理解されるとは思わなかった。




